第20話 処刑戦


 空を見上げる。

 黒く濁っていた空は、いつの間にか青空がわずかに差し込むようになっていた。


 大地を見渡す。

 日本にいた時には絶対に見ることのなかった、見渡す限りの砂と岩の世界。


 自分を見る。

 どこにでもいる男子高校生の面影はもうない。

 全身から立ち込める意味分からん力と、親からもらった真っ黒な色の面影が残らない真っ白な髪。身に纏っているのは、着慣れた制服ではないただのぼろ布である。


 後ろを見る。

 銀髪の美しい少女、シルヴィアが寝ている。

 その愛くるしい姿をこの目に強く焼き付け_____前を見る。


 前に立つは、時代劇でしか見ないような格好をした、剣を携えた者たちが四人。

 聖騎士という、葉村瑛人の処刑人である。


「……覚悟はできたか」


 聖王剣を握り、隠すことのない殺気を滲ませるイルト。既に傷だらけの姿だが、それでもその動きには一片の隙もない。

 背後には、同じくボロボロのままのアグラがイルトを見守るように構えている。そこまで戦意はなさそうだが、イルトと同等以上の強い覇気を纏っている段階で侮っていい相手ではない。

 そして、イルトのすぐ後ろではまだまだ力を余らせてあるフレンダとアウスドラが並ぶ。特にフレンダはヴォルニカとの戦いで出番がなかったため、フラストレーションを溜めていたのだ。こうして発散できる相手が見つかり、張り切っている。

 そして、瑛人もイルトやアグラのように、激しく消耗している身である。左腕の付け根から溢れた力によって何とかヴォルニカと渡り合っていただけであり、疲労は蓄積されたままなのだ。今にも倒れ込みたくなるところを気合いで堪えているだけの状態であるため、とても万全とは言えない。

 武器を取り出すこともできなくなってしまったため、剣を構える聖騎士たちとまともにやりあうことも難しい。


「……覚悟、ね」


 葉村瑛人は大罪人である。呪術によって支配されていたとはいえ、数十万もの魔物を殺し、そして己の意志でまた数十万もの人間を殺した。

 だから、こうして罰を受けなければならない。それは分かりきったことであり、確認するまでもない。

 _____だが、それとは別に、絶対にやり遂げなければならないことがある。


「……これって、シルヴィアも処刑されるやつか?」


 恐らくシルヴィアの名を知っているであろうイルトにそう尋ねる。


「……彼女自身が望んだことだ」

「……そうか」


 イルトはただ一言で、その覚悟を示してくれた。

 

「なら、覚悟は無理だね」

「ならば、死ね」


 死ぬ覚悟なら、ある程度はできている。

 だが、シルヴィアまでもが殺されることなど、覚悟できるはずもない。

 砂漠に再び、戦いが吹き荒れる。


聖跋結界セイントスフィア


 イルトによって、瑛人を中心とした半径数百メートルが光の壁に覆われた。この状況で張ったことを考えれば、瑛人を逃さないために設置したと考えるのが妥当だろうか。


「別に逃げたりしねーよ。_____決着つけようぜ、イルト」

「__________」


 二人が動き出す。

 走り出した衝撃によって地面が直前上に爆ぜ、直線が重なったところで一際大きく爆ぜた。

 瑛人はイルトが突き出した剣を逸らして回避し、続け様に回し蹴りを見舞う。イルトはそれを腕で受け止めるが、魔人による全力で蹴りの威力は凄まじく、衝撃で地面が何層も抉れた。

 突き出された瑛人の足を掴み、イルトは思い切り投げ飛ばす。地面に叩きつけられた瑛人は苦悶の声を上げるが、すぐに襲いかかってくるイルトの剣から逃れるべく、掴まれていない方の足でイルトの胴体を蹴り上げた。

 蹴り上げられたイルトは空高く吹き飛ばされるが、それで隙を与える戦い方はしない。空に足場を形成し、そこを蹴って瑛人が転がっている場所へ思い切り剣を叩きつけた。

 四秒にも満たぬ交錯で、二人の戦いは既に苛烈を極めている。戦いの衝撃波は側で構えている他の人物達を揺らしており、結界がなければただでさえ荒れた砂漠がさらに荒れることになっていただろう。


「さっきまでの威勢は無いようだな」

「ああ。お前がボコられてたやつをボコリ返してたんでね、疲れちまった」

「威勢は残っていたか。最悪ないい気分だ。_____葉村瑛人!」


 イルトの攻撃はさらに苛烈さを増す。

 武器を持たない瑛人は圧倒的な不利を突きつけられている。ただでさえイルトの剣からは危ない気配をビンビン感じるのだが、それを防御する手段がないのだ。故に剣を回避してからでないと、そもそも戦いが成立しないのだ。

 しかし、イルトも激しく消耗している。ヴォルニカに対して使った「霊砕斬撃ヴォイドスラッシュ」は体力的にあと一度くらいしか使うことができず、先ほどのように持続的に発動することはもうできない。例え聖王剣の切れ味が良かったとしても、魔人にまで覚醒した瑛人に対しては有効打にならないのだ。

 今の二人の実力だが、瑛人も魔人に覚醒したことで、始素の量自体には大差がない。念じれば始素を生成することのできる魔人にとって重要なのは、いかにして心を強く保つかどうかなのだ。いわば、この戦いは心の戦いであるともいえる。

 その意味で言えば______物量的な有利は、瑛人にあると言えた。


「ラァッ!」


 瑛人の肉体はまだ動けることが信じられないほどにボロボロだが、その身に纏う力は先ほどまでと変わらずにみなぎっている。シルヴィアを守るという強い意思を力へと変換しており、始素生成機関の活性化が極限まで達しているのだ。

 膨大な始素を纏うだけで身体能力は向上し、防御力も向上し、攻撃力も向上する。今の瑛人の殴り・蹴りは一発ずつが聖騎士級の強者が放つ技の威力に匹敵している。イルトであっても、何発も食らうことはできない。おまけに、徒手空拳であるため剣を振るうよりも手数が多いのだ。

 殺傷能力や技量でいえばイルトが有利。しかし、エネルギー量と手数は瑛人が有利。二人の戦いは絶妙なバランスの元、膠着状態となった。

 しかし、その膠着は長く続かない。

 当然である。ここには_____イルトに匹敵するほどの強者が、他にもいるのだから。


「もらいっ_____!」

「_____っ!」


 上から大剣と共に勢いよく落ちてきたのは、聖騎士序列四位のフレンダだ。シルヴィアと同年代にしか見えない外見だが、手に持つのは背丈よりも巨大で、濃密な力を纏った大剣である。

 瑛人はそれを間一髪で躱したが、大剣によって地面が割られ、足場を失ってしまう。そこを狙い、大剣が横薙ぎに振り回された。


「ふんっ!」

「やば_____」


 野球バットを振るうかのような勢いで巨大な刃が迫る。

 腕に全てのエネルギーを凝縮させ、防御力を限界まで引き上げる。これにより、大剣によって真っ二つにされることだけはなんとか回避するも、防御と同時にとんでもない力が加えられ、瑛人は百メートル以上も吹っ飛ばされた。

 受け身を取らんと姿勢を整えようとするが_____着地点には、また別の敵が潜んでいる。


「ぬうぅぅぅん!!!」


 巨体を鎧で包んだ男、聖騎士序列五位のアウスドラがそこに待ち構えていた。裂帛れっぱくの気合と共にその拳に力を注ぎ_____


巨拳の鉄槌タイタン・マレット!」


 光り輝く巨大な拳が現れ、宙を舞う瑛人を思い切り殴り飛ばした。

 殴られる直前、全力でその拳を蹴り返したことでなんとか衝撃を軽減させることに成功するも、再び瑛人の肉体は宙に投げ出されてしまう。

 そしてそこには、三度目の脅威が待ち構えている。


「許せよ坊主。聖騎士には、残酷であっても成すべきことを果たす義務がある」


 聖騎士序列二位_____アグラ・ハイレンツが、瑛人が舞う宙よりも上で剣を構える。握りしめている剣『天山剣』より放たれるは、『アルフェン流』の剣技の中でも、一際異質な剣技。

 片手直剣を基礎とするアルフェン流唯一の、である。


一刺スター光槍グレイス


 振られた剣からは強烈な衝撃がほとばしり、宙に浮いた瑛人を容赦無く地面へと突き刺した。

 アルフェン流唯一の抜刀術にして唯一の遠距離攻撃手段である『一刺・光槍』は、闘気を始素に載せ、抜刀と共に撃ち放つ強力な技である。それをもろに喰らえば、アグラの研ぎ澄まされた闘気が全身を巡り、始素生成期間が致命的な打撃を受けることになる。

 だが瑛人は、その攻撃に対してギリギリのところで拳を突き出して反撃していた。それによって技の威力を発散させ、全身を巡ることを回避したのである。

 とはいえ、それだけで全ての闘気を防げるわけではない。防ぎきれなかった闘気は瞬く間に瑛人の全身を巡り、体の各所を破裂させた。


「がっ……は……」


 塞がれていた傷が開き、再び全身から血が噴き出す。気合いでなんとか傷を塞ごうとするも、闘気が直接体を巡ることに対する激痛が集中を妨げ、それすらもままならない。そうこうしている内に、再びイルトが襲いかかってくる。

 傷によって動くが鈍った瑛人はもう、イルトの攻撃を満足に回避できない。次々と各所を斬られていき、ついには足の腱すらも切り裂かれた。


「ぐっ……くそっ……!」


 溢れる血。全身を苛む激痛。追い込まれた現状。

 ありとあらゆる条件が、瑛人の敗北を近づけていく。


「…………」


 イルトはもう、何も話さない。 

 瑛人はただの処刑対象だ。それ以上でも、それ以下でもない。ならば、情を抱くことのないように、速やかに黙々と処刑をすべきである。

 シルヴィアを逃したのは単なる気まぐれであり、二度と同じことは起こさない。それが、イルトが自身に課した試練だった。


(ここで確実に消滅させる。死体すら残さん)


 そしてイルトは、動けなくなった瑛人に最後の手向けとなる技を放つ。

 魔人に覚醒した瑛人の膨大な始素すらも消滅させ、この世界からその痕跡をなくすために_____


「動くな」


 イルトの首に、刃が迫った。

 刃は首に触れる直前で止まり_____いつでも首を刎ねることができるように構えられている。


「そいつを殺すのはお前じゃない。俺だ」


 刃の持ち主_____バンジが、イルトを止めたのだ。





__________





 バンジは、基本的に人間を信用していない。

 それは何も、嫌っているという意味ではない。好いてはいるが、信用するかしないかでいえばしないだけの話だ。

 人間というのはすぐに嘘を吐く。嘘を吐くことに対しても罪悪感を感じないことなど当たり前であり、例えその場では本音を言っていても、知らぬところでいきなり考えが変わって過去の約束を嘘にすることもある。

 そういうことで痛い目を見てきたバンジだからこそ、人間とは友好を育みつつも、どこか距離を置こうとしていた。人間との友好を訴えてきた身ではあるが、だからといって同胞の魔物が人間によって傷つくことだけは許さない姿勢でいたのだ。人間の友人もいるが、だからといって何もかもを委ねられるわけではない。いつしか、バンジは疑り深い性格になっていった。


 だが、あの時だけは違った。


『アンタになら任せられそうだ』


 瑛人が発したその言葉には、人間特有の気配がなかった。人間なら誰しもが持っている心の揺らぎ_____不安や迷いが見られなかった。

 だが、それが意味するのは、単に瑛人が信用の置ける人間だというものだけではない。自分を殺すことをバンジに任せたことに、何の躊躇いもなかった。それはつまり_____


「……約束通り来たぞ、瑛人」


 バンジはイルトの首筋に刃を添えたまま、倒れ込んだ瑛人に話しかける。瑛人の耳にも、その声はしっかりと届いていた。


「……何のためだ。仇討ちか?」

「お前は蚊帳の外だ。引っ込んでろよ、イルト・ランバーレッド」

「部外者の魔物が出しゃばるな、バンジ」


 首に刃を添えられた状態でも、イルトは強気だ。例えバンジが今すぐに刃を振り抜いたとしても、イルトは首を落とされる前にバンジを殺すことができる。


「こいつとは先約があってな。俺が先の手筈になってる」

「それは大きな誤解だな。貴様より先に、私は先約を取っている」

「じゃあ俺との約束がお前との約束を上書きするから、俺の方が優先だ」

「……魔物と口論する気はない。退かぬなら殺すぞ」

「……はぁ……まったく……」


 バンジの刀がイルトの首から離れた。バンジはイルトに対する殺意を解き_____


「しょうがねぇなぁ。聖騎士がそう言うなら、流石に俺じゃ_____」


 刀を鞘に仕舞い、その場を_____


「_____ってなるわけねぇだろ。ナメんな」


 全力を込めた居合で、イルトを斬りつけた。

 イルトもそれに反応し、ギリギリのところで受け止める。本来ならバンジの攻撃など簡単に受け止められるイルトであるが、相当に消耗した現在の状態では、バンジの本気の攻撃でもダメージを負うようになっている。受け止めることには成功したが、その威力の凄まじさに吹き飛ばされることとなった。


「ちぃっ……!」


 対するバンジは、まだ片腕を失っている状態とはいえ、体力はシーナによって回復してもらっている。イルトに対しても、一方的に力で負けることはない。

 そして、バンジが瑛人の目の前に立つ。傷を癒すことができず、ただ荒い呼吸を繰り返すだけの瑛人を見下ろし、バンジはこう告げる。


「……やっぱ、お前のことは殺さねーよ」

「…………え?」

「お前_____本当は今すぐにでも死にたいんじゃねーのか?」


 バンジからそう告げられた瑛人は驚愕に目を開く。

 死にたいと思っている。そんなことは一度もない。そんなことは_____


「……そんなことは」

「大方、。でも自分で死ぬのは怖いから、誰かに殺してもらいたい。でも、今度は殺してもらうやり方が分からない。ビザント王国の連中を皆殺しにしても、誰も殺してくれない。俺や聖騎士に殺してもらうのも、やっぱり怖い。死にたい気持ちと、死ぬことが怖い気持ちがごちゃごちゃになってるんだよ、お前は」

「……」


 バンジが言ったことに_____瑛人は言い返せなかった。

 これまで、自分はずっと生きていたいと思っていた。死ぬのは嫌で、殺されないために生きているのだと思っていた。

 ならば、なぜビザント王国の人々を殺した?それは本当に、束縛から逃れるためか?

 なぜ、バンジに対して自分を殺すことをお願いした?それは本当に、一時の休息を得るためか?

 なぜ、?それは本当に、自分の命を守るためだったのか?


「本当に生きていたいなら、あの嬢ちゃん_____シルヴィアを連れて、どこか遠くへ逃げれば良かったんだ。あの時、俺に殺すことを依頼するんじゃなくて_____お前はあの場で、俺と戦って、俺を殺すべきだったんだ。でもお前はそうしなかった。死に方が分からないから、とにかく目立って誰かに殺してもらうしか方法が思いつかなかったんだろ」

「…………」


 言い返せない。実際、瑛人自身も分からないことだらけだったから。

 なぜ自分は、あれだけの大虐殺をしておいて何の罪悪感も抱かないのか、疑問に思っていた。体験した本人だから分かるが、あれはとても正気を保てる経験ではない。だと言うのに、殺した者たちへの罪悪感がどうしても湧いてこなかった。

 なぜ自分は、あの怪物と戦っている時に笑っていたのか、分からなかった。それは単に、シルヴィアを傷つけられた怒りだけではないように思う。憎しみも限界を超えていたが  

 ____それ以上に、何か別の大きな感情があった気がしてならない。

 なぜ自分は、聖騎士たちにここまで傷つけられているのに、心からの安堵を感じているのかが分からなかった。今でも全身を激痛が巡り、悲鳴を上げることすらできないほどにボロボロになっているというのに____自分は悲しまず、ただ安堵しているのだろう。


 それら全てに、解を出されてしまった。

 そうだ、殺して欲しかったのだ。ビザント王国の誰かに殺して欲しかった。バンジに殺して欲しかった。自分を狙っているであろう怪物に殺して欲しかった。

 罪悪感を抱かないのは当然だ。死にたいと思ってるのだから、懺悔なんてちっぽけな感情など掻き消えてしまうに決まっている。

 戦った理由など簡単だ。あのまま死んでしまえたら、どれだけ楽だったことだろうか。

 安堵することなど当たり前だ。シルヴィアを守り、この場で終わることができるのだから。


 _____なぜ死にたいのか?

 _____気持ち悪かったからだ。不快だったからだ。

 _____数多の命を奪ってしまった現実が

 _____数多の命を奪った感触が

 _____数多の命を奪った自分自身が

 _____気持ち悪かったからだ。不快だったからだ。


「だから、殺してやらん。お前は生きて、その無茶苦茶な感情にケリをつけろ」

「……どう、やって……」

「それは、あの子に聞いてみるんだな」


 そう言い、バンジはチラリと横を見た。

 張られた結界の外側で寝かせられている少女_____シルヴィアを。


「お前に少なからず生きる意味を与えたあの子と、ゆっくり話し合え。俺がお前を殺すのは、お前が生きていたいと思うようになって、お前が本気で悪者になってからだ」


 バンジはそう言って、瑛人から離れていってしまった。そして再び、イルトと対峙している。





__________




 

「…………シル、ヴィア」


 瑛人はよろめきながらも起き上がり、シルヴィアのいる方角へと這いずって進もうとした。

 なぜか分からないが、目頭が熱くなった。

 その涙はこれまでの涙とはまた違った。我慢できないほどの不快感に対する涙でも、怒り狂ったことでの激情によるものとも違う。

 この世界に来て初めての_____心の底からの、じんわりとした心の痛みだった。


「……あぁっ…………うわぁぁ…ぁぁぁぁぁぁぁ……ぁぁぁぁっ…」


 暖かな涙がボロボロと零れ、砂の上に染みを作っていく。

 

「……ごめん……ごめん……」


 瑛人は、ここに来てようやく気づいたのだ。

 いかに、自分が愚かな子供かを。

 いかに、自分が矛盾していたかを。

 ここまですることなどなかったのだ。魔物たちを殺してしまったことが、たまらなく不快だった。不快だけならばまだ良かったが、自分はあまつさえそれを楽しんでしまうクズ野郎だった。

 ならば、ただ静かに死ねば良かったのだ。誰もいないところで、ただ静かに朽ち果ててしまえば良かったのだ。

 なのに、死ねなかった。あまつさえ、死ぬことへの恐怖に打ち負けて、さらに大勢の人を殺してしまった。


「……俺は……俺はぁっ……!」


 ならば、あの時バンジかイルトに殺してもらえば良かったが、それもできなかった。そして自分を守ってくれた少女の存在に、心が安らいだのだ。そしていつしか_____シルヴィアと共に生きてみるのも悪くない、なんて思ってしまっていた。

 なんと愚かな。そんな選択が叶うものではないことを知っていただろうに。そんなことをすればシルヴィアを巻き込んでしまうことを知っていたのに。それなのに、恐怖に打ち負けてシルヴィアと共にいることを選んだ。

 そうして共に生きてみようなんて思っていたのに、やっぱり死にたい気持ちを抑えられなくて、死に場所へと向かってしまった。そんなことをすれば、シルヴィアが傷つくかもしれないと言うのに。


「俺がバカだった……!何も分かんなかったんだよ……!俺がビビってばっかだから、君を……!」


 ことごとくが裏目に出た自分のこれまでの行動を、瑛人は心の底から呪った。

 

「俺は……一人で死ぬのが怖かったんだ……。だから、誰かと一緒でいて欲しかった。一緒に死んでくれるような人にいて欲しかった。だから……君を巻き込んでしまったんだ……!ごめん、ごめん……!」


 自分は醜い。自分は恨めしい。自分は情けない。自分は恥ずかしい。

 砂の上をずるずると這うだけの自分が惨めだ。

 自分が憎い。自分が愚かしい。自分が許せない。自分が馬鹿馬鹿しい。

 涙をぼろぼろと流し、醜態を晒していることが滑稽だ。

 自分を怒る。自分を嘆く。自分を責める。自分を嘲る。

 みっともなくも生に足掻き、それでいて死を求める矛盾した姿勢には呆れるしかない。

 なぜもっと賢い選択ができなかった。

 なぜずっと前に自分の真意に気づけなかった。

 なぜ関係のない人を巻き込んでしまった。

 なぜ_____この世界でただ一人自分を守ってくれた人を、傷つける結末しか選べなかったのか。

 

「…がぁ…ぁぁっ……ぁぁ…ぅぅぅっ……ぅぁぁぁぁっ……!」


 挙句、こうしてみっともなく喘ぐことしかできない自分を、葉村瑛人は心の底から呪った。

 立て、立ち上がれ。まずそれが、一番最初にできることのはずだ。

 傷などどうでもいい。強くなったのだから、それくらいは余裕でできるはずだ。気合のみで体を引きずり、無理矢理にでも立たせる。

 歩け、歩け、歩け。何としてでも、彼女の元へ辿り着け。力がないなら作りだせ。魂が抜け殻になるまで、その身を振り絞れ。

 戦っていた時と比べれば、一瞬にして到達できる距離。だというのに、今の瑛人にとってシルヴィアがいるまでの場所は地平線の向こう側のように遠く感じた。

 後ろの方では、いくつもの人物たちが戦いを繰り広げている。それすらも、今の

瑛人には関係のないことに思えてしまう。

 数十万もの命を奪っておきながらも、その命に全く報いることができなかった葉村瑛人がただ一つ報いることができるもの。それは_____


 シルヴィアのすぐ側までやってきた。とはいえ、それ以上近づくことはできない。立つ場所には、イルトが張った結界が張られていたのだから。この結界の特性は、葉村瑛人個人が出入りできないようにすると言うものだ。瑛人一人に対してのみ作用する故に、結界の効力は非常に強力だ。瑛人が結界に触れると、まるで電撃を浴びせるかのような熱と衝撃が瑛人を弾いた。

 構わず、何度も結界の突破を試みる。両手を押すようにして突進するが、さらに強く押し退けられる結果となった。結界に触れた手のひらが焦げて、炭の匂いを発している。

 構わず、突っ込む。手だけでなく、肘や肩を使い、全身で突破を試みる。体のあちこちが焼け焦げていき、激痛によって視界がスパークする。

 構わず、押し続ける。踏み込む足腰に、血管がはち切れんばかりの力を込め、全力で押し込む。イルトが張った結界は、結界の主であるイルト自身が消耗していたこともあり、そこまでの強度があるわけではなかった。それでも、瑛人の肉体を焦がすには十分である。


「ああぁぁっ……ああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁっっ!!!」


 全身を貫く衝撃に耐え_____葉村瑛人は、ついにシルヴィアの元まで辿り着いた。

 シルヴィアが眠っている側で力なく膝をつく。もう、瑛人の肉体には一片の力も残っていない。気力も含めて、全て出し尽くしたように思う。


「……シルヴィア」


 いや、まだだ。まだ、出していないことがある。

 死ぬなら死ぬで、やるべきことをやってから死ぬべきだ。

 例え届かずとも_____責務自体が消えるわけじゃない。


「……ありがとう。俺と……一緒にいてくれて」


 シルヴィアの目は、まだ閉じられたままだ。 

 

「……ありがとう。俺に……この世界を教えてくれて」


 そして_____瑛人の目も、閉じかけていた。


「……ごめんな。あの時……一緒に死んでやれなくて」


 瑛人が思い出したのは、海に行ったある日のこと。

 自ら死を望んだ彼女を、瑛人は引き止めた。今思えば、シルヴィアは瑛人が死にたいと思っていたことを既に理解していたのかもしれない。だと言うのに_____その選択肢を取ることができなかった。


「……もう、大丈夫。俺はもう……大丈夫だ」


 瑛人はそっと、シルヴィアの手に己を手を重ねる。

 体が触れ、異なる世界で生まれた者同士が繋がる。

 その奇跡的な繋がりを感じ_____葉村瑛人は倒れ込んだ。

 そして、彼女の存在を己に刻むかのように手を握り_____


「……二人で、もう一度遠くへ行こう。そこで……そこで_____」


 言葉を聞かせる前に、その意識はプツンと途絶えた。

 その体はシルヴィアの側に倒れ込む。

 そしてそれに気づき_____シルヴィアが目覚めた。


「…………瑛人?」


 彼女の手を握っていたのは、皮膚のあちこちを黒く焦がし、そして絶え間なく溢れる血によってみるみる生気を失う、葉村瑛人の姿であった。



 



 


 

 

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