第7話 聖導教


 教皇領の首都、聖都シュリンガラ。その中央にそびえ立つのは、まさしく奇跡の産物としか言いようがない、高過ぎる高層建築である。高さが600メートルを悠に超えるその建物の名は、聖導教総本山『アイル』。教皇が許可する者のみが立ち入ることを許可された、神聖なる建造物である。

 その入口を開け中に入ったのは、聖騎士の一人。聖騎士は教皇に継ぐ権限を持った最上級の聖職者でもあり、この建物にも当然のように出入りが許されている。白と金で装飾された建物の内部はバランスの取れた美しさが際立っており、何度足を踏み入れてもその美しさには感嘆させられる。

 聖騎士_____その序列一位を預かるイルトは、たった今教皇の招集に応じてやってきた。


「はは、相変わらずの仮面ヅラかよ。この建物では外してもいいんじゃないのか、暑苦しそうだし」


 イルトに声をかけるのは、階段の上からイルトを見下ろす男である。

 聖騎士序列十一位、エラキオ・フリーブルー。ペアで動くのが当たり前の聖騎士の中で、常に単独行動をするせいで相方を困らせている問題児である。


「君の方こそ、ここで何をしている。懲罰房で大人しくしてるはずだが」

「いや、あそこにずっといるのは無理。暑苦しくて死ぬ。アンタが命令してくれれば、いくらでもシャバで暴れてやるのに」

「今すぐ失せろ」


 イルトが殺気を凄ませると、まるで今までそこにいたのが嘘かのように気配が消えた。


「……からかい好きはいい加減直してもらいたいものだ」


 そしてさらに上層階に向かって進むと、つい最近まで一緒に任務に取り掛かっていたジオとフェリスのペアに出会った。


「お、イルトさんだ」

「イルト様、お疲れ様です」

「ああ」


 ジオは聖騎士しか使えない御用達の食堂から出された食べ物を歩きながら頬張っている。いつもならフェリスが注意するのだが、先日のジオの怪我の原因がフェリスであったため、負い目を感じているのだろうか。

 ジオとフェリスは比較的話しやすい相手なので、イルトとしても仕事仲間として接しやすい相手だった。


「フェリス、ジオを頼む」

「問題ありません。問題行動を起こしたらすぐに処断します」

「え、俺処断されんの」

「ソースが服についたわよ」


 続いて、廊下の向こう側から妙な気配を感じた。


「……いたずらはやめておけ、イオル、ルイラ」

「ちぇっ、やっぱバレたかー」

「今のバレるのやばくない?」


 聖騎士にしては、あまりに幼すぎる二人組が姿を現す。修道服を着た姿、そして顔付きは全く同じだが、髪色が赤く短く切り揃えられている方がイオル、髪色がやや金に近く、おさげを垂らしているのがルイラだ。

 聖騎士としての序列は八位と九位であり、ペアとなっている。任務で外に出ることは少なく、アイルにいることが多い二人は年相応の遊び方として、やってくる聖騎士を驚かす罠を仕掛けているのだ。

 既に三回は掛かっているイルトは、これ以上の醜態を晒さないよう、戦闘時よりも鋭く感覚を研ぎ澄ましている。幸い、これ以上罠はないようだ。


「おじいちゃんが呼んでたから、早く行った方がいいよ」

「お前たちは行かないのか」

「うん、私たちはここで遊んでるの!」


 そう言って、キャッキャとはしゃぎながらどこかへ行ってしまった。


「……子供の教育はアイルここの苦手分野だな」


 続いて、上の階に行くためのエレベーターに乗る。このエレベーターは、最新鋭の始素の技術を応用して作られているそうだ。教会だからといって、古臭い伝統に縛られることはないのである。

 そうすると、二人組の男が乗り込んできた。短い青髪の初老の男性と、緑色の髪の細身な高身長の男の二人である。


「おう、イルトか、久しぶりだな」

「イルト、久しぶり」

「……お二人とも、久しぶりです。アグラさん、ヴェルト」


 初老の男は聖騎士序列二位のアグラ・ハイレンツ。イルトの剣の師匠であり、イルトの前までは長い間序列一位を務めていた。イルトが師匠として慕っている人物であり、聖騎士の中では最も厚い人望を集めている。『大将軍』の異名を持ち、伝説級の魔物を倒した逸話が数々存在している。

 細身の男は聖騎士序列三位のヴェルト・ヘルグール。イルトと同じくアグラの弟子であり、共に剣の腕を高め合った兄弟子でもある。剣技の才は凄まじく、祈術などを使わない剣技のみでの勝負であれば、イルトであっても八割の確率で敗北するほどである。


「お二人も、今から?」

「おう、北部での大海獣の掃除に存外手こずってな。さっき帰ってきて、風呂上がったところだ」

「アグラさんが両目瞑る縛りするからでしょう」

「おいヴェルト、それ絶対に他のやつに言うなよ。猊下げいかに叱られちまう」

「……師匠は相変わらずですね」


 アグラの強さは凄まじく、脅威度が5の魔物にも勝ったことが何回もある。また、戦うことが好きな戦闘狂でもあり、こうして魔物相手に遊びのような感覚で挑むのである。


「イルト、お前なんかあったろ。顔が浮かねぇぞ」


 そして、とても勘が鋭い。


「ええ、今日の議題に関係することです」

「ビザントとルートでの騒ぎだろ。聞いたぜ、数十万の魔物と人間が死んだってな」

「ええ。討伐に向かいましたが、逃げられました」

「なっ……!イルトが逃すほどだと……?どんな奴だったんだ」

 

 ここでヴェルトが言う『どんな奴』とは、その出自や性格を指してはいない。どんな戦い方をするのか、どんな術を使うのか_____そういった、討伐に関することしか聞いていいない。


「『超人』に覚醒した異世界人です。問題なく殺せるレベルでしたが、味方がいまして……逃げる準備を整えられていたため、みすみすと逃してしまいました」

「……そうか」


 アグラは人の感情に聡い。だからこそ、イルトが何かを裏に秘めていることにも気づいている。しかし、師匠である自分に言えないことなのであれば、それは探るべきことではないということなのだろう。


「まっ、お前のことだし、お叱りを受けるわけでもあるまい。あんまり気張るなよ」

「ありがとうございます」


 そうしているうちに、エレベーターが最上階に止まった。扉が開き____教皇が鎮座する広間の神聖な気配がイルトの肌を刺す。


(ここは、何度来ても慣れないな)


 リラックスのため、長く肌身から放さなかった仮面を取る。

 真っ白な髪が広間の光を反射し眩しく光る。サファイアのような青い目は髪と同じく白いまつ毛に縁取られ、見るものを吸い込むような引力を発生させていた。

 序列一位の座に座るにはやや幼い顔付きと、やや細身の体。初めてその姿を見るものがいれば、男装をした美しい女騎士にしか見えなかっただろう。人間離れした美貌は、見た者全てに畏敬の念を抱かせ、例え『神の子』であると言われても誰も文句は言うまい。

 それが人類の守り手として聖王剣を握る男_____イルト・ランバーレッドの姿だった。


 広間には、既に聖騎士たちが集結していた。そしてその奥には聖導教の教皇にして、聖導教の開祖の直径の子孫の人物が鎮座している。

 教皇、ラルフェス七世。高齢故に神は白くなっているものの、衰えを感じさせない、教皇としてふさわしい覇気を纏っている人物であった。


「……イルトよ、よく来たな。ビザントでの任務、ご苦労であった」

「この度は仰せ使った役割を全う出来ず、申し訳ございません。聖導の教えと聖王剣に誓い、次こそは必ず」

「良い良い。お主が失敗するのであれば、他のどの聖騎士であっても無理だったであろう。失敗は残念なことではあるが、お主であれば必ず成し遂げられるであろう。期待しておるぞ」

「はっ」


 教皇_____ラルフェスはこう言うが、恐らくイルト以外であれば成功したかもしれない。それこそ師たるアグラと兄弟子のヴェルトが組めば、あの異世界人を逃すことはないだろう。自分のように、感傷に浸って逃すようなことも、しないはずだ。そんな後ろめたさを抱えながら、イルトは序列一位、聖騎士の筆頭として、教皇の御前に立つことを許された。


 そして時間が経ち、全ての聖騎士(イオル、ルイラを除く)が広間に集結する。教皇ラルフェスの側には、側近である護衛官が二人ついている。

 かくして____緊急時にしか開催されない、聖導教の最高幹部のみによる会議が始まり、人類の守り手たる騎士が揃った。


 序列十一位、エラキオ・フリーブルー(欠席)

 序列十位、アルシャ・フィンドール。眼鏡をかけた、緑色の長い髪が特徴の女騎士である。

 序列九位、ルイラ(欠席)

 序列八位、イオル(欠席)

 序列七位、フェリス・ランドール

 序列六位、ジオ・ハルマール

 序列五位、アウスドラ・ドーン。スキンヘッドの偉丈夫であり、聖騎士の中で最もガタイに優れた騎士である。

 序列四位、フレンダ・アークブルーム。藍色の長い髪を結えた、女子高生ほどの外見の少女だが、背中には背丈よりも大きな大剣を抱えている。

 序列三位、ヴェルト・ヘルグール

 序列二位、アグラ・ハイレンツ


 そして、序列一位、イルト・ランバーレッド。

 錚々そうそうたるメンバーが集い、重要議題_____イルトが逃したという、『異世界人』の処遇を決める会議が始まった。






__________





「この場にはワシと聖騎士の皆しかおらぬ。自由に、忌憚きたんのない意見を述べよ」


 教皇ラルフェスの言葉に始まり、会議がスタートする。

 こう言う時は、事実上の聖騎士のリーダーであるアグラから話が始まるのが常なのだが、今回はイルトから始まることとなった。


「今回の議題は、私が取り逃がした討伐対象の『異世界人』についてだ」


 とはいえ、イルトの発言を誰かが止めることはない。アグラがリーダーであるのは事実上の話であり、役職においてはイルトの方がアグラよりも上なのだ。

 イルトが話を始めると、騎士たちの前に画面が映し出される。フェリスが持っていたレンズによって撮影した、異世界人_____瑛人の姿が、そこに映されている。


「名前は不明だが、出自ははっきりとしている。ビザント王国の祈術師たちがルートとの戦争を集結させるために呼び出した、最終兵器だ。召喚後、数十名の呪術師の生命力の全てを注ぎ込む強化呪術『妖呪縛転化カース・ビースト』を施され、魔物を殺す兵器となった。その後、呪術の効果が解けたことで弱体化していると思われていたが、束縛されていた呪術に耐性を付け、さらには『超人』として覚醒したことで支配を自ら解除。その後、呪術の余韻が影響で周囲にいたビザント王国の軍、政権幹部、王族全てを皆殺しにした後、王国内を彷徨うこととなった」


 驚くほどに詳細な情報は、ジオの目による観測や、ビザント王国の跡地に入って行った調査員の調べによって判明したことだ。


「そして一週間前、キジュラの街で私とジオ、フェリスの三人で奇襲をかけるが、ジオとフェリスは妖鬼と交戦し、該当する異世界人とは私が一人で戦うことになった」


 妖鬼、という言葉を出した瞬間、ジオの口から何かを噛み砕く音が聞こえた。音からして、飴玉でも加えていたのだろうか。最も、ジオが不敬なことばかりするのはここにいる全員が慣れているので、フェリス以外は表情も動かさなかったが。


「一人で追い詰めることとなったが、力の差では何の問題もなかった。『超人』としてもまだまだ覚醒したばかりであり、私とは三倍以上の力の差があった。武器も持たず、おまけに戦闘技能もほとんど持っていない状態だった。逆転の可能性など万が一にもなかったが_____」


 そこで、映像が切り替わる。今度は、フェリスが持っていたレンスではなく、イルトの仮面につけていたレンズで撮影された映像が映る。視覚的な情報を始素に変換することで保存する技術により、この世界にも映像を撮影する技術が備わっていたのである。


「ここで信じられないものを見ることになったのだ_____『英雄』の紋様だ」


 聖騎士の全員、そして教皇ラルフェスまでもが、目をぎょっと見張り、映像に釘付けになる。映像には、瑛人の左腕に浮かんだ、ばつ印と重なった菱形の紋様が映っていた。


「バカなっ、『英雄』だと?!異世界人にか?!」

「信じられません。しかも、あの聖王剣を形作っているなんて……!」

「…………」

「こりゃ、おったまげたな」

「えっ、そんな大変なことになってたの?」

「『英雄』の紋様ですか。目にするのは初めてですね」

「えええ!すごいですね。どんな感じだったんでしょう……」


 反応の方向性は個々人によって異なるものの、驚いている点は全員が共通している。だが、それも無理もない話だと思われた。何より、目にしたイルト自身が、一番驚愕しているのだから。


「『英雄』……。一つの時代に一度だけ現れるとされる、力を持つにふさわしい人物を導くために発言する力、歴史の意志と力の結晶体、か」


 『英雄』。

 歴史の文献にも数えるほどしか載っていない、特別な存在。体のどこかに必ず同じ印の紋様が浮かび、所有者に力を与えるのだ。

 力を与えられるのは、何も強きものだけではない。非力な人間が、強大な力を前にしても怯まず、勇敢な心を振り絞った時。落ちぶれていた人間が、強大な力を前にして誇りを取り戻すべく奮起した時。人間として、奇跡を起こせるほどの強烈な思いに答え、その力は姿を表し、人々を助けるのだ。きっかけが何にせよ、一度でも紋様を発現させた人間はその後数多くの奇跡を成し遂げ、名実ともに英雄の名を掴み取るのである。


 長い歴史の中で、『英雄』に覚醒した人物がその後聖騎士となり、聖王剣を振るったという話も残っており、聖導教にとっても無視できぬ存在なのが英雄だ。

 人類を守ることを基本原理とする聖導教は、基本的に英雄_____正確には、英雄に宿る『英雄の力そのもの』_____とは、同じ方向性で行動する。しかし、時には聖導教の教えと英雄の行動が反する場合もあるのだ。

 それが、今のこの状況である。


「問題なのは、人類を守るために存在するはずの『英雄の力』が、人類_____いや、この世界の敵に宿ってしまったということだ」


 英雄という存在は人類の誰しもが知る言葉である。また、聖導教の聖職者や国家を管理する政治家、祈術師や呪術師ともなると、英雄の力そのものを知っている場合もある。もし、教会の敵が英雄だと分かれば、何が起きるか。


「もしこの異世界人が英雄の力を持っていることを各国の首脳陣が知れば、下手すると我らに楯突くことも考えうる。聖導の教えと並ぶほどに、英雄に対する信仰心は強いからな。これらの背景を踏まえた上で、この異世界人を我々はどう関わっていくべきなのかについて、諸君の意見を聞きたい」


 広間が静まり返るが、立つ者たちの心のうちは静けさとは程遠い状況にあった。英雄との敵対という大ごとになるなど、一体誰が予想できただろうか。


「……それに加えて、もうじき『禍竜』が現れる時期でもある。ここ数年は周囲の生命を喰らうだけだったが、ビザント王国とルートによる抑えがない以上、これまで以上に暴れ出す可能性もなくはない」

「それはないのでは?あの竜の目的は、生命活動に必要な始素の回収でしょう?魔物の死体から出た濃密な始素があれば、食事には困らないのでは?」

「『禍竜』がどう動くかは様子見がいいだろうさ。備えられるよう、我らのうちの何人かが張っておくのがいいだろう。その方が、帝国に対する抑えにもなる」

「そうですね」


 異世界人の英雄_____瑛人だけでなく、定期的に出現する『禍竜』もまた、聖騎士レベルでないと対処が難しい相手である。基本的にアミル砂漠から出ることのない『禍竜』だが、警戒をしておくに越したことはない。


「ルートの魔物たちの動きも気になります。ジオが『紅蓮鬼』にやられたという話もありますし、魔物たちも何か動きを起こしていてもおかしくないのでは?」

「おいヴェルトさん、その話題マジでやめてくれ。蕁麻疹じんましんが出る」


 紅蓮鬼ことバンジと戦って以降、ジオは名前を聞く度にこの調子なのである。ジオとしても、あの敗北は耐え難い屈辱だと思っているのだ。

 このままだとジオの愚痴で場が白けてしまうので、イルトは早々に結論を出すことにした。


「ジオとフェリスは引き続きアミル砂漠周辺で待機だ。ルートの魔物を牽制しつつ、『禍竜』の動きを注意深く見ていてくれ。あと_____ビザント南部の魔物や帝国に対する牽制の意味も兼ねて、アグラさんとヴェルトにも向かっていただきます」

「なっ……アグラ閣下まで?!」

「おう、俺が必要なくらい事態は重いかもしれねぇってか?」

「……はい。現時点で最も危険な場所はここであると判断しました。序列一位として命じます」

「へいへい。そんじゃ、早速行くとするかね」


 アグラは聖騎士の中でも突出した強さを持っており、アグラの出陣は事実上の最大戦力投入作戦となるのだ。これほどまでに聖導教がアミル砂漠周辺に対する警戒を強めることは、今回が初めてであるから、フェリスが驚くのも無理はない。


「そして、異世界人については引き続き私と、新たにフレンダとアウスドラに来てもらう」

「イルトさんよ、それはアンタが逃しちまった奴を、もう一回自分の手で倒すってことかい?また逃すかもしれないなら、こっちをアグラさんに頼んだ方がいいんじゃないのかい?」


 序列五位のアウスドラは不敵にもイルトに不満を唱える。一度逃した相手を、もう一度同じ人物が対処するのはあまりいい手とは言えない。そういう意味では、アウスドラの言葉には説得力があった。


「黙れ。次は絶対に逃さんし、必ず打ち果たしてみせる。これは私なりのケジメの付け方だ。聖導の教えと聖王剣に誓って、絶対に私が討ち取ってやる」


 しかし、イルトはその申し出をキッパリと断る。そして、脳裏に銀髪の少女の顔を思い浮かべた上で、覚悟を見せるかのように殺気を解放した。

 広間全体にあらゆる者を押し潰すほどの凄まじい殺気が吹き荒れ、そこにいた聖騎士の全員が、呼吸が詰まるほどの圧力を感じることとなる。

 イルトが本気であることを感じ取り、アウスドラも推し黙るしかなかった。


「おいイルト、猊下の前で気を解放するのはやめろ」

「……申し訳ありません」


 アグラに言われるまで、己の気をダダ漏れにしていたイルト。その胸のうちに秘めているのは、瑛人への怒りでも_____シルヴィアへの怒りでもない。

 己の甘さ。そこに対する、激甚なまでの怒りだ。


「残りの聖騎士はアイルここで待機しろ。最上級の聖騎士でもって、今回の事態の完全な解決を図る!」


 イルトがそう告げたことで、会議は終了となる。

 聖騎士が続々とその場から退出する中、イルトは教皇に呼び止められた。


「イルトよ。お主、何があった?」

「……猊下」

「今でも、お主の高潔な心はそのままだ。聖王剣は変わらずお前を認めておることが、何よりの証明であろう。だが、お主が先ほど放った気には、確かに迷いが生じておったぞ」

「……気づかれておりましたか」


 イルトは普段仮面を被っており、そもそも素顔を知る者が少ない。また、滅多に心を開くこともない。イルトが本音で会話ができるのは、師匠のアグラ、兄弟子のヴェルト、そして教皇ラルフェスくらいしかいないのだ。他の聖騎士に対しても、聖騎士に当てられた身辺の世話係に対しても、真の意味で心を開いたことはない。


「話さずとも良い。お主の覚悟はよく知っておる。じゃが、敵と相対した時に迷いが生じてしまえば命取りであるぞ」

「…………」


 イルトにとって、教皇ラルフェスは父のような存在が。幼い頃からずっと気にかけられ、大切に育てられた恩義がある。

 そしてラルフェスにとっても、イルトは息子、あるいは孫のように大切な存在だった。イルトの頭に手を置き、その頭を優しく撫でる。


「行ってきなさい。お主が後悔しない道を、全力で歩め」

「……ありがとう、爺さん」


 イルトはラルフェスが与えてくれた温もりを胸に仕舞い_____再び騎士としての冷徹さを滲ませた表情をして、広間を後にした。


(……もう、後には引き下がれないぞ。……シルヴィア・アールウェイン)


 その道にあるのは、もはや聖なる裁きのみである。


 





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