第22話 この世界で私たちは
それは、既に体験したことのある出来事だった。
どこか遠くにある場所から、光り輝く熱が自分に入り込んでくる体験。
一度目は、かつてイルトに追い詰められた時に体験した。あの時は、俺も腕を斬られて狂ってたから、よく覚えていないのだが。
だが、今回ははっきりとこの体験を知覚できている。後悔とか悲しみとか、その他諸々の感情がないまぜになって、前とは違って静かな感情になっているのが幸いだった。
(…………?)
だからこそ分かることがある。今、俺に向かって伸びているものは前のものとは違うものだ。
以前のものは、くねくねと曲がりながらこちらに向かってくる、熱を持った線のようなものだった。線が段々と俺の体に触れていって、次第に体全体が熱くなっていくような感じだった。
今回は違う。まるで霧のような光がヒラヒラと舞い降りて、霧雨のように降り注いでくる。それは光というよりも、光を乱反射する小さな水滴のようであった。
霧は上から降ってきて、俺の体に優しく染み込んでいった。以前の電気が走るような熱とは異なる_____ひだまりにいるかのような、穏やかな温かさを感じた。
霧がさらに降り続け、体へと染み込んでいく。染み込んでいくたび、じんわりとした温かさに包み込まれる。それは、最高に心地良くて_____
「_________あれ?」
不思議と、涙が出てきた。
涙の温度は、降り注ぐ霧と同じ温度だった。
涙はポタポタと俺の掌に落ちて、霧の中の一際大きな水滴と混ざった。
変わらぬ温度の二つの水滴は次第に引きつけ合い、やがて一つになった。
_____トクン、と胸が鳴った。
何やら、音が聞こえた。
何かの匂いを嗅ぎ取り、何かを肌で感じた。
何かが、見えた。
『_____いつか、旅をしてみたいです。美しいものを見て、たくさんの人に出会ってみたい。この世界が本当は美しいものなんだって、この目で確かめたいんです』
銀髪の小さな女の子が、儚げな表情でそう告げている。
その目は、真っ直ぐに前を見ていた。
また再び、一際大きな水滴が落ちてきて、俺の額へと染み込んでいった。
『もう戦争なんて懲り懲りよ……なんでお父様や陛下は、こんな戦争を続けるの……!魔物から資源を奪ったって、たくさんの人が死んだら意味ないじゃない……!』
そして、次々に水滴が、雨のように俺に降り注いだ。
『私は……なんてことを……!』
『止められたかもしれないのに……!どうして……!どうしてなのよ!』
『……私のせいだ。私が……身勝手なことをしたから……』
「彼は悪くない……。悪いのは、私だ。私が呼んでしまったから、彼は……』
『もう何も残っていない……もう何もしたくない……』
『もう……嫌だ。こんな世界……大嫌い……!』
『……何も見たくない。誰とも一緒にいたくない。どこか遠くで、一人で消え去りたい……』
『このまま生きるくらいなら……もう……』
『…………ひぁ、ぁぁぁぁ…………!』
不思議と、俺の胸も一緒に熱くなってしまって、やはり涙が出てきた。途絶えずに、涙は零れ続ける。
でも、次の瞬間には雨のように降り注いだ光よりもさらに強く、まるで嵐が打ち付けてくるように、光が押し寄せた。
その光は_____とても眩しくて、温かった。
『私は……どうして生きてしまったのだろう……?』
『どうして彼は_____私を殺さなかったの?』
『ああ、でも、なんだか_____』
『_____すごく、わくわくする』
『私は……こんなことをしていてもいいのかな』
『すごい……!私は世界を見たいと思っていたのに、最初からこの目で見ようとしていなかっただけなのね……!』
『こんなにも美しいものが……こんなにたくさんあるなんて!』
『もっと見たい!もっと行ってみたい!』
『もっと、もっと_____もっと遠くへ!』
『誰も来れないくらい_____もっと遠くへ行きたい!』
嵐のように吹きつけた光はやがて凪いだように収まった。
すると、一際大きな雫が溢れた。
『……分かってる。瑛人は、いつか必ず殺されてしまう。逃げることなんて、絶対にできない』
『……死んで欲しくない。これから先も幸せに生きていって欲しい』
『でも私じゃ……瑛人は守れない。私は……弱いから……!』
『……嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ……!瑛人が死んだら、私は……耐えられない』
『こんな悲しい思いをしないといけないなら、いっそ……!』
『なんでなの?なんで私は……こんなに何もできないの……?どうして……どうして死ぬことすらできないのよ、私は……?!』
『うぅ……うっ……うああぁぁぁぁ…………』
一際大きな雫が弾けて、俺の体に次々と染み込んでくる。いつしか、俺は膝をついていた。
『……まだ、私にもできることはある』
『絶対に、瑛人は死なせない』
『私が守る』
『例えこの命に替えても_____いえ、”例え”じゃないわね』
『あの気配の主と戦うなら、確実に命を落とすことになる』
『……でも、それでいい』
『それで_____私は瑛人を守って死ねる』
『ああ、ようやく終われるのね』
『やりたいことをやって、最後に大切な人を守って死ねるなんて_____』
『_____私は本当に、幸せなのね』
「_____シルヴィア」
全ての光が、俺の中へと仕舞い込まれた。
膝をつき、じんわりと響く温かさを噛み締める。
いつの間にか、俺の体はすっかり温まっていた。
「_____君が、俺を呼んだ人で良かった」
__________
それは、初めての体験だった。
どことも知れぬ空間に、私は浮いている。
いや、浮いているかどうかは定かではない。立っているかも座っているかも寝ているかも、何も分からない。少なくてとも、身体が今どんな状態にあるかを把握できないのだ。
今の私は後悔とか悲しみとか、その他諸々の感情がないまぜになっていて、かなり応えている状態だ。だからこそ、今自分がどんな状態にあるのかをしっかりと確認することはなかった。
(…………何、ここ)
ふと見渡すと、下から何かが浮かび上がってきていた。それは渦を巻く、巨大な黒い球体だった。轟々と音を立てながら、渦は私の元へと近づいてくる。
避けるにもなれず、渦の漆黒に私は包まれた。
包まれた瞬間、目を見開くほどの強烈な不快感に襲われた。
『やめろ…………嫌だ…………!』
『あああああなんなんだよこれぇぇぇぇっっっ!!!』
『気持ち悪い!気持ち悪い!気持ち悪い!』
『痛くもないのに……熱くも痒くもないのに……なんでこんなに気持ち悪いんだよ……!』
『ああ……あああああああああああああああ』
『ぶへへっ、あはっ、ふへへへへへっ、あはははっ、だははは、かははははっ……』
体中から強烈な拒絶反応が出て、臓物全てを吐き出しだくなるほどの不快感。
不快なものを取り出したくて、そのまま自分の心臓を引き裂いてしまうほどの不快感。
それほどまでに強烈な不快感が、私の全身を蝕んだ。
『……ははっ……もうどうでもいい……どうでもいいんだ』
『コイツら殺して、俺も死のうか』
『どいつもこいつも……みんな死んじまえ』
『死んじまうなら、何がどうなったっていい』
『ああもう、くそったれ……俺が何をしたって言うんだ』
不快感に蝕まれた後は、抗えぬ不快感にやり過ごすため、諦観の感情が胸を渦巻く。自分の顔は見えないが、きっと酷くやつれた顔をしていることだろう。
でも、ずっとそうなるわけではなかった。渦の中から、少しづつ温かな光が流れてきたからだ。
『……どうせ死ぬなら、静かな場所がいいな』
『死ぬ前にやりたいこと、全部やっちまおう』
『ああ、でも、なんだか_____』
『_____すごく、わくわくする』
『異世界とかマジで意味分かんなかったけど、綺麗なものをたくさん見れた』
『楽しいことが、たくさんできた』
『異世界も案外悪くないんじゃないかって、思えた』
『……もっと、色々やってみたい。もっと色々な場所に行ってみたい』
『……もっと、シルヴィアが笑う姿が見たい』
光の中でも一際大きな光が胸の中に入ってきた時、胸が大きく高鳴るのを感じた。
胸の高鳴りに任せ、光に向かって手を伸ばす。
すると、霧のように光が押し寄せてきた。
『……分かってる。俺は、いつか殺される』
『シルヴィアを……巻き込みたくない』
『でも……シルヴィアと一緒にいたい』
『一緒に……どこかで静かな場所に行きたい』
『静かな場所で……二人で、一緒に_____』
『_____ダメだ。俺は生きてていい人間じゃない』
『俺は……俺はなんで、シルヴィアと一緒にいたいんだ?』
『分かれよ……そんなことは無理だって……そんなことは……』
『…………っ……!ぐぅっ……!……ぅ…………ぁ…………』
霧のような光は次々に流れ込んできて、最後に光の塊がそのまま私の中に入り込んできた。
『……戦うしかない』
『戦って……シルヴィアを守って、早く死のう』
『そうすれば、バンジが殺してくれるかもしれない』
『あるいは、聖騎士の誰かが殺してくれるかもしれない』
『……絶対に、絶対にシルヴィアだけは守ってみせる』
『そうすれば……この不快感からも、解放される』
『……やっと、休める』
『……俺が死んだ後、シルヴィアはどうなるのかな』
『誰かに、守ってもらえたらいいな……』
『……何言ってんだ、俺は』
『シルヴィアのことが、憎いはずじゃなかったのかよ』
「__________瑛人」
全ての光が、私に注ぎ込まれた。
胸に残る仄かな温かさと、儚い冷たさを抱え込み、一筋の涙を流した。
いつの間にか、私は手を伸ばしていた。
「_____あなたが来てくれて、良かった」
_____目を覚ました。
でも、眠気とか、倦怠感とか、そういう感情は全く感じなかった。
だって_____目の前に、そんなものを全て吹き飛ばしてくれる存在が、ばっちりとこっちを覗き込んでいるのだから。
そっと手を伸ばす。
手はふらふらと伸ばされ、彼女/彼の頬に触れる。
触れると、彼/彼女の温もりが、冷えた俺/私の手に伝った。
まるでそれは、お互いの手を通して繋がり合うようで_____熱を通して、あまりにも多くのものが行き交った。
_____言葉が出ない。
それもそのはず。なにせ、言葉にする必要すらない。
もう、言葉など不要であった。
二人の間を繋ぐのに、言葉という存在はあまりに不確定で、チープ過ぎる。
伝えるべことなら、たくさんある。
でも、それは何も、言葉じゃないと伝えられないことではない。
伝えるために、私たち/俺たちは、ただ互いに触れた。
頬に触れ、そして手を結んだ。そして、しっかりとお互いを見つめて_____ふにゃっ、とはにかんだ。
うん、これでいい。今やるべきことなんて、これくらいだろう。
「__________ねぇ、瑛人」
「__________なに、シルヴィア」
「なんか……すごいことになっちゃいましたね」
「……うん……そうだね……」
「……もしかして、私の記憶を見ましたか?」
「隅から隅まで。ってか、君こそじろじろ見てたでしょ」
「バレちゃいました?」
「全部分かるよ。自分のことみたいに」
_____うん、やっぱり、言葉にするのは勿体無いくらいには素晴らしい体験だ。
もう何だか、こう会話していることすら滑稽に思えてきて。
俺たち/私たちは、差し込んできた光を機に、笑い合った。
「……はは、あははは」
「……ふふ、うふふふ」
どうしてか、雪山の日を思い出した。
そういえば、あの時もこんな風に、二人で笑いあったっけ。
ああ_____もう、こんなことを考えている場合じゃないのに。
どうしようもなく、私/俺は、君/君のことを、ただひたすらに感じていたい。
「__________行こうか。やらないといけないことがある
「__________ええ。行きましょう」
むくりと立ち上がる。
相変わらず、彼女/彼もボロボロのままだ。不思議な感触があったが、それは何も傷が治ったことを意味するのではない。現実は、そんなに甘くない。
でも不思議と、痛みはなかった。正しくは、痛みなど忘れるほどに、私/俺は昂っていたのだ。
ずっとずっと、彼女/彼さえ守っていれば、それで自分は安心して死ねると思っていた。でもそれがどれだけ難しいかはよく分かっていたから、どうしようかと思っていた。
もう、そんな心配はない。彼/彼女は私/俺で、俺/私は彼女/彼なんだ。
君/君のことを心配する必要はないことを知った。
私/俺がすべきことは、ただ一つ。
__________
「__________そこまでにしてくれ」
二人の腕を掴み、殴り合いを止める。
俺も大概にボロボロだが、二人のボロボロ度合いはそれ以上のように見える。もう完全にフラフラで、殴り合えていること自体が不思議に思えるほどの状態だ。
「……貴様」
「お前……なんで出てきたんだ……!」
「……なんで、って……そりゃ_____」
普通に考えれば、何の意味もない。
生きていたいのなら、ここはバンジに任せて逃げるべきだ。あるいは、バンジと協力してイルトを倒すべきだろうか。
死にたいなら、バンジを抑えてイルトに殺してもらえればいい。そんなことをせずとも、自害すればいいだけのこと。
でも、戦いを止めたいと思う理由はあった。
「_____戦うのは、良くないことだ」
「__________?」
「__________は?」
至極単純で、幼稚極まりない理由があった。
「なんとなく分かるよ……お前らってさ、本当にはいい奴らなんだろ」
「……だったらなんだ」
「きっと、俺に負けないくらい、過去に辛い思いをしてるんだと思う。それでも前を向こうとして、戦ってきた。カッコいいよな、本当に」
「……黙れ、貴様に何が分かる……!」
イルトが俺の掴んだ腕を振り解いた。
「急に出てきたかと思えば、そんなくだらん話で私の戦意を削ぐ作戦に出るとはな。悪いが……標的に同情されて腕が鈍るようなことはないぞ_____!」
そう言い、イルトの手刀が真っ直ぐに俺の首元へと向かう。
バンジが手を伸ばしてそれを防ごうとするが、間に合わない。
俺はそれを_____半歩前に出ることで、わざと刺されにいった。僅かに狙いがずれ、胸元にイルトの突き立てられた手が突き刺さる。
「_____っ?!」
「お前_____!」
「_____ああ、分かるわけねぇよ」
突き刺されたところからは、とめどなく血が溢れた。
まだ溢れる血があることにも驚くが、何よりもその強烈な痛みに思わず表情が歪む。同格の魔人から受けた攻撃であるため、例え弱った攻撃だとしても、イルトの攻撃は俺を殺しうる攻撃ができる。
でも、今はその痛みがありがたい。痛みのおかげで、はっきりと意識を保てる。
「_____分かるわけねぇし、分かりたくもない。お前の始素の揺らぎから、何となく読み取っただけでも、本当に嫌なものなんだなって分かるよ。俺が同じ体験をしたら……多分、耐えられない」
「……貴様、まさか私の始素から_____」
「だから……それを乗り越えた自分を、少しは慰めてやれよ」
イルトは、突き立てた手を伝う真っ赤な血の温かさを感じながら、小刻みな揺れを感じていた。
血が流れたことで、体温が下がって体を揺らしているのだろうか。あるいは、痛みのあまりに体を震わしているのだろうか。
_____いや、違う。震えているのは_____イルト自身だ。
_____なぜ、震えている。寒さなど感じない。ましてや、恐怖など微塵も感じない。
_____白い仮面をつけた日から、死ぬことの覚悟は済ませてある。今更、そんなことに恐怖など抱かない。
_____では、なぜ震えている。
_____恐怖でなければ、この震えは何だというのだ?
「……私は……」
「頼む。イルト」
その胸にはまだイルトの手が突き刺されたままであったが、俺は構わずにイルトの肩に手を置いた。もう、この身を貫く痛みなど、どうでも良かった。
「もう_____戦うな」
「…………っ」
イルトは今にも泣き出しそうな顔で、動きを止めてしまった。
言い過ぎたかもしれないが、今の彼にはこの言葉が必要であるように思う。
「…………大したやつだ」
「お褒めに預かり光栄だよ。バンジ」
とっくに拳を下ろしていたバンジは、すっきりした表情で俺を見ている。イルトに
比べて、すっごく爽やかな雰囲気になっていた。
「……俺はよ、お前に死んでほしくねーんだ」
「前はあんなだったのにな」
「気が変わったのさ。お前がいなくなるのは……なんか、スッキリとしない」
「はっ……重たい愛の告白だな」
「……あははっ、それ前も言ったろ」
バンジは爽やかに笑ってくれているが_____その表情な真剣だ。
多分、俺が何をしようとしているのか、理解しているのかもしれない。
「……あの日、お前は俺にこう約束したよな。『もっと悪い奴になって、人間と魔物の共通の敵になってやる』って」
「ああ、言ったな」
「……俺は反対だ。お前のようなやつが、まるで悪者として扱われてほしくない」
思わず、目が点になった。頭に角を生やした鬼が、まさかこんなに優しいことを言ってくれるなんて。
「……何言ってんだ。俺は、お前の国の魔物をたくさん殺した大悪人だ。お前が殺すべき人間なんだぞ」
「それでも、だ」
「なんだそりゃ」
初めて会った時は、いきなり斬りかかってくるやつだった。でも考えてみれば、バンジはシルヴィアに次いで二人目に、この世界でまともに会話することができた人物なのだ。
そう思うと、俺のこの世界での出会いは、つくづく恵まれているなと思う。
「大丈夫だよ、バンジ。俺は何も、罰を受けたいわけじゃないんだ」
「……お前」
「これが、心の底から_____魂の底から、やりたいと思ったことなんだ」
言いたいことは言い切った。
もう、バンジは何も言わなかった。
少し悲しそうな、それでいて一縷の希望を滲ませた顔で_____俺に、手を差し伸べてきた。
「……葉村瑛人。俺は、お前を忘れない。これは友好の印だ、お前の世界にだってこれくらいはあるだろ」
「……うん、ありがとう」
俺は、バンジの大きな手を強く握った。
バンジの手は、それが鬼のものとは思えないくらい____優しい手だった。
「……イルトを頼む」
「……ああ」
戦うなと言われたきり、膝をついてピクリとも動かなくなってしまったイルトをバンジに預け、俺は聖騎士と魔物たちが戦い続ける場所に立った。
「_____っ?!」
「アイツは_____」
「む?」
「…………」
「え……?」
「おいおい……」
全員が戦いを止め、突如として現れた奇妙な白髪の少年とその男と共に手を繋いでいる銀髪の少女に視線を集める。
この場に集っているのは、聖導教の聖騎士の上位七名と、魔物屈指の強者たち。そんな者たちが見つめる中_____俺は、全員に届くような声で声を出した。
「俺は葉村瑛人。もう知ってると思うが、魔物の国ルートで何十万もの魔物を殺して、ビザント王国で何十万人もの人を殺した『異世界人』が俺だ」
その場に静寂が染み渡る。
ある者は、怒りに震えて歯軋りをしながら。
ある者は、その目的が何なのかを測ろうと冷静に。
ある者は、いつでも殺せるよう武器に手を添えて。
だが誰も、その話を止めようとはしなかった。誰もが、その話に聞き入っていた。
「_____そして、この砂漠で戦ったあの化け物も、俺が呼び起こした」
そして告げられる、世界の終わりを告げる鐘の音のような言葉。
その言葉は単なる思いつきで発せられたものであったが、その言葉の意味は真実であった。
「なっ……」
「……やってくれたな、おい……」
「…………」
「本当か……?」
「おいおい、おいおい……」
「ふざけてんの……?」
あまりにも突拍子のないことに、そこに集っていた者たちは言葉の真偽を疑う。
そして、一部の者は真偽を超えたさらにその先_____言葉の真意に気付きつつあった。
「……あの二人、まさか」
初めてその姿を見た時から違和感を感じていたアグラは、この少年と少女の二人が何をしようとしているのかに気付きつつあった。
「俺はあの怪物を呼び起こし、この世界を終わらせようそとしたんだ。でも、あんたらのせいでそれは食い止められてしまった!今から戦ったんじゃ勝てないし、本当に残念だ!」
「……あいつ……そうか」
アウスドラは、その少年が禍竜に立ち向かっていったことをしっかりとその目で見ている。少女の無事に涙を流し、果敢に立ち向かっていったその姿からは_____今話されているような悪逆なことをする姿は、到底連想できない。
アウスドラだけではない。それを同じく見ていたフレンダも気付きつつあった。
「クソ野郎が……!」
とはいえ、そのことを知らない者たちからすれば、少年は単なる悪人だ。怒りを抱き、その場で殺そうとすることこそが正しい行動である。
聖騎士のジオや、魔物であるザケルなどは今にも飛びかかりそうな勢いで前へと進む。
しかし、ジオの前にはアグラが、ザケルの前にはシンハクが立った。
「おっさん?」
「……何もしないでやれ」
「おいシンハク、なんでアイツをヤツを守るんだよ?!」
「……落ち着け、黙って見ていろ」
その場にいる者たちの多くは、少年のことを知らない。
だが、少年が何をしようとしているかは、多くの者が察していた。
少年は_____俺は、その場にいる者たちが静かに見守ってくれたことに感謝して、やるべきことをやることにした。
_____全ては、この時のために。
「仕方ないし_____ここで死んでやるさ」
俺は、残る全ての力を手先に込め_____イルトそうしたように、その手を自分の心臓へと突き刺した。
手は軽々と胸部の骨を砕き、その奥にあった心臓を破壊した。
常人であればそれだけで即死するほどの傷を受け、体から一気に力が抜けた。
血がこれでもかというほどに溢れて、砂の上にぼたぼたと流れ落ちる。
そこにいた誰もが_____この結果を理解していた者たちも_____驚愕に目を見開いた。
自害という概念自体なら、この世界にも存在している。
だが、やるとしても刃物や銃火器を使用する。素手で自分の肉体を破壊するなどというのは、明らかに常軌を逸していた。
また、それは俺を貫き死に至らしめるだけでは止まらない。魔人に覚醒した俺が死ぬには、単に肉体を破壊するだけでは足りないのだ。肉体を介し、魂とでもいうべきものに対して攻撃を加えなければ意味がない。だからこそ、手にはありったけの始素を込め、魂すら砕くほどに威力を高めていた。
流れ出る血など些細に思えるほどに、俺は魂そのものに深刻なダメージを負っていた。そして必然的に_____俺の魂と同調していた、シルヴィアの魂も同様にダメージを受ける。魔人に覚醒していない常人の魂では、抵抗などできない。肉体に傷を負ったわけではないが、俺の心臓を砕かれた瞬間、シルヴィアもびくりと体を震わせた後、膝をついて倒れた。
手を繋ぎ合わせた先にいる魂を通わせた人間が死に、そしてそれに導かれるように、自分も死へと誘われていく。
二人はそんな感覚を味わっていたのだ。
「…………っ」
バンジは最後までそれを見届けようと、目を開いた。
悔いはある。自分を重ねた少年が辿った軌跡に自分がいれば、もしかしたらこんな血生臭い結末は回避できたかもしれない。もっと強かったら、彼らをこんなに悲しい目に遭わせなくて済んだかもしれない。
だが全ては後の祭りだ。バンジにできることは、二人の結末を見届けることだけである。
「…………」
イルトもまた、その光景を目に焼き付けていた。
自分が手に下すべきだった二人が、自分の手を借りずにその命を全うする姿を見て、イルトは思わず過去を思い出した。
イルトが見れなかったもの。イルトができなかったこと。イルトが得られなかったもの。その全てが、ここにあった。
そして、目頭が熱くなった。久しく忘れていたものが、目から溢れ落ちた。
それが何なのかは、とうの昔に忘れてしまった。どんな時にそれが流れるのかも、もう覚えていない。
でも_____
(……なぜお前は……そんなことができるんだ……なぜ俺には、できなかったんだ
……?)
問を向けるも、それに応える者はいない。例え口にしていたとしても、誰もそれに返してはくれないだろう。
_____もう、永遠に。
_____俺/私はもう、何も聞こえなくなっていた。
_____何も見えない。何も触れない。
_____痛みも、暑さも、冷たさも感じない。
_____ただ、安寧があった。
魂が何かから解き放たれ、粉々になって飛散していく感覚があった。
飛散する度、自分から何かが抜けていく気がしたが、それが何なのかは知覚できない。暗闇に沈む恐怖すらも感じられなくなっていき、やがて何もかもが消え失せるだろう。
私/俺の肉体は既にその場に倒れ込み、動かなくなっていた。
心臓は止まり、脳細胞は死滅し、呼吸を止めている。
それでも、二人は手を繋いでいた。
二人が魂を重ねた証は、この世界にも刻まれている。
もう何も見えないはずだが、何かが見えた。
それは美しいものだった。
魂すらも散り、何もかも放たれる直前で。
それは確かに瞬いていた。
(……瑛人。聞こえていますか)
(……もちろん。聞こえているよ)
(良かった。……本当に良かった。これだけは、どうしても伝えたかったんです)
暗闇の世界で見えたのは、共にこの世界を旅した少女の姿だった。
伸ばす手もない中、それでも俺は確かに、シルヴィアを求めた。
そして俺も、伝えたいことを伝えようとした。
_____果たして、それが届いたのかは定かではない。
ただ一つ言えることは、二人は誰よりもお互いを_____
シルヴィアの口が開く
俺も、口を開く
そして_____
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