第21話 生きて欲しい


「………………」


 光を取り戻したシルヴィアの目に、倒れ込む瑛人の姿を写った。

 あちこちが黒焦げとなり、体の各所から血が溢れている。あまりにも痛々しい姿であり、その目は静かに閉じられている。


「………………あ……あぁ……」


 耳鳴りがなる。

 キーンという音と共に、近くで勃発している戦いの音すらも消えた。

 頭を抱える。脈が急激に上昇し、耳元の血管が凄まじい勢いで音を発している。

 そっと、瑛人の手を握り返す。その手は、ひどく冷たかった。

 恐る恐る、その頬に触れる。まだ僅かに温かさがあり、脈もあった。だが、生命力に溢れていたかつての姿はもうない。魔人に覚醒しているにも関わらず、瑛人はひどく弱っていた。


「………………瑛人」


 焼け焦げて原型を留めていないその耳に届くよう、声を出す。


「瑛人、瑛人……!」


 肩を叩き、意識の覚醒を促す。


「起きてください……!瑛人……!」


 その手がピクリと動いた。

 まだ生きていることに安堵しつつも、肩を叩いた手にこびりついた血糊に顔を真っ青にした。その一瞬で、自分が何をすべきかを悟る。


「……私が助けます。絶対に死なせない……!」


 急ぎ体勢を整え、治癒用の祈術の行使を始めようとする。

 だが_____始素が足りない。

 ヴォルニカとの戦いで、シルヴィアはとっくに全てを使い切っていたのだ。

 それでも、無理にでも祈術を行使しようとした。当然ながら、始素がない状態では術が中断されてしまうだけだ。

 それでも、意志の力だけで発動を試みる。


「……治せ、治せ、治せ!癒やせ、癒やせ、癒やせ!彼に……我が祈りの加護を……

!」


 始素が枯渇し、捻り出す力も残っていない中、シルヴィアはひたすらに祈る。 

 祈術の基本とは、祈りの心でもって始素を制御することだ。ならば祈りの心が強めれば、空気に漂う微量の始素を集め、祈術を行使できるかもしれない。

 ひたすらに、ひたすらに、ひたすらに、祈る。

 自分よりも大事な存在の安らかな安寧を願い、ただ祈る。

 されど_____祈りは、何の結果も生まない。

 こうしているうちにも、瑛人の血は流れ続けている。


「……なんでよ……治して!治して!治して!早く!早く!早く!じゃないと……じゃないと、瑛人が死んじゃう……!私の命も、何もかもあげるから……瑛人を助けて……助けてよおおぉぉぉ……!」


 その命が今すぐにでも消えてしまう恐怖に打ち勝とうと奮い立つが、それすらも意味をなさない。シルヴィアの全てが無意味に消えていきながら、瑛人の体温が下がり続ける。


「うああぁぁぁ……いやあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!!!」


 涙がこれでもかと零れ、瑛人の額の上へと溢れていく。

 ありったけの涙であっても、焦げてしまった瑛人を癒すには至らない。何もかもが至らない。何も、瑛人の命には届かない。


「やめて……やめて……!あなただけを残して生きるなんて嫌……!私は……私は……!」


 全て出し尽くした。何もかもを、捧げた。

 それだというのに_____望んだものは手に入れられなかった。


「私は……あなたに殺して欲しかった……もう生きるのが嫌で、あなたの怒りを受け入れたかった……!でも……覚悟ができなかった……!私は、死ぬ前に色んな場所を旅してみたかった……まだ見ていないものが見たくて、わがままのためにあなたを連れていっただけなの……!」


 普段の口調すら崩し、シルヴィアは心の底からの本音を吐き出す。もう、それしか吐き出すものなどないとばかりに叫んだ。


「私は……あなたをただ巻き込んだだけなの……!自分のわがままのために、あなたを苦しめただけなの……!それであなたが傷つくかもしれないってことから、ずっと目を背けてただけなの……!」


 自分は醜い。自分は恨めしい。自分は情けない。自分は恥ずかしい。

 大切な者を助けられず泣き叫ぶだけの自分が惨めだ。

 自分が憎い。自分が愚かしい。自分が許せない。自分が馬鹿馬鹿しい。

 孤独でいればよかったというのに、その決断ができなかった自分が滑稽だ。

 自分を怒る。自分を嘆く。自分を責める。自分を嘲る。

 みっともなくも生に足掻き、それでいて死を求める矛盾した姿勢には呆れるしかない。

 なぜもっと賢い選択ができなかった。

 なぜずっと前に自分に本気になれなかった

 なぜ関係のない人を巻き込んでしまった。

 なぜ_____この世界でただ一人自分を守ってくれた人を、傷つける結末しか選べなかったのか。

 

「……ごめんなさい……ごめんなさい……!あなたには……あなたには、生きていて欲しかった……!私の命を、あなたにもらって欲しかった……!」


 だというのに。

 彼と一緒にいることを楽しんでしまった。

 彼に殺されなかったことでホッとしてしまった。

 死ぬことが怖くて、彼を巻き込もうとした。

 それでも死にたくて_____彼と共に、死地へと向かおうとした。

 

「お願い……!生きてよ……死なないでよ……!私の魂も何もかも、血肉も全てあげるから……生きていてよ……瑛人……!」


 _____この世界では、『思い』が重要だ。

 強い思いが始素を動かし、大いなる力をもたらす。大いなる力は際限なく膨れ上がり、その魂の在り方すらも変貌させていく。

 始素とはこの世の根源物質であると共に_____人の精神からいずるものでもある。そして、その波長は心の在り方によって如何様にも変化するのだ。

 シルヴィアがいくら強い思いを抱いたとしても、魂がただの人のものであれば、それが突如として増大することはない。肉体を作り替えるほどの激情でなければ、魂が変化することもない。

 だが、祈りの心や呪いの心で始素の波長を作り替えることはできる。

 _____この時のシルヴィアの激情は、シルヴィアを超人や魔人にすることはできなかったが、それ以上の変化をもたらしていた。


 己の死を願い、それでいて自分よりも大切な存在の存命を願う心。


 奇しくも二人の心は、瓜二つと言ってもいいほどに似通った状態であった。

 それでいて、その心はお互いに向けられている。

 シルヴィアの始素は少なかったが_____弱っているとはいえ、瑛人は魔人である。

 その身に宿した膨大な始素は、自分と全く同じ波長を持つ魂へと導かれ_____



 二人の魂が、結合した。



「__________」

「__________」


 二人の始素が溶け合い、融合する。

 繋がれた手を通して、二人の全てが、二人に流れ込んだ。

 

「…………あなたも、だったのね」


 シルヴィアは、自分という存在が解放され、何か大きなものと合わさる感覚を覚えた。

 流れ込んでくる、無数の情報。一瞬が永遠に感じられるほどに、その体験は濃密なものであった。

 

「…………ありがとう、瑛人。私を__________」


 そこでシルヴィアが見たものは、何だったのか。

 それを知る者は、本人以外にいないだろう。

 傷が癒えた瑛人の顔に優しく触りながら______


「私を__________」


 その口に、己の口を重ねた。





__________





 イルトとバンジは剣を合わせる。

 武器の格で言えば、イルトの『聖王剣』はバンジの刀の遥か上を行く。だが、今のイルトの調子はボロボロになっている瑛人と大差ない。ヴォルニカから受けた傷も治癒しておらず、バンジと剣を合わせる度に体の各所の傷がうずいているような状態であった。


「どうした。人類最強の騎士が、えらく弱ってるじゃないか」

「…………」


 数回剣を合わせるだけでも、イルトが弱っていることは見え見えだった。それでいて結界を自ら張るのだから、イルトがどれだけ無茶をしているか分かるというものだ。バンジはこのままイルトを戦闘不能にしてやろうと思っていたが、そう上手くはいかない。

 イルトが剣を握れなくするために手首を狙ったバンジの刀が、別の剣によって防がれた。受け止めた剣の名は、『天山剣』。


「かわいい弟子にこれ以上怪我させるわけにはいかんのよ」

「ちっ……やっぱりお前は、空から突き落とすべきだと思っていたよ……!」


 割って入ったアグラに対し、バンジは威嚇がてら『獄炎』を纏った斬撃を見舞う。だが、その斬撃は剣を焼くことは叶わず、アグラをビクとも動かすことはできなかった。どんな物質であっても焼き尽くすことができる『獄炎』だが、超高密度の始素の塊となっているアグラの剣の前では、焼き尽くす前に炎がかき消されてしまう。


「私たちの邪魔をすることがどういうことか_____分かってるよね?」

「聖騎士もナメられたものだな」


 アグラに続き、フレンダとアウスドラも参戦する。バンジは一気に窮地に立たされた。


(流石に聖騎士四人はやべーな。俺が命懸けるほどのことでもないなら、ここで降参するのもアリか?)


 実際、ここでバンジが体を張ることに大きな意味はない。例えこの場で瑛人が殺されようとも、バンジにとってはそこまで大きな違いはないのだ。

 必要なのは、バンジ自身が瑛人を殺したことを、ルートに帰って吹聴することだけである。故に、聖騎士たちに瑛人を殺されても、そこまで困ることではない。

 だというのに_____


(……なんで俺は、ここで命懸けようとしてるんだろうな)


 なぜか、戦う気満々になっている自分がいる。

 バンジにはそれが、たまらなく愉快な気分に思えた。


「やれやれ……世話焼き野郎とはいつも言われるが……俺も大概、お人好しってことかね」


 これでは瑛人のことを笑えない。自分もまさに、死地へと飛び移ろうとしているのだから。


「……おい、やめとけ。お前さんには借りがある。ここで死なれたくねぇし、引いてくれねぇか」

「悪いなオッサン。今_____最高にカッコつけたい気分なんだ」


 そう言い、バンジは再び『獄炎斬』で周囲を炎で包んだ。

 それで聖騎士たちに有効な攻撃を与えることは難しいが、動きを封じるくらいならできる。始素の許す限りこうしてここで足止めし続け、瑛人がこの場から逃げることができれば、バンジの目的は達成される。


(……いや待て、アイツを逃しちゃダメなんじゃ?……あー、てもやっぱり聖騎士に殺させるのは良くないな。……んー、でも殺しとかないと、流石に仲間に面目が立たない……どっちだ?)


 とはいえ、バンジもなぜ自分がこんなことをしているのか理解できていない。

 それは情けの心なのか、自分が殺すことに拘りたいからなのか_____それとも、瑛人に何かを期待しているからなのか。


(……意味が分からん。アイツに何を期待するってんだ?)


 理解できない感情がバンジの胸の中で渦巻く。それでも、バンジは体を張り続けた。獄炎をさらに力強く放出し、聖騎士たちの周囲を炎で包んでいく。

 当然ながら、聖騎士も黙っていないだろう。


天地割りギガスラッシュ


 炎の中からは大地を割るほどの威力の大技が放たれ、バンジが立っていた場所ごと、獄炎も大きく切り裂かれた。技を放ったのはフレンダである。


「暑苦しいことこの上ない。汗で服が汚れるでしょ……!」

「知るかよ。洗濯しとけ」


 大剣を軽々と振り回すフレンダ。その余波だけで、地面が幾重にも割れていく。今のバンジでは、一発でも当たればそれだけで致命傷になる恐れがあった。

 それだけではない。フレンダのすぐ側で、アウスドラが何やら術を唱えている。この状況で術を唱えるならば、それは_____


神聖付与エンチャント・セイクリッド

「だろうなぁっ!」


 刀で受け止めようとしたフレンダの大剣を無理矢理にでも躱す。今しがたアウスドラが唱えたのは、フレンダの体験に神聖なエネルギーを纏わせる術である。もし掠りでもすれば、魔物が苦手とするエネルギーをもろに浴びて即死するだろう。例え武器で防御しても、武器越しにダメージを与えられてしまう上、刀が折られてしまう可能性もあった。


(くそったれめ。いくら何でも殺意が高すぎるだろうがよ……!)


 フレンダはさらに大剣を振るう速度を上げており、回避するだけで精一杯である。フレンダ一人を相手にするだけでもこれほどだというのに、その後方では最強の聖騎士の二人が控えている。もしこのままフレンダに抑えれて仕舞えば、イルトを瑛人の元へと向かわせてしまう。それだけは何としてでも避けなければならない。


(……いや無理だ。こいつ一人でも十分俺より強いってのに……!追加であの怪物二人は流石に無理だ!)


 追い詰められるバンジ。この瞬間にも、フレンダは地形を変えるほどの斬撃を放ち、徐々にバンジの逃げ道を奪っていた。


「ちまちま逃げんな!待て!」

「逃げるに決まってるんだろ!待つわけねぇだろ!」


 もはや、他のことを気にする余裕などない。バンジは、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる。意を決して本気を出そうとするバンジ。

 しかし、その必要はない。彼には、仲間がいるのだから。

 突如、横から放たれた光がフレンダに当たった。大剣で難なく防御したため無傷ではあるものの、それでバンジを仕留める機会を損ったフレンダは腹を立てる。


「……誰?」

「こちらのセリフよ。あなたこそ誰よ」


 フレンダにそう言い返したのは_____凛々しい角を蓄えた、紫髪の美女。

 そしてその背後に現れたのは、クナイを携えた妖鬼の少女である。

 鋭く振り抜かれたクナイがフレンダがいた場所を切り裂くが、刃は空を切るだけである。


「ちっ……邪魔すんなし」

「こちらのセリフよ。あなたこそ邪魔しないで」


 現れた二人_____アユカとランカは、フレンダの前に立ちはだかる。


「お前ら……」

「バンジ。この女は私たちが止めます。あなたは早くやるべきことをやって」

「いや、俺は_____」

「バンジさんが何をしたいかは知らないよ。でも_____嘘吐いて行動しっちゃダメだよ」


 アユカやランカたちは、バンジが何のために戦っていたかを理解しているはずだ。本当は問答無用で殺すべき敵を、むざむざ見逃そうとしていることに気づかない者たちではない。だというのに、ただ純粋に自分を押してくれている。


「……ありがとう」


 彼らを裏切っているにも関わらず、それでも信じてついてきてくれる。そんな仲間のいることが、どれだけ幸せなことか。

 アユカとランカ以外にも、次々に仲間が集結していた。

 シンハクは、ここぞとばかりにヴェルドと戦っていた。お互いの技を味わえるということで、シンハクもヴェルドもノリノリである。


「良かったよ。貴様とは一度、本気で戦ってみたかったのでな」

「仕方ない。相手してやる_____!」


 ザケルとハイブラは、共にアグラの前に立っていた。


「ははっ、『大将軍』ともなればそれなりに楽しめるだろ。相手してくれや」


 ザケルは、不敵にもアグラの前に堂々と立ちはだかる。

 イルトが現れるまで、数百年にも渡って最強の聖騎士であり続けたアグラ。それと戦うことは、魔物であるザケルにとっても非常に名誉あることなのである。

 だが、アグラは既に戦意を失っていた。


「やめだやめ。お前らには助けてもらった恩もあるし、戦いたかねーよ。アウスドラ、相手してやれ」

「えっ」


 急に引っ張り出されたアウスドラは、よだれを垂らしながらこちらを見据えるザケルを見ながら、憂鬱な気持ちになった。


(フレンダといいアグラさんといい……なんで俺は聖騎士の便利屋ってことになってるんだよ……)


 図体だけで見れば聖騎士で最も厳ついのがアウスドラだが、その実心の強さは最弱である。意志が弱いからこそ、誰ともタッグを組めなかったフレンダとも無理矢理組ませられてしまったのである。

 だからといって、弱いわけではない。序列五位に恥じぬ、高い実力を持っていた。ザケルとハイブラといった上位の魔物二人が相手でも劣らぬほどに。


「おいデカブツ。すぐにやられてくれるなよ!」

「ったく、すぐに倒されてくれよ……」


 ミデラとオンドラは、真っ直ぐにバンジへと向かおうとしたジオと対峙している。

 バンジを見るなり、舌なめずりしながら突っ込んでいこうとしたジオを止めるため、オンドラが間に入ったのだ。


「いいねぇ。お前らの剣技、もうちょい味わってみたかったんだ」

「いいだろう。望み通り、敗北を味わわせてやる」

「俺をマゾみたいに言うんじゃねぇ!」


 ジオはバンジの剣技に憧れを持ったが、それは断じて自分の剣技を捨てると言うことではない。バンジの戦いを経て、ジオは逆に、さらに身勝手な剣技を編み出そうとしていた。そのためには、練度の高い不心転流の剣士と戦う必要があったのである。

 その意味では、オンドラは丁度良い相手だった。剣技の腕は申し分なく、バンジ以上に容赦のない剣技はジオにスリルを与えてくれる。


「楽しく愉快に踊ろうぜ!」

「戦いとは踊るものではない。打ち合うものだ」


 あちこちで聖騎士と魔物の戦いが始まり、戦場は乱戦の舞台となった。

 その輪から外れたものが二人。


「行かせねぇよ!」

「どけ!」


 隙を突いて瑛人の元へと向かおうとするイルトと、それを止めようとするバンジの二人である。

 共に体力も気力も限界に近い中、全てを振り絞ってここに立っている。ただ立つだけでも全力を振り絞る必要がある中、二人は激しくせめぎ合う。


「テメェは何のためにあいつを殺す!聖導の教えとやらのためか?!」

「ああそうだ。私が戦うのは、聖導の教えを守るためだ!」

「嘘吐け!じゃあなんで、?!」

「_____っ!」


 バンジは、イルトがシルヴィアを見逃したことを知っている。そうでなければ、二人があの時無事でいられたはずがない。イルトが本気なら、ジオがいなくても瑛人とバンジの二人をまとめて瞬殺できたはずなのだから。


「お前も俺と同じだろ!殺すべきやつを前にして、ついつい迷っちまう!」

「……黙れ」

「殺した方がいいって分かってんのに、どうしても殺したくない自分がいるんだろ!」

「黙れ……黙れ」

「同じだよ、俺も。力が強いから周囲に期待されるけど、本当は誰も殺したくなんてないんだ。心を殺して誰かを殺すなんて、俺にはできない。_____お前にもな!」

「黙っていろよ、クソ鬼!」


 イルトは一際力強くバンジを弾き返し、ぜぇぜぇと肩で息をする。それはバンジも同じことであり、刀を地面につけて体を支えていた。


「黙ってたまるか!本音押し殺して誰かを殺すことが、どれくらい辛いか分かるか?!」


 バンジは叫ぶ。そしてイルトに飛びかかる。

 その刀に、もはや殺意は篭っていない


?!?!」


 バンジは思い出す。

 かつて対峙した_____とある騎士のことを。その指に嵌められていた、美しい指輪を。

 込み上げてきた感情を刀に乗せ、力強くイルトを弾く。


「最悪な気分だ!今すぐに死にたくなるくらいな!アイツは、今そんな気分を味わってるんだよ!」

「…………」


 今になって、なぜ瑛人を逃そうとしているのか、バンジは理解した。

 

(_____ああそうだ。俺は単に、俺自身をアイツに重ねているだけだ。アイツが昔の俺みたいだったから、助けてみたくなったんだよ……!)


 バンジは歯軋りする。まさか、自分がこれほどまでに甘く、悍ましい者だとは思っていなかった。

 

(一つくらい、殺戮者が幸せになることがあってもいいと思っていた。俺みたいに_____戦う選択肢を選ばない奴がいてもいいって、俺は思ったんだ……)


 それは、単なる共感とはまた異なる感情だ。

 憐れんだわけでもなければ、慈しみを覚えたわけでもない。

 これは、いわば_____


「……黙れよ」


 イルトは不快感に声を荒げた。そしてやり返すかのように、一際強くバンジを押し飛ばした。


「辛さが分かるか、だと?最悪な気分を理解できるかだと……?理解できないとでも思っているのか_____?!」

「っ……?!」

「ああ分かるとも!忘れられるものか!!忘れられるわけがないだろうっ!!!」

 

 込み上げる感情が、イルトの体を突き動かす。

 もはや剣を振るうことすらままならない状態でも、イルトはバンジに向かっていった。剣を振るうフリをして、体重をかけたタックルをかまし、バンジを押し飛ばす。


「ぐっ……!」

「理解できるさ!殺戮者になった葉村瑛人が、どれくらい最悪な気分かも分かる!だがな、そいつはきっと自分を許せなくなるぞ……!私だって……だって、自分が今でも許せないんだからな!!!」

「あっそ!!!」


 押し倒してきたイルトを突き飛ばし、刀を握るのをやめてイルトを殴るバンジ。

 負けじと、イルトも反撃して殴り返す。


「だったらなんでこんなに追い詰める?!十分苦しんだやつに、なぜこれ以上の罰を与えようとする?!」

「馬鹿かお前は?!殺した人間ができることは、奪った命の代償を払うことだけだ!罰が与えなくてどうする?!ヤツだって、罰を自分で求めているだろう!」

「んな杓子定規な話してねーんだよ!!!お前は_____お前は、どうしたいんだ?!やっぱりアイツらには死んで欲しいのか?!それとも_____」

「うるさい!!!」


 二人は大声を上げることに体力のほとんどを使いながら、立つこともできずにお互いを殴り合う。

 もはや、二人に殺意はなかった。殺意よりももっと単純で_____ずっと強い理由で、二人は戦い続ける。

 ある者は、同じ経験をするが故に見守るべきであると考え。

 ある者は、同じ経験をするが故に殺すべきと考えた。

 結果は違えど_____彼らの根底にあるものは、全く同じだったのだ。


「こんの……後先を考えないバカが……!一時の情に任せて愚かな考えをするな!!!」

「うるせぇぇっっ!!!お前こそ……なんで絶対に後悔しかしない選択を取ろうとしてんだ、バカが!」

「バカはお前だ!いちいち張り合ってくるな!」

「張り合ってねーよ!独り言だ、バーカッ!」


 ただひたすらに、二人の男が殴り合いを続ける。

 その拳には、もはや力が込められていない。例え相手の体を打ったとしても、軽く音を出す程度にしか力が篭っていない。

 だが、力以上に大きなものを拳に込める。

 志を。

 信念を。

 後悔を。

 逆上を。

 怒りを。

 やけくそを。

 イラつきを。

 全て、拳に乗せて相手へと叩き込む。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!」

「らあああああああああああああああああああああっっっ!!!」


 転げ回った二人が拳をぶつけ合うのも、これが最後となるであろう。

 拳が交差し_____


 互いの頬を叩くことなく、振り抜く前に拳が何者かの手によって握られ、止められていた。


「_____?!」

「_____?!」

「__________そこまでにしてくれ」


 二人の手を握った人物_____瑛人は、静かにそこに佇んでいた。



 

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