第13話 大厄災②


 バンジら一行、そして駆けつけた聖騎士たちが戦いを始めた頃。


 異変続く砂漠へと急行していた瑛人とシルヴィアは、かつてビザント王国の祈術師たちが使っていたという研究施設を訪れていた。

 ここには祈術に使うことのできる様々な便利道具が揃っている。シルヴィアが行使する祈術のために、準備を整えているところだった。

 アミル砂漠で起きている異変には既に気づいている。そして、それがこちらに向かってきていることも。

 これほどの圧力を撒き散らす怪物が中央諸国に侵攻すれば、それだけの一つの人類生存圏が消滅することになる。それを防ぐためには、戦うしかない。

 _____もっとも、瑛人にとってはこちらの世界の人間がどうなろうと構わないのだが。


「…………」

「…………」


 瑛人とシルヴィアの間に、言葉はない。海辺の小屋で過ごして以降、二人の間には以前ほど言葉が交わされなくなっていた。

 気まずいから、というのもある。シルヴィアは泣いてまで瑛人と共に逃げることを望んだが、瑛人はそれを拒んだ。挙句、さらなる危険に身を投じようとしている。

 とはいえ、それは瑛人がこの世界を守る意思に目覚めたからではない。単に、自分達に向かって厄災が突き進んできているから、それをなんとかしようと思ってのことだ。

 それに、シルヴィアにとっても他人事ではない。自分の祖国に迫っている脅威を取り除こうとするのは、この国の重鎮として当たり前のことであると考えるためである。だがシルヴィアも特段、熱い使命感に燃えているわけではない。瑛人と共にいることを選んだところに厄災が迫ってきているから迎え撃つだけのことなのだ。


 シルヴィアは部屋の奥で、祈術の媒介にするための魔道具や、始素マナを補充することのできる補充剤を準備している。瑛人と異なりただの人間であるシルヴィアが戦いに赴くには、入念な準備が必要だ。

 そして瑛人は_____静かな部屋で、そっと自分の左腕の付け根を確認する。

 聖騎士イルトと戦った時に感じた、左腕から放たれた光。あの時はほとんど意識が飛んでいたため何が起きたかは覚えていないのだが、左腕の紋様が何かしたことは確かだ。紋様は今でも傷跡のように左腕の付け根に残っているが、何かを感じることはない。

 あの時に溢れた力が何だったのかは知らないが_____もしかしたら、また危機に陥った時にでも現れるのだろうか。

 _____今は、そんなことを気にしている場合ではない。雑念を胸に仕舞い、感覚を研ぎ澄ます。


 最近になってできるようになった、体内の力を錬成する方法。シルヴィアが祈りの力で空間の始素に干渉するように、精神を集中することで始素というのはコントロールが可能なのだ。

 そして、超人にまで至った瑛人の肉体は、自前で大量の始素を生成することもできる。魔物のように体内に始素生成機関を作り、周囲の環境に頼らずに始素を作り出せるのだ。

 呼吸を整え、目を閉じる。そして、心の中で戦う意志を_____迫り来る脅威に立ち向かう心を強く念じる。

 すると、わずかではあるものの体内から力が湧き上がってくるのを感じる。そして意志だけではなく、体を動かすことでさらに磨きをかける。

 拳を握り、それでいて体の中心部はリラックスさせる。その後、徐々に腕を広げるようにして体内の力を汲み上げるイメージを確立する。

 すると、体内から爆発的な力が湧き上がり_____それは体外に放出され、始素として溢れ出す。

 こうすることで、超人としての瑛人の力は日々高まっていた。以前バンジやイルトと戦った時よりもさらに力が増し、完全な超人として覚醒を遂げている。


 強くなっているのは、シルヴィアも同じだ。

 優秀な祈術師の家系に生まれたシルヴィアは、幼い頃から周囲の空間に漂う始素に対する干渉力が極めて強かった。祈術を共に学んだ仲間と腕比べをしたときも、相手の祈術を乗っ取るという常識はずれな真似を可能にしていた。

 そんなシルヴィアだが、最近に来てさらに干渉力が強化されている。理由として考えられるのは、精神状態が安定しており、強固になったからだと思われた。

 かつてのシルヴィアには、どことなく行動の全てに迷いがあった。だが、今はそれがない。瑛人との出会いは、シルヴィアの心にも大きな変化を与えていた。

 そんな今だからこそ、かつては扱うことのできなかった高度な魔道具をも使いこなせるようになっている。


「……あった」


 部屋の中でシルヴィアが見つけたのは、大型の金管楽器である。ホルンのような形状のそれは金属でできていたが、どことどころに始素を通すための管のようなものが取り付けられている。

 それはビザント王国が有する魔道具の中でも最上位の価値を誇るものであり、現在のシルヴィアほどの腕前があって初めて使いこなすことのできる逸品である。これがあれば、瑛人の戦いにも加わることができるのだ。

 シルヴィアは瑛人に置いてけぼりにされることなど断じて受け入れるつもりはない。例えどんな相手が来ようとも戦うつもりでいた。

 

(_____できる全てを懸けるなど当然。その上で、必ず_____)


 そう、必ず_____必ず、彼を守らなければ。

 彼はまだ、多くのものを見ていない。

 この世界の楽しさの一割も見せられていない。

 だから、もっともっとたくさんのことを見せてあげたい。

 いつかの自分が夢見た景色を、自分よりも先に彼に見せてあげたい。

 _____だから、戦うのだ。


「瑛人、行きましょう」

「……ああ」


 もう二人の間には、誓いの言葉は必要ない。

 ただお互いのために、その闘志を燃やすのみ。





__________





 徐々に見え始めてきた黒い空を見ながら、俺は体を思わずブルっと震わせる。

 遥か彼方からでも感じられるほどの、強大なエネルギー。

 それが徐々に近づいてくるにつれ、肌を指すどころか骨を震わせるほどにまで圧を感じるようになってきた。

 超人に覚醒した俺ですらこれなのだ。生身の人間であるシルヴィアにとっては、どれほどの恐怖であろうか。

 だが、シルヴィアは真っ直ぐに前を見ている。一切の恐れを見せずに、ただ前に向かっている。


(……強い人なんだな、本当に)


 思えば、シルヴィアは最初から心が異常にタフだった。

 殺されかけるような経験をしても翌日になったら笑顔で俺に接してくれた。俺が彼女の願いを振り切っても、次の日になればケロッとした顔で俺の手を握ってくれた。いくら贖罪のためとはいえ、人はここまで優しくできるものではない。

 _____俺は彼女の家族を殺し、親しい人を殺し、祖国を奪った人間なのだから。


「……なぁ」

「……?なんですか?」


 だから聞いてみることにした。


「……なんで、一緒に戦おうとしてるんだ?」

「__________」

「君が俺に罪の意識を感じているのはもう十分分かった。でも、アレは君がどうこうできるレベルの相手じゃない。君がいても、足手纏いになるだけだ」

「__________」


 彼女が恐れていない、本当の理由を。


「……君は、死ぬのが怖くないのか。やり残したことがあるのが、怖いとは思わないのか。俺と一緒に来れば、君は確実に死ぬぞ」


 きっと、彼女は車を止めることなく、砂漠へと向かうだろう。

 そうなってしまえば、もう彼女は助からない。

 ただでさえ異常なまでの力が迫っている。何より、俺を狙う人間は山のようにいて_____そいつらは、きっとシルヴィアにも容赦しないだろう。

 ならば、止めるならここしかない。彼女を守るためには、ここで止めなければ。


「……君はここに残れ。無駄死にしたくないなら、ここで俺と別れてくれ」

「__________」


 彼女は、何も言わずに車を走らす。

 こうなったら、力技しかない。ここで車を壊し、彼女を眠らせておく。そうして1日も経てば、全てが終わっている。

 後部座席から立ち上がり、俺は_____


 _____突如、視界がブレた。


「_____っ?!」


 三半規管がイカれている。体勢を安定させられず、フラフラと椅子に倒れ込んでしまう。

 体が自分のものではなくなったかのような感覚に襲われ、もはや指を動かすこともままならない。


「あっ……がっ……」


 パタパタと手足を泳がせるが、そこに力強さはない。

 なんとか呼吸を整えようとするが、そもそも空気を吸い込めない。全身が痙攣けいれんを起こしているようだ。


「……ごめんなさい。私は、あなたの言うことを聞くことはできない」


 シルヴィアは車を停めると、後部座席の扉を開いて俺を車から運び出した。

 その手には、小さめではあるが笛のようなものが握られている。車に載せられた大型の楽器型魔道具に比べれば小さいが、それでも強い効果を持っている。


「……死ぬのが怖くないか、でしたよね」

「……ぁ……ぅ……」


 もう俺は、意識を保つこともできない。

 だが、シルヴィアの声だけは、なんとか聞くことができた。


「_____ええ、怖くありません。だって、やり残したことなんてありませんから」


 シルヴィアは、今にも崩れ落ちそうなはかない笑顔を浮かべる。

 これまでの日々を、心の底から慈しむ顔だった。


「私は、もう全部やり切りました。自由に色んなものを見て、この世界の美しさを知ること、それが私の夢だったんです。これももう、達成し切りました」


 シルヴィアの脳裏には、今でも瑛人と過ごした日々が鮮明に残っている。

 歪ながらも_____確かな絆を紡いだ、あの日々を。


「それに_____人生で初めての感情も、あなたに教えてもらいました。この_____淡くて、すぐにも切れてしまいそうな_____温かい感情を」


 この感情を、シルヴィアは誰かから教わったことはない。書物で学んだこともない。でも、名づける必要なんてないと思った。

 こんな素晴らしい感情に名前をつけるなんて_____もったいない。


「別に、こんなことをするのはあなたに報いたいからではありませんよ。そんなこと関係なく、心の底から私がこうしたいって思ったんです」

「……ぃ…………だ……ぃ…………な」

「私は、あなたが死ぬことなんて耐えられない。だから、あなたは生きてください」


 _____嫌だ。

 _____行くな。

 ふざけるな。なんでお前だけ言いたいこと言ってスッキリしてるんだ。フェアじゃない。

 冗談はやめろ。俺だって、お前と同じだ。俺だって、君に死んで欲しくないんだ。だから、頼むよ、お願いだ。お願いだから_____


「……や……め……ろ……」


 俺の目から_____この世界に来て初めて、涙が溢れた。

 それは、かつて戦いの果てに狂気に溺れた時に目から溢したものとは違う。

 怒り?悲しみ?そのどれでもない気がする。

 この涙はきっと_____


「……さようなら」


 シルヴィアは意識が落ちた瑛人の頬に流れた涙を拭い、瑛人に布を被せて近くの木の穴に寝かせた。

 先ほど使った術は、低級の魔物に使えばショック死させてしまうほどの凶悪なものだ。だが、超人に覚醒した瑛人であれば、単に意識を朦朧もうろうとさせるだけで済む。効果を考えれば、半日以上は起きないはずだ。

 こうして瑛人を置いていき、自分だけが戦地に赴く。最初からそのつもりで、研究所にも忍び込み、準備万端になるまで魔道具を漁ったのだ。

 シルヴィアは車に再度エンジンをかけ、東に向かって走り出す。


 _____つくづく、自分は酷い女だと思う。

 昔も自分に色目を使ってきた男は大勢いたが、彼らの名前を覚えることもなく関係を切ってしまっていた。中には貴族の子息や確かな才能を持った優秀な人もいたが、自分から彼らに興味を向けることなく、関係を終わらせてしまっている。彼らがそれをどう思うかを気にしてなどいなかったのだ。

 そして今も、瑛人を一人取り残してきてしまった。彼だって、自分に特別な感情を抱いていたというのに。


 _____でも、もうそれを振り返る選択肢はない。

 もう、酷い女のままでもいい。

 なぜなら、シルヴィアは自由な世界を夢見て、殺戮者を守り続けた_____世界で一番、自分勝手な人間なのだから。





__________





 アグラが作った峡谷には既に大勢の砂塵獣が流れ込み、死体の山を築いている。とはいえ、その穴も徐々に埋まってきた。仲間の死体すら踏み越える砂塵獣は、この峡谷を仲間の死体を利用して通る気なのだ。


「ふむ。イカれた魔獣なら大勢見てきたが_____コイツらはその中でも特にイカれてやがるな」


 アグラは峡谷を乗り越えてきた砂塵獣十数体を、一太刀で駆逐した。

 アグラが握る剣の名は『天山剣てんざんけん』。聖導教における最高位の霊装にして、現在ではイルトが握る『聖王剣せいおうけん』の次ぐ最上級の武器である。その歴史は聖導教の歴史よりも長いとされており、アグラより前では『英雄』が使った記録も残っている。

 『深聖結晶鉱エルミナ』よりもさらに希少な金属『星核スター』によってできたその剣は、今ではアグラ自身の始素と一体化しており、峡谷を作るほどの威力の斬撃を放っても刃こぼれ一つしない。


「アグラさん、あと数分もすれば一気に押し寄せてきますよ」


 アグラの相棒にして弟子であるヴェルトは、アグラほどの威力の技は放てない。アグラは完全に覚醒した『魔人』であるのに対し、ヴェルトはまだ『超人』であるためだ。


「分かってる。さが、流石にもう一回あの谷を作るのは無理だぜ。年寄りの肩が砕けちまう」


 そう、この均衡は長くは続かない。今もルートから馳せ参じたという魔物たち_____バンジの仲間が奮闘しているが、勢いを減らすには至っていないのだ。


「それに……『本体』を止めるのは俺でも骨が折れるぞ」


 今も近づきつつある『本体』_____すなわち『禍竜』は僕たる砂塵獣が作った道をゆっくりと進んでいる。例え峡谷に差し掛かったとしても、砂塵獣たちが無理にでも道を作ってしまえば意味はない。


「さぁて、どう止めるかな」


 アグラたちが峡谷を前にして考え込んだ時_____

 一際大きな風が吹いた。

 東の方角_____『禍竜』がいると思わしき方角から。


「__________!!!」

「____っ!これは_____!」


 ヴェルトどころかアグラですら、その風に含まれた濃すぎる力の波動に体を震わせる。風だけではなく、空も次第に黒々とした雲が覆い始めていた。

 肌を刺す砂嵐はそれまでと同じだ。だが、砂に僅かに含まれた始素の濃密さが、アグラに冷や汗をかかせることになる。


「……マジか」


 禍竜はかつて、世界を震撼せしめた怪物だったと言われている。

 歴史に残らぬほど昔に起きた巨大な戦いで力を失い、こうして砂漠にこもるだけの怪物と化した。だがその本来の姿は_____この世界全てに『飢餓きが』と『かわき』をもたらす、厄災の化身たる強大な竜であった。

 そして今の禍竜が発する覇気は、御伽噺おとぎばなしに出てくる時と同質の覇気をまとっている。抗うことを許さぬ絶対的な力の化身と化して。

 死した魔物たちの怨嗟の始素を喰らい_____竜は、完全なる復活を遂げたのだ。神話の時代の、厄災の化身となって。


「……俺に斬れねぇものはないと思ってるが……アイツは、斬っても死ななさそうだな」


 アグラは経験豊富な戦士だからこそ、禍竜の力が想像を絶するものであることを見抜いた。間違いなく人類最強の一角であろうアグラであっても、一対一では勝てないだろうと思われるほどの強さ。単独で渡り合えるとすれば、最上級の強さを持つ覇王か、あるいは人類の脅威とされる最上級の魔物くらいだろう。

 あとは_____聖導教最強の守り手であるイルトくらいか。


「……見えてきましたね」


 ヴェルトも、アグラ同様にその竜の姿を捉えている。

 力の波動も異なるが、それ以上に禍竜はその見た目が大きく変貌している。

 以前は亀のように鈍重な体であったが、今はもう違う。神話に登場する竜そのままに二本足で立ち、長く伸びた首を空高く掲げている。

 

「『竜王』に覚醒したのでしょうね。恐らくは_____砂漠に満ちていた、魔物の死体から漏れ出た始素を喰ったのでしょうか」

「まぁ、とにかく行動だ。目一杯攻撃を喰らわせて、進撃を遅らせるぞ」


 アグラにできることは、精一杯の時間稼ぎだ。時間を稼ぎさえすれば、異世界人の討伐に向けて動いているイルトが駆けつける時間を作ることができる。

 聖騎士が一丸となって対処すれば、竜王に覚醒した存在であっても葬ることができる。問題はいかにして時間を稼ぐかだが_____


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」


 鼓膜が破れるのではないかというほどの大きな咆哮ほうこうが轟く。禍竜が発したその咆哮は、遥か彼方_____車で砂漠へと向かう途中にシルヴィアにまで届いた。

 咆哮と共に禍竜から爆発的に始素が溢れ_____その始素が、忠実な僕たる砂塵獣へと吸われていく。

 すると、途端に砂塵獣が変形を始めた。

 よくいる四足歩行型の魔獣ではなく_____それなりの始素を有し、知性ある集団行動を可能にする存在_____魔物へと進化を遂げる。

 そして足は二足歩行となり_____意味もなくただ上げていた鳴き声は泣き止み、その代わりにまるで魔物のような、機械的な言葉が紡がれる。


「……ったく、時間稼ぎもさせないつもりか」


 砂塵獣たちは、既にアグラが作った峡谷を越えている。

 そしてさらに早まった足で_____我先にと駆け出した。


「一匹でも多く倒せ!諦めるな!」


 シンハクら加勢に来た魔物たちも奮闘するが、砂塵獣はタフになり、シンハクの鋭い攻撃であっても一匹一匹確実に仕留めるしかなくなっていた。複数体をまとめて倒すようなことはもうできない。


(クソッ!これではもう_____中央諸国は守り抜けん!)


 このまま砂塵獣が進撃すれば、間違いなく中央諸国を蹂躙してしまう。

 人間の軍事技術もめざましい発達を遂げているが、これほどの数の魔物を、ましてやその背後に控える、竜王へと進化した禍竜を防ぐことは到底できない。

 このままでは、数億人の命が消え失せることになる。魔物と人間の共存を必要と考える彼らにとって、それは避けたいことだ。シンハクにも、人間に危機を助けてもらったことがあるのだから、決して他人事ではない。

 それは無論、アグラやヴェルトも同じである。可能な限りの技を出して砂塵獣を斬っていくが、既に多数の討ち漏らしが生じている。最上位の聖騎士たる二人が惜しみなく技を放ち続けてもこれなのだ。このままここの前線が崩壊してしまえば_____人類は終わる。


「おおおおっっ!」

「ふぅん!」


 それを理解しているからこそ、アグラとヴェルトも必死だ。

 アグラは豪快な剣技で、そしてヴェルトは『アルフェン流』を使った魔物殺しの剣で確実に砂塵獣を倒し続ける。砂塵獣の突進だけでも並の人間なら即死する環境の中、二人が斬り続ける場所だけ凪いだように砂塵獣の群れが止まっていた。

 _____それを見て、禍竜は己の子を殺し続ける人間がいることを不快に思った。排除すべきだと思ったのだ。

  そして口を開き、竜の最も基本的な技_____『竜壊吐ドラゴブレス』でアグラとヴェルトを狙った。


「_____っっっ!!!」


 アグラが瞬時に放った剣技により、放たれた光線は二人を穿うがつことには失敗した。しかし、二人が立っていたところにはまるで隕石が落ちてきたかのようなクレーターができ、中は高熱によって溶かされた岩石がマグマとなって煮えたぎっている。


「アグラさんっ!!!」

「ふぅー、あっぶねぇな。俺たちのことを本気で排除しにかかってきてやがる。ただの暴走じゃねぇな」


 竜壊吐は竜の使う高威力の熱線だ。竜の使う技の中では最も使いやすく、効率の良い技であるとされている。知性の高い竜であれば、この技を上手に使って敵に妖術のような効果を与えることもできる。あるいは威力を調整し、広範囲に広がる炎ではなく_____たった今放たれた技のように、熱線を一筋に集中することで爆発的に破壊能力を高めたりもできる。

 それが示すのは、禍竜が高い知性を身につけた竜であること。そして_____アグラとヴェルトを始末するために、技巧を凝らしたということだ。

 こうとなっては、この場に留まることも難しい。かといって、このまま引き下がることもできない。

 ならば_____できることは一つ。


「ヴェルト、をやる。あの魔物たちを巻き込んじまうだろうから、警告して離れていてくれ」

「…………分かりました。ご武運を」


 ヴェルトは短く挨拶すると、アグラの元から去っていった。淡白な会話に見えるが、実際のところヴェルトは大きな葛藤に駆られ、それでいて苦渋の決断を下したのだ。

 何せ、アグラがやろうとしていることは_____命懸けの技を放つことなのだから。


「さてと、もう余計な心配はいらねぇな」


 アグラは横を通り過ぎていく砂塵獣には一切手出しをせず、ひたすらに闘気を高めた。

 今から放つ技は、まさしく命懸けの一撃となる。全身全霊という言葉がふさわしく、使えばアグラもただではすまない。それに、もしこれで仕留め損なってしまえば、アグラは禍竜によって今度こそ仕留められるだろう。

 だが_____アグラとて達人だ。このような危機的な経験は何度も乗り切っている。


「まぁ、なんとかなるだろ」


 そうして息を整え構えを取ると_____瞬間、周囲の砂塵獣が動きを止めた。

 アグラから漂う濃密は気配が、砂塵獣を支配する絶対的な命令すら掻き消すほどに高まったからだ

 禍竜も、自分の足元にも及ばぬほどの小ささの人間から、濃密は気配が漂ったことを感じ取った。


(__________ナンダ?ヤツハ、ナニヲシヨウトシテイル?)

 

 その気配は、禍竜にとっても無視できぬほどに強大だった。

 しもべたる砂塵獣たちもその人間に異様な危機意識を抱いている。あの気配を放っておくことは、これからの復讐劇には邪魔な存在であると、禍竜は判断した。


(イイダロウ。イマスグニ、ホウムッテヤル)


 そう、邪魔なら駆除すればいいのだ。それが、禍竜の記憶に刻まれた敵に対する対処方法である。

 ムカつくものがあれば、殺せばいい。

 禍竜の脳裏を_____一人の、血に塗れた人間の姿がよぎる。


(_____?コレハナンダ?コレハ_____ワレノキオクデハナイ……)


 不思議だと思ったものの、すぐにその違和感を塗りつぶすほどの激しい怒りを感じた。


(ユルセヌ、ユルセヌ、ユルセヌ!ヨクモワレヲ、ワガドウホウヲコロシタナ!)


 もはやそれが誰の記憶なのか、禍竜は気にしない。

 己の感情の赴くままに、禍竜は進撃する。

 邪魔な存在は、ただ消せばいいのだ。

 先ほどと同じく、首筋に力を溜め_____目の前に立つ人間目掛け、思い切り撃ち放った。先ほどは防がれてしまったが、今度は確実に仕留める。そのために、より強く凝縮し威力を高めた熱線を放った。

 _____アグラは、禍竜が力を込めて熱線を撃とうとしていることを感じ取った。

 だが、それでもなお表情も、体勢も、一切を変えなかった。

 極限まで研ぎ澄まされた、究極の一撃のために。


 その技は、聖導教の教えでも、『アルフェン流』の剣技でもない、アグラ独自の技である。

 かつてまだ騎士として未熟だったアグラは、一度俗世を離れ、絶海の孤島で修練を積んだことがある。そして、どんな敵にも打ち勝てるよう、ありとあらゆる修練を積んだのである。

 時には木の枝の棒切れで凶悪な海の魔獣と戦ったり。

 ある時は、手刀で自分の二倍以上の大きさの岩を斬ろうとしたり。

 またある時は、空を飛ぶ鳥を砂粒を投げるだけで撃ち落とそうとしたり。

 様々な修練の末、最後に挑んだのが『天を覆う雲を裂く』というものだった。

 それは無謀な挑戦だった。

 長い修練の中で研ぎ澄まされたアグラの肉体は進化を果たし、その精神も完全に人の域を超え、魔人へと至っていた。

 だがどれだけ剣を振っても、精々暴風を起こすのが限界。何をしようとも、遥か彼方の天空に刃は届かなかった。

 一度は諦めかけた。だが、一度自分がこれまで積み上げてきた技全てを思い出す瞑想をすることにした。

 瞑想は長く続いた。魔人として覚醒したアグラは、もはや呼吸も心拍すらも必要ない。ただ呼吸をして周囲の始素を取り込めば、始素が枯渇して息絶えることはなく、死ぬことはないのだ。

 何日、何週間、何ヶ月。あるいは何年か、何十年かも忘れた。

 数え切れぬほどに長い瞑想の末、アグラは瞑想の世界でそれまで積み上げてきた修行全てを何周も繰り返していた。

 そして、辿り着いたのだ。天を裂くほどの攻撃を生み出す。最強の技を。

 _____何も、天に届くほどに大きく強く剣を振ればいいのではない。途中にあるものなど一切斬らず、天のみを斬ればいいではないか_____

 それこそが、『魔人』となったアグラの集大成。武人として完成されたアグラの全身全霊で放つ、必殺の剣。


「__________無空むくうかなた


 

 それが、アグラの最終奥義だった。


 剣が振られると、アグラの周囲の空気はまるでそこだけが真空になったかのように音が消えた。

 その次の瞬間_____放たれた熱線ごと、禍竜の肉体が袈裟懸けに大きく切り裂かれることとなった。

 


 

 

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