第33話 with you


 季節は夏が近づいてくる頃。アメリカ西海岸は年間を通じて温暖な気候だが、夜はさすがにひんやりと冷え込む。それでも、二人で一緒にいることの暖かさは感じられた。

 霧切の隠れ家は市街地からやや離れた場所にあり、周囲には木々が生い茂っている。遠くにあるサンフランシスコの夜景を眺めながら、俺と二宮は歩いた。


「…………」

「…………」


 俺も二宮も、何も言わずに歩いた。

 二宮がどこに行こうとしてるかは分からないが、二宮は俺のことを振り向くことなく歩き続けていたので、俺もそれについて行くしかない。

 こうやって夜を歩いていると_____嫌でも、かつてのことを思い出す。

 こうして夜の暖かさに包まれながら、二人で歩いたこと。海辺を歩き、互いに涙を流し合ったこと。

 彼女との思い出を、思い出さずにはいられない。


(……やっぱり俺は……あいつのことが忘れられない。二宮との日々は幸せだけど……それでもやっぱり、忘れられるわけじゃないんだ)


 一緒にいた時間であれば、今や二宮の方が長い。だが、記憶に強く焼き付いているのは、なぜか彼女の方なのだ。

 どちらも、孤独な世界に放り込まれた俺を救ってくれた。二人とも、かけがえのない存在だ。

 だからこそ_____どちらか片方がいないことが、ひどくもどかしい。

 道を進んでいき、夜景が一番綺麗に見える坂を歩いていた。夜になっても昼と変わらぬほどに明るい景色は、俺の目に強く焼き付いた。

 二宮はその景色を見ることなく、ただひたすらに進んだ。ただの散歩にしては、かなり長い距離を歩いている。

 坂を下り、夜景が見えなくなった頃。


「……ちょっと休もうか」


 二宮が、近くにあった公園に入っていった。公園にはベンチが置かれており、一休みできるようになっている。

 言われるがままに俺もベンチに腰掛け、空をぼんやりと眺めた。

 大都会に近いここは、砂漠と違って星空はよく見えない。


「……なんかやりたいこと、あるのか?」


 二宮もまた、ベンチに腰掛けたきり、ぼんやりと遠くを眺めたままだ。本当に、ただのリフレッシュで外に出たのだろうか。


「ううん、別に。こうやって葉村くんと、何もしないでただ歩くのって、やってみたことなかったから、つい」

「……眠くない?」

「子供扱いしないで。それくらい平気よ」


 そしてそのまま、再び沈黙の時間が流れる。

 五分ほどが経ち_____そろそろ気まずくなってきた頃。


「あのさ____」

「ねぇ_____」


 声が重なり、二人の目が合う。三秒ほど見つめあった後、再び気まずさが襲いかかってきて二人で目を逸らした。

 なんだろう。似たようなことを何度も繰り返している気がする。

 

「……葉村くんが先に言っていいよ」

「……いや、二宮が先でいいよ」

「…………」

「…………」


 再び、沈黙。そして、お互いにチラチラと互いを見ている。

 そんな時間が、再び一分ほど。


「あ〜〜〜〜〜〜、もうっ!」


 突然、二宮が叫びながら立ち上がった。


「え、な、なに?!」

「このおたんこなす!鈍感マン!朴念仁ぼくねんじん!」

「えぇ……?」


 まさか二宮の口から「おたんこなす」という言葉を聞くことになるとは。


「私が頑張っていい雰囲気作ってるんだから頑張りなさいよ!何ヶ月経ったと思ってんのよ、このノロノロヌマヌマヘロヘロマンめ!」

「どういう意味?!ってか……いい雰囲気って……」


 瞬間、俺の脳内CPUがファンを全開にした状態で唸り始めた。電気と数字が俺の脳内をぐわんぐわん行き交っていて、この状況を打破するための解決策を思いつく。


(もしかして_____か?!?!)

 

選択肢①:再び質問を返す

→いや、慌てているようで紳士的じゃねぇ。ダメ!


選択肢②:一息ついて、口説き文句を始める

→その場の雰囲気に乗ったみたいでダサい!ダメ!


選択肢③:いきなりお姫様抱っこ

→シンプルにイタい!キモい!


選択肢④:とりあえず手を握る

→なんか絶妙に中途半端!


選択肢⑤:逃げる

→最悪だ!


選択肢⑥:キスする

→うるせぇ!


選択肢⑦:抱けー!抱けー!

→クソッタレが!


(この間、0.3秒)


 答えは導き出せなかった。俺の脳内CPUは当初の想定通り無能でした。

 全開で考えていた反動故か、脈が早まる。頭に血が上り、徐々に汗が出てきた。ダラダラと流れる汗を感じながら、俺は思考を続ける。


(まだ慌てるような時間じゃない……とか言ってるじゃない)


 今、俺は完全に敗北している立場にある。仕掛けてきた二宮が今は全面的に勝っており、俺は最初から劣勢に立たされているのだ。

 つまりは、ここから逆転勝利する道を模索するのはハードルが高い。

 かといって_____この状況から引き分けに持ち込むなどあり得ない。ここまで来てしまった以上、勝敗は明確に決さなければならないのだ。

 素直に負けを認めるか、ここからチャレンジをして逆転を狙うか。

 だが、敗北を認めることもチャレンジだ。もしここでチャレンジしなければ、今度こそ見放されてしまうかもしれない。


(諦めたらそこで試合終了……ってか。ここはやるしかないのかな)


 覚悟を決し、一秒足らずの脳のフル回転を経て_____俺は二宮と向き合った。


「……えっと、まずはごめん。続きを言えないまま……二年経っちまった」


 二年前のことを思い出す。当時はまだ、二宮のことを全然知らなかった。俺はただ彼女の背中を追いかけ続けているだけで、呼び出せたこと自体が快挙だった。


「それで……砂漠にいた時も……俺は正直、頭が働かなかったんだ。なんてゆーかさ……続きを言っちまったら……」

「……言ったら?」

「言ったら……なんか、俺は大事なことと切り離されちゃうような気がして……怖かったんだ。だから……逃げた」


 もう、ここでどうやって二宮を口説き落とすなど、俺は考えなかった。

 ただひたすらに_____素の感情を吐露した。


「意気地なしで…ごめん。俺はさ……今、めちゃくちゃ幸せなんだ」

「__________!」

「いつだって、声をかけたら二宮がいてくれた。俺が困ったら、いつも助けてくれるし、優しいし……俺は、孤独って感情を忘れたよ」


 吹き荒ぶ風の中、自分以外に寄りかかるものがない心細さ。

 冷える夜を一人で過ごす寒さ。

 街を歩いた時、俺一人だけが違うものを見ているという疎外感。

 食事を口にした時の虚しさ。

 雨に濡られた時の寂しさ。

 それらの感情は全て_____とうの昔に置いてきた。


「霧切はムカつくけど……色んなことを教えてくれて、俺を守ってくれた恩人だ。この恩は多分、一生忘れないと思う。アルラの婆ちゃんは本当に俺のことを孫のように可愛がってくれるし、アルフォンスも一回喧嘩したけど、ちゃんと仲直りした。俺の人間関係なんてそんなもんだけど……でも、本当に毎日が幸せなんだ。俺は、この日々がずっと続いてほしい。二度と失いたくない」


 俺は多分、この日常を守るためであれば、躊躇いなく命を懸けて戦えると思う。だがそうなったらまた暴力衝動に目覚めかねないので、戦場から距離を置くことになったのだが。


「だからさ……その……二宮。俺が何を言っても……俺の日常が壊れないと保証してくれるか?」

「……葉村くん」


 恐らく、今の俺は顔が真っ赤になっていることだろう。自分でも、首元で脈がどくんどくんと鳴っているのを感じる。


「これからも…さ。一緒に買い物行ったりとか、一緒に勉強したりとか……特別なことなんて何もないまま、一緒でいてくれるか?そんなつまらないやつでも……俺と一緒にいてくれるかな?」


 多分、俺はもう完全に吹っ切れちゃってたんだと思う。

 なぜなら_____その段階で、答えはほぼ言い切ったようなものなのだから。

 ならば、後はこれに対する二宮の返答のみ。


「なぁ、二宮_____」


 恥ずかしくてつい目を下に向けていたが、勢いよく顔を上げる。





 二宮は_____泣いていた。





「__________え?」


 何が起きたか分からず、頭に登りまくっていた血が一気に落ちていく。

 

「……あれ?私……なんで……」


 涙の原因は、二宮本人も分かっていないようだ。取り乱し、ハンカチを目に当てている。だが拭けども拭けども、涙は止まらない。


「……二……宮」

「ごめん、ごめんなさい……!葉村くんは、悪くないよ……私が、変なだけ……」


 俺は、動くがことができなかった。手を差し伸べることも、寄り添ってあげることも。ただ_____涙を流し続ける二宮を、固まったまま見ていることしか、できなかった。


「……ありがとう、葉村くん。私もね、今……すごく嬉しいよ。でも……」

「…………」


 俺は、そっと二宮に近づいた。彼女に憑いたものを払ってあげたくて、そっと手を差し伸べた。

 だが、手は届かない。


「ごめんなさい……私から言ったのに……」


 二宮は立ち上がり、スタスタと歩いていってしまう。


「続きは……まだ……言わないで……」

「え……」


 俺はベンチに一人取り残されたまま、遠ざかっていく二宮を見ていることしかできなかった。

 _____いやだ。

 _____俺を置いていかないでほしい。

 ぞわぞわと、俺の中の気持ちが膨らんでいく。


「二宮、待っ_____」

「いいところにお邪魔して済まないね」


 突如として、俺の後方から男の声が聞こえた。

 咄嗟の反応で、俺は体を回して声の主の制圧を試みる。もしただの一般人であれば、それだけで殺してしまいかねないほどの攻撃的な姿勢だが、これは問題ない。今の俺は周囲に入る人の気配程度であれば、例え寝ていても感知できる。完治できないものがあるとするなら、霧切のように魔術師であり、そして始素の操作によほど長けていない限り、俺の気づかれずにここまで接近するのは無理だ。

 ありとあらゆる考察をすっ飛ばし、俺は、声の主が「危険だ」と判断した。首元を掴み、地面へと押しつけて制圧を試みる。

 _____だが、俺の手は後方の人物によってがしっと受け止められた。


「_____っ?!」


 魔人である俺のパワーを止めることなど、魔術師の中でも最上級の強さを持つ者でなければ難しいはず。だが、その人物は俺の手を受け止めるばかりか、握ったままひねることで、俺の体のバランスを崩した。

 ガラ空きとなった胴体に、強烈な掌底打が見舞われる。


「かっ……は……」


 体中を一瞬にして激痛と衝撃が走り、俺は一瞬にして倒れ込むこととなる。意識はまだ残っていたが、体を動かすことはできなかった。

 振り返った二宮が俺の異常に気付き、声をあげる。


「葉村くん……?!」

……やはり貴様は、何か奇妙な縁を持っているのだろうな」


 俺を地面へと転がした男が、二宮の前に姿を現す。

 全身を黒一色で塗り固めた、中国の武術家が来ていそうな服を着た男だった。逆立った髪と、無精髭が特徴的な男だった。そして顔には、張り付いた笑みを浮かべている。


「彼にはそこで寝てもらうよ。私は君に用がある_____二宮一葉」

「……っ!」


 二宮が構えるが、すぐにそれが無駄な事であると悟った。

 男の放つプレッシャーは並大抵のものではない。霧切と鍛錬を積み、強くなったはずの俺がなす術もなく地面に転がされているところからも、男の強さが尋常ではないことが分かる。


「抵抗は無意味だ。聞き分けの良さを求めるよ」

「……私は抵抗しません。でも……彼をこれ以上傷つけるなら、私は_____」

「安心したまえ。彼に用はないよ」


 そう言うと、男はポケットから一枚の紙切れを取り出した。その紙が空中に放り投げられると、世界の柱エゼルティアに行くときに使う、ワープ用の穴によく似たものが現れた。


「まぁ……彼をここで殺すのは簡単だが、興味はないね。何せ_____」


 男は、無様に転がる俺の目を見据えながら、嘲りを込めてこう言う。


「戦うことを放棄した者になど、殺す価値もない」

「__________」


 そして穴が開かれる。男はその入り口に立ち、二宮にそこを通るように促した。

 二宮は一瞬の躊躇の後_____ゆっくりと、歩を進めていった。


「……ま……て」


 俺が今動けているのは気合いによるものだ。男の掌底打は全身を巡り、始素の動きを乱している。臓器がいくつも壊れ、骨や関節が何箇所もズレているだろう。だがそんな肉体的な打撃より、纏う膨大な始素に対する攻撃をされたのが強烈だった。これにより、俺は半ば脳震盪のうしんとうのような状態に陥っている。


「……葉村くん、ごめんなさい」


 遠くで聞こえる残響のように、二宮の声が聞こえる。

 彼女は別れ際_____悲しそうに微笑んだ。

 そして、二宮が穴を潜り、男がそれに続く。

 そしてその場には_____無様に這いずる俺だけが残った。


 俺は二宮が消えた場所に転がり_____意識を失った。





_________





 世界の柱エゼルティア、防衛本部室。 

 いつ来てもおかしくない侵攻に備え、数十人のオペレーターが常に張り付き、計測器と格闘をしている。あらゆる事態に備えるため、常時世界中に対する監視が行われていた。始素が関連するのであれば、どんな事態であっても即座に反応する観測機器は、今も誤作動なく稼働し続けている。

 そんな中、突如として未確認反応が検知される。サイレンが鳴り響き、オペレーターたちに緊張が走った。


「五十……六十……七十……は、八十四?!全世界に、八十四の未確認反応を確認しました!」

「反応強度は平均して200~300ほど、1000を超える大型反応は確認されません。敵の侵攻によるものではないかと」

「反応パターン解析……どうやら、空間歪曲によるもののようです。異世界とのつながりを作るほどの強大な反応とは確認できません」


 緊張が走ったのは束の間、冷静な判断を下したオペレーターたちにより、それは侵攻によるものではないということが分かり、安堵の声が広がる。

 だが、それを見守っていたアルラは別の可能性に思い当たっていた。


(……釣られているね。機械のバグとかじゃない。これは恐らく_____ダミーだ)


 八十四の反応は、満遍なく世界中に振り分けられている。こうして多数の反応が確認される場合、通常は何かの事件が起きている地点に集中するのが普通だ。

 だというのに、まるで意図的にばら撒かれたかのように、反応を示す赤い点は満遍なくばら撒かれている。世界中がターゲットとなるため一時的にこちらの緊張感を催すことになるが、それはすぐに解消され、束の間の安堵を味わうことができる。

 だが、それと同時に「もうすぐ来るのではないか」という緊張感を与えることもできる。安堵と緊張を行き交うことによる疲れの蓄積は、徐々にこちらの戦力を蝕んでいくことに繋がるだろう。


「アリアス。オペレーターの規律を少しだけ弱めてちょうだい。業務中の私語や食事などを認めて、少しでもオペレーターのストレスを和らげることに注力しなさい」

「了解いたしました」


 このままこちら側の体力を削られるわけにはいかない。今も前線には精鋭の魔術師たちが出揃い、今にもやってきそうな侵略に備えている。だが、敵は未知数であり、どんな手段を取ってくるかも不明だ。


(最悪の場合は……)


 アルラは右手首につけられた金属輪を見る。『総帥』のシンボルとして付けているそれは、全ての魔術師に取って最大の価値を有する代物だ。もちろん、ただ価値のある金属塊というわけではない。


「アルラ様」


 隣に控えていた士道が、そんなアルラの心の変化を読みったのか、話しかけてきた。


「貴方様もどうか……無理はされませぬよう」

「無理などしてないさ。老人扱いするんじゃないよ」


 だが、アルラの焦燥は消えない。愛する自分の子供たち_____全ての魔術師たちが傷つくことを恐れるからこそ、アルラは例え体を張ってでも、こうしていなければならない。


(来るなら……早く来な……!)


 魔術師たちは備える。

 大規模侵攻の開始まで_____あとわずか。





_________





 気づけば俺は、公園のベンチで登り始めた朝日を浴びていた。

 目は開いており、青さが滲んできた空を眺めている。

 ちゃんと眠っていたおかげか、やけに昨日のことがよく思い出せる。


「…………」


 全身を襲っていた激痛はもうない。

 脳震盪のような酔った気分にも、もうならない。

 だというのに_____それよりもさらに激しく、最悪の気分がどっと押し寄せる。

 

 _____彼女はあの時、泣いていた。理由は分からない。

 _____分からないままだ。俺は、あの涙を拭ってやれなかった。

 _____分からないまま、どこかへ行ってしまった。

 _____連れ去られてしまった。

 _____彼女は最後、「ごめんなさい」と言っていた。

 _____「助けて」とは言わなかった。

 _____ただただ謝って、そして

 _____いなくなってしまった。


 かけられていた毛布をどかし、立ち上がる。

 もう、激情は湧かなかった。

 以前も、こういったことがあった気がする。それはあの世界で、彼女をたった一人で行かせてしまった時のことだ。あの時は、自分が守られていることに気づかなかったことへの怒り、そして彼女を傷つけた存在への怒りが混ざり合い、まさしく怒髪衝天の如く怒り狂ったものだ。

 だが、今は違う。俺は穏やかな日々を過ごし、どうやら感情を思い切り出し切ることに抵抗を覚えるようになったらしい。

 それでもありがたいことに_____体の奥底で燻る炎が弱まっていることはなかった。

 青くなっていく空が、少しづつ白さを取り戻す地面が_____真っ赤になったのを感じた。

 静かに静かに_____ありとあらゆるものが、俺の炎で焼き尽くされるような感覚。

 そしてただ静かに、俺は歩き出す。


「待ちなよ」


 後ろから声がかかった。今になって気づいたが、そこには人の気配があった。

 無言で振り返る。その人の気配は昨晩の男と異なり、隠すそぶりがなかった。

 そこにいたのは、俺が寝ていたベンチの隣のベンチに腰掛けた、一人の女だった。

 ロングコートを羽織りスラックスを履いたビジネスカジュアルな格好をしている。だが胸元が露出しており、足には高めのヒールを履いていた。長い金髪と、全然似合わない探検家のような帽子。全体的にアンバランスな格好だが、女の微笑を浮かべたような表情と、なぜかマッチしていた。その表情はまるで元気一杯の少女のように凛としていながらも_____奥には、何よりも重い覚悟を背負い、どこか老獪ろうかいさも感じさせる表情である。

 無言で振り向いたまま、俺は女に続きを促す。正直言って、今の俺に話しかけるのは相当に愚かな行為だ。どうでもいい話なら、即座に無視して行動に移るまで。


「君には今、二つの選択肢がある」


 女は指を二つ立て、話を進めた。


「一つ、攫われた二宮一葉を追う。そのために、私の手を借りる」


 どうやら、聞く価値のある話のようだ。女が何者かは分からないが、昨日の件を知っているのであれば、少なくとも魔術師か、なんらかの関係者だろう。


「私には、彼女を攫ったやつに心当たりがある。君が協力するなら、手を貸す」

「分かった。それでいい」

「待ちな。二つ目を聞いてからになさい」


 俺としては今すぐにでも二宮を助けにいきたい。冗長な話なのであれば、短気になった今の俺では耐えられそうもなかった。この女が誰かも、どうやってかも知らない。とにかく「助けに行く」が一番であり、それ以外などどうでも良かったのだ。

 だが、女が口にした二つ目の選択肢を聞いて、俺は冷や水をかけられたような気分になる。


「二つ_____シルヴィア・アールウェインを取り戻すため、異世界へと向かう」

「__________は?」

「この名前を聞くのは久しぶりかい?それとも_____忘れていたのかい?」


 俺は女の肩を掴んだ。


「……なぜ……知っている。何者だ……お前」

「時間がないからその話は後。私には今、二宮一葉を助けるための手段と、シルヴィア・アールウェインを探す手段の両方がある。でも残念ながら、どちらも選ぶことはできない。どっちかを取るしか、道はない」


 頭を冷やし、思考を巡らせる。

 この女の言っていることの真偽はどうであれ、俺に対して重要な意味を持つ言葉を出しているあたり、何もないということはあり得ない。その言葉は、俺を長らく追っていた霧切ですら知らない言葉なのだ。それを知っているということは、彼女がただ者ではないことを示している。

 ここで俺に対して嘘を言うのには、女はリスクを冒し過ぎている。ここは冷静に考え、嘘を言っているとは考えない方がいいだろう。

 だが、どちらかしか選べないというのには、若干の不合理性を感じた。


「……なぜ、どちらか一方なんだ」

「そのためには、ちょっとした説明が必要だね。まずは落ち着いて座りなよ」


 本当なら力づくで吐かせようとも考えたが、一時的な激情のせいで最悪の道を選んでしまったら、希望が遠ざかってしまう。燻る激情をなんとか抑えつけ、俺はベンチに座った。


「……時間がないから簡潔に。まず、二宮一葉を攫ったのは、もうじきこの世界への大規模侵攻を開始する者たちの仲間だ。そして連れ去った目的は_____分かるかな」

「_____始素の共鳴反応を利用して、侵略の経路を確保するため、か」

「正解。流石に、この辺りの事情は聞いているようだね。つまり、二宮一葉は敵の作戦にとっての鍵であり、失うことのできない作戦の要だ。つまり_____彼女の身の安全は心配しなくてもいい。彼女はただだけで、敵の行軍経路を作ることができる装置だからね。彼女を傷つける行為は、逆に敵の作戦を失敗させかねない」

「……ってことは、助けられるってことだ」


 身の安全が保証されているのならば、今から助けに行っても間に合うということ。恒久的に安全なわけではないのだから、事が終わる前に助けにいかなければならないだろう。


「で、このためには侵略の本拠点_____敵が構えている結界の中に突入しないといけない。それがどれくらい危険か、分かるかな?」

「それはどうでもいいことだ」


 例えどんな危険な場所であったとしても_____あれが二宮との最後の別れであっていいはずがない。例え命を懸けてでも_____俺は二宮を助け出すつもりだ。


「覚悟決まり過ぎてて怖いなぁ。じゃあ次_____でも、これをすると、異世界に行くのは難しくなる」

「……なぜだ?」

「私が考えていたプランでは、あの世界に行くためには、侵略者たちの侵略を成功させないといけない。そうすれば_____そいつらが異世界に帰る時に使う通路を横取りして、こっちからあの世界に行くことができるようになる」

「そんなことが……」

。根拠は出せないけど、ここは信じて」


 女はなんとも言えぬ笑みを浮かべているが_____その片隅に確かに見える覚悟のできた表情を、俺は見逃さない。この女は、嘘など吐いていない。


「……でも、そのために……侵略者を手助けするってのか?」

「そうしないと、帰りの通路が大きくならないからね。あいつらがこっちにたくさん来れば来るほど、二つの世界の間にできた穴は大きく開くことになるから」


 女の言わんとしていることが、段々と理解できていた。


「……ってことは……二宮を救出したら、それができなくなると、いうことか」

「そういうこと。二宮一葉を助け出せば、二つの世界の穴はそこまで広がらなくなってしまう。それでは、あの世界への道は閉ざされてしまう。だから、どっちかしか選べない」


 どっちかしか、選べない。

 それを聞いて俺の頭の中を_____一瞬にして、二つの記憶が行き交う。

 シルヴィア。久方ぶりに聞いた、あの世界で共に生きた者の名前。

 二宮。再会を果たした、この世界で共に生きた者の名前。

 二つの記憶が行き交い、俺は_____


「……くくっ、あはははははっ!」


 笑った。戦う時に現れるあの笑いではない……正真正銘の俺の笑いが溢れた。

 女はそれを不思議そうに眺めた。


「…………」

「……ありがとう。あんたが誰かは知らないけど、すげぇスッキリしたよ」


 ベンチから立ち上がり、前を向く。

 俺は_____なんと愚かなのだろう。女の二択を迫られて_____一瞬でも、どちらにしようかと迷ってしまった。だがそんなものは、必要ない。


「俺の答えは、だ。色々教えてくれて悪いけど、あんたの手は取れない」

「……へぇ」

「あんたの手を借りれば、確かにどっちかは成功するんだろうけどさ。でも、どっちか片方を見捨てたら……俺は多分、後悔してそのまま自殺するよ。だから、どっちも選べない」

「じゃあ……諦めるのかい?」

「なわけねーだろ。_____選択肢三つ目、、だ。二宮は当然助ける。そんでもって、まぁなんとかしてあの世界にも行く!」


 無論、それが難しいことは分かりきっている。女の説明から考えても、相当に無謀なやり方だ。だが_____なんとかするしかない。


「君、それは無謀ってやつだぞ?その勇気は気に入ったけど……考えもせずに突っ込むのは蛮勇だよ。ただの愚か者だ」

「愚かでいいさ。でも_____賢いクソ野郎にだけはならない」


 俺はそのまま、女から去っていく。

 この足がどこへ向かうのかは分からない。だが、とにかく走り回って、戦いまくるしかない。今の俺は、かつてのようにただ無茶苦茶に暴力を振り撒くだけではなくなった。

 怒りは冷めていない。俺の器は大きくなったようで、シルヴィアを失った時と同じくらいの激情を抱えつつも、それを腹のうちに溜め込むことができた。お陰で、ブチ切れたまま冷静な思考を巡らせることができる。ここまでの自分の成長に感謝しなければならない。

 体中を巡る始素は、怒りによって荒れ狂うように蠢き、俺に力を与えてくれる。霧切との修行により、活性化した始素を制御する方法を教わったおかげで、力をダダ漏れにすることは無くなった。

 やるべきことは明確。最短効率、最も合理的なやり方で_____を殺す。そしてその後、なんやかんやであの世界にも向かう。

 女には感謝せねばならない。お陰で、俺の二年近い忍耐も報われそうだ。


(_____シルヴィア、シルヴィア、シルヴィア_____!)


 胸が震える。ああ、会いたい。会いたい、会いたい、会いたい、会いたい!!!!


 ようやくこの時が来た。ついに、来たのだ。

 もう脳の中はしっちゃかめっちゃかだ。怒りと冷静さ、後悔と期待、無念と嬉しさが全て入り混じっている。

 もう、どんな表情をすればいいかも分からない。顔に張り付くのは、表現の仕方を忘れた感情たちが全て集積した_____微かに歯を剥き出しにし、目にしわを寄せた笑顔のみ。


「あはははは!はいはい、私の負け負け!はー、こりゃ参ったね」


 歩み出した俺に、女がベンチから立って近づいてきた。そして俺の肩を掴み、俺を止めた。


「…………」

「いやー、想像以上にトんでるわね、君。大人として……続きが見たくなっちゃったわ」


 そしてヒラヒラと手を振り、降参の合図。この女、どうやら俺のことを試していたようだ。


「母性に負けたのでサービス一個追加しちゃうわ……選択肢三つ目、私も手伝ってやるわよ」

「……信用できないな。二つしかないって言ったくせに」

「そりゃ、まともな方法なら二つしかないわよ。どうせ考えなしに突っ込もうとしてたんでしょ」


 否定しない。俺には、この女が掲げるような明確なプランなどない。

 俺の考えなしを見て、女はため息を吐く。そして堪忍したと言わんばかりに、その手段を語り出した。


「選択肢三つ目、どっちも助ける。その手段だけど_____まず二宮一葉はちゃんと助ける。侵略者の本拠点に殴り込んで、力づくで連れ戻す。そんでもって次は_____魔術師の本拠地、世界の柱エゼルティアの最上位階層を目指しなさい」

「……最上位階層?」

「あそこが、階層別に分かれていることは知ってるわよね?階層ごとに色んな役割が課せられていて、最上位階層は、『総帥』が許可した者しか入れない、特別な場所よ。そこに行きなさい」

「行ったら、何があるんだ」

「_____入口よ」

「……何の?」


 俺は、魔術師たちが自分の味方だと、今でも思っている。彼らはずっと俺に優しくしてくれたし、ちょっとしたいざこざがあっても、基本的には俺を助けてくれた恩人たちだ。

 だが、女の一言は、その魔術師たちに抱いていた好感を、たった一言で破壊した。


「_____異世界へと通ずる入口。魔術師たちが隠し持った、異世界への唯一の干渉手段」

「なっ……」

「魔術師たちは、その場所を君に隠していた。つまり、君がそこにいくことを、魔術師たちは阻止しようとするだろうね。侵略者どもの帰り道を使えないなら、こうしてこっちから道を切り開くしかない。幸いなことに、大規模侵攻によって魔術師たちは世界の柱を出払うだろうから、守りは手薄になると思うよ」


 つまりはこうだ。

 侵略者たちと戦い、その上で二宮を助ける。

 その上で魔術師たちの目を掻い潜り、異世界への扉へとたどり着く。


「分かったかな?この選択肢であれば、君は確かに二つの願いを同時に叶えられる。でも_____侵略者と魔術師、その両方と戦い、そして逃げなくてはならない。味方なしの、たった一人の状況でね」

「…………」

「だから、まともじゃないと言ったんだよ。失敗する確率も高いし_____これまで積み上げてきたもの全てを失うかもしれない」


 すなわち、全てを敵に回す覚悟がなければ、この選択肢を取ることはできない。

 恐らく、これから侵略者と魔術師の間で大規模な戦争が始まるのだろう。俺はその戦火の中を潜り抜け_____両方を敵に回して、目的を達成しなければならない。

 想像しただけでも、それがどれだけ困難なことかは分かる。だが_____不思議と、恐怖心はなかった。

 女の言葉に続き、僅かな間も挟まず、俺はこう返した。


「分かった、それでいい。全てを敵に回すのは……だからな」

「……OK。そうなったら、早速出発の準備だ」


 女は手から地図が記された紙を取り出し、俺に渡した。渡されたのは、赤いペンで印が書かれた地図であり、この当たり一体の地図だった。


「三時間後、ここに来なさい。それまでの間に、身辺整理をしておいて。もう二度と_____帰らないかもしれないんだからね」

「……分かった。ありがとう」


 女はそう言って、ヒラヒラと手を振りながらその場を去っていった。


「…………ふぅ」


 情報量の多い時間を過ごし、俺はひとまず道の端にあった手すりに掴まった。

 もう一度心を整理し、自分のすべきことに区切りをつける。


・まず、この世界にやってくる侵略者の拠点へと向かい、二宮を救出。その後、二宮を安全ば場所まで退避させる。侵略者との戦闘が予定されるが、構わない

・二宮との話にケリをつける。言いたいことをお互いに言い合う

・その後、次の目標地点である世界の柱エゼルティア、最上位階層を目指す。魔術師の監視の目を潜り抜ける必要があるが、場合によっては魔術師との戦闘になる

・そこから、女の言っていた何らかの手段で異世界へと赴く


 こう考えるだけでも、あまりにも危ない綱渡りである。

 でも、嬉しかった。どれだけ探しても見つからなかったものが、ようやく見つかった。ある程度の危険を冒しさえすれば、望みに手が届くのだ。

 それだけで、無限に力が湧いてくる。俺は今、多分かつてのどの葉村瑛人よりも力強く前に進めるだろう。


 _____進もう。二宮と_____シルヴィアと、再び会うために。

 _____戦おう。再び、君/君といるために。

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