第29話 irrational power game
「あははっ、若い子は血気盛んでいいね」
背後から殴りかかる瑛人を見て、霧切は笑う。横にいるアルラは驚きのあまり口が塞がらないようだが。
この場に集う他の閣族達も、驚きのあまり目を見開いている。
「……何考えてやがる、白いの」
「ムカつくから殴らせろっつってんだろ。死ねよっ!」
瑛人が強く掴んだアルフォンの腕をさらに強く握りつける。魔人の握力によって、アルフォンの腕がみしみしと鳴る。
「_____っ」
無理にでもそれを引き剥がそうとするアルフォンだが、瑛人の手を振り解くことはできない。そればかりか、瑛人が腕を思い切り引っ張ったことで、二人の顔面が衝突する。それは、瑛人による渾身の頭突きだった。骨同士がぶつかる音が鳴り、その場に集った何人かが思わず背中を乗り出した。
「あははっ、硬ってぇな、クソ」
しかし、頭からダラダラと血を流したのは瑛人の方だった。顔面を直撃されたアルフォンは、特に目立った外傷はない。しかし、頭突きの衝撃によって、アルフォンの視界がチカチカと瞬いた。
「ぐっ……!」
「あははははっ!」
その隙を突いてアルフォンに止められていた右腕を引き、逆に右腕を掴む。
瑛人がアルフォンの両腕を掴む状態となり_____アルフォンの体の中心部分が曝け出された。
そこに瑛人の右足が滑り込み、アルフォンの腹を打った。
だがこれまでと同様、アルフォンにダメージは入らない。鳩尾を蹴られても尚、アルフォンの顔色は変わらなかった。
「どこも硬いな。でも_____これはどうだぁ?」
殴る、蹴る、頭突きはどれも有効ではない。だが_____締め上げるならどうか。
両腕を握る拳に力を込め、手の血管が浮き出るほどに強く握り締める。もし、アルフォンが何かの術を使ってありとあらゆるダメージを無効化しているなら、これでもダメージは入らないはずだ。だが_____腕が潰されそうになり、アルフォンは苦悶の表情を浮かべる。
「ぐっ……ああぁぁ……!」
「効くみたいだな。このまま握り潰してやる」
今の瑛人は、暴力衝動を止める理性や倫理観というものが極端に欠如している。側から見れば、それはまるで_____理性や倫理観をまだ知らない子供が、無邪気に道端の虫を踏み潰して遊んでいる様子に、よく似ていた。
「ちぃっ……!
アルフォンスは無理矢理にでも瑛人を引き剥がすため、跳躍する足場を形成し跳び上がる。そうでもしなければ、今ごとアルフォンスの腕は瑛人に握り潰されていただろう。
「なんだそりゃ。魔術ってやつか?」
今の跳躍はアルフォンスの身体能力によるものではない。どこからともなく、アルフォンスを弾き飛ばす足場が作られたのだ。それは明らかに、物理法則の範囲にない現象である。
それをもっと知りたい。魔術がどんなものか知りたい。子供じみた知的好奇心と暴力衝動が瑛人を突き動かす。
アルフォンスを追いかけ、跳躍する。そして跳び上がった勢いのままに、上から蹴り下ろしを見舞う。
アルフォンスはそれを両腕をクロスさせガードしようとするが、瑛人が蹴ったのはアルフォンスの腕ではなく、その手前にある地面だった。
「_____っ?!」
凄まじいパワーによって地面が割れ、爆発が起こったかのように砂塵が巻き上げられる。円形の足場は衝撃によって傾き、間近にいたアルフォンスは衝撃によって吹き飛ばされる。そして瑛人は、素早くバランスを崩したアルフォンスの背後に回った。
「くっ_____!」
背後を取られた時にすべきことは、防御ではなく反撃。
そう習っていたアルフォンスは、すかさず右ストレートによる反撃を試みる。しかし、その拳は空を切っただけだった。
そして_____アルフォンスの顔を、瑛人の手が掴んだ。
「ひゃはっ!」
勢いのままに顔を地面へと叩きつけられ、押し倒されるアルフォンス。必死に瑛人の腕を引き剥がそうとするも、アルフォンスの腕力は瑛人には遠く及ばない。
これまでアルフォンスが圧倒していた状況が打って変わる。今は完全に、瑛人の方が押していた。
そしてそれは、偶然にも瑛人がアルフォンスの弱点を突いていたことに起因する。
(アルフォンスの使用魔術は『
つまり、アルフォンスは身代わりに攻撃を受けさせることで、初撃を絶対に防ぐことができる。そしてその後は、耐性を獲得した戦闘体を纏うことで、敵の攻撃を完封しつつ一方的に戦うことができるのだ。霧切の見立てでも、閣族にふさわしい強力な魔術だと断定できる。
アルフォンスが瑛人の攻撃を受けて生み出したのは、強力なパワーによる打撃技に対して強い耐性を持つ戦闘体だった。これにより、どれだけ強力であろうとも、打撃技ではアルフォンスに傷をつけられない状態になった。
しかし、アルフォンス自身の力が強くなったわけではない。そのため、腕を掴まれたり押さえつけられたりした場合、それを解くのは困難だった。
「ぐぅっ……!」
「やっぱりな!テメェは俺より力が強いわけじゃねぇってことだ。仕掛けはよく分からねぇけど_____このまま頭を潰せば死ぬんだろ?!そうだろ?!」
さらに地面に押しつけられたアルフォンスは必死に反撃を試みる。足では何度も瑛人の腹を打ち付けており、蹴られた場所からは臓器や骨が砕ける音が絶えず響いている。瑛人も無傷ではなく、アルフォンの反撃によって吐血している状態だった。
だというのに_____止まることはない。より一層激しく、より深い笑顔を浮かべて、瑛人は笑った。
「あははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
この場に集った者たちは、皆が相当の戦闘経験を積んだ猛者たちばかりだ。当然ながら、人が死ぬ様も、戦いによって狂気に飲まれた人間を見たこともある。
そんな彼らでさえも_____瑛人があげた哄笑に対しては、鳥肌が立つような恐怖を覚えた。彼らに感想を聞けば、全員から同じ答えをもらうことができるだろう。
_____葉村瑛人は、まるで悪魔のようであった、と。
「はい、そこまで」
こうして霧切が仲裁に入らなければ、真の悪魔になっていたかもしれない。
肩を掴み、瑛人を引き剥がそうとする霧切は、普段とは打って変わり、真剣な雰囲気であった。
「…………あ?」
「これで終わり、喧嘩はもうそこまで。言葉じゃ理解できないか?」
瑛人がアルフォンスを押さえつける力が弱まる。しかし、まるで何かに取り憑かれたかのように再び腕に力が入った。
だが次の瞬間、瑛人の体が宙を舞った。霧切の足先が瑛人の顔に食い込み、おおよそ人を蹴ったとは思えない音が鳴る。
三秒ほど宙を舞った後、ドサリと音を立てて瑛人が地面に落ちる。ピクピクと痙攣を繰り返した後、動きが完全に止まった。
「ゲホッ……」
「これで分かったかな、アル坊。閣族としての使命感に駆られるのはいいけど_____命の張りどころを間違えるなよ」
「……うるせぇ」
鼻血を流しよろめきながらも立ち上がるアルフォンス。目立った外相はないものの、瑛人によって握られた両腕は真っ赤に腫れ上がっており、顔を押し潰されそうになった影響で顎がガタついている。
もし霧切がいなければ、あのまま死んでいた可能性が十分にある。そう考えると、アルフォンスの行動が軽率であることは否定できなかった。
「さて、これでみんな分かったかな。アル坊は閣族の一員として、当主に匹敵する高い実力の持ち主だ。だが_____そんな彼であっても、葉村瑛人には殺されかけた。そんな強い奴に全力で抵抗されたらたまったもんじゃない。あんたら閣族じゃ、拘束するなんて無理な話だ。ましてや処刑なんてしようもんなら、逆に殺されかねないよ」
この場に集った誰もが、自分たちこそが全ての決定権を持つと考えていた。葉村瑛人が何をしようとも、閣族による決定であればなんとかなるだろうと考えていた。
だが、先ほどまでの戦い方を見て、瑛人に対する意識は大きく変わることなる。ただの危険物としてではなく_____下手をすればこちらに牙を剥きかねない、危険な敵として認識せざるを得なかった。
「_____ならば霧切、今ここで貴様がそうすれば良かろう」
席を立ち、有越征二がそう告げる。感情の読めぬ表情ではあるが、苛立ちを隠しきれずにいた。
「貴様であれば、葉村瑛人であっても何の問題もなく手を下せるはずだ。それがこの世界の防衛するための最善の手段だと分かっておきながら、なぜそれをしない?」
「あははっ、分かってないなぁ、征二。僕がそんなことするわけないだろう?」
ここに集う者たちの意見は、征二が全て代弁している。だがそれを、霧切は軽々と受け流した。
「確かに彼は危険だよ。放っておくとトラブルを次から次へと起こすし、マナー違反しまくる。しかも歳上の僕を呼び捨てにするやんちゃ小僧ときた」
「ならば_____」
「勘違いすんなよ。僕は最強だぞ?ちょっと危険ってくらいで殺すなんて、そんな勿体無いことするわけないだろう?」
「……っ!貴様、またそんなことで……!」
「反省なんてしないぜ。逆に聞きたいんだけど……いいのか?」
霧切は倒れていた瑛人を担ぎ、ワープ用の穴を開く。
「この世界を守る。その大層な目的のために_____前途ある若者を殺すようなクソ野郎になって、本当にいいっていうのか?」
そしてそのまま瑛人を担ぎ、どこかへと去っていった。
「やれやれ……年を食っても、ガキなところは変わらないねぇ」
その一部始終を見届けたアルラは、足場の中央に立つ。
そして両手を前へと
それがアルラの始素と反応し_____アルラの目が、黄金色に輝く。
「『総帥』の名の下に_____葉村瑛人の処遇は、霧切晴人に一任するものとする。これは総帥としての決定であり、何人たりとも逆らってはなりません」
__________
これほどまでに清々しいぶっ飛ばされ方をしたのは、いつ以来だろう。
俺の場合、殴られるにしてもとびきり強烈なやつばかりだ。それこそ、食らったら宙をくるくると回転するくらいには派手なやつばかりで_____
「……みんなもうちょっと、優しくしてくれねーかな……」
「え、私って不親切?」
目を覚めて開口一番に反応したのは、りんごの皮を剥いている二宮だった。
「…………」
「…………」
まず自分が今何を口走ったのか、そして今自分がどんな状況にいて、一体全体何があったら二宮がりんごを隣で剥いている展開になっているのか……等々。
色々と理解できないことのオンパレードだった。
「……りんご、食べる?」
差し出されたのは、可愛く切り揃えられたうさぎりんごだった。
なので、ついそのままパクッと一口。もしゃもしゃと口の中でりんごを味わいながら、「ひゃうっ?!」っと反応した二宮を眺める。
すると、段々状況を掴むことができて_____
「ぶべっっっ」
下品にも、りんごを口から噴き出すことになった。
「……お取り寄せした『アルプス乙女』が……勿体無い」
「え、二宮?なんで二宮?どういう二宮?」
なぜか自分が白いベッドの上で寝かされていて、顔には湿布のようなものが貼られていて、それで横には片思いしていた美少女が座っていて、りんごを切ってくれている。
完全にこれは_____甲斐甲斐しく看病されてる構図だった。
しかし残念ながら、この場にはもう一人。
「やぁ瑛人、いい寝相だったね!白目剥いてよだれ垂らしてるのはめちゃくちゃ面白かったよ!」
「おい今すぐ消せ、殺すぞ」
相変わらずのヘルメット男、霧切がスマホで盗撮した俺の寝顔をアップで見せてくる。枕を投げつけるも、軽々と受け止められてしまった。しかも最悪なことに、写真を二宮に見せている。
体はなんともなく、動かすのに痛みなどは感じない。大きな怪我を負っているわけではなく、気絶して寝かされていただけのようだ。
気絶といえば、そういえば俺は喧嘩をしていたような気がする。確か名前はアルフォンスとか言ったか、そのムカつくやつをぶっ飛ばすために、俺は_____
「……アンタが……止めたのか」
戦いの中で感じた、まるで腹の中が沸騰したかのような高揚感。その高揚感のままに俺は力を振るい_____アルフォンスというやつを、そのまま殺そうとしていた。
アルフォンスは強かったが、あのままでは殺してしまうことは明白だった。だというのに、俺の手は止まらなかった。今でもこの手には、アルフォンスを押さえつけた感触が残っている。人の肉を握り砕く感覚は_____吐き気を催すほどに、快感だった。
「どう?戦うの、楽しかった?」
「…………俺も散々殴られて……あいつを殺しそうになって……それが……すっげぇ気持ちいいんだ。意味分かんねぇよな……俺も痛い目見てるのに……」
自分の顔に触れると、頬の筋肉が引き攣っている。それは肉食獣が牙を剥く時の表情_____笑顔によるものだった。
「殴る度、蹴る度に……誰かを傷つける度に……笑いが止まらねぇんだ。ダメだって分かってるのに……それが面白くて仕方ないんだよ……」
笑顔が消えないというのに、目元だけは熱くなっていく。顔の上半身と下半身の感情が決定的にズレていた。
「……あの世界で、たくさん殺した。人間も、人間じゃない奴も、たくさん殺したよ。そのせいで髪も老人みたいになっちまったし……まともに生きていくことなんて……できなくなった。俺は……死にたくて死にたくてしょうがなかったんだ」
ポロポロと、涙がシーツの上に零れていく。鼻水が止まらない上に、呼吸もおぼつかなくなってきた。まるで喧嘩した園児のように、俺は泣いていた。
「でも死ねなくて……生きていても、嫌なことの繰り返しで……俺は……俺は……」
今思えば、俺はなぜ生きているのだろう。
あの時確かに、俺は自分で自分を殺した。魂が砕ける様を自分で感じ取れたし、眠りに落ちていくかのような安らぎが、誰であっても逆らいようのない『死』であることは明確だった。
だというのに、なぜか俺は生きていて_____そしてついさっき、誰かを殺しそうになった。もう一度彼女に会うためここまでやってきたが_____それまでの間、一体どれほどの苦難を味わわなければならない?
一体どれほどの人を傷つけるのだろう。
一体どれだけの命を奪うのだろう。
どれくらい苦しんで泣き叫べばいいのだろう。
犠牲を積んだ先にあるものが、ただの絶望であったなら_____俺は、どうしたらいいのだろう?
不安、嫌悪、哀切、孤独。
いくつもの感情がないまぜになって、今の俺は泣くことすらままならなかった。
「早く……消えたい。もう何も考えていたくない。あいつに会いたいってこの気持ちも……消えてしまえばいい。そうすれば、俺は……俺は……」
パチンッ。
目の前で星がチカチカとした。
「……痛ぇ」
「センチメンタルだねぇ、君は。ナヨナヨするのもほどほどにしなよ」
「……じゃあどうしろってんだよ。最強のアンタなら、俺をあの世界に飛ばせたりしないのか?」
「……それは無理だ。世界の間を隔てているのは異次元。いくら最強でも、僕一人じゃどうにもできないよ」
「ってことは……俺が強くなっても……無理ってことじゃないか……」
涙は止まった。だが、体中からありとあらゆるエネルギーが失われていくのは、止めようがない。
「もう無理だよ……。あの世界に行くためにこれ以上生きるのは_____これ以上頑張らないといけないのは……もう嫌だ」
そうして俺は、あの時と同じことをすることにした。
手順は覚えてる。指を突き立て、その先を胸に思い切り_____
「ダメだ」
霧切に手を掴まれる。阻止された。
「……やめろ、止めるなよ……!」
「ダメなものはダメだ」
「ふざけんな……!アンタは何の関係もないだろ……!」
「横を見ろ」
駄々をこねる子供のように泣き喚いた後_____まるでその方向に希望を抱くかのように_____ゆっくりと横を向く。
横には_____今にも泣きそうな顔をした二宮がいた。その小さく細い手で、そっと俺の右手を握ってくる。
「_____君が生きることを、望む者がいる」
俺が落ち着いたのを見計らって、霧切は俺から手を離した。
「例え世界の全てが君の敵になっても_____君が死ぬことを許さない者が、君の手を引っ張ってくれるだろう」
二宮は、何も言わなかった。
彼女が一体何者なのか、まだ分からない。彼女を信用していいのかも、分からない。
でも_____握ってくれた手から流れ込むひんやりとした冷たさが、俺を癒してくれたことは、確かだと思う。
『ダメです。一人は寂しいでしょう?』
どこかから、声が聞こえた気がした。
俺は確か_____この声を聞いて、生きる気になれたんだ。
「……ぁぁっ……ぁぁぁぁぁぁぁっっっ………!」
止まったはずの涙が、嗚咽が、叫びが、そして安堵が。再び
俺はそのまま、十分近く泣いた。そりゃもう、情けないくらいに泣いた。わんわんと声を上げ、目と顔を真っ赤にして、シーツの上を涙と鼻水でぐちょぐちょにした。
砂漠の中で、一人泣いて過ごした夜を思い出す。誰にも受け取ってもらえなかった感情が、ようやく今、誰かに受け取ってもらえた。
それが_____堪らなく嬉しかったんだ。
__________
「おにぎり、食べる?」
二宮が差し出してくれたのは、サランナップに包まれたおにぎりだった。買ってきたものではなく、二宮が自分の手で作ってくれたもの。
「……食べる」
差し出されたおにぎりを
「ぶべっっっ」
「また吹き出した……ま、まずかったかな……?」
二宮は慌ててティッシュを持ってきたが、そこで思わず固まることになる。
無理もない。自分の作ったおにぎりを食べている人が突如として涙をボロボロと流していたら、何か盛大な間違いをしてしまったと思うのが普通だろう。
(もしかして……塩と間違えてわさびを入れちゃった……?!いや、あり得る。塩の隣に粉わさび置いてたし……このままじゃロシアンルーレットおにぎりに……!)
こういう時は、まずは全力で謝るしかない。
「ごめん葉村くん、私_____」
そこで、再び二宮は固まった。瑛人の泣き方が_____あまりにも、感情のこもったものだったためだ。
「……葉村、くん」
「ふはっ……あははははは……!マジかよ、マジかよ……マジだよ……!」
そのままおにぎりにかぶりつく瑛人。あっという間におにぎりを全て口の中に放り込み、もしゃもしゃと美味しそうに噛んでいる。
「味がする……美味い……!米うめぇ、うめぇよぉぉぉぉぉぉ……」
「えっ、あっ……おっ、美味しい?」
瑛人の涙は、完全に感動の涙だった。まさか自分の作ったおにぎりに感動して涙を流すとは、やはりちゃんと食事を摂ってこなかったのだろうか。
二宮には、まさかそれが_____一年半ぶりの味のする食事であることなど、知る由もなかったが。瑛人にとって今のおにぎりは、粒に込められた一つ一つの当分の甘みすら生まれて初めて味わうかのようであるう。
あんまり美味しそうに食べるので、それを見てつい、二宮ももらい泣きしてしまった。だが_____
「あがっ……辛っ、辛いっ!鼻がっ……鼻がツーンとする」
「うわっ、本当にわさび入ってんじゃん!」
味覚を取り戻して初めての飯は、ロシアンルーレットおにぎりとなった。
ごほごほとむせる瑛人に水を持っていき、必死に謝る二宮。ようやく食事が落ち着いた後、二人はポツポツと会話を交わすようになっていた。
「それでね、あの街は武装組織と政府軍が話し合いの場を設けることになったらしいよ。街の封鎖も解かれて、離れ離れになった人たちも会えるようになったみたい」
「そうか……良かった」
「せっかくだから本場のカレーを食べに行ったんだけど……味がしないから、ただの泥を食べてるみたいだった」
「うわー、カレーはカレー味あってなんぼだからね……」
「本場のカオマンガイはね、上に甘辛ダレがかかっててね、鶏ガラだしの効果もあって、食欲増進効果がすごいのよ。美味しすぎて、私なんて五キロ太った」
「どんだけ食べたんだよ」
「ジェスチャーで海外を旅するって、意外と行けるんだよな。言葉が通じなくても、根本的に考えていることはみんな同じなんだなって思えたよ」
「分かる。必死に英語とフランス語勉強したけど、最後はやっぱり身振り素振りが最強だった」
空白の時間を埋め合わせるかのように、二人はこれまでのことを語り合った。
世界中を歩き回った経験や、懐かしい学校の思い出。どの話をする時も、二人の間から笑顔は消えなかった。
やがて話が盛り下がり、二人の間に穏やかな沈黙が流れる頃。
ふと瑛人は、外が暗くなっていることに気づいた。
「……そういえば、ここってどこ?」
「ああ、ここはサンフランシスコにある霧切さんの隠れ家だよ。結構広いから、後で探検してみなよ」
情報量が多すぎた。
「さ、サンフランシスコ?ってことはアメリカ?ここが霧切の家なの?隠れ家って何?」
「霧切さんは世界中を移動し続けてるからね。お金持ちだし、隠れ家をたくさん持ってるんだ」
「…………」
状況から察するに、『気絶させられる』→『魔術かなんかでここに移動する』→『寝かせられてた』ってところだろうか。律儀に飛行機でアメリカまで運ばれたわけではあるまい。大方、あの空間_____『
「お風呂もあるから、後で入っていいよ。葉村くんの着替えは、そこに用意してるから」
二宮はどうやら、この家のことをよく知っているらしい。ここまで甲斐甲斐しく世話されて申し訳がないので、後で手伝おうと思った。
ベッドから立ちあがろうとして_____立ち上がる直前で思いとどまる。
「二宮」
「何?」
二人はまだ_____話すべきことを話していない。
今こうして、二人が一緒にいる理由を。
「……君の事情を、教えてほしい。俺はもっと……二宮について知りたい」
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