エピローグ


 光と共に、二人は消えていった。

 生命が有する始素の全てが消え、そこには_____シルヴィアの亡骸だけが残った。


「……そうか、アイツは……かえるべき場所へとかえったんだな」


 始素が消失した瞬間、瑛人の肉体は光に包まれ消失したのだ。

 彼をこの世界に留めていた召喚術が消えたせいか、あるいは魔人としての性質故か_____真実は定かではない。

 だが一つ確実に言えることは、二人がこの世界からいなくなってしまったということだ。

 彼らは、もう永遠に帰ってこない。

 光を見届けた後_____バンジは入り乱れ戦っていた者たちの真ん中に立った。


「……もう、分かってると思うが」


 周囲を見渡す。

 聖騎士も魔物も、皆が一様にバンジに目を向けていた。

 つい先ほどまで争っていた者たちは、もう剣を握っていない。


「俺たちが戦う理由は無くなった!ルートの魔物を虐殺し、ビザント王国の人間を

虐殺した大罪人はこうして討伐された。禍竜も討伐され、もう脅威となる存在はいない。俺たちと、得た勝利だ!」

「_____!」


 バンジが声にしたことは、二つの意味を持つ。

 一つ_____それは、長らく続いた人間と魔物の戦いの終焉。争いの最中、全てを破壊し呑み込んだ存在が消滅したことで、ビザント王国とルートという国を立てて行われた戦いは意味を為さなくなった。共通の敵が消滅したことで対立関係が戻る可能性もあるが、そんなことを考える愚か者はいないだろう。何せ、互いに失うものが多過ぎたのだから。

 二つ_____聖導教と魔物の対立の形骸化。聖導教の代行者たる聖騎士たちが、魔物を協力して敵を討伐したという事実は、大きな意味を持つ。バンジたちの協力が必要であったとはいえ、聖騎士が魔物との協力をするなど、普通に考えればあり得ないことなのだ。だというのに、アグラを含めた多くの聖騎士が、結果的には魔物の協力を受けたことになる。聖騎士の立場が危うくなるのかもしれないが、そこは情報操作でどうとでもなるだろう。


「だから……もう人間と魔物が争うのはやめにするべきだ。もう争う必要なんてどこにもない。資源が欲しいならくれてやる。土地が欲しいならくれてやる。でも、争いだけは絶対に止めてくれ」


 バンジはイルトを向いて、そう告げた。

 序列一位の聖騎士、聖導教最強の存在。そのイルトが何をするかで、これから先の人間と魔物の関係は大きく変わる。

 もしここでイルトが、人々から望まれた通りの聖騎士であるならば、バンジを斬るべきだ。そして、魂尽き果てる日まで戦い続けるべきなのだ。

 だが不思議と、イルトは戦う気になれなかった。それは単に戦意が失せたわけでもなければ、やる気がなくなったからでもない。

 理由はなんであれ_____ここでバンジを斬ることは、聖騎士としての務めよりも、遥かに大事なものを汚す行為であるように思えた。


「……我らが対処すべき問題は既に失せている。これ以上、戦う理由はない。ビザント王国は、国家の再建でかかりきりになるだろう。戦争を続けることなどできぬよ」

「……そうか」

「貴様の国も、やることが多いのではないか?」


 そう言って、イルトはゆらりと立ち上がり、その場を離れようと歩く。

 最後に、バンジの前に立つ。


「……貴様の敵は、聖騎士だけではない。まだまだ多くの敵がいるぞ」

「ああ、分かってる」

「それでも、貴様は戦うのか。残酷この世界そのものと」

「最初からその覚悟だ」


 どんな問いをかけても揺れることのないバンジの瞳を見て_____イルトは、これ以上の問は無意味であると悟った。


「私もやることが多い。_____死ぬなよ、

「__________おう」


 イルトに続き、他の聖騎士も続々とその場を去っていく。アグラは去り際にバンジとシーナに手を振っていた。ジオはフェリスに引き摺られていくまで、バンジに突っかかろうとしていた。


「…………はぁ」


 緊張の糸が切れたからか、バンジはそのままその場に倒れ込んだ。

 空は砂漠らしく、眩しすぎるほどに日光が差し込んでいた。

 

(……さて、ここからが大変だな)


 そう、バンジはまだまだこれからだ。まだまだたくさんのことをしなければならないだろう。

 それにどれほどの歳月がかかるかは分からない。だが、確実に言えることは、今日ここで起きたことを______あの二人のことは、決して忘れないということだろう。

 彼らがいなければ、聖騎士と共闘することも、そしてこうして決意を固めることもなかった。犯した罪を無に帰すことなどできないが、それでも感謝する必要はあるだろう。

 ちらりと横を見ると、人間の少女の亡骸がそのまま置かれている。握られたであろう手を握る者はいなくなってしまった。

 彼女の魂が帰る場所はもうない。祖国は消え失せてしまい、今や彼女のことを悼む気持ちを保つことができる人物は限られている。

 ならばせめて_____これ以上、誰かにその魂が汚されぬうちに手向を行ってやるべきだろう。


「……お前らの罪が許されることはないだろうけど……いつか、報われることを祈ってるよ」


 そう言い、バンジはシルヴィアをその地に埋葬した。

 せめてその魂が_____その思いが、汚されることなく、どこかへ届くように。


「……さて、行くか」


 改めて、仲間を見渡す。

 誰も、バンジの行うことに文句など言わなかった。

 言葉すらも必要なく、胸中を分かち合える仲間たち。

 それを見て、バンジは_____己の使命を胸に立ち上がる。

 が見せてくれたものに、報いるために。





_________





 _____光があった。

 光が、瞼を差した。

 思わず、目をぎゅっと強く瞑って、光から逃れようとした。いつまでも、暗闇の安寧に浸っていたいと思った。

 でも、光は強くて、安寧に浸るのを許してくれない。


 _____目が覚めた。

 瞼が重くて、少ししか外が見えない。

 見たいとも言っていないのに、景色は勝手に俺の中に入り込んでこようとする。


 _____何かが聞こえた。

 規則的な高い音。布が擦れる音。パタパタと忙しなく動く音。

 遠くでは人の話す声や、大きな構造物が動く音が聞こえる。

 

 _____何かに触れた。

 手が動く。足が動く。もぞもぞと体が動く。

 拳を握る動作。足の指を曲げる動作。背中の痒い部分を擦り付ける動作。

 腕を上げようとすると、何だか動きづらいことに気づいた。

 瞳を動かしてそちらを見ると、何やら色々な管が巻き付けられていた。

 それは恐らく_____点滴用のものではないだろうか。


「__________」


 ゆっくりと、体を起こす。

 体は重く、まるでベッドにテープで貼り付けられていたかのように上手く動いてくれなかった。

 上半身を起こすと、自分が簡素な布を纏っていることに気づいた。

 横には、規則的な音を出す機械があった。ピッ、ピッとなるそれは、医療系のドラマで見たことのある、心拍数などを表示する機械である。

 ベッドの周囲は、カーテンで覆われていた。外がどうなっているのかが分からず、ベッドから体を出した。動きづらくて邪魔だったので、点滴用のチューブは無理矢理外した。

 側に置いてあったスリッパに足を通し、フラフラと外に出た。

 カーテンを開けると、ガラスの窓があった。

 窓の向こうでは橙色の太陽がこちらを見ている。相も変わらず、熱い眼差しであった。

 日光のポカポカとした温かさが眠気を誘うが、先ほどまでの微睡には戻れなさそうだ。ぼんやりと、外を眺める。

 ふと、ブォォンと音を出して走る車を見つけた。窓が開いていたからか、車の音はやけにはっきりと聞こえた。

 その音を聞いてふと、かつて車に乗っていたことを思い出した。

 

 俺はまだ車が運転できない年齢なので、誰かに乗せてもらっていたのだと思う。車は作りが悪く、頻繁に燃料切れになるのだ。おまけにちゃんとした窓がついていないので、早く走ると風ですごいことになってしまう。


『はぁ〜!気持ちいい!』

『おい、速度制限守れよ?!飛ばされそうなんだけど?!』


 ふと、そんな声が聞こえた気がした。内一つは、自分の声のような気がする。

 そう物思いに耽っていると、他のことまで思い出してきた。飛ばされそうと言えば、確か崖から滑り落ちたことがあったっけ。


『うふ、あははは!』

『はは、あははは!』


 あの時感じた風は本当に怖かった。冷たい空気がどっと押し寄せてきて、何も掴むものがなく、抗えない落下を味わった。雪の上にどさっと被さった時の冷たさときたら、忘れることができない。

 そういえば、そんな風に寝そべったことは他にあったっけ。

 例えば、そう_____砂漠のど真ん中で。

 そこで、確か_____


「__________え?」


 どっと、全身から汗が噴き出す。

 _____今、俺は何を考えていた?

 どくん、どくん。ポロリと心臓が口から出てしまいそうだ。

 _____今、思い浮かべたものは、夢か?記憶か?

 おそらく、記憶だ。風が吹きつけ、雪に埋もれ、砂漠に肌を当てた感覚全てを、つい先ほどのことのように覚えている。あれが夢などということはあり得ない。

 いや、ならば今の状況こそがあり得ない。あれが夢でなければ_____今の俺とは、一体何なのだ?

 急いでその場から駆け出し、鏡を探す。部屋の外に出ると、俺のあまりの勢いと剣幕に驚くたくさんの人がいた。この場所は、どうやら病院のようだ。大きな病気や怪我をしたことのない俺にはあまり馴染みのなかった施設に、なぜか俺はいる。

 勢いよく駆け出すと、一度地面を蹴っただけで廊下の端から端までを一っ飛びで移動できた。勢いで生まれた風は、まるでそこを車が通った後かのようである。 

 廊下の隅には、馴染み深いマークのついたトイレがあった。駆け込んで、鏡を見ると、そこには_____すっかりとやつれた顔をした、白髪の少年がいた。


「…………」


 生まれてこの方、俺は髪を染めたことなどない。こうして髪が真っ白になる体験など、たった一つしかなかった。

 _____あの世界で、魔物を殺し尽くし、血の雨を浴びた経験以外に、あり得ない。

 そうなると、車で風に吹かれたことも、雪に埋もれたことも、砂漠で寝そべったことも全て本当のことということになる。

 だが、致命的に一点だけ、辻褄が合わない。


「_____ああ、あああ……ああああ………!」


 声を出しても紛らわすことのできない、強烈な痛覚を覚えている。

 胸を差し貫いた、自分の手の感覚。その経験もまた、鮮烈なまでにこの体に残っている。

 そして、その後の、抗い難い暗闇の安寧も覚えている。というより、ついさっきまでそれに浸かっていたはずだ。


 _____ならば、?死したはずの葉村瑛人は、どこに行った?俺は、本当に葉村瑛人なのか?葉村瑛人は、本当に俺なのか?


 いや、そんなことはどうでもいい。もっともっと、大事なことがある。

 いてもたってもいられず、俺は建物から飛び出した。階段を降りることすら煩わしくて、窓から思い切り飛び立った。

 そうすると、凄まじい勢いの風が肌を伝った。投げ出された体はいくつもの建物を超え、見慣れぬ街を駆けていった。 

 アスファルトで舗装された道路。あちこちに立つ電線柱。コンクリートでできたビル。瓦屋根の家屋。

 よく見慣れた_____元の世界の光景だった!

 そう、俺は戻ってきたのだ!訳も分からず連れて行かれた世界から、見事に帰還を果たしたのだ!異常極まりなく、人でない生き物が話すような世界から帰ってきたのだ!元の、自由気ままに生きていられる世界で、俺は再び生きていけるのだ!

 笑え!喜べ!めいいっぱいの伸びをして、この世界に存在することに祝福を!


「……どこだよ……どこだよ……!」


 そうすべきだという状況判断が、心に追いついてこない。俺の心は、とっくにそんな現状把握を飛び越えていた。

 ただひたすらに探した。神経を研ぎ澄まし、空気中の塵の動きすら逃さずに見て、街を行き交う人々の吐息すら逃さずに聞いた。

 夕日が差す景色は美しく、郷愁の年を抱かせる。だが、今はそんな感情すら一瞬で跳ね除けてしまうほどに、バクバクと心臓が鳴っている。

 ここがどこで、今どんな状況で、ここがどの世界がなど、全てがどうでもいい。何もかもがどうでもいい中、たった一つのことで俺の頭の中はいっぱいだった。


 _____この世界には、がいない。

 何よりも重要で、生きる意味そのものであった人が、この世界にいない。

 それは当たり前のことであるはずだ。俺も彼女も、あの時死んだはずなのだ。互いの魂が霧散し、消えていくのを確かに感じた。


「……はぁ……はぁ……!」


 川沿いの土手に出た。水面が夕日を反射していて眩しい。

 でも、そんなものすらどうでもいいほどに、俺は美しいものを見た。それは、失い難いものであったはずだし、忘れ難いことだ。

 

 _____俺は、生きている。空気を吸い込み、呼吸ができる。心臓が跳ね、血が通っている。俺の皮膚は、確かにこの世界の物資と接している。

 _____では、彼女はどこへ行ったのか?死んだはずの俺が生きているのなら、彼女は?彼女もまた_____知らぬところで、生きているのだろうか?

 会いたい。会って、その顔を見たい。もう一度触れて、生きていることを肌で確かめたい。

 _____それと同時に、絶望的な見解も成り立つ。もしかしたら、俺はこの世界の人間だったから助かったのではあるまいか?彼女は元の、あの世界の住人のままだから、俺のように助かることはないのではないか?

 _____そう思うと、俺は暴れ出しそうになる。もしそれが本当なら、絶望のあまりその場で死を選んだことだろう。

 _____でも、そんな選択肢は許されないと思った。

 俺は死を求めた。そして彼女も同じく、死を求めた。求めた通りに死へと向かい、そして安寧のうちに二人は死の運命へと向かった。あの時、確かに俺たちの命は、終わりを告げたのだ。

 でも、終わっていない。現に、俺は生きている。魂を同調させた彼女が死んでも尚、俺は生きている。

 なら_____俺の魂と同調している彼女も、もしかしたら生きているのではないか?どこか遠くの世界で_____俺のことを、待っているのではないか?


 涙が零れる。

 こんな時に零れるとは、一体何の涙だろうか。なんであれ_____この涙を、悲しみの涙にだけはしてはいけない。

 拳を固く握る。拳に刻まれた跡を胸に、この決意を絶対に忘れぬよう。

 俺は_____叫んだ。





「シルヴィア……!俺は……必ずまた会いに行く!必ずどこかで、君を見つけてみせる!いつまでもどこまでも、君を探しに行く!だから_____どうか生きていてくれ!どうか諦めないでくれ!俺は絶対に_____君を諦めない!」


 日はやがて落ち、あたりは宵闇へと包まれていく。

 夜の風が吹きつけ、穏やかな冷たさが肌を撫でた。

 頬を伝う涙を拭い、俺は振り返る。


 _____生きて、そして必ず見つけ出して見せる。いつの日か彼女がくれたものに報いるために_____










〜異世界召喚編 完〜


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