第8話 この世界


 瑛人えいととシルヴィアが街を出てから、一ヶ月。

 本当に、色々なことがあった。





__________





 まず、二人が向かったのはビザント王国の中でも選ばれた人しか使えないという、リゾート施設だった。シルヴィアとしても一ヶ月近く要塞都市で根詰めた生活を送っていたので伸び伸びとしたかったそうで、瑛人としても一度はゆっくりしたいと思っていたので、二人で向かうことにした。

 向かうには、シルヴィアが軍からふんだくってきたという、車を使った。


「この世界にも車があるんだな」

「あなたの世界にもあるのですか?」

「あったよ。自家用に一台持ってた」

「ええっ?!自家用?!すごいですね……この世界では、軍事目的か、王族や貴族など、一部の限られた人しか使うことができません。私も、仕事で何回か使ったことがある程度なんです」

「それにしては運転上手いな」

「簡単ですから」


 この世界の車は燃料として積まれた始素油マナオイルを動力源として自動でセッティングされた術を回し、タイヤを回転させているらしい。速度は申し分なく、乗り心地も快適だが、燃費が悪く、満タンに補給しても六時間くらいしか動けないらしい。そのため、車の後ろには常に燃料を備蓄しておかなければならない。


「まぁ、燃料が足りなくなったら最悪私の祈術で動かすか、あるいはあなたの始素マナを使えば問題ありません。自覚してないかもしれませんが、今のあなたは効率のいい燃料なんですよ」

「あのな……」


 運転してしばらくすると、例のリゾート施設に辿り着いた。外見からするに、元の世界でいう『スーパー銭湯』のようなものらしい。

 中に入っていくと、設備が全て停止していた。これでは、リゾートを楽しむことなどできない。

 だが、シルヴィアが祈術というものを使って一時的に機械を修復。あっという間に、大きな銭湯の風呂が温められていった。


「シルヴィア、すごいな。祈術ってのは、こんなに便利なものなのか?」

「まぁ、使いこなせば日常生活でも便利に使えますよ。私は空間に漂う始素を使うので、そんなに疲れたりもしません。始素を使った機械製品を動かすくらいなら、なんとかなりますよ」

「へぇ。っていうか、この世界にも風呂はあるんだな。これはちょっと……感動かも」


 施設の中を見てみると絢爛豪華けんらんごうかな装飾が施され、水を浴びて体を洗うことのできるシャワールームが全て個室になっている。シャワールームが続く部屋を抜けると、何十人もの人が同時に入れるような大きな浴槽が広がっている。

 水は張っていなかったが、シルヴィアが一時的とはいえ設備を復活させてくれたおかげで、しばらくすると湯気が漂う気持ちのいい空間が広がるようになった。


「……あの……瑛人?」

「何?」

 

 シルヴィアは、何やらモジモジしながらこちらを見ている。


「瑛人って……その……男の子ですよね?」

「………………………………………………あ」


 今は設備が働いていなかったのでしかなくシルヴィアと一緒に行動していたが、ここは風呂場なのだ。男女が一緒にいるのは誰も見ていないとはいえ、ちょっとまずい。

 それとこれは後で気づいたのだが_____今いる風呂場は、女風呂だったようだ。


「男風呂の方もそろそろ温まっているかと思います。もし十分でなければ、外の敷居から声をかけてください」

「う、うん……」


 瑛人は気まずい空気から逃れるように、そそくさと男風呂へと向かった。

 風呂に入ってみた感想としては、素晴らしいの一言である。お湯は綺麗に済んでおり、湯加減もちょうど良い。浸かっていると、体の芯が抜けていくような感覚を味わうことができた。思わず気分がハイになり、目から涙を溢すちょっとヤベーやつになりながら部屋全体に響くような音で感嘆の声が漏れる。


「あぁ〜、風呂だ。風呂だぁ〜……マジ風呂だぁぁ〜……」


 のぼせる感覚がまさかこれほどまでに愛おしいものになるとは想定外だ。お湯が簡単に出てくる日本社会に対するありがたみをしみじみと味わった上で、心ゆくまで風呂を堪能した。


 一方、シルヴィアも同じくらいはしゃいでいた。幼い頃に父に連れられて行ったことがある施設だが、まさかここまでお湯が恋しくなるとは思ってもいなかった。敷居の向こうから瑛人の感嘆が聞こえてくるが、そこに全力で共感できるほどに、風呂は気持ちが良かった。


「はぁぁぁ……幸せぇ〜……」


 瑛人ほどではないが、シルヴィアも慣れない生活で体調を崩しかけていたのだ。汗を流す感覚がこれほどまでに心地良いことを感じ、久しぶりに現代の技術に心の底から感動することとなった。


 風呂から上がると、水分補給をしたのち食事にすることにした。食堂にコックは一人もいなかったが、調理器具や食材は残ったままだった。


「食材って腐ってたりしないか?」

「腐食を防止する祈術を自動でかけ続ける装置があるので、なんとか。ただエネルギーが切れそうになっているので、瑛人の力を貸してください」

「……どうやって?」

「手を出してください」


 瑛人が手を出すと、シルヴィアがそれを握る。何をするのか分からずにいたが、次の瞬間体から何かが抜けていく感覚がした。


「よし、成功です。瑛人の始素をもらって、動力源に出来ました」

「……俺って本当に動力源なんだな」


 食料品を取り出すと、食料は元の世界でも見慣れたものばかりだった。肉や野菜、小麦粉のようなものまで豊富に揃っている。


「…………えーっと……」


 何やらシルヴィアが困惑した表情でいる。恐らくこれから料理をするのだろうが、シルヴィアはなぜかナイフとフォークを持ったまま固まっている。


「……………………料理苦手か?」

「……………………はい……」


 食材を前にして既にたじたじになっているあたり、どう調理すべきか分からないのだろうか。瑛人は仕方なく、近くにあったまな板とナイフを手に取る。


「俺がなんとかするから、ちょっと手伝ってくれ」

「……すみません、本当に……習ってはいたんですけど、いまいちで……」


 かといって瑛人も料理が得意なわけではない。食材の質はかなり良さそうだったので、サラダと簡単な炒め物を作った。白米が恋しいと思っていたが、残念ながら米はなかったので、パン(のようなもの)で我慢することにした。


「これって……パン、なのか?」

「あ、やっぱりパンは異なる世界にも存在するのですね」


 手にしたパンらしきものは、慣れ親しんだ食パンや欧風の硬めのパンともまた異なる見た目をしている。まず、見た目が全体的に黄色い。そして、パンの耳らしきものがなく、モコモコとした毛玉のような球が置かれている。だがスカスカになっているわけではなく、摘んでみるとモチモチとしていた。どうやらこのパンはそのまま掴んでかじるのではなく、大きめの球から一口サイズにちぎって食べるやり方で食べるものらしい。


「私が好きな食べ方は、葉乳ようにゅうのクリームに浸して食べるんですよ。香りが飽きないんですよね」

「えっと……”ようにゅう”って何?」

「『ウループ』という木から取れる分厚い葉っぱが出す樹液みたいなものです。甘い香りがするので、海に近い地域だとt嗜好品としてたくさん栽培されていますよ」


 少なくとも瑛人の知識では、樹液をパンにつけて食べる文化は存在しない。やはり、どこまでいってもここは異世界で、元の世界とは異なるものが多く存在するのだろう。それでも、基本的な生活のルールは同じなようで安心した。

 食事を作り終え、久しぶりにテーブルと椅子ありきで食事をすることができた。


「この炒め物……美味しいです」

「そうか?」

「私はいつも軽食で済ましていたので、こういう料理はあまり体験がないんです。それに……」

「……?」

「……異世界の人とも、こうして食卓を囲むことで会話できるなんて、夢みたいだなって」

「…………なるほど」


 考えてみれば、瑛人とシルヴィアは全く異なる世界の人間なのだ。そんな二人が、こうして肩を並べ、同じ食事を囲んでいる。言われてみれば、なんとも感慨深い食事になった。


「……そうだ。今のうちに話しておきたいんだけどさ」

「はい、なんでしょう?」

「この世界について、できるだけ教えてくれないか?」


 瑛人は既にこの世界に来てから一ヶ月以上経つが、まだこの世界の仕組みを理解できていない。シルヴィアならば博識そうだし、色々知っているんじゃないかと思ったので、聞いてみた。

 今の瑛人には、やるべきことが山ほどある。情報収集は戦う基本とどこかの漫画で言っていたし、まずは知らないことを潰していくことから始めるべきだろう。





__________






「なるほど。そうなると、まずはどこから話すべきですでしょうか……」

「まずは始素ってやつだな。俺も持ってるみたいだけど、これって何?」

「そこからですか。では、教えますね_____。始素というのは、この世界の根源となる物質であるとされています。この世界が誕生した際に放出され、大地にも、大海にも、大空にも等しく始素が満ちています。そして、そこから生まれた生き物にも」

「魔力みたいなもんだと思えばいいのか?」

「そうですね。国によってはそんな表現もなされますが、超高密度に圧縮しない限り触ることはできませんし、水や石のようなものとは異なります。水や石の中に、始素が取り憑く、というイメージを持っていただければと」


 つまり、始素というのは元の世界でいう『元素』とは異なるものなのだろう。水素や炭素のように原子で構成されたものではないなら、どのように働くかなど想像できない。だが、魔力のようなものと考えればいいのであれば分かりやすい。


「始素がその生き物にどう宿るかによって、生物は様々な種類に分かれることになるのです。

 まずは、始素のみで肉体を構成している生命_____『精霊』がいます。精霊は始素がある場所全てに生息していて、かつ個体ごとの境界線が極端に薄いのです。時に精霊同士が合体することもあれば、大きな精霊から小さな精霊が分離して生まれることもあります。精霊には無限に等しい種類がいて、この世界の理の数だけ精霊がいるとされています」

「……それって本当に生き物なの?」

「生き物ですよ。ちゃんと自我があって、大きな個体だと会話することもできます。場所や国によっては、精霊が人を助けてくれるところもあるんだとか」


 精霊というと浮いている幽霊のようなものしか思い浮かばないが、あのイメージでいいんだろうか?


「そして次に、精霊と異なり強い自我を持つも、肉体なしで始素のみで生きている生命が『魔族』です。精霊の次に生まれたとされる生命であり、個体ごとの差異が明確になりました。魔族はとても強大な種族で、天使や悪魔など、様々な種族に分かれているのです」

「『魔族』と『魔物』は違うのかな?」

「はい、言い方が似ていますが、全く異なる生命ですね。栄えた魔族の後に誕生したのが、物質的な肉体を持ち、この世界の法則に縛られることを選んだ種族である『魔物』です。ここまで来て、初めて生命は心と肉体を持つようになったのです。そして様々な魔物が生まれる中、次第に始素を持たない生命体も登場してきます。その最も代表的な生命が、我々『人間』です」

「なるほど。馬とか鳥も、始素に頼らずに生きていける生き物の一種なのか」

「そういうことになりますね」


 シルヴィアの説明を聞く限り、元の世界にいた生物のほとんどは説明の最後に出てきた、始素を作らずとも生きていける生物ということになるのだろう。もしかすると、元の世界にも精霊や魔族はいたのだろうか。


「ん、でも待てよ。俺もシルヴィアも人間だけど、始素を持ってるよな?俺が戦った聖騎士っていう奴らも人間だったけど、ものすごい量の始素を持っていたぞ」


 瑛人でさえも相当な量の始素を持っていたが、仮面をつけた騎士は瑛人の数倍の始素を持っていたと記憶している。


「それは、彼らが人間の枠組みを超えた存在だからです。人間は始素を必要としない生き物ですが、決して始素が使えない生き物ではありません。個人差はありますが、修行を積めば誰でも始素は扱うことができるようになります。最初は私のように空間に漂う始素を操るだけですが、体が始素に順応してくると、一人でに始素生成が可能になるんです」

「そんな簡単に?』

「簡単ではありませんよ。私は生まれた時からずっと始素の扱いを学んでいますが、今でも始素を自分で生成することはほとんどできません」

「始素の生成って、何かの臓器が必要になるんじゃないの?」

「始素を生成するには心_____精神が必要です。精神の働きが、始素を生むと言われています」

「精神が……」


 なんとなくこの世界の仕組みが理解できてきたが、あまりにも突拍子過ぎて分からないことも多い。始素というのはこの世界の根源となる物質らしいが、それを心によって生み出すことができてしまうなど、どんなファンタジーな話なのだろうか。


「そうして少しづつ始素の生成ができてくると、今度は肉体が始素の貯蔵量を増やすために体を改造し始めます」

「いやいやいや、待て待て。なんで始素作るだけで体が改造されるんだ?!ってか改造ってなんだ?手術でも受けるのか?」

「いやいや、違いますよ。私たちの体も、細胞分裂をすることで徐々に作り替えられていくでしょう?それと同じで、体内の細胞が有する始素に適応しようとするんです。もちろんそんな簡単にはいきませんけど。全身が高い始素に耐えられるようずっと待っているだけでは、それだけで人間の寿命は終わってしまいます」

「……じゃあ、どうすんの?」


 サラリと言われたことだが、この世界でもちゃんと『細胞』は認知されているらしい。車もあったことだし、ファンタジーな世界だと思っていたが科学技術もそれなりに発達していることが分かる。


「ですので、人間が始素に高い始素に適応するために生まれ変わることは滅多にありません。コツコツと修行を積む程度では、到底不可能でしょう。達成するには____常軌を逸するほどの強烈な始素の働きがなければなりません」

「例えば?」

「始素中毒になるほどの濃い始素が満ちる過酷な環境の中で無理矢理肉体を改造したり、極限まで追い詰められた精神状態が体を構成する始素に影響を与えたり、何らかの事故で体に一気に大量の始素が入り込んできてそれに順応するために変化したりなどです。当然ですけど、こんな危険なことをすれば大抵の人は死んでしまいます。それくらいの瀬戸際に際して、ようやく人は始素に適応した生命として生きることができるのです」

「へぇ。じゃあ、あの聖騎士っていうのはそれを乗り越えた奴らなのか」


 死ぬほど苦しい目に遭って、初めて手にすることができる強さであれば、あの強さも納得だ。元いた世界でも人間離れしたした身体能力を持つスポーツ選手はいるが、聖騎士たちはそれを悠に超えているように思われた。


「……他人事ですね」

「え?」

「あなただって……生死を彷徨うほどの辛い目に遭って、体が変化した人間_____いわゆる、『超人』なんですよ」

「…………俺が?」


 改造は怖いなぁ、なんて思っていたが、まさかもう既に当事者になっていたとは。

 言われてみれば、もう今の俺は完全に人間離れしている。移動中、道を塞いでいた岩を片手でどけてみせたりしてるし、化け物じみて強かった聖騎士の動きにも反応できていた。


「あなたは恐らく、あなたを支配し強化していた呪術、『妖呪縛転化カース・ビースト』によって無理矢理強化させられたことで、体が流れ込んでくる呪いの力に対抗するために『超人』として覚醒したのではないでしょうか。だから、呪術が解けた今でも大きな力を持っている」

「超人、か。だからいつも身体中から始素が出てるわけか」

「そうなります。今のあなたは普通の人間よりも体内の始素生成機関の働きが桁違いに強くなっているでしょう。超人に覚醒すると、人間という小さな生命の枷から解き放たれ、際限なく強くなっていくことが可能です」


 分かってはいたことだが_____やはり、もう俺は普通の人間ではないらしい。

 それを無念だとか残念だとかは思わない。それはとっくに分かっていたことであり、単にシルヴィアが言葉にしてより明瞭に分かることにしてくれただけなのだ。


「超人に覚醒するといいことあるの?」

「……いいことかは分かりませんが、単純に生命体として強くなりますね。細胞も常時高い濃度の始素で満たされていますから、過酷な環境でも始素によって身を守ることもできますし、細胞化が常時活性化しているので病気にもならなくなるかと。恐らくですが、寿命も大幅に伸びているのではないでしょうか」

「……寿命も伸びてるの?」

「恐らく。実際、全員が超人として覚醒している聖騎士の中には、数百年間生きる伝説の存在もいます」

「……マジか」


 強くなったことは自覚しているが、まさか病気の予防、そして寿命が伸びることにまでなろうとは、そう考えると、超人になれたのはあまり悪いことではないのかもしれないと思う。


「ちなみに_____超人がさらに体内の始素を増大させ、次第に肉体を必要としない生命体になっていくと、最終的には完全に肉体から脱却した人間として『魔人』に覚醒します」

「魔人?」

「はい。ここまで来ると、完全に人間の域を脱しますね。肉体を必要としない生き物になるので、肉体はあくまでこの世界で活動するための依代にしかなりません。食事も必要なければ呼吸も要りませんし、睡眠すら不要になります。寿命もなくなり、不死身の生命になるんです」

「なんだそれ……この世界はそんな人間がいるのか?』

「ええ、聖騎士の中にも何人かいますよ。あなたが戦った聖騎士_____最強として名高いイルト・ランバーレッドも魔人です」

「…………あいつ、そんな名前だったのか」


 正直、まだ超人とか魔人とかはよく分からない。自分が超人であることは理解したが、さらにその先にあるという魔人は最早い意味不明な存在だ。不死身だなんて、ふざけているようにしか思えない。

 しかし、イルトという聖騎士の強さを思い出せば納得できる部分もある。あの騎士は、超人である俺よりも明らかに大きな力を持っていた。恐らくあれが魔人にまで至った人間の力なのだろう。


「すみません、これで始素については理解できましたか?」

「うん、結構分かってきた。この世界が俺の世界とは違った法則があることも、始素ってやつの影響で不思議なことがあることも分かった。でも_____」

「…………でも?」

「それ以上に、この世界も俺がいた世界と本質的には似たようなもんなんだなって思えた。意味分かんないことになってるけど、風呂は気持ちいいし飯は美味い。空気も美味しいし_____会話できる人がいる。それが分かっただけで、俺はもう十分だよ」


 この世界に来た時、最初はとにかくしっちゃかめっちゃかな状況で、自分のことで精一杯だった。この世界のことなんて何も分からなくて、分からない中でもとにかく生きていくしかなくて_____

 でも、シルヴィアと出会ってからは自分で自分のことを管理できるようになって、外の世界に目を向けることができるようになった。こうしてシルヴィアに訊いたのも、俺の中の整理が一段落ついたからだろう。


「…………シルヴィア?」


 そうしみじみと思いながら不思議なパンをちぎって口に運んでいると_____なぜか、シルヴィアがプルプルと震えながらうつむいている。


「…………瑛人、ごめんなさい」


 シルヴィアの声は、ひどく掠れていた。まるで泣いているかのように_____いや、泣いていた。俯いていたから見えなかったが、キラリと光るものが彼女の膝に落ちたのを、俺の目は見逃さなかった。


「ごめんなさい、瑛人。私は……」

「召喚したことを後悔してるなら、それはもういい。謝られても許すつもりはないから、泣いても無駄だぞ」

「違うんです……!私は……私は…………!」


「私は……今この瞬間が本当に楽しいんです……!異世界人の瑛人と一緒に話すことができて……こうして一緒に食事ができてることも……!私は、ずっとこういうことがしてみたかった……。誰かと旅をして、自分の力で生きるようなことが……!」


 シルヴィアの口から漏れ出たのは、悲しみは後悔ではなく_____歓喜に満ちていた言葉だった。


「でも……私、本当にダメな女ですね……瑛人は想像を絶するほどに苦しんだというのに……私は、今が本当に楽しくて仕方がないんです……!」


 歓喜に満ちてはいるが、その裏には抱えきれないほどの矛盾する思いを抱えている。今のシルヴィアの胸の内は、きっと相反する思いが衝突しているのだろう。

 恐らくは_____今を楽しみたい心と、俺に対する罪悪感で。

 分からなくもないことだ、と思った。俺にも、相反する感情がせめぎ合うような経験はある。本当は仲良くしたいやつと嫌悪な関係になったりした時、交わした約束を守るために勉強を頑張ろうとするも目の前に置かれたゲーム機に釣られてしまった時など_____人間には、そんなことはよくあると思うのだ。

 かといって_____今のシルヴィアを俺が励ますのは違うと思った。俺が慰めたとしても、きっとシルヴィアはそれを受け入れないだろう。


「……すみません、取り乱してしまって」

「……いや、いい。楽しいのは、俺もだから」

「…………え?」


 だから、慰めもせずに_____ただ、思ったことを口にすることにした。そろそろ冷えかけてしまった炒め物を早めのうちに取って口に運ぶ。


「スマホもなければテレビもないし、それどころかトランプもない。遊ぶことなんて何もできないまま、ただぼーっとしながら一ヶ月も彷徨ってたんだ。もしかしたら、一生このまま独りで生きていって死んでいくのかもしれないとも思ったよ。

 でも、そこに君が_____シルヴィアが現れてくれた。憎いやつだけど、この世界のことを教えてくれたし、色々と楽しいものも見せてくれた。だからさ____」


 そして、真っ直ぐと、涙で赤くなったシルヴィアの目を見据えながら、こう言い放った。


「もっと色々と、この世界について教えてほしい。もっと、この世界を見せてほしい。もっともっと_____この世界も楽しいんだって思わせてほしい」

「…………」

「だから_____本当に後悔してるなら、俺を楽しませてくれ。泣いたりするな」


 不思議な食感のパンを口に入れ飲み込み、椅子を立つ。空になった食器を持って、厨房に持っていく。

 シルヴィアは、そんな瑛人の様子を呆然と見つめていた。

 _____頭の中の整理が追いつかない。

 _____胸の中の整理が追いつかない。

 口が何かを言おうとしているが、口からうまく空気が出てこない。

 この少年は、何を言っているのか。

 いや、それ以前に、なぜこれほどまでに_____この少年は、シルヴィアに優しいのか。


(瑛人……あなたは……)


 なぜなら、その少年は


(あなたは……この世界を、憎いとは思わないのですか?)


 あまりにも_____


(あなたはどうして……私のような歪んだ人間を、受け入れられるの?)


 シルヴィアが思い描く、理想の存在そのものだったから。


 厨房へと姿を消したその背中の残影が消えるまで_____シルヴィアは、驚きを胸にそこに立っていた。


 

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