第11話 嵐の刻


 突如、上から降ってくるような圧力を感じ、俺は跳ね起きた。


「__________っっっ?!」


 ばちりと目が覚め、五感が研ぎ澄まされる。超人となった今の俺の五感は、微かな音や振動、空気の流れから周囲の状況をほぼ完璧に把握することができる。

 圧力の元を確かめようと、胸元を触るが、特に違和感はない。周囲を注意深く観察するが、誰かがいる気配もなければ術の気配もない。


「……今のは……」


 感じたことのない、胸が締め付けられるような圧力。悪夢を見ていたわけでもないのに、突如降りかかってきたそれは、あまりにも不可解な現象だった。

 _____もっとも、それが砂漠で目覚めた竜の怒りの波動を向けられてのことだとは予想もできないのだから。


「どうしたんですか?」


 勢いよく跳ね起きたせいで、シルヴィアをも起こしてしまったようだ。シルヴィアは只事ではない俺の様子を見て、心配するように細い手で俺の頬に触れた。指の冷たさが、少しづつ落ち着きを取り戻させてくれる。


「……ちょっと、変な圧力を感じた」

「圧力……?それってもしかして_____」

「いや、近くには誰もいないはずだよ。さっき確認した」


 二人が今いるのは、森の中に建設されたログハウスの中である。森の所々に、シルヴィアの祈術を使ったマーキングがされており、近くを人間以上の始素を持った生物が通ると反応するようになっているが、今のところその反応はない。

 だが、今の二人はいつ、どこから攻撃を受けても不思議ではない身だ。油断はできない。まだ夜遅く、寒気が残る内から二人は移動を始めた。

 既にここまで乗ってきた車も壊れてしまった。この世界の車はあまり頑丈ではなく、道に転がっているちょっとした岩でタイヤが壊れてしまったのだ。タイヤは弾力のある素材を使っているようだが、元いた世界で使われていた合成ゴムには遠く及ばない性能であった。仕方なく、徒歩で歩くことになる。

 二人はもう、どこに向かうかについて言葉を交わすことはない。以前と違い、沈黙が二人の間を支配している。そしてその代わりのように_____二人の間には、繋げられた手が在った。


 _____ふと、上を見上げる。先ほどとは異なるが、やはり胸騒ぎが止まらない。だが、それは以前に出会った者たち_____妖鬼のバンジや、聖騎士のイルトのものとは異なる。とてもではないが、一体の生物が発する圧とは思えないのだ。

 だがなぜか、それが自分に向けられていることだけは、嫌でも理解させられた。

 森の中であるため空気は澄んでいて綺麗だ。だが、なぜか肌を指すようなピリつく気配は止まることがない。


「……瑛人、大丈夫です」


 シルヴィアは俺が感じているものを同じく感じ取っているようだ。だが、口にしてくれたのは心配の言葉ではなく、力強い励ましの言葉だった。


「私たちなら……きっと、大丈夫ですよ」

「……そうだな」


 そして、より一層強く手を繋ぎ、二人は歩いていく。

 向かう先は_____さらに東の方角である。





________






 同じ頃、馬車の中で目を閉じ休んでいたイルトも、ハッと目を覚ますことになる。急いで馬車を降りると、南の方角から異質な気配が漂っている。


「イルトさん、これは……」


 イルトが連れている聖騎士、アウスドラとフレンダも同様にその気配を感じ取っており、その場で動きを止めることになる。

 強者が発する圧力を辿れば、その在処ありかを突き止めることはよくあることだ。それこそ、イルトほどの強者ともなると、同じくらいの強さを持つ者が力を解放すれば、国を跨いでもその気配を感じることができる。

 だが、南の方角から発せられる圧力は、その比ではない。圧力の発生源は力を隠す気もないのか、禍々しい圧力を全方位にばら撒いている。かつて瑛人が大暴れした時に発した気配にもイルトは勘づいていたが_____今回は、それを遥かに上回るレベルのものである。


「まさか、異世界人が_____」

「それはない。人間の気配であれば、もっと強くコントロールされているはずだ。だが、これは_____」


 その気配は、とても知性ある存在の圧力ではない。言うなれば、野に解き放たれた獣が発する力のようであった。

 そして、力が発せられる場所には心当たりがある。


「あの方角はアミル砂漠だ。まさか……」

「……『禍竜』の気配、ってことでしょうか」


 寡黙な少女、フレンダが珍しく口を開いた。彼女が口を開くのはその闘志が昂っている時だけであることを知っているイルトは、フレンダが静かにその方角を眺めている仕草から、力の発生源_____『禍竜』の力が、聖騎士の対処能力を上回っていることを読み取った。


「砂漠にはジオだけでなく、アグラさんもいる。これほどの強さになるとは思っていなかったが……彼ならなんとか対処できるはずだ。私たちは、急いで異世界人の討伐に向かうぞ」


 元の測定では、アミル砂漠に眠る怪物『禍竜』の脅威度は4とされている。警戒すべきではあるものの、そもそも砂漠地帯から外に出ることがないため、そこまで高い脅威度ではないのだ。

 だが、今発せられている力はとても脅威度4のうちには収まらない。単独の国家を滅ぼしうるとされる脅威度5、下手すればそれ以上_____人類が力を合わせて対処する必要のある最上級の強さ、脅威度6となっても不思議ではないほどのものであった。今動いている聖騎士の中で、脅威度が6に達するほどの魔物と渡り合うことができるのは、イルトとアグラの二人のみである。


 アグラは絶対的な信頼ができる強さを持っている。だが、イルトとしては別の意味で、胸騒ぎを抱えていた。

 とても、無関係には思えないのだ。あの戦争の戦地となった場所から現れた『禍竜』が想像を絶する強さで現れたことと_____『英雄』を冠することとなった異世界人の少年が現れたことが。

 もし、この二つの存在に関係があったとしたら、一体何が起きうるのか。イルト

は数少ない情報から何が起きるかを考えるが_____結論は浮かばない。

 だが、やるべきことは決まっている。


(私は、私の果たすべきことをやるだけだ)





________





 飛行魔獣『ブルタン』による低空飛行を続け、西へと向かっていたバンジ一行も、瑛人、イルトと全く同じ圧力を感じていた。

 しかも、もう間も無くアミル砂漠に差し掛かるところで。


「……おい、一体何が起こってるんだ……?」


 乗っていたブルタンも、遠方から発せられる強すぎる気配に驚いてしまい、その場に降りてしまった。

 無理もない。魔物の中でも最上級の強さを持つ彼らでさえ、発せられた力の強さに冷や汗が止まらないほどであったのだから。

 圧力の発生源がどこなのか、どれは彼らからは視認することができた。

 これから差し掛かろうとしているアミル砂漠_____その彼方に、あまりにも巨大な砂嵐を確認することができた。


「……高濃度始素による超常現象……?いや、だが……この圧はなんだ?」

「あれはただの自然現象ではありません。恐らくこの力の源は……私たちと同じような魔物です。我々よりも遥かに強大な力を持った、強大な魔物なのでしょう」

「砂漠にそんな強大な魔物なんて_____」

「いや、いる。この砂漠に現れる強大な魔物など一体しかいない_____『禍竜』だ」

「「「__________!!!」」」


 『禍竜』。

 ルートにおいては、ビザント王国との国境となるアミル砂漠に出現する災禍の化身とされている。人間の見方でも魔物の見方でもなく、周囲にあるものを無秩序に喰うだけの存在。しかし、戦時中はルートにとってその竜の存在はむしろ恩恵であったのだ。ビザント王国軍が深くまで攻め込んできても、一度『禍竜』が暴れ出せば何もかも消えて無くなってしまう。一度、深くまで踏み込んだビザント王国の軍勢が食事として喰われ、ルートの軍勢が追撃を免れたこともあった。

 禍竜は伝説の存在であり、歴史の中にも似たような存在が何度も現れている。

 かつて亜人の国が栄えていた場所に現れ、怒りに触れたかの国を滅ぼし、その地を砂漠にした伝説。

 支配しようとした邪悪な呪術師に怒り、一瞬にしてその呪術師が率いていた教団を滅ぼした伝説。

 現在のルートが成立する前に起きたとされる、多種多様な魔物によって引き起こされた戦争の戦地に現れ、敵味方関係なく全てを飲み込んだ厄災の伝説。

 その全ての伝説が、『禍竜を敵にしてはならない』という結論で締めくくられているのだ。

 そんな存在が今目覚め_____単なる食事ではなく、荒れ狂う力を隠さずに発している。

 それが一体何を意味するのか_____バンジらは恐ろしさのあまりに戦慄することとなる。


「この圧倒的なまでの波動_____何かに怒っているのか?」

「……バカな。人間の愚か者が、また何かしたのでしょうか……?」


 よく見ると、砂嵐の大きさは自然現象の枠を超えていた。空高くまで竜巻のように砂が巻き起こり、空は妖しい光を纏った雷が絶えず降り続けている。砂の竜巻は横に広がっており、どんなに小さく見積もっても直径10キロメートルに達している。このような砂嵐は、たとえ高濃度始素が充満したとしても起き得ない。

 禍竜が目覚めた時にこうして巨大な砂嵐が出たという記録は残っていない。だが、その目覚めによってもう一つあり得ることがあるとするならば_____


「……もし本当に『禍竜』が目覚めたのであれば、配下の『砂塵獣さじんじゅう』がわんさか出てきているはずだ。もしそれがルートに向かうようなことがあれば大惨事になる。すぐに向かうぞ」


 『砂塵獣』は禍竜の僕であり、主のために食事を運ぶ役割を背負っている。厄介なのは相当の数がおり、一体一体がルートの兵士が一つの部隊レベルで対処しなければならないほどの戦闘力を持っていることだ。もしそんな存在が大量に湧き出て_____禍竜の発する怒りのままに暴れ出したら、国が丸ごど滅びかねない。


 そんなことは、絶対に阻止しなければならない。バンジらはブルタンを操作し、砂漠へとその身を投じていった。





________





 禍竜の目覚めによって発せられた圧力は、まるで噴火のように世界中に広がっていった。

 砂漠に陣取り魔物の国ルート、そして砂漠に睨みを効かせていた聖騎士の四名_____アグラ、ヴェルト、ジオ、フェリスは遠くに見える砂嵐を見ながら、どう動くべきか悩んでいた。


「……参ったな。いざという時に備えろとは言われたが、いざという時に死んでも戦えとは言われてないんだが」

「閣下、まさか戦う気で?」

「戦うしかないだろうさ。あんなのが本気で暴れ出すくらいなら、ルートの連中が全面戦争仕掛けてくる方がよっぽど楽だ」

「そうっすね。俺の目で見る限り_____あれはマジのバケモン。俺でも勝てないわ。あれが中央諸国に侵攻したら、中央諸国全部滅びますよ。対抗できる戦力なんてほとんどないだろうし」

「……らしいな。しかも生憎と_____最悪なことになりそうだ」


 アグラの目には、巨大な砂嵐が僅かな速度ではあるものの_____西側、すなわち中央諸国へと進んでいるのが見てとれた。


「あのまま進めば、誰もいないビザント王国を飲み込むことになるだろうな。一体何がしたいんだ?」


 禍竜が目覚めるのは、数年の一度の食事のためだと聞いている。だが、ビザント王国には食事になりそうなものなど何もないはずである。


「……いえ、もしや」


 だが、フェリスには思い当たる節があった。


「まぁ、どのみち止めないとやばいな。このままだと砂漠が広がっちまう」


 そう言って、アグラは剣を構えたまま駆け出していった。


「え、待てよおっさん!ずるいぞ、先駆けなんて!」


 そして、ジオも飛び出して言ってしまう。それに続くように、ヴェルトとも飛び出していく。

 聖騎士の中でも特に戦闘能力に優れた彼らならば、確かに禍竜を止めることができるかもしれない。だが、もしフェリスの予想が的中しているのであれば_____


(禍竜は、まだこれから食事を続けるはず。もしそうなれば_____)


 禍竜は_____またさらに、強くなっていくのではないか。





________





 アミル砂漠から遠く離れた場所にて。


「うーん、聖騎士だけでどうにかなるかなぁ?」


 ランドル合衆国大総統、アールシュは窓を眺めながら行く末を見守っている。

 大国であるランドル合衆国にも、つい先日からビザント王国からの難民が入り始めてきた。中央諸国で起こった一連の騒動に加え、さらに大厄災が目覚めるとは、流石のアールシュにとっても予想外の出来事である。

 アールシュは、肌を指すようなピリつく感覚を味わいながら、頼れる部下を呼び出す。


「お呼びですか_____あなた」

「『あなた』はやめてくれ。ここではちゃんと『閣下』って呼ばないと」


 呼び出されて大総統の執務室にやってきたのは、軍服を身に纏った女性である。深紅の美しい髪を伸ばし、瞳は麦色に輝いている。軍服が体のラインを強調しており、大総統の部屋を訪れる人物としては些か問題のある格好をした美女であった。


「ちょっとお遣いを。中央諸国に行ってきてくれないか?」

「お安い御用で。……それで、ご褒美は?」

「大総統閣下のキスじゃダメかな?」

「うふふ、それはいつももらってるじゃない」


 大総統が交わす言葉としてはあるまじき発言であるが、それほどに二人の関係は特別なものなのだ。

「うーん、じゃあ帰ってきた夜に、僕のベッドで_____」


 アールシュが言葉を紡ぎ終える前に、赤髪の美女は姿を消していた。一切の物音を立てることなく消えたことに、アールシュは特に驚かない。


「さてさて、色々と面白いことになりそうだな」


 アールシュはその目で_____地平線の遥か彼方で起きていることを追うことにした。





________





 アミル砂漠から北に数千キロ、人類圏の一つである教皇領から見て西の方角にある亜人国家、エルギュンデ。

 この地域を治める王_____レッジは、遥か遠くから観測された禍竜の気配を受けてもなお、顔色一つ変えることなく作業に打ち込んでいる。

 作業台に並べられているのは、おおよそ「怪しい」としか言いようのないものばかり。生き物の皮膚の一部や植物の葉、珍しい色の鉱石、自然界には存在しない色の液体など。

 科学者であるレッジは、作業台の上で実験を行なっているのだ。なお、実験に使うものは空中に浮いている。術を使い、レッジは物を浮かして実験に使っている。


「……あのさ、このビンビンの気配には何もしないわけ?」


 レッジの横でソファに寝そべりながら飽き飽きした様子で実験の様子を眺める青年_____アルベスははそうつぶやく。鼻と口だけが露出した仮面____というよりヘルメット_____を被りながら、長い足をソファに投げ出したアルベスも、遥か南で起きている異変を敏感に感じ取っている。

 当然ながら、レッジも。


「……何もしない。あの地で起きる出来事は、僕の研究には関係がない」


 レッジのエメラルド色の瞳が写すのは、試験管の中で発生する神秘的な現象のみ。そこには、腹心であるアルベスすら写っていない。


「やれやれ、じゃあ僕が行くしかないのかな……?」


 アルベスはソファから起き上がると、そのままレッジの実験室から姿を消した。アルベスは、レッジの命令がなくても勝手に行動できる権利を持っている。

 そしてもう一人_____世界的な強者が、アミル砂漠へと向かった。





________





「これは色々と起きそうだね」


 アミル砂漠の南、人住まぬ魔境と化したビーグル高原にて。

 10メートル以上ある巨大なワニ型の魔獣とたわむれていた人物が、北の方角を眺めながら考え事をしている。

 その人物に目には、暴れ回る竜以外のものも写っている。各地から集まる強者たちの姿、そして興味深い存在の姿も_____過去に出会った懐かしいものたちの姿も。


「うーむ、ここはちょっくら、大人としての責任を果たすしかなさそう」


 その人物は身に纏っていた擬態用の毛皮を脱ぎ_____その下に露わになった、眩い金髪を払い、顔を叩いて気分を切り替える。その表情はまるで元気一杯の少女のように凛としていながらも_____奥には、何よりも重い覚悟を背負い、どこか老獪ろうかいさも感じさせる表情であった。

 着込んでいる服は真っ黒な迷彩スーツ。姿を隠すことに特化した服の上には、背丈よりも大きなリュックを背負っている。


「さーて、出発進行!目標、なんかすごいとこーっ!」


 そして、ワニ型の魔獣の上に座り、ドシンドシンと動き始めた魔獣に乗ってその場を離れていった。





________





 この異変に気づいたのは一部の強者のみではない。混乱のただ中にあった中央諸国の首脳陣も、アミル砂漠で起きた異変に気づいていた。


「なんてことだ……『禍竜』が暴走を始めたのか?」

「問題あるまい。既に聖騎士が戦力の大半を向けたそうだ。『大将軍』アグラもいる、心配はあるまい」

「だが、中央諸国に入ってきたら我らはおしまいだぞ。聖騎士ばかりに頼るわけにもいかん」

「左様。いずれ我々は、あの教皇から独立せねばならん」

「各国の精鋭を集めれば、あるいは対処できるのではないか?」

「暴走した『異世界人』はどうする?」

「後回しだ!『禍竜』に比べれば些細なものよ」


 とはいえ、彼らには禍竜に対抗する術はない。発達した軍事技術を有してはいるものの、それらではとても災害そのものとなった魔物には通用しないのだ。それぞれの国にも『超人』に覚醒した精鋭の強者がいるものの、それでは超人よりもさらに上の戦力である『魔人』を複数人抱えている聖導教の戦力には遠く及ばない。

 もし、聖騎士であっても禍竜を止めることができなければどうなるのか。そんなことを、彼らは予測することはできない。

 何せ、禍竜がどれほどに恐ろしい存在であるかは御伽話おとぎばなしでしか聞かないからだ。人類の短い歴史の中では、禍竜のことはほとんど歴史に残っていない。

 経験していないのでは、予測など無理というもの。だからこそ、この時の中央諸国は何もできなかった。

 人類は、固唾を飲んで情勢を見守るしかなかったのである。





________





 禍竜は抑えられぬほどに高まった力を、大声を上げるかのように噴き上げた。禍竜の力は正しく厄災そのものであり、触れたすべての存在を塵に変えてしまう。

 それほどまでに力を高めても尚、竜の心の内には耐え難いほどの飢えが荒れ狂っている。それは、いくら始素を喰っても治ることのない飢えであった。

 食欲よりも上の次元の欲求が足りず、欠乏している状況。その欲を満たすには、やるべきことは一つ。

 荒れ狂う力が示す先にいる獲物_____自分たちを殺した憎き敵を、一欠片も残さずに喰うしかない。


 ここに、禍竜の行動指針は決まった。

 行うべきは、ありとあらゆるものを喰い尽くし、灰燼と化す。

 あらゆるものを破壊し、全てを砂を帰す。

 そして_____憎き敵を、全力で叩きのめす。


 そう考えた途端、禍竜の肉体は変化を始めた。鈍重で動きが遅い体ではなく_____敵を殺すことに特化した、しなやかで効率のいい形へと変化していく。

 それは、禍竜の意思の具現であった。『竜王』へと進化した竜の、いわば本来の姿。

 変化を終え、砂嵐が収まった後_____その中心に佇んでいるのは、先ほどまでの鈍重な動きの巨竜ではない。

 四本足ではなく二本足で体を支え、空いた足は手となった。

 それまでの数十倍近く硬さを増したうろこは鋭さを増し、鋼鉄よりも遥かに硬い硬度を誇る。

 スラリと長く伸びた首の先には、鋭くなった顔がついており_____鋭さを増した目は、確実に敵を捉えられるようになった。

 大きさはより小さくなったものの、それでも10メートル以上の巨体である。だが、その体に秘めるエネルギーは、先ほどとは比にならないほどに増幅している。ダダ漏れだったエネルギーが体を循環するようになったためだ。


 それと同時に、取り込んだ始素に溜まっていた憎しみの心に適応するかのように_____禍竜の眠った意識も呼び起こされることとなる。

 『それ』にも、かつては名があった。だが、長い時をかけて次第に力を失っていき、それからは名を失い、ただの『禍竜』となってしまった。

 だが、死した魔物たちの憎しみの心が、竜の意識を呼び起こしたのである。それと同時に、竜の中には確固たる自我が芽生えた。


 そして_____災禍の化身と化した竜王は、目的を達するために動き始める。

 その足元からは、主の復活を祝うかのように、無数の獣たちがうごめき始めた。『砂塵獣』と呼ばれる、竜王の手下である。

 そして獣たちは主の願いを叶えるため_____競うかのように、西の方角へと走り始めた。


(アア、思イ出シタゾ)


 竜王は、愉快な気分になっていた。久しぶりの外の世界が、何者にも勝るほどに心地よい。何かを目にし、何かを聞き、何かに触れることにすら感動を覚えた。


(ソウダ、我ハ)


 その感動があまりにも素晴らしくて_____それでいて、その感動が脳裏にチラつく憎しみの炎をさらに強めていく。不快な気持ちすらも、竜王にとっては感動できる体験だった。

 もはや、縛るものなど何もない。己の意志のままに、やりたいと思ったことを成すだけだ。


(我ノ名ハ__________)


 _____かくして、全てを蹂躙する時間が始まった。




 

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