第24話 never forget you


 砂漠に朝日が差した。暑苦しいその日差しに嫌気がさし、目を覚ます。

 頭を揺らすと、バサバサを砂が頭からこぼれ落ちた。

 朧げな視界には、辺り一面の砂の世界が写る。


 _____どうやら、砂に吹かれながらも俺は眠ることができたようだ。

 目の周りが妙にパリつくのは、泣き腫らした跡だろうか。どうやら眠りながらも、涙をボロボロと零していたらしい。我ながら、情けない話だ。

 この体になっても、やはりぐっすりと寝た後は疲れが取れる……ような気がする。少なくとも気分は爽快になるし、疲労を感じずに行動できる。疲労を感じないようになればいっそ楽になれるのだろうが、そこまでいったら完全に人でなくなってしまうようが気がしているので、こうして人間特有の苦痛に縛られるのはまだ自分が人間である証拠だと受け止め、割り切っている。

 立ち上がり、リュックに入った水筒を取り出し水を含む。その後、街で購入した簡単な携行食を食べた後、俺は再び歩き出した。

 どれだけ泣こうが、どれだけ嘆こうが、やるべきことなど一つしかないのだ。ならば最後に待つのがどうしようもないほどの悲劇であったとしても、今は進むしかない。

 

 目指すべきは、ニジェールの広大な砂漠地帯に存在するアイル山地。ここはどうやら世界自然遺産として登録されているらしく、その一部には遥か昔の時代に描かれた壁画が残っているらしい。このようにして人のいる場所ではなく砂漠の真ん中にあるような場所を訪れようと思ったのは、中国やインドでは学べなかったことを知るためだ。人と向き合うことで得られなかったことは、自然との対話で得ようと考えた結果である。文明のなかった時代の人々が何を思い、どんなことを考えたのかを知ることは、始素に対するより深い理解をもたらすだろうと思ったのだが、果たしてどうだろうか。

 砂漠を駆け抜け数時間。周りに比べて一際高い山地に入り、そこが目的地なのだと分かった。遠くまで見渡すと、ラクダのキャラバンを組んだこの辺りの遊牧民の姿が見えた。この山地には所々にオアシスもあるため、砂漠地帯であっても人が住むことも可能のようだ。目的地が分からないので、土地勘のある現地人に道を聞いてみてもいいかもしれない。

 キャラバンに近づいていくと、最初は白髪の不思議な姿ゆえに警戒されたが、ただの観光客であることを伝えると快く案内をしてくれた。

 だが、それと同時に警告もされた。


「あっちの方角は武装組織の拠点が近くてな。食糧不足がひどいから支援機関が拠点を置いてるんだが、それを守るって名目で政府も兵士を送り込んできてるんだ。いつ戦いが始まってもおかしくないような危ない状況だから、違うところに行った方がいい」


 どうやら、戦争寸前のような緊張状態が続いているらしい。今の俺にとっては例え戦場のど真ん中に立っていてもかすり傷ひとつ負わないだろうが、『戦場』という場所はあまり行きたくなかった。

 というのも、『戦場』というのは、嫌でもかつての景色を連想させる。ここと同じように遥か彼方まで続く砂漠で、。砂漠であるだけでもそれなりに想起してしまうのだが、その上に人が争い、時には血を流すような環境ではより強く連想してしまう。あの時の深い極まる体験をこの世界で再び繰り返すのはごめんだ。

 だが、だからといってここをパスしていくのも、それはそれで勿体無い。もしここで何か気づきを得ることができれば、と思うと、パスする選択肢はない。もし戦いが起きているようであれば、そこだけ避ければいい。そう思い、壁画に行く前の物資調達がてら、俺は街を訪れた。


 _____街は思っていたより活気があった。だが、それと同時に生活環境があまりよろしくないことも確かのようだ。飲食物を売っている売店を探しているが、辛うじて生活用具を売る店があるくらいで、街の産業はかなり荒んでいるように見える。

 しばらく歩くと、支援機関の拠点と思わしき場所があった。いくつものテントが貼られ、現地住民ではなさそうな人たちが忙しそうにしている。

 テントの前には配給の列と思わしきものができている。人々の表情を見ると、疲れや悲嘆が色濃く浮かんでいる。これでは、食べ物の調達などは難しい。

 仕方なくそこを去ろうとしたのだが_____やはり、白髪の怪しい姿はよろしくなかったようだ。


「あんた、どこから来たんだ?こんなところに観光か?」


 突然肩を叩かれたので振り返ると、武装姿の男数名が寄ってきていた。表情を見るに、明らかに俺のことを怪しんでいる。


「済まない、この街の状況を知らなかった。出ていって欲しいなら出ていくよ」

「待て、そもそもお前はどうやってここに来たんだ?車で来るなら検査所を通るはずだが」

「…………」

「検査所からお前のような外国人が来るという報告はもらっていない。もう一度訊くが、お前はどうやってここに来た?」


 男たちの格好を見ると、腰にピストルを忍ばせている。恐らく、この街を警備している兵士だろう。これほどまでに警戒が厳重であることは予想していなかった。

 もし本当に『歩いてきた』と言っても信じてもらえない。何百キロも続く砂漠を乗り物なしで移動するなど、普通なら愚かな行為でしかないからだ。俺は返答に困った。


「_____答えられないなら、基地で話を聞かせてもらうぞ」


 兵士たちが、腰に手を構える。このまま拘束して連れていく気がだろうか。

 正直言って、わざわざこのようなことに付き合ってやろうとは思わない。逃げようと思えばいくらでも逃げられるし、例えそれで指名手配犯になったところで今の俺の活動に別段支障はない。

 仕方なく、そこから逃げ去ろうとした。

 だが、騒ぎを見て駆けつけた人がいた。


「何をしているんですか?」


 女性の声だった。

 支援機関の職員と思わしき服を着ていて、胸にはバッジがついている。

 現地人にはいない_____アジア系の顔立ちをしていた。


「不審人物だ。危ないから下がってくれ」

「不審だからって、無抵抗の人に銃を向けないでください。彼は武装勢力の人ではありません」


 何やら_____女性は、俺のことを知っているようだった。


「あんたの知り合いか?」

「はい。責任は私が持つので、皆さんは下がっていてください」


 女性が強くそう言い切ると、兵士たちも渋々と言った表情で引き下がっていった。武装した兵士に対してあそこまで強く出れるとは、勇気のある人物だなと思う。

 兵士たちが下がると、女性が俺の前に進んできた。


 ドクン。


 心臓が跳ねた。

 _____俺も、この女性を知っている。

 顔立ちを見るに、どうやら日本人のようだ。

 髪は黒く、肩に届かない程度に切り揃えられている。

 _____俺は、この姿を見たことがある。

 女性はなぜか、悲嘆を堪えたような表情で、俺を見ていた。



「_____お久しぶりです、葉村くん」

「_____二宮にのみや?」



 一年半ぶりに呼ばれた、俺の名前。

 その声の主は、忘れもしない2年前にいた人物。

 かつて、俺と同級生であったはずの人物_____二宮一葉かずはだった。





__________





 それが二宮だと理解できた瞬間、俺の頭をこれまでの記憶が流れる。

 俺が忘れ去られた、あの学校。自分に帰る場所などないのだと知って、一人静かに涙を流したあの日。そして誰にも自分のことを知ってもらえぬまま過ごした旅の日々。

 俺はずっと、孤独に浸っていた。孤独でいることの恐怖を振り払うように、ここまでやってきた。

 だが、違ったのだ。ちゃんといてくれたじゃないか。俺のことを覚えてくれる人が、ちゃんといたのだ。


 そう実感した瞬間、まるで緊張の意図が解けたかのように膝が崩れた。

 二宮とは、そこまで深い関係性を育んだ仲ではない。だがそれでも、自分のことを覚えている人が一人でもいるという事実が_____俺を、孤独のくびきから解放したのだ。

 情けないことに、昨日と同じく足が震えている。膝を地面についたまま、俺は立てなくなってしまった。同時に、目頭までもが熱くなってきた。


(……俺って、こんなに打たれ弱かったんだな)


 自分は強くなったと勘違いをしていた。俺は力をつける度に、弱く、脆くなっていたのかもしれない。

 そんな俺の醜態を気にせず、二宮は俺の前にかがみ込む。格好悪いところを見せまいと涙を振り払うが_____


「……ちゃんと、覚えていましたよ。ごめんなさい、葉村くん」 


 その言葉で、もうダメになってしまった。

 彼女がなぜ俺のことを覚えているのかなど、今はどうでもいい。俺はただ、堪えきれない嗚咽をありのままに零した。



 _____その後二宮に案内され、この街の支援を行なっているというNGOのキャンプへと俺は招かれた。いくつものテントが貼られる中、俺は傷病者のための医療用ベッドへと案内された。


「ごめんなさい。ここくらいしか、ゆっくりできる場所がないので……」

「……いや、ありがとう」


 しっかりと柔らかいベッドの上に腰掛ける。今では、こうして柔らかなベッドでさえも珍しいものであるように感じた。


「…………」

「…………」


 ゆっくりできたと言っても、何から話せばいいものか。

 二宮一葉_____俺の学校のマドンナ的存在であり、俺がこの世界にいる時、最後に話していた人物。容姿は2年前とあまり変わりがなく、雰囲気も大した変化はない。今はどうやらNGOの職員として働いているらしく、話している様子を見るに英語は堪能のようだ。 

 だが、二宮について俺が知っていることなどこれくらいだ。それ以外のことについては、ほとんど知らない。

 それにしても、途轍もない偶然だ。こんなところで日本の知人と知り合うなぞ、それこそ天文学的なレベルでの確率だ。こうして再会できたのも、何かの縁だろう。


「……私は仕事があるから、しばらくここにいてください。落ち着いたら、また来ます」


 二宮はそう言って、テントを出て行ってしまった。街の状況を見るに、職員である彼女が俺に構っている暇などないのだろう。俺はそのまま、テントの中で休むことにした。


「_____あれ」


 いつの間にか、体がベッドの上に投げ出されている。

 服は砂で汚れたままであり、靴も脱いでいない。横になるなら、色々と整えなければならないことがあるというのに_____体は言うことを聞いてくれない。


「……ったく……最近はこんなの……ばっかだ……な」


 瞼は重く、久しぶりに感じる睡魔が俺の体を縛り付ける。思えば、このように睡魔に襲われるのはこの世界に戻ってから初めてではないだろうか。眠るにしても、意識的に強制的に自分を眠らせていただけに過ぎなかったのだ。

 自分を覚えててくれた人がいたことに対する安心感のためか、それとも誰かが自分を守ってくれたことで緊張の糸が切れたせいか、定かではない。だが、この微睡みに逆らうことは無粋に思えてしまったのだ。

 俺はそのまま、気絶するように眠った。



 _____どれくらいの時間が経っただろうか。

 目が覚めると、外はすっかり暗くなっていた。

 テントの中には小さな電球一つしかなく、砂漠地帯の夜の深さを思い知らされる。

 だが_____いつの間にかかけられていた毛布の中は、人をダメにしてしまうような温もりでいっぱいだ。

 それが心地良くてこのままずっと眠っていたいと思うが、少しづつ眠気は無情にも引いていってしまい……なぜかちゃんと枕の上に頭があることとか、毛布がちゃんとかけられていることとか、羽織っていた砂だらけのボロ布がなぜかちゃんとハンガーにかけられていることとかが気になってしまった。


「……何やってんだ……本当に……」


 外を見ると完全に日が沈み、星が瞬いているのが見えている。俺がここに来たのはまだ昼前の時間なので、下手すれば十時間近く昼寝してしまったことになるだろうか。

 気が抜けて眠りにつくだけではなく、まさかここまで甲斐甲斐しく世話されてしまうとは……

 ……とそこが気がついたのだが、ベッドの傍らには二宮が座っている。机でパソコンと向き合っており、何やら仕事をしているようだった。

 邪魔してはいけない。どんなに呆けていても、それだけは分かる。二宮の表情は至って真面目であり、それが大事なことであることが伺えた。

 なんとか音を立てずにその場を離れようとしたが、ここのベッドはそこまで頑丈な作りではなく、俺が少し体を動かしただけで『ギギギギッ』と音を立てた。


「葉村くん?起きたんですね」

(くそったれめ)


 どうしてこうなるのか。いくらなんでも情けなさ過ぎる。このシチュエーションで俺のことを世話してくれる人など、二宮以外にはいない。

 つまり_____俺の服を脱がし、俺の体を丁寧に横たわらせてくれたのは、二宮な訳で_____

 恥ずかしさのあまり、耳が熱くなるのを感じる。気づかれてしまった以上、あとは成り行きに任せるしかない。体を起こし、失礼のないように話を逸らすことにした。


「……本当に、二宮なのか?」

「はい。2年前、あなたが体育館裏に呼び出したのが私です」

「やめてくれ……恥ずかしくなってきた」


 二宮はまるで俺のことをからかうかのようにころころと笑った。その可愛らしい仕草も含め、昔と何ら変わっていない。

 かつて_____俺が片思いをしていた頃と、何も変わっていなかった。


「悪いな……ずっと寝ちゃってて……。邪魔だったんじゃないか?」

「いえ、そんなことありません。葉村くんは気づいていないかもしれませんが、寝る前はクマが酷かったですし、酷い顔をしていたんですよ。困っている人を見つけたら助けるのが、私が好きなことなので、全然迷惑じゃありません」


 _____これも、そうだ。俺が知っている二宮のままだ。

 二宮は、人助けが好きなやつだった。ボランティア活動を積極的にやっていて、募金箱があればそこにコインを落とさずにはいられない、信じられないくらいのお人好しだった。


「……二宮は、支援機関で働いているんだな」

「はい。高校を卒業してすぐ、この機関に入ったんです。それからずっと、こうやって世界中を転々としてますよ」

「そうか……頑張ってるんだな……」


 俺なんて、高校生の時に将来どんなことをするかなど、何も考えていなかった。ただひたすらに、仲間と一緒に馬鹿なことをすることしか考えていなかった時に、二宮は何をするか常に考えていたのだろう。

 そんな話を聞いてくると二宮がより一層大人に見えてきたが_____二宮は、キョトンとした顔でこちらを見ている。


「……どうした?」

「あ……いえ……褒めてくれてありがとうございます……」


 実際、二宮は頑張っている方だと思う。こうして日本を出て海外に出るのは、それなりに勇気のいる決断なはずだ。文化、価値観、言語の違いを越えようとする行為は、それだけでも尊敬に値する。

 俺など、旅の中で何度も何度もトラブルを起こし、その度にたくさんの人に迷惑を

かけてきた。白髪の目立つ格好のせいもあり、誤解を解くために必死になったことも何度もあった。


「……っていうか、よく俺だって分かったな。昔と見た目が全然違ってるはずだけど……」


 髪の色もそうだが、度重なる経験や戦い、そして長い旅の中で、体付きも含めて以前とは全く異なる見た目が異なっているはずだ。だというのに、二宮は兵士に囲まれた俺を遠目から確認できていたそうだ。恐ろしく視力が高いのだろうか?


「確かに……髪の色も違いますし、昔に比べてがっしりしてますよね。筋肉の付き方とか完全にボディビルダーですし、腹筋とか何段も_____」

「待て待て待て、ちょっと待て。_____見たの?」

「はい、ばっちりと。だって葉村くん、砂だらけの状態で倒れてましたから、仕方なく服を脱がさせてもらいましたよ。その時に、ついチラッと」

「いや……えっと……あの……」

「あ、大丈夫です。変なことはしてません。下着なんて見てないですから、安心してください」


 _____やはり、一緒だ。俺が知っている二宮と同じだ。

 このような、悪戯っぽい笑い方も、無邪気でいながらこちらの心をくすぐってくるところも同じだ。これが、二宮の魅力でもあった。

 俺としては顔を赤らめるしかないのだが、それ以上に二宮の悪戯っぽい笑顔に俺の目は縫い止められることとなる。それほどに、二宮の笑顔は魅力的だった。


「確かに色々変わってますけど、顔の形とかは変わってませんから、ちゃんと見分けられますよ。私、記憶力はいいので」

「……やっぱり、変わってないな」


 記憶力が良くて、学校の成績の良かった。一度だけ授業でペアとなったやつの

こともよく覚えていて、そのせいで勘違い男子が続出していたことを覚えている。

 俺の周りは何もかも変わってしまったと思っていた。俺が覚えていたものなど、何も残っていないのだと思っていた。

 でも、ちゃんと残ってくれていたのだ。俺がいない間、ありのままでいてくれたものが、ちゃんとあったのだ。

 _____それが、たまらなく嬉しかった。

 だからこそ、これを聞けずにはいられない。


「……なんで、お前だけが俺のことを覚えていたんだ?」


 俺と共につるんでいたはずの者たちですら、俺のことは忘れていたのだ。一体どんな原理で記憶の改ざんが起こっているのかなど想像もつかないが、異世界に召喚されちゃうようなことが起こるのだから、記憶が書き換えられるくライ何でもありだと思うようにしている。

 だからこそ、一体どうやって二宮がその例外となったのか理解できない。単なる偶然なのか_____それとも、何か必然的な理由あってのことなのか。

 だが、二宮はキョトンとしたままだ。


「……私だけが?どういうことですか?」

「_____なるほどな」


 どうやら、二宮は俺が忘れられていることを自覚できていないようだ。俺の仲間が俺のことを覚えていなかったことは自明だったし、ただの記憶違いであるとは思えない。二宮の記憶と俺の仲間の記憶には行き違いが発生するはずだが、恐らく認識レベルでの矛盾はどうにでもなるのだろうか。

 _____いや、こういうのはもうどうでもいい。今はただ、二宮と再会できたことを喜ぶべきだ。この幸運を、今は手放したくない。


「いや、何でもないよ。昔の友達に会えるのは久しぶりだから、つい嬉しくなっただけだ」

「そ、そうですか……ありがとうございます……?」

 

 こんなにも穏やかな気分になったのは、いつ以来だろうか。恐らくは、あの世界で、彼女と一緒に____


「_____もう、行かなきゃ」


 そうだ。俺にはやるべきことがある。

 二宮に会えたことが嬉しくてつい忘れていたが、俺には絶対にやり遂げなければならないことがある。それを達成する時まで、俺は一度たりともこの足を止めてはならないはずだ。

 急いでベッドから降り、ハンガーにかけられていたボロ布を羽織る。そして同じくボロボロになっていたブーツを履き、外に出ようとした。

 ずっとここにいたって、二宮に迷惑なだけだ。これ以上、過去に忘れられるべき人間のことなど、彼女は覚えている必要はない。

 

「待ってください!」


 二宮に腕を掴まれる。華奢なその腕を振り解くことなど、今の俺には容易い。

 そもそも、彼女が俺を引きとどめる理由などない。彼女にとっては、俺はある日突然告白しようとしてきたただの同級生で、同級生のよしみで助けてあげただけの存在に過ぎない。このままいても仕事の邪魔になるのだから、消えて然るべき存在のはずだ。


「まだ……まだちゃんと休んでないじゃないですか……!ご飯だってありますから、せめてそれを食べてから……」

「……いや、これ以上は迷惑かけられない。助けてくれて、ありがとう」


 掴まれた腕を振り解こうと、二宮の手を掴む。彼女のか弱い握力など、簡単に引き剥がせる。

 _____だが、二宮は離してくれなかった。必死に俺の腕を掴み、行かせまいと抵抗してくる。俺を引き止める理由など、ないというのに。


「……話してくれ」

「なんでですか……私と一緒にいるのは嫌でしたか?」

「違う。君と会えたのは嬉しいけど……俺はやらないといけないことがある。早く行かないといけないんだ」


 彼女が腕を引っ張ることすら気にせず、俺は無理にでも歩いて行こうとする。

 俺に引きずられながらも、二宮は俺の腕を掴み続けた。


「それは……ちょっと休んでから行ってもダメなことなんですか?」

「ああ。一秒でも惜しい。今すぐにも動き出さないと、頭がおかしくなりそうだ」


 次第に、二宮が俺を掴む力が弱まる。


「……行かなきゃいけないんだ。何があっても、進まなきゃ」


 やがて、二宮の手が完全に離れた。


「ありがとう、二宮。またどこかで_____」


 これが最後の挨拶になると思い、振り返る。

 するとそこには____ボロボロと涙を零した、端正な顔立ちの二宮がいた。


「__________」


 驚きのあまり固まってしまった俺の腕を再び掴みながら、二宮は俯いてしまった。

 

「……やめてよ……行かないでよ……!」

「二宮……」

「そんな風に振り払わないでよ……!まだ_____まだ、ここにいてよ……!」


 やがて二宮の手は俺が羽織っていたボロ布に移り、俺の胸ぐらを掴み始めた。


「……私は……私は葉村くんにここにいてほしいの……!だからお願い……まだここにいてよ!」


 先ほどまでの丁寧な口調ではなく、俺の知らない女の子の二宮が、そこにはいた。端正な顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる、俺の知らない二宮だった。


「私は……私は、ちゃんとあなたを覚えているから……!」


 それは、含みのある言い方だった。


「二宮……お前やっぱり」


 二宮はやはり、知っていたのだ。

 _____俺だけが忘れられていることを。

 つまり、彼女が俺のことを覚えていることは、あの世界とこの世界の繋がりに関する重要な情報である可能性が高い。

 それに_____泣き腫らしてまで俺のことを止める二宮をそのままにしておくのも、やはり忍びない。


「……分かった、今夜はここにいる。でも、先に色々と質問させてくれ」


 そういうとようやく二宮は落ち着いたように、俺から手を離した。

 涙に濡れても尚、二宮は綺麗な顔をしていた。

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