第17話 殺してやる


 イルトは体力が残り半分を切っており、傷の回復もままならない状態になっている。発動し続けている『霊砕斬撃ヴォイドスラッシュ』を維持するのも次第に難しくなっているが、これを発動しなければそもそもヴォルニカには有効打を与えることはできない。今のヴォルニカの肉体はアグラに斬られた時とは異なり、超高密度のエネルギーの塊と化しており、生半可な攻撃では傷をつけられない状態になっている。聖騎士の多くが使用する防御不能な攻撃『空間切断エンドスラッシュ』も、ヴォルニカの纏う膨大なエネルギーによって力づくで無力化されてしまうだろう。

 絶望的な戦いの中_____それでも、イルトは力を練り上げ、再び戦わんと闘気をみなぎらせる。


「……あわれなものよな。人の身に生まれながらの域に達すれば、簡単には死ねぬ。そのままでは、我の力で苦しみながらに死ぬことになるぞ」


 ヴォルニカが冠する『厄災竜やくさいりゅう』という二つ名は、その荒ぶる強大な力に対して付けられたのではない。ヴォルニカという生命が持つ魂そのもの、そしてその魂から発せられる力の方向性_____これをこの世界では『属性ぞくせい』と呼ぶ_____が『厄災』という属性を帯びているのだ。ただ生きているだけで厄災を振りまく厄災の化身、それがヴォルニカなのである。

 そんな存在と、わずかな時間とはいえ剣と拳を交えたイルト。当然ながら_____ただでは済まない。

 イルトは今も必死に全身の傷を塞ぐ術を発動させていたが、その効きが皆無に近い状態であったのだ。


「……これは……」

「ああ……思い出したぞ。これが我本来の力ということだな。砂漠の奥で眠っていた時には思いだせなんだ」


 ヴォルニカの有する、厄災属性の力。

 その主たる効果は、『分散ぶんさん』というものである。

 分散は物質同士の結合を弱めていく。植物に対して使用すれば、植物に含まれる性質の異なる成分同士が分散し、必要な栄養分を補給できなくなり枯れ果ててしまうだろう。地面に対して使用すれば大地を潤していた水分を枯らしてしまい、死の大地となってしまう。そして、人体に対して作用すれば血液やホルモン、骨や臓器といった部位が次第に分散を初め_____最終的には、体中がぐちゃぐちゃになって崩れることになる。

 その力を浴びたイルトの体は、今でも体中の至るところが裂け初めており、勝手に傷が開いて血が流れていた。常人なら痛みのあまり気を失うほどの激痛の中、イルトはそれを精神力でねじ伏せる。


「その様子では、あと十分もすれば全身が裂けて人の形を保てなくなるであろう。それを防ぐには、始素マナを用いて我の力に対抗レジストしなければならん。だが、そんな状態で戦いができるか?」 


 イルトがヴォルニカと拮抗するために闘気を練れば、それだけ体への負荷は強まり、分散が強まることになる。既にイルトは、戦うことができない状態にまでなっているのだ。

 だが_____イルトは戦うことをやめない。尚も言葉を続けようとするヴォルニカを無視し、その隙を突き剣技での攻撃を開始する。

 イルトも、アグラやヴェルトから教わったアルフェン流の剣技の超一流の使い手である。巧みな剣捌けんさばきで、的確にヴォルニカの急所を突き続けていく。

 しかし、ヴォルニカの反応がイルトの速度を上回る。全ての始素の属性の中でも最もエネルギー効率に優れ、他の始素の属性に対する強力な優位性を持つ『神聖』属性の始素がイルトの握る聖王剣に纏われヴォルニカを穿たんと迫るが、ヴォルニカは腕に厄災属性の始素を集中させることでイルトの剣を弾くほどの防御力を手に入れる。

 イルトの剣が思い切りヴォルニカの体を打つが、それでヴォルニカが傷つくことはない。逆に、反撃によってイルトはさらに傷を負っていってしまう。


(……あれはまずい。動けるのが不思議なくらい重症だ)


 遠くからその戦いを眺めていたフレンダは、イルトが負っている傷の深さを見て自分が出るべきタイミングを窺っていた。はっきり言って、イルトの戦いは序列四位のフレンダから見ても異常なものである。あの次元の戦いについていくなど、イルト以外ではアグラくらいしかいと思われる。

 フレンダは戦うことが好きではあるが、とは言っても死ぬのは嫌だ。間に入れば死ぬことが分かるような戦いにむざむざ入るようなことはしない。

 だが、入らなければ_____イルトが死ぬ。フレンダは非常に難しい選択を迫られた。


(私が間に入っても、止められるのなんて多分10秒くらいが限界。10秒くらいじゃイルトが傷を回復させることはできないし……そうなると……)


 必然的に、取るべき最適な行動を導き出し、フレンダはアウスドラの元へと引き返した。


「おいフレンダ、一体どうし_____」

「すぐにここから逃げるよ。アイツを倒すのには、聖導教の全戦力が要る」

「……おい待て、じゃあ_____」


 フレンダの言わんとすることを理解したアウスドラは、ほんの数秒の逡巡しゅんじゅんを経て、渋々フレンダの言い分を呑んだ。


「分かった。、仕切り直しを図る」


 例えイルトが死んでも、任務の遂行は聖騎士にとってはその命よりも重視されるべき重要事項である。聖導教の最高戦力であるイルトを捨ててでも、ここは再起を図ることが最も賢明な選択肢であると言えた。


「……その女の子は?」

「こいつはちゃんと連れていくさ。聖騎士でもねぇってのに、あの化け物と一時的に真っ向勝負をしたからな。戦い方を分析すれば、新しい対策が浮かぶかもしれん」

「分かった」


 そう言い、アウスドラはシルヴィアと楽器型の魔道具を抱え、その場から離れようとする。

 しかし_____突如背後から迫ってきた巨大な気配と、その気配が発するあまりにも禍々しい気配によって動きを止められることになる。


「「__________!?!」」


 その気配はあまりにも生々しく_____近くにいるもの全てをぐちゃぐちゃにしてしまうような、あまりにも危ういオーラを発していた。

 気配の主_____ボロボロの布を纏った白髪の少年は、長年聖騎士として凶悪な魔獣と戦い続けてきたアウスドラですら怖気を感じるほどに、酷く荒んだおぞましい表情をしていた。


「……コイツ、まさか」


 フレンダは、その顔に見覚えがあった。

 フェリスが見せた映像に映っていた_____暴走した異世界人。


「最悪だ……こんなところに現れるなんて」


 フレンダとアウスドラにとっては、突如として第二の危機が訪れた形となる。異世界人はまだ超人の段階にあるというが、油断できる相手ではない。背後ではイルトがヴォルニカと戦っているにも関わらず、ここで相手をしなければならないのは流石に都合の悪い状況であると言うしかなかった。


「アウスドラ、後ろ頼む」


 ここで倒すしかないと決めたフレンダは、ジオのそれと同じく深聖結晶鉱エルミナでできた巨大な大剣を構え、異世界人_____瑛人を迎え打とうと構える。

 だが、フレンダが剣を振るうことはなかった。

 瑛人が戦うそぶりも見せずに、いつの間にかフレンダの背後へと回り_____戦いを静観していたアウスドラの元まで辿り着いていたからである。

 瑛人はそのまま無造作に手をアウスドラへとかざし、貼られていた結界を破壊した。


「しまった!」


 先にアウスドラを始末するつもりなのかと思ったフレンダはすぐさま背後を追い、後ろから大剣を思い切り叩きつける。

 しかし、大剣はただ地面を割っただけであり、瑛人を斬ることはなかった。

 瑛人はフレンダの攻撃を躱していたが、かといってアウスドラを攻撃することもなかった。

 アウスドラが抱えていた少女_____シルヴィアを抱き抱え、フレンダらと距離を置いた場所で立っていた。


「…………」


 瑛人は無言のままである。

 シルヴィアは全身に傷を負い、服のあちこちが破け血が染みている。傷は治癒術によって塞がれているが意識を失っており、今も瑛人の腕の中で微かな息を立てるのみだ。

 シルヴィアを抱きかかえたことで、瑛人の心を言いようのない感情が埋め尽くし_____瑛人はその場で膝から崩れた。


「__________ぁ____っ__________ぁぁ_____ぁぁぁっっっ_____」


 声にならない、悲鳴とも泣き声とも異なる声が瑛人の喉から漏れる。

 瑛人の目からは大粒の涙がこぼれ、零れた先のシルヴィアの服には新たな染みができていった。

 この時の瑛人は、心の支えであったシルヴィアが突如として目の前からいなくなったことで、一種のパニック状態に陥っていた。そのため、ほどの無茶な走行をしても気付かない程にシルヴィアを追いかけ、今に至っている。

 そうして再び目の前にまだ生きているシルヴィアがいることを肌で感じたことで安心感を取り戻し、前後の感情の揺れ幅が大きくなったことで感情をコントロールできなくなっていた。

 しばらくの間シルヴィアを抱き抱えたまま、意識を失ったシルヴィアを強く強く抱きしめ続ける。そうでもしなければ、またすぐに自分の前からシルヴィアがいなくなってしまう気がしたからだ。まるでシルヴィアをその身に取り込もうとしてるのではないかというくらい、強く強く抱きしめ続けた。


「_____はぁ__________はぁ_____はぁ、はぁ__________」


 シルヴィアの吐息を、心拍を、体の微かな震えを感じ取り、瑛人はようやく少しの安心感を取り戻した。そして呼吸を整え、少しでも体の平静を保つ。

 この時になって初めて、瑛人は自分の体が異常なほどに壊れていることに気づいた。足からはとめどなく血が溢れ出し、極限まで上昇した血圧によって体の至る部分が破裂するかのように傷ついている。だが、不思議と痛みは感じなかった。

 その尋常ではない様子に、フレンダとアウスドラも恐る恐ると言った様子で瑛人に近づく。事情は知らないが、瑛人からは敵意を感じなかったためだ。


「……お、おい。お前_____」


 アウスドラは瑛人がこちらに敵意を向けていないと悟りそう尋ねたが、こちらを振り返ったその顔の恐ろしさのあまり、体をびくりと震わせた。


 憤怒、憎悪、悲哀、狂気、絶望


 ありとあらゆる人間の負の感情を煮詰めて押し込めたかのような、悍ましい表情。  

 怨念の全てを体現するかのようなその顔に、アウスドラもフレンダも表情を引き攣らせる。

 二人が感じたのは、強者であるが故に長らく忘れていた感情_____そこ知れぬものと相対した時に感じる、果てしない脱力感と恐怖である。


「…………おい」


 瑛人の口から、まるで伝承に出てくる悪魔の声のような重く、低い声が出た。


「…………彼女を傷つけたやつは……どこだ」


 その声は、アウスドラとフレンダに逆らうことを許さない。

 その声に従わなければ何が待ち受けるのか_____それを考えるだけでも、恐ろしくて体が震えそうだった。


「……あっちだ。その子は、禍竜と戦っていたんだ」

「……禍竜?」

「今あっちでイルトさんと戦っている化け物だ」

「……そうか」


 ふと、瑛人から発せられる圧力が解けた。

 それを機に、アウスドラとフレンダからはどっと汗が吹き出し、心拍が跳ね上がった。この時まで気づいていなかったが、二人は恐怖にあまり呼吸を忘れていたのだ。


「……彼女を、頼めるか」

「……え?」

「……ここは、危険だ。安全な場所で、保護してやってくれ」


 瑛人は抱きしめたシルヴィアをアウスドラへと渡す。アウスドラは困惑しながらも、シルヴィアの体を抱きとめた。


「……お前は、信用できる。だが、彼女を傷つけたら……分かってるな」

「……ああ、分かった。この子のことは守ってやる」


 アウスドラは、今目の前にいるのが聖導教を挙げて討つべき敵だということを忘れている。だが、今この場でアウスドラに瑛人と敵対する選択肢はあり得なかった。

 そんなことをすれば____死ぬことよりも、地獄に落ちることよりも恐ろしいことが待ち受けているということを、否応なく理解させられていたからだ。

 そしてシルヴィアを手放した瑛人は_____持ちうる全てを懸けて叫んだ。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」


 人にはあり得ないほどのその気迫に、アウスドラとフレンダは思わず体を震わせた。叫びと共に、空を覆い尽くすほどの膨大な始素が溢れ出す。

 生命の限界を超越したそのエネルギーの奔流によって瑛人の肉体は自壊を始めた。

 溢れ出る始素によって際限なく強化されていく体からは、先ほどとは比にならないほどの勢いで血が溢れる。

 常人であれば即死するほどに血が溢れるが、それでも叫び声は治まらない。

 声を出し続けたことで喉は潰れ、呼吸をせずに空気を吐き出し続けた肺は大声による炎症で激しく咳き込む。

 強く握り締められた拳からは血がこぼれ続け、極度に力んだ筋肉によってあちこちの関節が砕けた。

 常軌を逸する凄まじい始素の膨れ上がりはやがて_____その始素を持つ魂の主を変質させる。

 こうして、葉村瑛人は『魔人』へと至った。

 破壊された肉体は始素の働きによってたちまち元の姿へと修復され、溢れ出る始素は極大化した魂へと回帰する。

 後に残ったのは_____血走る目を砂漠へと向けた、殺意を振りまく魔人一人。





__________





 こんな感情は初めてだ。


 が大気中に飛び散る塵になるまで叩き砕かなければ気が済まないほどの、強烈な殺意。

 脳天からマグマが噴き出てくるんじゃないかというくらいの、ぐつぐつと燃え上がる怒り。

 が血に塗れて、臓物を飛び散らせて、泣いて這いつくばってもまだ微塵の足しにもなりやしないほどの、激甚な憎しみ。

 胃に含んだものどころか、体に詰まった臓器という臓器全てを吐き出してしまうんじゃないかというくらいの、命を懸けるほどの不快感。

 そして_____この目に映るもの全てを虚無へと帰したくなるような、深海よりも遥に深い絶望。


 そんな感情が全て入り混じり、ドス黒い泥の塊が俺の中を這いずっているようだった。

 俺の目には、もはや二人の聖騎士などいない。

 写しているのは、この手で殺すべき、憎き相手一人。

 騎士共が『禍竜』と呼んだ、禍々しい生命体だけだ。

 思い切り地を蹴り、その生命体の元へと近づいていく。よく見ると、今は戦いをしている最中のようだ。青い目をした銀髪の少年が、傷だらけになりながら戦っている。

 銀髪の少年は眼中にない。俺の拳が打ち据えるべきは、一体しかいない。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」

「_____?!」

「_____?!」


 人とは思えない、五メートルほどの背丈を持つ化け物と、見たことのない珍しい顔をした銀髪の少年は、突如として割り込んできたその気配を前に飛び退く。

 この世の頂点に住まう者たちである二人に匹敵するほどの力を持った人間が突如現れたのだから無理もない。俺の拳をギリギリで受け止めた化け物は、俺が飛び込んできた衝撃で地面を滑り、迷いない動作で反撃に移った。巨大な体から繰り出される一挙手一投足は神速の速さであり、掠っただけでも体が砕かれるのが容易に分かった。

 俺は本能に従ったまま動き、危険を避けて体を捩る。捻った勢いのままに回し蹴りを放ち、化け物を遠くへと弾いた。

 実な不思議な気持ちだ。この化け物がシルヴィアを傷つけたと思うと、それだけで際限なく憎しみが湧き出てくる。だというのに、至って冷静にこの化け物と戦うことができていた。


「……お前は……」

 

 横で血を流している銀髪の少年はどうやら俺のことを知っているようだが、生憎と俺はコイツのことを知らない。女の子のように綺麗な顔をしているが、どこかで会っただろうか。


「……もしかして、聖騎士ってやつか?」

「そうだ。なぜ貴様がここにいる」

「……その声……あの時の仮面か」


 銀髪の少年から発せられた声は仮面をつけていた時とは異なっていたが、声に含まれる微妙なリズムの違いや、発する刺々しい雰囲気から同一人物であると察することができた。

 出会った時はいの一番に俺を殺そうとしてきたが、今はそんな気はないらしい。俺が魔人へと覚醒したことで力の差は埋まっており、銀髪の少年は立っているのが不思議なほどに深い傷を負っている。問答無用で戦いが始まっても、逆に返り討ちに遭うだけだろう。それを理解しているからか、そいつは何も言わず俺が蹴り飛ばした化け物に目を向ける。


「お前、なんていうんだ?」

「聖騎士、イルト・ランバーレッドだ。異世界人、貴様はなんという」

「葉村瑛人。この前は名前も聞いてこなかったくせに、急にどうした」


 俺としてはなんて呼べばいいのかが分からなくて尋ねただけなのだが、問い返してくれるくらいにはまともなコミュニケーションが成立する相手だった。意外に思ったが、それは俺の偏見だったらしい。イルトという騎士は、存外に話の通じるやつだった。


「……あいつは何なんだ」

「禍竜……この砂漠に遥か昔の時代から眠っていた、強大な竜の魔物だ。貴様がこの砂漠で殺した魔物たちから漏れ出た始素のせいで、あそこまで強くなってしまったぞ」

「……なるほど」


 イルトから告げられたことは俺にとっては最悪の情報のはずだが、特に心が動くことはなかった。それが酷いことであるとも思えない。


「……貴様が殺した魔物たちの怨念が、あの竜を呼び起こしたんだ。責任は感じないのか?操られていたとはいえ、罪の意識は持つべきなんじゃないのか?』

「……知るかよ」


 責任とか罪とか、今の俺にはよく分からない。

 確かに、俺は罪深い人間になったんだと思う。大勢の命を理不尽に奪い、その事実の重さのあまりに吐いてしまったこともあった。

 だが、そのために死んで償うことに本当に意味はあるのだろうか?慚愧ざんきの念に駆られて悔やむことに、意味はあるのだろうか?

 いや、違う。何を感じているかは大きな問題ではないのだ。重要なのは、奪った命の価値を背負うことなのだと思う。数十万の命を奪ったのであれば、奪った分の命が報われる時までもがき続けるのが、罪人に必要な罰なのだと思う。

 ああそうだ。イカれてようがなんだろうが別にいい。


「俺はただ……シルヴィアと一緒に、報いながら生きていたいだけだ」


 そう言葉にすると、さらに気が軽くなって_____再び、左腕の付け根から熱がほとばしった。

 以前のように気を失うこともなく引き出された、極大の力。始素とはまた異なる大きなものが、どこからともなく俺の周囲を満たしていく。


「っ……!『英雄の力』か……!」


 イルトは、以前自分の攻撃を防いだその力を忌々しげに見つめる。左腕の付け根に刻まれた、菱形に罰点が重ねられた形の紋様。そこから溢れ出る、あり得ないほどに強大な力。

 力は際限なく溢れ出て_____俺の体の至る部位に力が宿っていった。


 罪を償うためでも、敵を殺すためでもない_____ただ、生きるために。


 力がみなぎる中、禍竜と呼ばれた怪物がこちらへと近づいてくる。

 その身に宿された力は凄まじく、シルヴィアの術で負った傷からほとんど修復を済ませている。空を覆うほどの猛烈な殺意が発され、常人であれば即死するほどの圧迫感の中、俺は静かに佇んでいた。

 俺がやるべきことは簡単だ。これまで何度も繰り返した、至極簡単な行為。だが、そこに込められた意思は以前の比ではないほどに強い。

 _____シルヴィアを傷つけたコイツが、俺からシルヴィアを奪おうとしたコイツが、跡形も残さず灰になるまで叩き殺す。


 禍竜_____ヴォルニカは、新たに現れた人間を前にして生まれて初めての強烈な殺意を抱いた。

 その殺意が何に由来するかなど、もう考えない。理由のない殺意を、その身に纏う厄災の力と共に理由なく振りまくのみ。

 厄災の力がさらに高まり、ヴォルニカの肉体に亀裂が走る。亀裂からは血液の代わりに厄災の力が漏れ出て、ヴォルニカの高まりが極限に達していることを表していた。


「ぶっ殺してやる」

「殺してやるぞ_____人間!」


 ここに、英雄と禍竜の退くことのない戦いが始まった。

 戦いの末に待つは、どちらかの完全なる消滅のみ。





__________





 魔獣ブルタンに乗ってアミル砂漠の西端部へと急行していたバンジ、アグラ、シーナの三人は彼方から感じる強大な力の衝突を感じ、焦燥感に駆られていた。


「こりゃ……弱ってる気配は、イルトのものじゃねぇのかい?」

「何だと?イルト・ランバーレッドでも禍竜には及ばんのか?」

「……さて、どうだかな」


 アグラは類稀なる感知能力でもって戦況の把握に努めていたが、その感知に引っかかった強大な気配は三つ。

 一つの禍々しい気配は、忘れることなどできるはずもない、禍竜の気配である。離れていても衰えることのない覇気は凄まじいものである。

 そしてもう一つは、弱りつつあるイルトの気配だ。アグラをも超えるほどの強烈な気配の持ち主であったが、流石に禍竜と比べれば気配の小ささは否めない。それでも人間の中では最上級なのだが、人外の怪物を相手にするのは流石に苦労したようだ。

 そして三つ目の気配に_____アグラは妙な違和感を覚える。


「もう一個、知らねぇ気配があるな。イルトと同じくらい強い気配だが……なんつーか、ゴワついてて……」

「……ゴワついてて、なんだ」

「……………………キモいな」

「……………………はぁ?」


 『大将軍』の二つ間にはあり得ないような砕けた言葉。その突拍子のなさに、バンジは思わずずっこけそうになった。ずっこけたら、空から落ちて悲惨なことになるのだが。

 アグラとバンジは負った傷をシーラの治癒によって既に治している。失った体力を取り戻すには至っていないが、傷を閉じることができただけでも十分である。バンジは片腕を失っているが、妖鬼の自然治癒能力をもってすればいつか生えてくるため、問題ない。


「人間の気配には間違いねーんだだがな、力の波長がこの世界の人間とは思えないくらいに歪だ。グラついてて、安定感がない。だが____それなのに、どこか落ち着いている。こんな気配は初めてだ」

「…………」


 イルトと並ぶほどの実力者が、アグラ以外にこの戦場に参戦している。一体誰を指しているのかと思っていたが、アグラの発した『この世界の人間とは思えない』という言葉が、バンジにとある人間を思い出させていた。


(まさか……お前なのか?_____瑛人)


 葉村瑛人。異世界からやってきた殺戮者。

 もし彼が戦場にいるのであれば、一体何のために戦っているのだろう。

 仮に彼が禍竜と戦うのだとしたら_____戦いの後には、何が待ち受けているのだろう。

 _____戦いが終わった時、バンジは瑛人を迷いなく斬れるだろうか?


(_____いや、斬ってみせる。それが、あいつから頼まれた俺の使命だ)


 バンジは刀を手に、再び覚悟を決める。

 斬るべきものを見据え、三人は戦場へと向かう。

 

 その後に待つのは_____


 


 


 


 

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