第3話 空白の大地


大陸の中央部に位置する人類の国家群、『中央諸国』。バール共和国、モナーク共和国、ジュロン共和国、シャルル大公国、リーゲルティア王国、インベルト王国、サリム王国、そしてビザント王国の八カ国がひしめくこの地域は、大陸における三大人類圏の一つであり、総人口は六億に達する。

北西部にはもう一つの大きな人類圏である『教皇領』が存在しており、単一の宗教の元、教皇による強大な支配が成り立っている。教皇領の東、中央諸国のちょうど真北の方角には魔物と人間の混じった『亜人族』が暮らす国々が連なっており、大河であるゴール川の影響もあった豊かな穀倉地帯となっている。

南方には大型の魔物が生息するビーグル高原が広がり、国家が存在しない地帯となっている。資源が豊富な場所だが、危険な魔物が多いので、これまで国家の手が及んだことはほとんどない。

東側には海が広がり、大陸なのか島なのか微妙な大きさの陸地が三つ連なっている。一番近い場所はどの人類圏とも同盟を結ばず、常に中立を保っているランドル合衆国が存在している。さらにそこからやや南西に行くと海由来の人類『海人』が住まう王国、ブルアンディスが存在しており、逆に北西に進むと火山列島が連なる場所が続き、一際大きな島にヒジマという人類の国家が存在している。

そして、西側は完全に魔物の領域である。大陸西部平原を有し豊かな資源を持つ多様な魔物の国ルート、そのさらに西では人に近い魔物『鬼族』が住まう国オーグ、動物と魔物が混じった『魔獣』が暮らす獣国ベルダ、竜の因子を持った生き物が暮らす竜国ドルスト、そして国ではないが、精霊とされる生き物が多数暮らしているイーリアの大森林が存在する。

この西域の魔物生存圏から南に行くと標高が7000メートルを超える山が連なるキャンブラ山脈が聳えており、その南には三つ目の人類圏にして大陸最大の国家『ヴァルド帝国』が存在している。東側の海にまで達するほどの領地を持つ帝国は中央諸国の合計よりもさらに多い人口を有しており、徹底した鎖国体制を作り上げている。中央諸国と教皇領はそれなりの友好関係を築いているが、帝国とは逆に敵対関係にあり、度々帝国による大侵攻によって戦争を起こしているのだ。



所々で争いは起きつつも、数百年間変わらぬ秩序を維持していた世界は、ある日突然終焉を告げる。

中央諸国最大の国家、ビザント王国。

西域最大の魔国、ルート。

ほぼ同じタイミングで、二つの大国が地上から姿を消したのである。





__________





中央諸国八カ国の元首が集まって行われる、『中央大陸会議』。

ある程度の利害の絡みはあれど、概ね協調の姿勢を見せる中央諸国が連携するために設けた会議であり、八カ国全てを巻き込むレベルの話ではこの会議が使われることとなる。

出席者は八人の元首となるため、時には意見が真っ二つに分かれ収集がつかないこともあるが、そもそも八カ国は対等の関係であるため、会議で決定したことに大きな強制力があるわけではない。会議での内容は、あくまで『参考』として各々の国に持ち帰るのが普通なのだ。そのため、会議は非常に緩やかに進行されることが多い。


しかし、今回の中央大陸会議は違った。参加者が一人欠け、今までにないほどの緊迫を見せる会議となったのだ。


「オルティノス王が亡くなられたのか?!」


「彼の国は王族を含め、王位継承者全員の安否確認が取れていない」


「軍も壊滅状態にあり、宰相含め政権幹部も全滅している。統治機能は失われた」


「難民が押し寄せてくるぞ!」


「ルートとの戦争はどうなった?魔物がやったんじゃないだろうな」


「ルートも同じ状態だよ。統治ができる強力な魔物は全滅した」


「召喚術による暴走だとな。一体どんな化け物を召喚したんだ?」


「中央諸国最大の国家の崩壊だぞ。経済への影響は計り知れん」


「混乱の影響で、難民の間で武力衝突が起きているぞ」


「まずは教皇領に支援を仰がなければ」


「防衛機能の空白のせいで『禍竜』の歯止めが効かんぞ」


「深刻な始素資源不足になるな」


「食料の確保はどうする?」


「合衆国にも協力を仰がなければなるまい」


「一人は二人くらい、統治できる人間はいるだろう!『直属憲兵』は何をしている!」


「元凶となったのは魔物か?」


「ルート側からの報復に備えなければ」


「召喚したのは英雄だと?なぜ英雄が人を殺して回るんだ?」


「『聖騎士』に要請を出せ!」


「これほどの軍事的な空白、帝国の介入もあり得る」


「ビザントはこれで滅亡なのか?」


過去一度も前例のない、参加国家の滅亡という異常事態に対し、彼らの対応能力はあまりに不足していた。一億人に達する人口を持つビザント王国が一瞬にして滅んだこの出来事は、そこから先の歴史にも一大事件として扱われることとなる。



__________






「これは……凄まじいな」


旧ルート領のアミル砂漠。定期的に『禍竜』が発生することで有名なこの場所は、ついこの間までビザント王国とルートの紛争地帯に位置していた。所々にオアシス都市が築かれ、ルート軍の拠点となっていたはずだ。

だが、そこを訪れると、破壊し尽くされた廃墟しかなかった。至る場所が不規則な形で破壊されている。戦争から一ヶ月が経過しているためか、所々に殺された魔物のものと思わしき骨が残っている。


そこを訪れていたのは、ルートの北に位置する国家『教皇領』に属する者たち。その中でも、教皇の懐刀として絶大な権力と戦闘力を有する『聖騎士』の三人である。『聖騎士』の名を冠するのは、この地上には十一人しかいないが、そのうちの三人がここに揃っていた。


「本当に一匹残らず殺し尽くされてますよ、さっきの町も、あっちの町も。ルートってそこそこ強国でしたし、兵も強かったはずなんだけどな」


緑色の髪の高校生くらいの男子にしか見えない風貌の男、聖騎士序列第六位のジオ・ハルマールはそう呟く。ジオの目は青く光っており、その目は地平線の向こう側までもを視認している。その目に写るのは、遥か彼方まで続く濃密な死の気配だった。


「死んだ魔物の数は三十万を確実に上回っています。凄まじい数の死体から漏れ出た始素マナが、この一帯の大気を埋め尽くしているのでしょう。これが風で教皇領や中央諸国に流れていけば大惨事になります」


金髪を三つ編みに編んだ女性、聖騎士序列第七位のフェリス・アンドールはレンズを嵌め込んだ観測器具を使いながら、手元の紙にメモを記載していく。観測器具な始素を観測するものであり、観測器具には見たこともないほどの濃密な始素の跡が記録されている。


二人の聖騎士が話している相手は、彼らの上官に当たる聖騎士である。顔を甲冑が覆っており、風貌はおろか表情すらも読み取れない。だが、その完璧な佇まいだけは、例えそこが死に満ちる砂漠であっても凛としていた。


「……高濃度始素の大気の処理は問題ない。じきに『禍竜』が目覚めれば、始素は吸われていく。食事が簡単になるなら、『禍竜』の災害も逆に抑えられるだろう」


聖騎士序列第一位、イルト・ランバーレッド。教皇領の最高戦力であり、その勇名は中央諸国にも知れ渡っている。手に持つ剣は、世界最高級の『霊装』である。


「それよりも、この原因究明を優先すべきだ。ジオ、対象の始素は確認できるか?」

「えぇ、ばっちりと。隠す気ゼロみたいで、あちこちに残滓が残ってますよ。ですが、不思議なんですよね。始素の存在を認知することはできるんですが、俺の目には写らないんです」

「あなたの目に写らない始素ですって?そんなことがあるの?」

「いや、こんなことは初めてだよ。始素の圧だけでいえば覇王並みだけど、種族が分からん」


ジオの目は、始素を視認することができる特殊な目だ。始素を可視化すること自体は聖騎士ほどの実力者であれば簡単にできるが、ジオの目は始素をただ見るだけではなく、始素を構成する細かな波長まで全て見ることができる上、観測できる範囲もずば抜けている。


「……未知の新たな種族、という可能性は?」

「いやー、なんも分からんです。ビザント王国での噂だと召喚したのは人間みたいなので、少なくとも人型の種族ですね。召喚できるってことは未知の種族じゃないでしょう」

「……なるほどな。大体分かった」

「……えっ、分かったって何が」

「召喚されたのは『異世界人』だ。お前の目で観測できないのは、異なる世界のエネルギーだからだろう」

「……マジっすか。異世界人なんて、数百年に一度しか現れないでしょうに……」

「数百年に一度だろうが、前例はある。大方、召喚した異世界人が暴走したのだろう」

「異世界人、ですか。召喚されたばかりでこれほどの破壊をもたらすとは、相当な力の持ち主でしょうね」

「この世界を知らぬ者が、己の力の大きさも弁えずに暴走しているならば、それは人類の敵だ。すぐに排除しなければ、また国が滅びることになる」


聖騎士の役割は、教皇に仕え教皇領を守ることだけではない。中央諸国を含め、幅広い人類に受け入れられている一大宗教『聖導教』の導き手の一人でもあり、騎士でありながら聖職者でもあるのだ。聖導の教えを守るのであれば、誰であれ聖騎士にとっては庇護の対象なのである。


「行くぞ。失踪した異世界人の行方を追う。見つけ次第、早々に始末するのだ」

「「了解」」


聖騎士三名は、死が満ちる砂漠を途轍もない速度で駆けていった。





__________





「そうか、報告ご苦労」


報告にやってきた部下を労うのは、ラフなTシャツ姿の男である。豪華な絨毯が敷き詰められた部屋の中を不恰好なスリッパのまま歩くその姿は、とても国家元首とは思えない。

中央諸国に東の海に位置する大国、ランドル合衆国の大総統、アールシュ・フォルナ・ゼバインオーグ。大総統にしては若すぎるその年齢、それでいて就任してわずか二年で合衆国の経済の低迷を解決した優れた手腕故に、国民から絶大な支持を集めている人物である。


彼の元に届いたのは、中央諸国で起こった異変に関する報告であった。一ヶ月前、突如として王族を含めた政府首脳陣が姿を消したビザント王国、そして敵対関係にあったはずだが、ビザント王国と全く同じ道を辿ったルート。不可解極まる状況の中、周辺国はなんとかして情報を探らんとしていた。

そんな中、アールシュの元に届いたのは信じがたいが、筋が通る情報であった。


「……召喚された『異世界人』が暴走した、か。やれやれ、これはとんでもないぞ。本当なら、ビザントの術師たちは愚かなことをしたもんだ」


異世界人。一国の首脳でもあるアールシュはその存在を知っている。この世界では数百年に一人しか現れないような、極めて特異な存在である。その特異性は魔物のさらに上に位置する悪魔や天使といった種族よりもさらに上であり、この世界に数えるほどしか存在しない『覇王』の名を関する生命に匹敵するほどである。

かつて召喚された『異世界人』が悪逆の限りを尽くしたという記録もあり、その特異性、そして危険性故に聖導教においては『世界の敵』として扱われている。

元々、中央諸国の中でもビザント王国は地理的な問題もあって聖導教の影響が弱かった。故に、異世界人を呼び出すという暴挙に出てしまったのだろう。


「場合によっては海を越えて難民が来るかもだね。受け入れる分には問題ないが、そういう余裕がないかもだな」


アールシュは、その明晰な頭脳でこれから何が起きるのかを思考する。この世界では、ちょっとした気の緩みがそこから先の全てを壊してしまう。ほんの僅かたりとも、妥協した考えはできない。


「人類圏の中でも目立つ大国と、資源豊富な魔物の国の滅亡か。こりゃ、大きな戦争が起きるぞ_____」


大総統して、できることは全てやるのがアールシュのモットーだ。目の前の書類の山を片付ければ、またすぐ次の仕事が待っているが、放っておく時間はない。


「やれやれ、僕だって永遠に働けるわけじゃないんだぞ……」


そう愚痴りながらも、アールシュの仕事は続く。





__________





「……なんだ、これは」


魔物の国ルートも、ビザント王国と同じか、それ以上の大混乱に見舞われていた。

ルートは魔物の国らしい統治が行われており、その代で最も強い魔物が統治者として君臨し、その魔物の一族が国を統治するのだ。強さを権力の指標とするやり方は、魔物の気性とも合うため受け入れられ、例え異なる種族の魔物であっても、強ければその統治には誰も不満を抱かないのが普通であった。現代は魔物の中でも一際高い始素量を誇り、鬼族の中でもとりわけ人に近い種族『妖鬼』が統治を行なっている。

しかし、一月前から統治を行なっていた妖鬼の一族は姿を消し、その配下であった者たちも姿を消した。その後、見つかった大量の死体、そして何とか戦場から逃げることに成功した魔物の情報から、『ビザント王国が召喚した英雄によって皆殺しにされた』という情報が明らかになる。


ルートは統治機能が崩壊したことで、混乱の極みにあった。ただでさえ長く続いた戦争によって国力は疲弊していたのだが、それに次ぐ統治機構の欠損は、より一層の混乱をもたらしていたのだ。

我先にとさらに西にある魔国へと難民となって逃げ込む者、親しい者の死を嘆く者。さらには政治的空白を利用し自分達こそが次の統治者になろうとする者、ルートは終わりだと考え、また別の国を作ろうとする動きすらあった。


混乱の極みを迎えたルートの首都「ルートヘイル」のとある場所では、戦場で発見された兵士の死体が並べられていた。死体の中でも、原型を保っているのは奇跡的な方だ。現地にいった者たちによれば、ほとんどの死体は跡形も留めず、既に腐敗しきっていたという。

その一角では、高い戦闘力を持つはずの『妖鬼』の死体が並べられている。鬼族の象徴たる頭の角は無惨にも砕かれ、ほぼ全ての死体に何らかの欠損があった。


妖鬼の青年バンジは、よく見知った者たちの死体の前で、呆然としていた。


「……フウジ……ジュウキ……ハーレイ……ヘルダ……」


知っている者は全員が、腕や脚、時には頭部が欠損していた。大量の始素を有する妖鬼がこれほどの傷を負うのは、明らかな異常事態である。

バンジの後ろには、バンジの妹でもあるシーナがいた。シーナもまた、親しかった者たちの死に涙を浮かべ、体を震わせている。


「お兄様……どうして、こんなことに……」


妖鬼は、鬼の中でも人と姿が近しいため、魔物の中でも比較的人間との関係が良好な種族だ。力も強く、頭もいい妖鬼には、魔物に対する卑怯な手が通じないため、人間としては友好的に接するしかないためである。バンジやシーナも、かつては人間と仲良くしたことがあった。

しかし戦争が始まったことで、ルートに在籍していた人間は全員が強制追放となり、応じないものは収容所に送られた。バンジはそれに反対し、何とか彼らを収容所から出すことには成功したものの、国を追放された彼らとは二度と会えなくなってしまった。

それでもなお、バンジは魔物と人間が共存できる世界のために奮闘し続けたのだ。それが、人間に近い姿で生まれた魔物である自分達の使命だと思ったから。


だが、その使命は血塗られた現実によって、簡単に塗り潰されてしまった。


「……なぁ、シーナ。俺はどうしたらいい。俺は今でも人間と仲良くなりたい。悪い奴もいるけど、いい奴は本当にいい奴なんだって知ってるんだ。でも……!」


妹の前で、兄として格好のつかないことはしたくない。だが、今この胸に満ちるものをここで吐かなければ、確実に自分は壊れてしまうという確信があった。


「こんなの見せられたら……やっぱり俺は間違ってたのかもしれないって……!」

「……違います。お兄様は悪くありません」


シーナは、バンジが人間を庇い、仲間たちから『裏切り者』と呼ばれながらも懸命に人間を助けたことを知っている。そして、バンジが助けた人間たちが心の底からバンジに感謝していて、彼らが本当に善人であることはよく理解している。

だからこそ、行き場のない兄の無念が、痛いように分かるのだ。自分も、かつては人間と親しくしていたのだから。


「人間は、全員が同じ考えを持っているのではありません。国や住む場所が違えば、彼らもルートの魔物のように、多種多様な存在となっていくのです。お兄様が助けた方達は人間ですが、決して殺戮をもたらすような悪人ではないのです」

「なら、俺はどうしたらいい?自分の理想を貫いたせいで仲間を失った俺は、一体どうしたらいい?もう人間との共存なんて無理だ。今は誰だって、人間に対する強い憎しみに囚われてる。もう、俺の理想なんて絶対に叶わない」


妖鬼は強力な魔物だが、国全ての魔物を従えるほど強くはない。バンジの理想は、現在のルートの国民の考えの逆をいくものである異常、報われる機会は遠い先まで訪れないだろう。


「ビザント王国も同じだ。向こうも向こうで、より一層魔物に対する敵対心を強めるに違いない。もう、魔物と人間の間は、後戻りできないくらい遠ざかってしまったんだよ……!」

「お兄様……」


臨時的な措置でルートを統治しているのは、妖鬼の次に強い種族である『竜翼人ドラゴニュート』だ。『蜥蜴人リザードマン』の上位に当たる種族であり、竜に極めて近い見た目を誇る。力もさることながら、竜族から受け継いだ頭脳も持ち合わせており、統治者がいなくなった場合の緊急の統治を任されている種族なのだ。彼らの現在の方針は、壊滅的な状態となっている軍の参編成と、不思議なことに自分達に殺戮をもたらした者と同じ者によって滅ぼされたビザント王国の状況確認である。もし向こうが再軍備をするのであれば、また再び戦争が起こるだろう。以前のものよりも、より苛烈な戦争が。


「……決めたぞ、シーナ」

「……えっ?」


バンジは立ち上がると、かつての仲間達の形見を持ち、その場を去ろうとした。


「この元凶は召喚された『英雄』にあるんだったな。ビザント王国も、そいつに滅ぼされたと聞く。何も報告がないなら、そいつはまだどこかを彷徨うろついているかもしれない」

「お兄様……?何をなさるつもりなのですか?」


バンジな小人族の名工が打った名刀を腰に持ち、スタスタと歩いていく。後ろを追いかける妹のことなど、もう気にしないかのように。


「……俺が、その『英雄』を殺す。そしてその首を掲げて、戦争をルートの勝利で終わらせるんだ」





__________





旧ビザント王国領、北西防衛要塞にて。


ビザント王国は中央諸国の中でも最南端に位置し、首都も南部の盆地に位置している。そこが壊滅した影響で、北部には凄まじい数の難民が押し寄せていた。

殺伐とした要塞には、今では食糧の配給を待つ民衆の大群の姿があった。民衆の多くは長い旅路の中で疲弊しきっており、寒さを凌ぎながら毛布にうずくまっていた。


「…………私の、せいだ」


そんな光景を眺めながら、銀髪を風に揺らす少女、シルヴィアは深く絶望した瞳を空に向けた。

召喚術を成功させたあの日。国王オルティノスによって裏切られ、召喚術は逆手に取られた。祈術による召喚は、召喚を行う祈術師の願いに応じる形での英雄が召喚される。今回は、戦うことなく武威を示すことのできる、高潔な英雄を召喚する召喚術を発動させたのだ。

だが、召喚直後に、祈術の反対の術である呪術によって召喚術を上書きした。祈術では召喚した英雄に『行動命題』を与えることはできても、束縛などは一切できなかったのだが、呪術によってそこを補強。束縛した上で、魔物を殺し尽くす『呪言』をかけたのだろう。通常の英雄なら呪術にレジストすることができるが、召喚されたのは異例の異世界人。呪術に対する耐性を持っていなかったがために、あのようなことになってしまったのだ。

だが、その後すぐに呪術への耐性を身に付けたのだろう。身を縛っていた呪術を破壊し、そのまままるで同じことを再現するかのように殺戮を繰り広げた。一人一人の人間を、丹念に殺すかのように。

その大暴れの影響で首都は灰塵となり、シルヴィアの父を含む政権中枢の人間は犠牲となった。シルヴィアも逃げるための避難船に何とか乗り込み、ギリギリのところで生き延びたのだった。


だが、逃げるのは間違いだった。自分こそが、あの時一番死ぬべき人間だったというのに。


「私のせいだ。私が間違ってたんだ。私が興味本位で彼を呼び出してしまったから_____」


そこまで考え、シルヴィアは自分の考えがおかしいことに気づく。悪いのは彼を呼び出してしまったことではない。

召喚したばかりの時、彼とは会話する機会があった。思っていた英雄と少し違ったが、屈託のない表情を浮かべた善人だった。そんな人間に、殺戮の性を着せたのは、紛れもなく自分なのだ。


「…………ひぁ、ぁぁぁぁ…………!」


膝が崩れ落ちる。ボロボロと涙が溢れて、頭の奥から何かが出てきそうなくらいの頭痛がした。自分という存在の罪深さにが恨めしくて、自分という存在の愚かさが憎たらしくて。シルヴィアの心の内を、地獄の業火の如き炎が焼き尽くす。

死ねばいい。こんなに傲慢で罪深い人間など、早く死ねばいい。

もういい、こんな馬鹿なことはもう嫌だ。

死にたい。死にたい。死にたい。


思わず、腰にしまっていた軍人専用の短剣を手に取る。これを喉に突き立てれば、それで終わりだ。もう迷いなんて存在しない。迷いなど_____


「__________あ」


ある。

自分がたった一つ、置いてきてしまったものがある。

彼だ。自分がこの世界に呼んでしまった人間。彼のことを、そのままにしてはいけない。異世界から一人この世界に放り出された人間が殺戮を強制させられるなど、絶対に耐えられることではないのだから。彼のことを放っておくなど召喚した人間として絶対にあってはならない。

それに、死ぬなら彼に叩き斬られて死ぬべきだ。彼に殺されるのであれば、どれだけグチャグチャにされようとも、それでいい。

でも彼が、おそらく世界の全てから敵意を向けられた彼が、自分のせいで理不尽な目に遭うのは耐えられない。もしそんなことになっていたら、シルヴィアは自分のことが死んでもまだ足りぬほどに許せなくなる。


気づいた時には、走り出していた。何人かの人間が呼び止めようとしていたが、それを気にせずに走った。

要塞の近くに停められていた車にまたがり、うろ覚えのやり方で操作する。始素で動かすこの車は民間人には広まっていない、軍用の貴重品だ。幸いなことに始素は十分に装填されているので運転可能であったし、必要な時には祈術で空間から始素を集めて装填することができる。構わずにエンジンを回し、整えられていない道路を駆け出していった。


(お願い_____間に合って!)


己の責務から逃げないために_____シルヴィアは、人のいなくなった大地を駆けていった。

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