幕間 Unreachable


 ずっと、分かっていたことだった。

 私は決して_____彼のようにはなれない。彼のように幸せを噛み締めて、そして今この瞬間を生きることに感謝し、変わりゆく自分を受け入れて生きていくことはできない。


 これまで、ずっとそうだった。

 私と共にいたことを、後悔する人は少なかった。みんな、私のことを大好きだと言ってくれた。

 でもみんな_____最終的には、怨嗟の声を上げながら消えていってしまった。

 私はそれに恐怖し_____いつからか、逃げ出すことを選んだ。





_________





 四人目の育て親が死に、涙を枯らした十二歳の私の元に、一人の男が訪れた。

 男は、目から上が完全に隠れていた。建物の中だというのに、珍妙な仮面を被っている。背丈は高く、百九十を超えているだろう。


「やぁ、君が例の特別保護対象?」


 私は反応しない。どうせこの人も、私を守りに来た人なのだろう。そんな人とは関わりたくない。どうせまた私が酷い目を見る。どうせこの人も_____私の目の前で、無惨に死ぬに決まっている。どうせなら_____私のことなんて嫌いになってほしい。どうせ死ぬなら、私の知らないところで、勝手に死ねばいいのに。


「上が方針を変えてね。まさか僕が、子守をさせられるなんてね」

「…………」

「ま、子守は初めてじゃないからいいんだけど。でも僕、子供にあんまり好かれないから、君にも好かれないかなーって不安なんだよね」


 男の話し方は軽薄だった。このような魔術師は、初めて見る。

 これまで私と一緒にいてくれた魔術師は、全員が大人としての責任感を持っており、幼い私のことを気遣い優しくしてくれた。コロコロと変わる大人の事情に私が振り回されることのないよう、常に大人たちは配慮してくれた。それが理解できてしまうだけに、余計に辛い。

 だが、男はそんな者たちとは正反対にあった。軽薄極まりなく、子供に聞かせるべきでないことをペラペラと喋っている。

 正直に言って_____不快だった。


「とりあえず、食事は摂った方がいいよ。成長するお年頃なんだし、二日間も何も食べないと死んじゃうよ?」

「……帰ってください」


 私は、食事の置かれたトレーを蹴飛ばした。

 胃に優しいお粥、味噌汁、簡単な和物が添えられた健康的な食事が床に撒き散らされる。

 腹は珍妙な音をあげ続け、体からは力が抜け続ける。だが、また食事を摂ったとして_____何になる?

 意味がない。また、無駄な死を見ることになるだけだ。また、悲惨な死を見て、無惨な死を見て、凄惨な死を見ることになる。

 そんな命に何の意味がある?幼くとも、私には分かる。これは無意味なことだと、はっきり分かる。

 どうせこの男も、私のこの態度を見ればあまりの素っ頓狂さに驚くだろう。そうすれば、また私の前で死ぬことはなくなる。こうすれば、これ以上私のせいで犠牲になる人が増えることは_____


「_____なくなる。そう思ってんでしょ」

「__________え?」


 思っていたことを、これ以上ない形で言い当てられ、思わず考えが止まる。


「君みたいなのは何人も見てきたからねぇ、分かるよ。別に何も_____特別なことじゃないから」

「……何人、も?」

「はっ、さては君、自分が特別だから、周りの人間がバタバタ死んでいくとでも思ったのかい?」


 男はまるで、私の頭の中を覗き見ているかのようだった。

 気味が悪い。一体何を考えて、私にこんなことを言うのだろう。


「君は特別な人間じゃない。ただ始素をたくさん溜め込めるだけの_____どこにでもいる、普通の女の子」

「……違う!私は……私は……!」

「偶々周りで人が死にまくるだけの、ちょっとナーバスで、それでいてふざけるのが割と好きな、ただの子供」

「うぅっ……ううう……!」

「特別な自分のせいで周りが傷つくと思ってる_____ちょっと面倒なやつ」

「うるさいっ!うるさいうるさいうるさい!何なのよ?!なんで私に構うの?!なんで私を生かそうとするの?!もうやめてよ……やめてよぉぉぉぉぉぉ……!」


 泣き腫らした目に、さらに涙がボロボロと零れる。

 甲高く叫んだ声が、叫んだ後の静けさをより引き立たせた。


「……今日はちょっと先生をすることにしようか。来なよ」


 男は、流す涙さえ無くした私の目の前に、見慣れた穴を作り出した。魔術師たちが使う、移動用の穴だ。


「自分が不幸なお姫様だと思ってる君に_____他の不幸を知ってもらいたくてね」





_________





 最初に来たのは、熱帯雨林が生い茂るどこかの島国だった。


「この島は少し前に大嵐_____サイクロンに襲われてね。見ての通り、大荒れだ」


 生い茂っていたであろう木々は薙ぎ倒され、地面は草木と土砂によってぐちゃぐちゃになっている。

 集落があったと思われる場所では家屋が破壊されつくし、潰れている家がほとんどの状況であった。小さなこの島には、安全に隠れられるコンクリートの建物は存在しない。

 人々の間にも被害が出ており、二十人以上の島民が行方不明となっている。

 現在は救助隊が駆けつけており復興が進んでいるが……爪痕が消えるには、まだまだたくさんの時間がかかるだろう。


「ここは始素の残滓のある防衛拠点のある島と近い島でね。先日の大規模な界震によって、ここも被害を受けた」


 大規模な界震は、世界中のランダムな場所に影響を与える。私のいた日本の土地だけでなく、遠く離れたこの島にも、界震は大きな影響を与えていた。

 ここを襲ったサイクロンも、残滓から漏れ出た始素によって発生したものだ。


「駆けつけている救助隊も、魔術師の息がかかった者たちだ。そうでなければ、こんなに早く救助隊は駆けつけない」

「……何が、言いたいの」


 見せられて気分のいいものではない。人々の表情は淀んでおり、生きる希望を無くしているように見える。例え魔術師による記憶改竄を施したとしても、失われたものを戻すことはできない。彼らが希望を抱けるようになるまでに、どれくらいの時間がかかるだろうか。


「あそこを見てみてよ」


 男が指を指した先には、必死に瓦礫をどかし続ける、一人の男がいた。救助隊隊員の服を着ているが、他の隊員と行動を共にせず、一人でずっと瓦礫をどかし続けている。


「……あの人は」

「この近くの防衛拠点の、監視責任者。先日の界震が起こった時、彼は休暇を取って拠点を少しだけ離れていた」

「__________!」


 防衛拠点は、いつ何があってもいいよう、二十四時間体制での監視が続けられている。万が一の不備がないよう、監視を担当するオペレーターはいくつものチームに分けられ、オペレーターたちが休める環境を作っている。それは責任者である者も同じであり、男は真面目に働く優秀な監視責任者であった。だが、偶々彼が席を離した時、事件が起きた。その場にいたオペレーターたちの緊急措置も虚しく、始素の残滓の一部が外部に流出。結果、この島は壊滅的な打撃を受けた。


「彼には一切の責任がないし、その場にいるオペレーターたちも最善を尽くした。それでも、災害は災害だ。止めるのには限界があるし、被害が出てしまうのはしょうがない。それでも、彼は自分に責任があると思い、こうして寝ずに救助を続けているんだ」

「…………」


 私から見ても、彼に非はないと思う。彼がいようといまいが、恐らく状況は変わらなかっただろうから。

 だが、もしも_____もしも自分が彼と同じ立場になったら、どうするだろうか。

 自分があの時、休暇を取らずに職場にいたら、この島を守れていたかもしれない。

 _____そう思うに、違いなかった。


「……私は……彼とは違う。彼がいてもいなくても何も変わらないけど……私がいなくなれば、助かる人がいる」

「そう言わずに。次だよ」





_________





 次に来たのは、雪が止まない寒い国。私は厚着のコートを羽織ることで寒さを凌いだが、なぜか男は何も着ていないのに平気だ。

 ここでは、教会でお葬式が開かれていたところだった。ちょうど今、棺が教会から運ばれ、外へと出されていくところだ。


「亡くなったのは、侵略者と戦った魔術師だよ。先日の戦いで戦死して、ようやく葬式されることになった。彼は魔術師の家の生まれではないんだけど、才能を持って生まれてね。家族も含め、魔術師に対して色々と協力してくれていた」


 棺の横には、家族と思わしき者たちが付いている。老夫婦は、亡くなったという彼の両親だろうか。そうなるともう一人横に控えている女性は_____


「_____彼の奥さんだ。去年結婚し、五ヶ月前に妊娠している」


 女性のお腹は大きく膨らみ、その中で新たな命が胎動していることが分かる。赤ん坊はきっと_____父親の顔を知らずに、生きることになるだろう。そんな大きなお腹のままこうやって外に出るのは相当な負担だというのに、女性は涙を零しながらも懸命に歩いていた。


「彼はあの戦いが終わった後、奥さんを手伝い、育休のために一年間の休暇を取る予定だった。戦いが近いことは分かっていたから……奥さんは、彼が戦場へといくのを強く止めたそうだよ。でもその声は届かなかった。奥さんは酷く後悔していたよ。『あの時、もっと強く止めていれば良かった』ってね」

「……彼が死んだのは、でしょ」

「どうかな。彼を魔術師にスカウトしたやつのせいかもしれないし……戦う原因を作った君のせいかも、あるいは本当に_____止めなかったあの奥さんのせいかもしれない」

「それで何。私の責任が分散されるって言いたいの?」


 雪はしんしんと降り積もる。

 棺を抱えた人たちは、雪を踏みしめながら、見えないくらい遠くにいってしまった。


「いいや。彼が死んだのが誰のせいかは分からない。僕は普通に生き延びられたから、彼が弱かったからかも」

「あんた……!」


 男の度を過ぎた発言に、思わず怒りが込み上げる。人が死んだというのに、なぜそれを嘲笑うような真似ができるのか。

 だが私の怒りは、男が仮面から流した一条の雫を見て、雲散霧消した。

 それでも男の口には____微かな微笑が張り付いたままだ。





_________





 砂漠に囲まれた、レンガ作りの家が立ち並ぶ集落にて。


「……ここは」

「魔術だとか始素だとか……そういうのと一切関係ない、マジで普通の街だよ」


 普通の街……と呼ぶには、この街は些か奇妙だった。

 建物の数に比べ、明らかに人通りが少ない。時折人が歩いている姿を見かけるが、顔を布で覆い、マスクを着用した姿ばかりだ。


「この街は、先週あたりからヤバめの感染症に冒されてね。街全体に感染が広がり、街は封鎖されている」

「そんな……」

「感染の原因は明確、杜撰な下水整備だよ。長年政府機関が放置していたことで、この街ではずっと前から健康被害が出ていた。それが今になって、慌てて整備を進めている。もう手遅れだってのにな」


 既に街の半数近くの人が感染しており、そのうちの一割が死亡したらしい。この街は首都からもかなり離れているため、医療資源の不足が深刻だという。現在はNGOや国際組織の援助によってなんとか医療キャンプの敷設がなされているが、既に街は手遅れの状況にあるらしい。


「感染ルートは判明している。街の外に出稼ぎに行っていた、一人の女性だよ。紛争で夫を亡くした彼女が五人の子供を持つ家庭の生計を支えるには、出稼ぎに行って少しでも高い収入を得なければならなかった」

「…………」

「感染源が彼女だと分かった時、既に彼女はこの感染症によって亡くなってしまった。街の人たちは自分達が苦しむ原因がその女性だと分かり……彼女の遺体に暴力を振るおうとした。支援機関の人たちが止めたけど、今でも彼女は、この街の悲劇の元凶として憎まれている」


 私は男に連れられ、街の外に作られた集団墓地へと向かった。

 墓地の近くでは支援機関や警備のための兵士が張り付いており、万が一にも遺体から感染することがないように警戒を続けている。どうやら男はそこの警備員と顔が通じるのか、私はその墓地に入れてもらうことができた。全身を防護服のような者で包む。

 亡くなった女性の墓の元に行くと、僅か五輪の花が添えられていた。きっと、彼女の子供が残したものだろう。


「……君は、彼女が悪者だと思うかい?」

「思わない。思うわけがない。この人はただ……子供のための頑張っただけ」

「だが、感染リスクが明らかな中、この人は子供に会うためだけに街に帰ってきてしまった。そんな彼女をのことを……君は愚かさだと思うか?」

「思わない。子供のことを思って母が帰ってくるのは……当たり前のこと」


 遺された子供たちは、どうしているだろう。母を失った悲しみ、混乱、恐怖。そして、街の人々が母を憎むことに対する引け目を感じているだろうか。

 段々と、男の言わんとしてることが分かるような気がした。


「……私が、この人と同じって言いたいわけ?」

「同じなんかじゃない。決定的に違うものがある」


 その後、私と男は二人合わせて二輪の花を、墓に添えた。


「この人は、子供を守る責務を持っていた。子供のために、一生懸命だった。でも君は違う。ただ生きてるだけで、一生懸命になれるものがない。そしてこの人と違って_____まだ、生きてる。全然正反対だね」

「…………」

「自分が感染源だと知った時、何を思ったのか。子供を遺して逝ってしまうことを、どう思ったのか。いずれ自分に向けられるかもしれない怒りを、どう思ったのか。それを知るには_____君はまだまだ、経験不足だ」


 その後、男に連れられ、私は日本にある元の場所へと戻った。


「……結局、何が言いたかったのよ」

「それを自分で考えるのが、先生からの宿題さ」


 男は床に散らばった食事を片付け始めた。手が汚れることも気にせず、食器を洗面台へと戻していく。

 そして最後に_____俯いたまま座る私の前に、おにぎりが置かれたトレーを置いた。


「しばらく一人でいたいようだし……また三日後くらいに来るよ。食べ物は冷蔵庫に全部入ってる。あと、これはお小遣いね」


 男は、机の上にカードを置いた。何やら絵の描かれたそれは、一万円分の図書カードだった。


「知るべきことを知って、経験すべきことを経験するんだ。生きる意味は、その後にじっくり考えればいい」

「…………」

「なんだい、寂しいの?一緒に遊んであげようか?」

「馬鹿にしないで!」


 やはり最後まで、腹立たしいやつだった。

 男は最後に身を屈み、私と同じ高さの目線になり、こう言い残して去っていった。


「大丈夫。いつか君にも_____誰かのために、一生懸命になれる時が来る」

「……誰かの、ため?」

「ああ。そしてそいつはきっと……君の前から、姿を消したりはしない。君の孤独を、打ち払ってくれるはずだ」


 男が去った後、しばらくしてから、私は冷えたおにぎりを食べた。

 その後本屋へと行き、様々な本を買った。本の多くは、世界の様々な地理に関するものであり、そして発展途上国についての解説本や、その風土・文化についての本、その支援についての本が多かった。

 その後、私は定期的に様子を確認しにくる男に将来のことなんかを話しながら、少しづつ、やりたいことを決めていったんだ。

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