第16話 厄災竜ヴォルニカ vs 聖騎士イルト


 俺は、夢を見ていた。


 _____銀髪の少女と、異世界を旅する夢を。





_________





『ちょっと、これ見てください!』

『やめろ、近づけんな!変な匂いするし!臭い!』


 それは、とある森林を訪れた時の夢。

 少女が俺に、変な匂いがするキノコを見せてきたのだ。ニンニクの数倍は強烈な匂いを放つそれは、嗅げば吐き気をもよおしてしまう。なんとかそれを俺に嗅がせようとする少女から、俺は必死に逃げた。


『動物はこうやってさばくんですよ』

『どこでその技術身につけたの?』


 森で狩った(俺が石を投げて狩った)猪と鹿のような中途半端な動物は『フングル』というらしい。ずんぐりとした体と、頭部に生えた大きな角が特徴のその動物は、野生動物の中でも特に食用に適した味なんだとか。

 その動物のはらわたをナイフで捌き、グロテスクな内臓を簡単に処理している少女の姿がちょっとシュールで、横で呆然としながらそれを眺めていた。肉は串焼きにして塩をふりかけただけだが、感動するくらい美味かった。


『はぁ〜!気持ちいい!』

『おい、速度制限守れよ?!飛ばされそうなんだけど?!』


 平坦な道路が続く見渡す限りのサバンナの中を、窓がない車が疾走していく。

 そんな速度は初めてであったが、体感で時速170kmは出ていたと思う。

 だというのに、運転をする少女の方はウッキウキである。何が彼女を、そんなに解放的にさせたのか。

 俺は必死に手すりに捕まりながら肌を吹き付ける風に耐え続けた。


『あっ、髪のせいで前が見えません』

『馬鹿野郎っ!』


 俺が思わず前に乗り出て少女の髪を掻き分けてやると、車がさらに早く動いた。


『おい、もっと速度下げろって!』

『……うぅ……ふにゅにゅにゅにゅー!!!』

『おいってば!』


 少女は顔を赤くして、さらに強くアクセルを踏んでいったのだ。


『うぅ、す、すみません……』

『ったく……』


 ウルトゥールル山というビザント王国を象徴する山に登頂した後、二人で山を降っていたが、途中で地滑りが発生し_____少女がそれに巻き込まれて危うく崖から落ちそうになったのだ。

 きゃああああああ!という派手な悲鳴をあげた彼女をなんとか助け出すことに成功したが、恐怖のあまり腰が引けてしまった彼女はそれ以上歩けなくなってしまい、仕方なく俺がおぶって山を下ることになったのだ。山下り自体はそこまで疲れないが、少女をおぶっていることによる心労が大きかった。


『お、重くないですか』

『全然大丈夫』

『良かった……重いって言われてたら、ショックで崩れ落ちてました……』

『もう崩れ落ちてるけどな。地面とお前の腰が』

『うぅ……』


『これ、食べていいんでしょうか……』

『焼いて殺菌とかすれば……大丈夫なんじゃないかな』


 海辺で奇妙な形の貝を見つけた二人は、中に詰まっていたドロドロの身を前に

して立ち尽くしていた。

 見方によっては牡蠣かきに見えなくもないが、一見すると完全に色合いがウ◯コなのである。流石に食するのは抵抗があったが、一応これでも生きた貝の肉ってことなんだし、焼けばなんとか食えるのではないかと考えた。 

 恐る恐る触れてみると、以外にもプルッっとした感触の身であり、食べることが可能なのではないかと思えた。身を取って焼いてみると、意外にも香ばしい香りがする。これは当たりではないかと思ったが_____食べた翌日、超人である俺でさえも耐えられないほどの腹痛に見舞われた。少女も、ぐったりとした青褪あおざめた顔である。


『……見たことのない貝を食べるのはやめましょう……』

『……うん……』


 _____そうして、色んな場所を旅した。

 自分が異常な現状にいることを忘れるくらい、それは楽しい時間だった。


 そうだ、俺がどれくらいおかしい現状にいるのか、もう一度整理しよう。

 そうしないと、この意味分からん世界に飲み込まれて、二度と戻れなくなる気がするのだ。

 _____名前は葉村瑛人、恐らく十七歳。性別は男で、女が恋愛対象。

 _____特別得意なスポーツはないし、トレーニングを積んでいたわけでもない、平均的な男子高校生の体つきのはず。だけど、最近はやたら腕が太くなってて、腹回りの贅肉が少ないように感じる。どれだけ歩いてもほとんど疲れることがないし、軽く片足で跳べば建物を飛び越えることだってできてしまう。

 _____そして、自分が今何を考えているのか、自分はどうしたいと思っているのかを考える。


(……眠い、眠い、眠い。時々楽しくて、時々笑える。安心感、安心感、適度な脱力感。眠くて、腹が減る。腹が減って、ぼうっとする。心地良くて、笑える。楽しい、楽しい、腹が減った。そんでもって_____幸せだ)


 頭の中に浮かんできたのは、とても自分のものとは思えない感情ばかり。

 ちょっと意外だった。

 だって普通に、俺の置かれた状況を考えてみてくれ。

 俺ってば、『異世界に召喚されたら呪術で大虐殺をさせられて、性格が病んで暴走して、全世界の敵になっちゃいました』系の男子高校生だぞ?一体何をしたらこんなのほほんとした状態になれるんだろうか。

 ______カギは共に時間を過ごした銀髪の少女だ。そう、その名を_____


 ______そして彼女は俺と旅をして、それから車で一緒に砂漠に向かって、それから_____


 ____俺を置いて、一人で行ってしまった。


「シルヴィアっっっ!!!」


 ガバリと跳ね起きると、頭が何かに思い切り当たった。特に痛いとは思わない。今は俺の頭の方が硬くて、当たったものの方が砕けるのが当たり前だからだ。

 周りを見渡すと、どうやら俺は倒木にできた隙間の穴に寝込んでいたようだ。毛布がかけられていて、そこそこ気持ちのいい時間を過ごせた。

 _____などと言っている場合ではない。徐々に、俺は記憶を取り戻していく。


『……さようなら』


 そんな言葉を思い出し、俺はすぐに立ち上がった。


「……クソッ……クソッ、クソッ、クソッ!」


 俺は、一体何をしていたのか。

 自分に幸せを与えてくれた_____この世界でたった一人、優しくしてくれた少女を_____シルヴィアを置いて、一人で寝ぼけていたとでも言うのか。


「ちくしょう……!」


 そう思うと、途端に自分自身が許せなくなった。

 脳裏を、シルヴィアの笑顔が通り過ぎていく。

 その笑顔は通り過ぎていって_____やがて、ふっと泡のように消えていく。


「……あぁ、ああああぁぁぁっっっ……!」


 再び、忘れたはずの記憶がフラッシュバックする。

 血にまみれた己の手を、血と肉がにじんだ大地を、死臭漂う空気を、生きた存在をこの手で斬り裂く感覚を。

 そして気づけば_____シルヴィアが血に塗れて、俺の腕に抱かれている。

 永遠に、その目を開けぬまま。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 そんなことは受け入れられない。絶対に許せない。

 煮えたぎる激情が、俺の全身から噴火するかのように噴き出る始素によって体現される。漏れ出た始素は周囲の木々を激しく揺らし、森中に暴風を引き起こした。

 渦巻く始素は次第にその量を増やしていく。激情によって極限まで活性化した俺の始素が、次第に生成量の許容値を上回ろうとしていた。

 この時の俺は_____あと一歩で『魔人』へと覚醒するところまで至っていたのである。怒りでも悲しみでも、憎しみでも後悔でもない、ないまぜになった複雑な激情によって、俺の理性は完全に吹き飛んでいた。

 地面を蹴ると、体が思い切り浮かび上がり、まるで飛んでいるかのように地面を駆けていく。無茶な動きで体が悲鳴を上げるが、それを無視して強引に体を動かし続ける。シルヴィアが運転していた車よりも遥かに早い速度で、俺は砂漠へと向かっていった。


(間に合え_____!間に合え間に合え間に合え_____!!!)





__________





「彼女は_____!」


 イルトは、いつの日か自分の前に立ち塞がった少女のことを思い出し、急いでシルヴィアの元へと駆け寄った。

 常人なら即死するほどの始素の嵐が吹き荒れる中、この少女はなんとか結界を維持することで命を保っている。だが、全身に裂けたような傷ができており、絶え間なく血が流れ続けている。普通なら意識を保つことなど絶対にできないレベルの重傷である。

 イルトは結界を透過する術を唱えて彼女の側に駆け寄り、肩を支える。


「おい、大丈夫か。意識があるなら返事をしろ」


 血を流し、プルプルと体を震わせても尚、横に置かれた楽器型の魔道具から手を離さずにいる様には、凄まじいまでの戦意を感じる。

 まさかこの少女は_____たった一人で、禍竜と戦ったとでもいうのか。聖騎士であっても勝つことができないような、人類を滅ぼすレベルの怪物を相手に、その怪物を苦しめ追い詰めるほどに戦ったというのか。


(凄まじいな。常人が努力して成し得る所業ではない。一体何が彼女をそこまで_____)


 結界の中を見渡すと、使い切られた始素補充用の瓶がそこら中に落ちている。恐らくはそれを使い、楽器型の魔道具を使って対抗したのだろう。

 周囲のイルトはその魔道具が何かを知っている。ビザント王国で開発された、強大な魔物に特化した効能を発揮する武器である。確か、聖導教に伝わる魔物殺しの結界術『聖祓結界セイントスフィア』を応用した、広範囲の始素の動きを不規則に変化させる『戦場よ、白銀たれダイアモンドダスト』という技を発動するために必要だったものだ。

 数十人の祈術師が発動するものと聞いていたが_____この少女は、それをたった一人で行使したのだろう。全身に負った傷は、その反動を受けてのものに違いない。

 顔を見ると、どうやら今もおぼろげながらに意識を保っている。だが、肩を貸しているイルトのことを認識できていないところを見るに、触覚や聴覚の大部分が麻痺している状態なのだと推察できた。


(術の発動も止まっている。これ以上は危険だ)


 ここから先は、イルトの仕事だ。


「アウスドラ、彼女の治癒を頼む。気合いで動いている状態だが、無理にでも寝かしつけろ」

「……その少女は、イルトさんの言っていた……」

「処刑するなら後にやるべきだ。私は禍竜の相手をする」


 シルヴィアのことを配下に託し_____イルトは一人、禍竜_____ヴォルニカと対峙する。

 ヴォルニカは既に始素のほとんどを消耗しており、体外に放出された始素が逆にヴォルニカを傷つけているような状態である。アグラらと戦った時よりもさらに弱体化しており、これ以上の叩く隙はないだろう。

 ただし、シルヴィアが発動した『戦場よ、白銀たれ』は今も効果を継続している。シルヴィアの意識が完全に落ちれば止まるだろうが、その効果範囲内ではイルトであっても迂闊うかつに行動できない。

 ならば、どうするか。

 制御できぬ始素の嵐の中を進むには_____始素ごと砕いてしまえば良い。

 その身に宿す膨大な量の始素をたぎらせ_____祈りの力によって作り出した神聖なエネルギーを『聖王剣』にまとわせる。

 かつて瑛人を葬るために放った攻撃を、今は持続的に維持した状態で、イルトは嵐の中へと斬り入っていった。

 この世の根源物質たる始素すら破壊する術、『霊砕撃ゼロコラプス』。その術を剣にまとわせ、始素の嵐を斬り裂いて近づく_____それがイルトの取った選択である。


霊砕斬撃ヴォイドスラッシュ


 始素を砕き破壊する斬撃が始素の嵐へと叩き込まれ、嵐の収まる凪となる空間が生まれた。一撃では終わらず、絶え間なくイルトが振るった剣によって、少しづつ嵐のごとく渦巻く始素が切り裂かれ砕けていく。

 『霊砕斬撃』は非常に高度な技であり、聖騎士であっても簡単に発動することはできない。それを継続的に発動し続ける卓越した技量に、アウスドラは舌を巻く。


「ありゃ絶景だ。なるほど、最高の聖騎士って言われるだけある」


 渦を巻く黒い始素の嵐に立ち向かう、純白の騎士。ただその光景だけでも、目に焼き付ける価値のある凄まじい光景であった。


「……ねぇ、私も行っていい?」


 アウスドラの横で無表情な顔で不満げにアウスドラを見ているのは、聖騎士序列弾四位のフレンダ。巨大な大剣を構え、今にも飛び出していきそうな勢いである。


「やめとけ。イルトさんならともかく、お前じゃこの女の子の術を無力化できねぇだろ」

「何言ってんの?できるし。ちょー余裕でできるし」


 フレンダはイルトのように『霊砕斬撃』を持続的に発動する技量を持ち合わせていない。アウスドラの経験上、フレンダがもしあそこに突っ込んでいったら、放つのはアグラやジオが使う『天地割りギガスラッシュ』になるだろう。剣技の腕もほとんどないフレンダは、聖騎士の中ではジオ以上の脳筋である。アウスドラの役目は、フレンダの暴走を防ぐことにあった。


「まぁ、イルトさんがあの竜巻をどうにかしてくれればお前も突っ込んでいいんじゃねぇのか?」

「わかった。じゃあ行ってくる」


 アウスドラはまだ出撃許可を出していなかったが_____どうやら、都合のいいように解釈されてしまったようだ。


「……マジかよ。イルトさんからめっちゃ怒られるやつじゃん……」


 アウスドラは傍らに寝そべらせたシルヴィアの傷を治癒しながら、相棒の暴走にため息をつく。

 それよりも、驚くべきはこの少女、シルヴィアの執念である。聖騎士であるアウスドラが無理矢理魔道具から引き離したことでようやく意識を途絶えさせたようだが、これほどの重傷を負っても尚、無意識のうちに術を発動し続けていたようが。アウスドラの治癒がなければ、このまま死んでいたであろう。

 

(とんでもないな。フレンダといい、俺は無茶なことをする女の子との遭遇率が異様に高いな)


 そんなことを思いながらも_____案の定、フレンダが始素の竜巻に向かって『天地割り』を思い切りぶっ放しているのを見て、アウスドラは天を仰いだ。

 もうどうにでもなれ、と。





__________





 ヴォルニカは、身をく始素が次第に落ち着きを取り戻していることを確認し、再度体内の始素の錬成れんせいを始めた。

 竜であるヴォルニカは、始素の総量だけでなく、錬成できる量も尋常じんじょうではないほどに多い。先ほどまで苦しみで狂っていた精神を落ち着け、厄災の化身としての自分を思い描くことで_____すぐに始素の回復が始まった。

 まだ全体の二割程度しか回復していないが、それでも体を修復するには十分だ。回復した始素を活かし、壊れた肉体の修復を始める。


(これで問題ない。あとは、術を発動する人間を消せば_____!)


 破壊された眼球を修復し、目の前に立つ不遜ふそんな人間を消す。ヴォルニカにとっては、歩くよりも簡単なことだ。

 _____だが、目の前に立つのは一人の小さな人間ではなかった。

 目の前に現れたのは、ヴォルニカであっても無視できぬほどの力で始素の嵐を切り裂きこちらに近づく、純白の騎士の姿である。その手に握られた力を感じ取り、ヴォルニカは自らが危機的な状況であることを理解した。


(あの力は_____神聖属性の始素か!)


 咄嗟とっさにその場を飛び退き、始素の嵐から抜け出すヴォルニカ。しかし、騎士は翼を持たないにも関わらず、空中で跳躍することでヴォルニカに迫ってくる。そして、手に持つ最強の剣_____聖王剣せいおうけん容赦ようしゃ無くヴォルニカを斬りつけた。ヴォルニカの肉体に物理的な攻撃は本来意味を成さないが、斬られたところからは血が噴き出るかのように始素が溢れている。騎士_____イルトの剣が、ヴォルニカを傷つけることに成功したのだ。


(なるほどな。神聖属性の攻撃であれば我を傷つけられたとしてもおかしくはない。それでいてこやつ……やはり『魔人』に覚醒しておるのか。ならば侮れぬな)


 ヴォルニカは徐々に冷静さを取り戻している。

 それは肉体、あるいは魂そのものに刻まれた闘争本能といってもいい。ひとまずの危機を脱し、それでいて自分の命に届きうる力を持った者を相手にしたことで、ヴォルニカは古の戦いの記憶を少しづつ思い出していた。


(力だけでは負ける可能性もある。まずは、こやつの飛行能力を奪ってやろう)


 もしイルトが空中で戦う術を持たないのであれば、超高度からひたすらに攻撃を浴びせるだけで勝つことができる。翼を持たない人間がどのようにして飛んでいるのは分からないが、人まず飛行手段を奪おうとするのは実に理に適った選択肢である。

 イルトは何も飛行しているのではない。断続的に足場を形成していることで、空中を跳ねている、というのが正確なところなのであった。そのためには持続的に祈術を使い続ける必要があるため、祈術の発動を阻害されてしまえばヴォルニカとの戦闘は難しくなる。そのため、イルトの第一目標はヴォルニカから滞空する手段を守った上で、なんとかその翼を斬り落として地面に叩きつけることである。そうすれば、滞空できない他の聖騎士の加勢も見込める上、イルトが得意とする戦いに持ち込めるためである。


 最強の竜と最強の騎士の戦い。その最初は、特に衝突することもない静かな空中機動戦から始まった。

 ただ空中を移動する訳ではなく、ヴォルニカの飛行速度は本気を出せば音速を上回る。図体を小さくしたことで、起動力は大幅に増加していた。そして、イルトもその速度に追いつかんばかりに速度を増していく。空中を自在に跳ね回り、あらゆる場所を足場としてヴォルニカの速度に追いついていた。

 加速していく二人の機動戦は、地上からそれを眺めるフレンダ、アウスドラの二人からは、空を二条の光が駆け巡っているように見えている。


「……すごいな」


 アウスドラはポツリとそんな言葉を溢す。イルトの強さをその目で見たことはあまりなかったが、こうも見せつけられては納得するしかない。

 _____イルトこそが、人類の守り手であると。


「チィッ……!」


 ヴォルニカはイルトの想定外のスピードに悩まされることとなる。エネルギーの量で言えば自分の方が圧倒的に多いのだが、肝心の攻撃が当たらないのだ。それもそのはず、イルトの体格は5メートル以上のヴォルニカの三分の一程度しかなく、強力な攻撃をしても空中で自由自在に飛び回られては命中させることが非常に難しい。その点、わずかではあるもののイルトの攻撃はヴォルニカに当たるようになっていた。小さな擦り傷程度ではあるものの、戦いを優位に進めているのはイルトの方であると言えよう。

 このような戦い方こそが、イルトが強い所以ゆえんだ。エネルギーを消耗し合う戦いにおいては、いかに体力を温存した状態で攻撃し続けられるかであることを熟知しているイルトは、初めから機動力を活かした機動戦を想定しており、自分がヴォルニカを上回ることができる状況を整えていた。

 一見すると翼を持ち膨大なエネルギーを有するヴォルニカの方が強いが、ヴォルニカの攻撃はほとんど命中しておらず、エネルギーを無駄にし続けている。一方、イルトはエネルギーは身体能力の強化と足場を形成する術の発動、そして剣を纏う神聖エネルギーの維持にのみ使い、エネルギーを大量に消耗する使い方を避けていたのだ。

 このまま続けば負ける可能性がある。それを理解したヴォルニカは、それまでの戦いをやめ、地上へと降りた。

 誇り高いヴォルニカにとって敗北を認めることは許し難いことであったが、だからといってそれによってむざむざと負けることはもっと許されないことである。ここは合理的に考え、勝利への道を模索することにした。


(命中精度においてはあの騎士は我の数段上を行く……技術を極めた戦士というのは、本当に厄介極まりないものよな)


 ヴォルニカはそれを思い出すことはできないが、思考体系に組み込まれた記憶は思い出さずとも無意識のうちにヴォルニカの考え方に影響を与えている。ヴォルニカもかつて、自分よりも小さい体で強い者と戦ったことがあるため、効率の良い戦い方は知っているのだ。


(そうくれば、『竜壊吐ドラゴブレス』による攻撃はあまり得策ではないな。奴の攻撃も来る。ならば_____)

 

 ヴォルニカが取った選択肢は、至極単純なものである。

 自らが有する膨大な始素をそのままに_____全身にみなぎらせ、身体能力を爆発的に高めることである。

 

「コオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ!!!!!!」


 皮膚の至る所から放電が走り、地面を焦がしていく。

 それと同時に肉体も変形し_____竜の体の部位としてはあまり価値のなかった手は、明確な五本指となり変形。四肢は可動域を増やすために引き締まり、人間のように殴る・蹴るが可能な身体へと変化した。図体の大きさ自体は変わらないが、細くなった四肢には爆発的なエネルギーが込められている。

 イルトは地面に降り立ち、ヴォルニカの変容が凄まじいことを感じ取る。一方的に攻撃を当て続けることができていたが、どうやらそれだけで勝負は終わらないらしい。

 イルトも油断なく剣を構え、ヴォルニカの次の行動に備える。

 そして一度のまたたきの後_____巨大な竜の拳が、眼前に迫っていた。


(__________っっっ!!!)


 鍛え抜かれた反射神経、そして頭部を守護していた仮面のおかげでギリギリのところで攻撃を回避することに成功するも、圧倒的なスピードに対する驚愕が回避による安心感を上回った。


「ふむ、やはりな。図体を小さくすればするほど、動きの精度は上がるということか。いい勉強になったぞ_____人間」


 先ほどとは別人のような動きを見せたヴォルニカ。イルトが身につけていた仮面は粉々に砕け、今はその下に見える真っ白な髪と青い目が晒されている。そして、その顔は驚愕きょうがくに染められている。


「さて、どこまで我と戦えるか試してやるぞ_____人間」

「…………」


 ヴォルニカの余裕を見て、イルトは力をセーブしている場合ではないと悟り、その身につけていた重厚な鎧を脱ぎ捨てた。

 脱ぎ捨てたイルトは、黒色の薄い戦闘用アーマーを着ているのみ。身軽になったイルトは、正眼に聖王剣を再び構え直した。

 途端にイルトから溢れる殺気が膨れ上がり、ヴォルニカの肌を刺す。


「ほう……見事な闘志よな。この時代にも、これほどの使い手がいたか」

「聖騎士序列第一位、イルト・ランバーレッドだ。聖導の代行者たる私が_____邪竜たる貴様を討つ」

「抜かせっ!」


 そう言い放ち、二人はその場から消えた。

 否。音速の速さで、砂漠を駆けていったのである。

 砂漠の上では空中で駆けていた時よりもさらに早く二人の剣と拳が衝突する。

 イルトの剣がヴォルニカの腕を斬り裂こうとするも、ヴォルニカはひじを曲げ、肘鉄ひじてつを使ってイルトの剣を弾く。

 剣が弾かれた隙を突いてヴォルニカが神速の連撃を見舞うが、イルトはヴォルニカが突き出した腕を下から蹴り上げることで軌道を逸らして回避、続け様に流れるような剣の突き技がヴォルニカを貫こうとするも、全てが命中する直前で受け止められてしまう。

 再び距離が離れた後、再度激しい攻防を続ける二人。


 イルトの縦方向に続く連撃をヴォルニカの腕に生えた硬質化したとげが弾き、ヴォルニカが反撃として放った右ストレートの一撃がイルトの顔面のすぐ横を通り抜け、後方に強力な衝撃波を生んだ。


 ヴォルニカの長い足がイルトのいた場所を薙ぐが、体の柔軟さを活かしてヴォルニカの足よりも低い姿勢でそれを受け流したイルトは続け様にヴォルニカのがく部を狙った突き技を放つが、ヴォルニカは背筋を反らすことでそれを回避し、イルトのいた場所を踏みつけるようにして攻撃。イルトもそれを易々と回避する。


 イルトが剣ではなく足を活かした攻撃に転じ、鋭い足刀がヴォルニカの顔面に迫る。ヴォルニカはそれを手を交差させて受け止め、イルトが回避できないように震脚しんきゃくすることで地面を砕き走れないようにするが、イルトは剣でヴォルニカの拳を受け流すことで衝撃を逃し、流れるようにその場を離れた。


 ヴォルニカはその機動力にものを言わせ、イルトの周囲を回転することで翻弄ほんろうする作戦に出る。前後左右、ありとあらゆる方向から強烈な攻撃が飛んでくることになるが、イルトはその中に一定のパターンを見出し_____狙ったタイミングで飛び出してきたヴォルニカの拳を、正面から剣で斬り裂くべく剣を振るう。ヴォルニカはそれをギリギリのところで感知し、拳を出すべく踏み込んだ足でイルトに向かってりを放つ。蹴りは空を切るものの強力な衝撃波を生み、イルトは砂嵐と共に飛ばされることとなる。


 イルトは飛ばされたことを利用し気配を隠し、姿を消す。右手に握っていた聖王剣を一時的に霊体化させた状態でその忍ばせることで聖王剣の気配も隠し、素手になった状態でさらに移動速度を早めた。そして、ヴォルニカがイルトの行方を探っているところを急襲し、先ほどと同じく蹴り技を主体とした攻撃でヴォルニカを攻め立てる。しかしヴォルニカの肌にはイルトの素手での攻撃が通じず、逆に引き込まれたことでカウンターとなるヴォルニカの連撃を受けることになる。一つ一つの攻撃を

傷一つ負うことなく受け流すイルトだが、一撃がイルトの頭部をわずかに掠り、切り傷を生んだ。傷からは血が流れ、イルトの額に赤い線を作っていく。


 ヴォルニカはさらに攻撃を早め、目もつかぬ速度での連撃を開始する。後退しながらそれを受け流すイルトだが、徐々にヴォルニカの攻撃力がそれを上回り、次々に攻撃がイルトを掠め、小さな傷を次々に作っていく。そのまま押し続ければ勝てると考えたヴォルニカはそのままさらに速度を上げるが、速度を上げた途端にイルトの背後で聖王剣の霊体化が解ける。僅かな隙を作って剣を握ったイルトは、攻撃一辺倒になり防御を忘れたヴォルニカに聖王剣に纏わせた『霊砕斬撃』の攻撃を見舞う。流れるようにヴォルニカへと振り下ろされた聖王剣は、真正面から放たれたヴォルニカの拳に衝突する。『霊砕斬撃』の力がヴォルニカの体を破壊しようとするも、破壊されるより前にヴォルニカが拳を引き、イルトから距離を取ったことでなんとかことなきを得た。


 __________


 幾度となく繰り返された攻防は、その実30秒にも満たない短時間での戦いである。

 しかし、高速で動く二人の戦いの痕跡こんせきは、広い砂漠に作られた無数のクレーターによって表されていた。

 そして_____


「はぁ……はぁ……」

「ははは……我の勝利はすぐそこまで来ておるぞ、人間」


 所々にイルトからもらった傷を残しつつも、それを膨大な始素によって回復しつつあるヴォルニカ。

 そして、出しうる技の全てをもってしてもヴォルニカを仕留められず、身体中の至る所から血を流しているイルト。

 勝負の行方がどうなるのかは、火を見るよりも明らかであった。

 

 




 

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