第25話 gone far away


 食事として出してもらったのは、缶詰のカレーだった。缶を開けると、懐かしい具材がいくつも浮かんでいる。

 レトルトで用意してもらったご飯と一緒に混ぜたカレーライスを堪能できると思ったが、味覚が麻痺している今の俺には、カレーの独特の風味を楽しむことはできない。だが、食感だけでも楽しむことはできたし、久しぶりに喉をまともな食べ物が通ったように感じる。


「口に合うかな?」

「大丈夫だよ。ありがとう」


 食事よりも、口調と雰囲気がガラッと変わってしまった二宮が気になる。俺の知っている、『いつも冷静で頭が良くて、それでいてどこか無邪気な魅力がある』二宮の姿はなく_____俺の知らない、『落ち着きがなく、どこか儚げな雰囲気がする』二宮が、そこにいた。

 俺の知る限り、二宮が先ほどのように泣き腫らしたことなど一度もなかった。それほどに感情がたかぶったということは、こちらが二宮の本当の姿なのだろうか。


「……二宮以外のやつは、俺のことを覚えていなかったんだな」

「うん……。方正くん、筑紫くん、渡辺くん、浅野くん……みんな、葉村くんのことを忘れてた」

「でも、二宮だけは覚えてた」


 今重要なのは、なぜ二宮だけが覚えていたのかである。これを突き詰めれば、記憶が消されるという不可思議な現象にも説明をつけられるようになるのではないか。


「ええ。私だけが覚えていて……ある日突然いなくなった葉村くんのことを、誰も話さなくなった」

「……俺は、いつ消えたんだ?」

「私の前で、いきなり。私が瞬きをした瞬間、気づいたら葉村くんがいなくなってて、みんな忘れてしまっていた」

「そうか……」


 あの日、俺は二宮に告ろうとしていたのだ。そしてそれを伝えようとした瞬間、まるでブレーカーが落とされたかのように意識が飛び、気づいた時には異世界にいた。

 つまり、二宮は俺が突如としてこの世界からいなくなったことを知覚できる稀有な存在ということになる。


「なんで自分だけ覚えているのか、心当たりのある理由は?」

「…………何も。私以外に覚えている人を見つけることもできなかった」


 ということは、何かの理由があってのことではなく、完全なランダムによるものだろうか。

 どのみち、そもそも記憶の消去とはどうやって行うものなのだろう。祈術や呪術によってそれが成されるのであれば、結局のところ、祈術や呪術を会得しないと話が進まなくなってしまう。

 どのみち、全てが未知の手段によって成されている。今解決する術はない。


「分かった。あと……なんで、俺を引き止めたんだ?」


 先ほどの二宮の引き止め具合は異常だった。あそこまでムキになって引き止めるとは、相当の理由があるのだろうか。

 そう聞くと_____二宮は突然、俺の横に座り始めた。


「……二宮?」

「あの……今更ですけど……」


 二宮は、何やら体をモジモジさせている。

 何だろう。見ていて無性にドキりとさせられる。同い年の女の子が横に座ってこんな仕草を取っているなど、完全に_____


「あの時……私に告白しようとしてませんでしたか?」


 思い切りベッドからずっこけた。

 衝撃?驚愕?それとも羞恥?

 表現できない感情が一気に爆発して、俺の体が勝手に跳ね飛んだ。

 

「お前……それ!」

「え、そうですよね?あれ完全に告白のシチュエーションでしたよね?」

「やめろ、やめてくれ。それ以上俺の恥ずかしい過去を晒さないでくれ!」


 頭の中をよぎるのは、告白のためにたっぷりと準備をし、普段からチラチラと二宮を観察していた記憶だ。我ながら、あれほどまでに苦々しい記憶もまた珍しい。今となっては若さの至りとして胸にしまい込むしかないのだが、それを二宮は遠慮なくこじ開けていった。

 

「だから……もしかしたら……続きが、聞けるかもしれないなぁ〜、と……」

「……………………は?」


 この女、今何と言ったのだ?

 続き?一体、何の?


「……こ、こういうのは男の子からリードするものですよ!『は?』じゃなくて、ちゃんと呼び出したら最後まで言い切ってください!」

「いやいやいや、待て待て待て、それって、つまり_____」


 天啓が降りた。

 完全に理解した。

 だが理解したからこそ……余計に気まずい。

 顔がみるみる熱くなっていくのを感じる。

 まさか……まさか二宮は_____

 ここで……ここで告白の続きをやれ、とでもいうのだろうか?!


「……ちょっと待て、落ち着け。俺はただ、二宮が俺をあんなに泣いてまで引き留めたかの理由が知りたいだけなんだよ!そ、そ、それがななな、なんで、こ、こ、こ……」

「だーかーらっ!言ってるじゃないですか!続きを聞けないまま、私は二年間も待たされてたんですよ?!乙女に対して、ちょっと礼節がなっていないんじゃないですか?!わ、わ、わ、私だって……」

「……私だって、何?」

「私だって…………」


 …………。

 勝手な想像が頭の中で膨らんでいく。

 男のさが故か、想像は次第に都合のいい妄想へと変化していき_____

 両者ともに顔が真っ赤になった状態で、数秒が経過した。

 俺は二宮の言わんとしていることを、いかにして紳士的に、それでいて後悔しないように実行するかに全力で頭を使い。

 二宮は、どのようにして俺に『続き』とやらを行わせるために説得するかを模索する。

 そうして数秒が経過した後_____呼吸を止めたまま固まった二人は、息が苦しくなって深呼吸したことで、落ち着きを取り戻した。

 そうして、何とも言えぬ時間が過ぎる。


「……その……どうします、か?」


 二宮の目が、完全になのだ。

 このシチュエーションで続きができないのは、俺に勇気が足りないからだろうか?本当にここで続きを言ってしまうのが、紳士的な行為なのだろうか?


(くそったれめ。こういうのって始素でどうにかできないのかよ)


 そもそも、俺は女性経験に乏しい。

 異性への耐性がないわけではないが、それにしても相手はあの二宮だ。ここで平常心を保つ方が難しい。

 こういう時は、他の異性を思い浮かべるといいのかもしれない。頭の中を様々な顔が駆け巡り_____

 _____眩いまでの銀色の、長く美しい髪が頭をよぎった。


「…………葉村くん?」


 二宮が心配そうに立ち上がり、俺の顔を覗き込む。

 そこにあった俺の表情は、何と形容すればいいのだろう。

 自分のことだからよく分からないが_____きっと、酷い顔をしているに違いない。


「……ごめん、二宮。続きは……まだ言えない。でも……あの時、君に告ろうとしていたのは本当だ」


 俺はそう告げて、テントから出た。

 このままどこかへ行こうとも考えたが、今は単に頭の中を整理する時間が欲しかった。テントの近くの岩影に座り、目を瞑る。

 砂漠の夜は冷える。砂埃が舞い上がり、俺の肌を刺す。

 _____俺は多分、男として最悪なことをしたと思う。二宮の気持ちに応えず、曖昧なままにして彼女を独りにしてしまった。

 でも俺にできることは、もう残っていない。俺が目指しているのは_____二宮ではないのだから。





__________





 翌日。

 朝から街の配給所にはたくさんの人が並び、二宮は仕事で忙しそうにしていた。ただの居候だと悪いので、俺も手伝いをした。力だけはあったので、荷物運びなどには貢献できたと思う。

 だが、一向に街の住民たちの顔色は良くならない。それどころか、物資が不足するせいで配給所では何度もトラブルが起きた。

 配給の量についての不満など数えきれぬほど。配給量が平等でないことに不満を抱いた住民同士でのトラブルや、列順についてのトラブル。さらには、盗みを働く者まで。トラブルが起きた場合は政府の兵士が対応することになっているが、兵士もかなり気が張り詰めており、そこまでの余裕はない。二宮も必死に対応に当たっているが、トラブルは中々収まらなかった。


「白い兄ちゃん、悪いがこれを届けておいてくれないか?あの家、足が悪くて配給に来れないみたいでさ」

「分かりました」


 改めてこの街を見ると、拭えない不安が街全体に蔓延しており、二宮らの支援団体の懸命な頑張りも街の人たちに光を与えることはできていないようだ。こうして荷物を運ぶ俺にも、奇異の目線だけでなく、露骨な警戒心を露わにしている。

 後で知ったことなのだが、この街は武装組織と政府軍の戦闘に巻き込まれ、多くの被害を被った街なのだそうだ。大切な人を失う経験をしたのであれば、彼らの心が荒んでしまうのも仕方ないと思う。


「これ、配給品です」

「ありがとう。足が動かなくなっちまったから、助かるよ」


 俺が届けた先の家にいたのは足の悪い老人かと思っていたが、ごく普通の成人男性だった。だが、松葉杖をつけている。


「……あの、その足は」

「ああ、ちょっと前の先頭で怪我してね。薬もないし、車椅子もないから、こうするしかないんだ」


 よく見ると、足には痛々しい銃痕が残っていた。包帯で巻かれたまま、動かない足を動かしているのだ。男性は顔をしかめ、痛みに耐えながら移動していた。


「肩、貸しますよ」

「ああ……悪いね」


 男性が向かおうとしていたのは、家の奥にある厨房だった。

 日本で慣れ親しんだ綺麗ない水道屋ガスコンロ、大きな冷蔵庫などはない。水は近くの貯水タンクから汲んでくる必要があり、火は枯れ木などで起こさなければならない。足を痛めた男性にとっては、食事をすることも相当な苦労のはずだ。


「水を運んできますね」

「何から何までありがとう。あとは俺一人でできるから、大丈夫だよ」


 それにしても、男性はこれほどの怪我をしているというのに、なぜこの家で独りなのだろうか。家にはいくつもの部屋があり、とても男性一人で住むための家とは思えない。


「……あの、失礼ですが……ご家族の方は?」

「ああ……妻と子供は、武装組織が支配してる街にいてね……もう何ヶ月も、離れ離れなんだ」

「__________」

「心配はいらないさ。あの武装組織は、何も住民に危害を加えるつもりはない。だから、家族だって無事さ」


 男性はそう言って見せるが、表情にはどこか焦燥感がある。願わくば、自分の足で今すぐにでも家族に会いに行きたかったのだろう。だが、今となっては彼を運んでくれるものはない。だからこうして希望を持つこと以外、何もできずにいる。


「……争いが収まれば……いいですね」

「ああ……そうだね」


 俺がその男性にできることは、そう声をかけることだけだった。

 そこから戻る時にも、何度か手伝いをした。

 ある家庭では、八人もの子供を十分に育てるための食べ物が足りず、家の中では常に赤ん坊の泣き声が響いていた。子供をあやすために食事を作る時間すらない様子であったため、少しの間だけ赤ちゃんと抱いてあやしてあげた。

 またある家庭では、重い病を患った高齢の女性の看病に必要な医療物資が足りないようだった。服を着替えさせてあげるための手伝いや、安心して眠ることができるベッドに移す作業の手伝いをした。

 また別の家庭では、戦闘によって崩れてしまった家屋の修理をしていた。重い建材などを運ぶのに力を貸したことでなんとか工事は進んだが、家屋の修理に使う材料が足りていないようだった。

 そうして色々な手伝いをしている間に夜になり、砂漠の夜が訪れた。飽き飽きするほどに輝く星空を眺めながら、俺は再びキャンプのテントに戻った。


「……葉村くん、手伝ってくれてありがとう」

「いや、いいよ」


 思えば、俺はここまでずっと自分一人のために動き続けてきた。この強い力も、自分の目的を達成するためだけに使ってきた。

 そして今日、初めて関係のない赤の他人のために力を使った。手伝ってあげた結果得られたものなど、彼らからの感謝以外に何もない。だが、それでも不思議と俺の心は穏やかな気分だった。昨日までのような、目的のために全てを投げ出すような必死さはない。

 今も、心のどこかで今すぐ動くべきだという声がしている。今すぐにここを抜け出し、目的のために動くことが正解だと、今も考えている。

 だが、その果てに待つものがもし何もないのであれば_____こうして穏やかに誰かを助けるのも、悪くないと思えた。


「はい、これ」


 外で座っていた俺の元に、二宮がやってきた。俺の横にはペットボトル入りのミネラルウォーターが置かれた。

 砂漠の乾燥した中での水は、なぜかいつにも増して美味く感じた。旨さを感じる舌などなかったはずなのだが、その水の美味しさを感じることはできていたのだ。


「ありがとう。美味い水だった」

「どういたしまして」


 二宮も日中はずっと業務に追われていた。日本で生まれ育った彼女に、砂漠の昼間は相当に応えたことだろう。汗まみれになりながらも働く二宮を遠目に見ていたが……やはり、二宮は美人なんだなと改めて実感した。


(……バカか俺は。あんなに酷いことをしておいて、何を今更……)


 こうして横目に見るだけでも、風に揺れる髪とか、長く綺麗なまつ毛とか、半袖であるが故に露わになっている細い腕の肌とかが見えていて、眼球がどうしてもそっちに吸い寄せられてしまう。

 やはり……一度告白しようとしてまで追っかけていた女の子が、成長して再び目の前にいることは、それなりに心に響くことだということだろう。恥ずかしい話ながら。


「この街はね、つい一週間前に戦闘に巻き込まれたばかりなの。北部にもう一個街があるんだけど、そこは武装組織が占領しててね」

「聞いたよ。怪我してる人もいた」

「……一応今は休戦状態だけど、またいつ戦いが始まるか分からない。でも、戦いが始まるまでは、私たちはここに残るつもりだよ」

「……危なくないのか」

「危ないよ。でも、それで逃げ出しちゃったら……逃げたくても逃げられない人を、見殺しにしないといけない。それはイヤ」


 口調が変わっているが、それはやはり俺の知っている二宮だった。正義感が強くて、逃げることがない。その勇気ある姿に____俺は惚れたのだろう。


「……やっぱり……君は、俺が知ってる、あの二宮なんだな。頭が良くて勇気もあって……とっても素敵な人だ」

「…………昨日はあんなに狼狽うろたえてたのに、今日は一段と大人だね。葉村くんは」

「……からかい上手なのも、昔と一緒だ」


 この世界に帰ってきて、初めて誰かとくだらない話をした。過去の恥ずかしい話でさえ、この瞬間はくすくすと笑い合えることになった。二人の間にあったのは、綿毛のように柔らかな空気だった。

 その時間のためなら_____俺は、ここにずっといてもいいと思えたのだ。


「…………」

「…………」


 どことなくいい雰囲気になり、俺たちはただ座って砂漠の景色を見ていた。


 _____突如響いた、爆発音が鳴るまでは。





__________





 「「!?!?」」


 日常生活では絶対に聞き得ない、物が爆ぜる奇妙な音。夜の暗闇でも隠すことのできない砂埃が、街の方から上がった。


「葉村くん……!」


 俺はすぐさま立ち上がり、地面を思い切り蹴って跳び上がった。上から街を見下ろすと、街の外れにあった政府軍の兵士がいた基地から煙が上がっていた。

 全速力で近づいていくと、連続して火薬が破裂する音が聞こえた。これは恐らく_____銃声だろうか。

 戦いが、始まってしまったのだ。


「ちぃっ!」


 基地へと駆けつけると、既に何人もの兵士が倒れていた。その光景は、嫌でもかつてのことを思い出させる。

 砂漠の中を駆け抜け、死体の山を積み上げた記憶。

 倒れた兵士たちの事切れた表情が、より鮮明にその記憶を思い起こさせた。

 思わず、吐き気が催す。


「うっ……!」


 血の匂い。血の色。血の温かさ。血が溢れる音。

 それを見た俺は_____ぐにゃりを歪んだ笑顔を浮かべる。


『殺せ、殺せ、殺せ。全て、殺せ』


 声がする。頭の中で、俺の声がする。

 これは、何度目だ。

 一体何度_____俺の邪魔をすれば気が済む_____!


「引っ込んでろよ……クソ野郎……!」


 吐き気を飲み込み、立ち上がる。

 

「テメェにそそのかされるのは、二度とゴメンだ!」


 笑顔を捨て去り、俺は戦場へと駆け出した。

 銃声が響く方向には、政府軍の兵士とは明らかに異なった格好をした、全身を砂漠で過ごすための布で覆った戦闘員たちがいる。岩の影から、こちらに銃を撃ってきていた。様子を見るに、完全な奇襲だろうか。

 政府軍の兵士は、普段の戦闘服ではない。ラフな軽装をした者がほとんどであり、車や建物の影に隠れて弾幕をやり過ごしている。

 既に何人もの犠牲者が出ている。ならば_____俺にできることなど、一つしかないだろう。

 戦場の真ん中へと降り立ち、思い切り地面を踏みつける。

 途端に、街一帯を大地震が襲った。轟々と地鳴りが起き、敵味方関係なく全ての人間が地面に突っ伏す。

 ほとんどの人間は何か大きな爆弾が落ちたのだと思ったのだが_____それが一人の人間の震脚によるものとは、誰も気づかないだろう。

 地面にかけられた凄まじい衝撃によって砂漠の大地は大きく陥没。まるで噴火したかのような砂塵が巻き上げられ、街の外れには鉱山を露天掘りしたかのような、巨大な穴ができることとなる。

 地鳴りが収まり砂塵が晴れた時、陥没した穴の周囲にいた戦闘員のほとんどは銃を持つことすら忘れて尻をついていた。

 無理もない。彼らは見てしまったのだから。たった一人の人間が、その身体能力のみでこれほどの大破壊を起こした現場を。


「ば……化け物……!」


 もはやそれが敵なのか味方なのかは関係ない。例え味方であったとしても、これほどまでに恐ろしい者など、横に置いておけるわけがない。


『ただちに銃を捨てろ』


 突如としてそこにいた全ての戦闘員の脳に、とあるメッセージが伝えられた。

 それは特殊な声であった。音と言語を介したメッセージではなく、脳に直接言葉の意味が焼き付けられたかのような_____起きていながら夢の世界の言葉を聞いているような感覚。

 そんな感覚を、その場にいた全ての戦闘員が聞き取っていた。

 ある者は恐怖に飲まれ、銃を捨てながら直ちにその場から逃げていった。

 ある者はただ混乱し、銃をその場に置きながらも呆然としていた。

 ある者は何が起きたのか理解できず、銃をその手から落として突っ立ったままになった。


「……四人、死んだのか」


 窪地の真ん中で、俺は始素を介して周囲の様子を探った。

 争いを収めるには、これが最も効率的なやり方であると考えていた。先に出ていって街に乗り込んできた戦闘員を一気に無力化するやり方もあったが、加減がまだ分からない上、派手に戦っている様子を見られてしまう。そうするくらいなら、こうして一発大きなものをかます方がいいのだ。

 ついでに、声に始素を乗せて発生する方法も使ってみた。旅の中で自然と覚えた技術なのだが、こうすることで俺が発したい意思を言語を介さずに伝えることができるのだ。こうして海外生活を乗り切ってきたのだが、出会ってきた人全てに『気持ち悪い』という感想をもらっている。

 こういった始素の操作技術を応用すれば、土埃舞う中であっても、まるでその場を見ているかのように遠くの情景を把握することも可能だ。感覚器官を強化し、人の動く音や微かな話し声にも耳をすます。

 すると、血を流し熱を失いつつある肉体が四つあることに気づいた。奇襲によって銃で撃たれた、政府軍の兵士だろう。

 彼らが何か、俺に対していいことをしてくれたわけではない。最初は俺のことを不審人物と疑い、トラブルになりかけた。その後街にいる間も、特に会話をしたりはしなかった。

 だが_____彼らは死んでいい人間というわけではない。もしかしたら_____一緒にこの街の人の手伝いをしていたかもしれない。もしかしたら、共に食卓を囲めたかもしれない。

 全てもしもの可能性でしかない。彼らもまた、命を懸けて銃を持ちこの街を守っていたのだから、彼らが死ぬことは変えられない運命だったかもしれない。

 だがらこそ_____やるせなさに、心を奪われる。


「……くそっ」

「やはり凄まじい力だな。魔人というのは」


 そのせいで_____突如として掛けられた言葉の意味を理解するまでに、五秒ほどの時間を費やした。

 間が空いた後、悲しみにやるせなさに包まれた精神状態を一気に緊張状態へと移行させる。体から始素が溢れ出し、体は戦闘するための体勢を取った。中国で学んだ武術で身につけた構え方だ。

 

「誰だ。今すぐ名乗れ」

「そのおっかさなも変わらないな。やはり、

「__________」


 その声は、まるで機械音のようだった。

 声は窪地の縁の辺りからこちらを見下ろす形で発せられていた。その場所を探った上で、跳躍して一瞬で距離を詰める。

 そこにいたのは_____不思議な格好をした人物だった。

 背丈は高く、俺よりも20センチほども高い。身に纏っているのはネクタイを締めた黒尽くめのスーツ。砂漠の中に革靴でやってくるあたり、俺が街で見かけた人物ではないということになる。

 そして何より目を引くのは、頭部に装着されたヘルメットだ。首から上を完全に隠したそれは、俺のよく知る宇宙服のそれに近い見た目である。顔面を覆う黒いバイザーは、その素顔を一切見せないでいる。声は低く、体型からも男であることだけは窺える。

 俺はその目の前に立ち、いつでもその者の身体を拘束できる状態で構える。


(ついに_____来た_____!この時を_____一年半待っていた_____!)


 この人物は誰なのか。

 なぜこの人物は、俺の名前を知っているのか。

 そして_____なぜ、俺が向こう側の世界にいたことを知っているのか。

 訊くべきことは多い。だが、これは最初で最後の機会かもしれない。ならば、絶対にこの機を逃してはならない。


「素性を話せ。できれば_____痛めつけたくはない」

「下手な聞き出し方だな_____葉村瑛人」

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