雪解け 【勇蘭視点】

 ……僕は、夢を見ていた。



 夢の中で僕は、なぜか死んだ筈の父さんに抱きしめられていた。


 父さんは肩を震わせながらも、強く強く僕を抱きしめてくれる。

 その与えられる温もりが、とても懐かしくて、とても心地よくて、とても嬉しくて……ついずっとこのままこうしていて欲しいとさえ、そう思ってしまう。



 ……でも、急に父さんは僕から離れてしまい背を向けて歩き始めてしまう。



(……っ、ま、待ってよ父さんっ。待って……っ、ぼ、僕は……僕はまだ……父さんと……っ!)



 だけど、父さんはどんどん離れていってしまい……



 そこで、僕の夢は途切れてしまった。



「……あっ、お、お父様っ!? だ、大丈夫ですか?」


 ぼんやりと、僕の視界にミハルちゃんが映りこむ。


「……ミハルちゃん……?」


「お父様、どこか痛いところとかありませんかっ? 私の事ちゃんと覚えていますかっ?」


 とても心配そうな表情で詰め寄ってくるそんな彼女を安心させる為に、僕は体を起こす事にする。


「……んん……っはぁ。おはようミハルちゃん。えっと、とりあえず別に痛い所とかは特に無いし、ミハルちゃんの事も勿論覚えているんだけど……どうかしたの?」


 自分の腕や腰回りを軽く動かしながら、別段異常がない事を確認する。

 特に問題無さそうな僕の姿に、ミハルちゃんはようやく安堵したようで急に強く抱きしめてきた。


「……わっ!? み、ミハルちゃん……っ!?」


「……う、うぅ、本当に良かったです。お父様にもしもの事があったら私……」


「…………え?」


 ……んん?

 なんだろう、ミハルちゃんにこんなにも心配されるような覚えが全くないんだけれども……気付かないうちに僕はまた何かやらかしてしまったんだろうか?


 とりあえずこの現状を把握する為に一度周囲を見回してみると、見覚えのある宿屋の室内が広がっている。


 ……うん、ここは昨日僕達が借りた宿屋の部屋だ。

 確か……部屋を借りてからその後一人で船のチケットを買いに行って…………あっ! そうだっ、そこで偶然萌愛ちゃんに会ったんだよっ。


 それで萌愛ちゃんと一緒に楽しく遊んで、晩ご飯食べて、それで…………あっ!!


 ようやく僕は、昨晩の萌愛ちゃんとのを鮮明に思い出した。


 ……そ、そうだったっ!

 ぼ、僕はついに……ついに……っ、ど、童貞を卒業してしまったんだったっ!


 萌愛ちゃんに迫られて、歯止めが効かなくって、それで一緒にホテルに…………って、あれ? だとしたら何で僕は今、この宿屋のベッドに寝てるんだろう?

 ……あ、あれがもしも夢じゃないのだとしたら、僕はまだ萌愛ちゃんと一緒にホテルのベッドに寝てるはずだ。


 だけどこの部屋には僕とミハルちゃんしかいない。


「……ね、ねぇ、ミハルちゃん。き、昨日の夜の事なんだけどさ? 一体何があったのか詳しく教えて欲しいんだけど……」


 恐る恐る問いかけてみるとミハルちゃんは一度僕の体から離れて、でもその表情は再び不安そうなものへと変わっていた。


「……お父様、覚えていないんですか?」


「あ、いや、その……と、途中までは、覚えているんだけどさ? ……あ、いや、ごめんっ。でもあれは本当誤解なんだっ。いや、誤解って訳でも無いんだけど、その……若気の至りと申しますか……なんと言いますか……」


 慌てて昨晩の出来事を弁明するも、それに反してミハルちゃんはとても冷静に、僕の想定外の台詞を返してくれた。



「お父様、死にかけてたんですよ?」



          *



「……そ、そんな、それじゃあ……」


 あの後の出来事を全て聞かされた僕は……まるで夢物語でも聞かされてる気分だった。

 そのくらい、その出来事が信じられなかったから。


「……はい。勇騎様が残りの人生の半分、寿命を分けて下さったおかげで、お父様は何とか一命を取り留める事が出来たんです」


「……あの人が……」


 が、に?


 な、何で……何でそんな事あの人が……。

 それもこんな……こんな僕なんかの為に……っ。



 今にして思えば……あの日、秘密裏に日本に来ていた千年に一度ちゃんを狙って、僕のうちに魔族達が攻め込んできた事自体が、全くおかしな話だったんだ。


 千年に一度ちゃんが日本に来る事は内密だったし、結界魔法まで使える天使族相手に、それを魔族達が事前に知るすべなんて普通は無いはずだから。


 ……だけど、だけど実は……ちゃんとその機会はあったんだ。


 そう、あの時……


 


 だから僕は、城が攻め込まれた時点で本当は萌愛ちゃんを疑わなければいけなかったんだ。

 いや、例えもしそれに気付かなかったとしても、いくらなんでも出会って二日目の美少女が簡単に身体を差し出してくる事自体に……疑いを持つべきだったんだ。


 なのに……なのに僕は浮かれて、はしゃいで、リスクも何も考えずにただ状況に流されて、欲望に身を任せて……また、自分の命を失う所だった。



 全部……全部僕のミスで、全部僕の責任で……全部、自業自得なんだ。


 でも、だからこそそんな僕の命を、あの人が助けてくれる義理なんて何一つない。

 命をかけてまで……そこまでして僕を救う必要なんてどこにもない。

 だってそもそも、あの人はただ僕の父さんに似ているってだけの……ただそれだけの……なんだから。


 ……なのに、それなのにどうして……っ?



「……ミハルちゃん、あの人は今どこにいるの?」


「え、勇騎様ですか? 今はお父様が借りた方のお部屋に皆様といるはずですけど……って、お父様っ?」


 僕はすぐさまベッドから飛び降り、急いでその部屋へと向かう。


 そして勢いよくその部屋の扉を開くと、中にはその人と筋肉さん、亀甲縛りに猿轡さるぐつわを施された萌愛ちゃんと……あとなぜかあの食堂のウェイトレスさんまでもが集まっていた。


 いきなりの事にみんな一様に驚くも、でも僕の姿を確認するなりその人はとても嬉しそうに近づいてきた。


「……勇蘭っ! も、もう大丈夫なのか? どこも痛くないか? 変なとことかないか? あ、お腹空いてないか? ちょうど今から朝飯を買いに行こうと思っててさ? いや、筋肉んが腹減ったってうるさくてうるさくて。勇蘭は何か食べたいものとかあるか?」


「いやいや、先生よぉ。オレは昨日のそのまた昨日の晩から何も食べてねぇで外でぶっ倒れてたんだぜ? なのに中々誰も助けに来やがらねぇしよぉ……もはや1ミリも動けねぇんだからしょうがねぇじゃねぇかよ?」


「いやだから悪かったって。ほら、だから俺が買ってくるって言ってるじゃないか。それで、勇蘭は何がいい? まぁあんまり豪勢な物とかは無理だけどさ?」


「…………」


 まるで何事もなかったかのように気さくに話しかけてくるこの人とは正反対に、今の僕はきっと物凄く仏頂面になっていただろう。

 だからなのか、急に目の前のこの人は心配そうな表情でまた僕の様子をうかがい始める。


「ゆ、勇蘭? どうした、まさかやっぱりどこか痛いのか? びょ、病院行こうか? あ、愛鏡ちゃん、まさか俺達何かミスったとか?」


「落ち着いて下さい、勇騎さん。ちゃんと成功しています。それにほら、その証拠に勇蘭さんの髪の色も肌艶も、完全に元に戻っているでしょう?」


「い、いや、そうだけどさ……」


「…………」


 …………


 ……なんで


 なんで、この人は……っ。



「……なんで、なんですか?」



「……え、勇蘭?」


「……っ、何で、何で僕なんか助けたんですかっ!? あなたは確かに僕の父にとてもよく似ていますけど、でもただそれだけじゃないですかっ! 本当にただそれだけで……実際には何の関係もない、全くの赤の他人じゃないですかっ! なのに……なのに何でこんな何の役にも立たない、迷惑ばっかりかけてるだけのこんな僕を……母さん達の言いつけも守らずに、そのくせ敵の策略にはまんまとハマって、死にかけてっ! ……父さんみたいに世界を救うような凄い偉業を成し遂げて、僕をバカにして来た奴らを見返してやろうって……そんな浅はかな願いの為だけに、ミハルちゃんまで巻き込んで……。こんな、こんな自分勝手な馬鹿の為に……なんであなたは自分の命を削ってまで僕を助けたりしたんですか? 何でそこまでしてこんな僕なんかを助けたりしたんですかっ。なんで……なんでこんな、僕なんか……」


 自分の不甲斐なさを、愚かさを、もはやただの八つ当たりのように目の前のこの人にぶつけてしまう。

 だけどそんな自分に更に自己嫌悪してしまい、僕はまっすぐにこの人の顔を見る事すら出来なかった。


「……勇蘭……」


 なのに、この人は……こんなどうしようもない僕の八つ当たりに怒る事もなく、ゆっくりと……優しく言葉を紡ぎ始めた。


「……なぁ、勇蘭。俺さ、まだ君や星蘭さんに言ってなかった事があるんだけどさ? 今、少し聞いてもらってもいいかな?」


 僕は答えない。だけど、この場を動く事も出来なかった。


「……俺がさ、ドゥルの魔法陣に吸い込まれて、こことは違う世界から来た事は……あの時の夜に言ったよな? でな? その吸い込まれた時なんだけど……実は俺、ちょうど自殺をはかってた最中だったんだ」



「…………え?」


 自殺、という全く予想外のその単語に僕は思わず顔を上げてしまう。

 すると目の前のこの人はとても優しそうな表情で、真っ直ぐに僕を見つめながら再び語り始める。


「俺の元いた世界でさ? 俺にも……君のお父さんと同じように、奥さんと息子がいてさ? 奥さんの方は蘭子って言ってさ……本当に星蘭さんに見た目がそっくりで……。息子の方はまだお腹の中にいたから、会う事すら出来なかったんだけどさ……」


「…………」


 なぜか、僕の脳裏にこの人とその蘭子さんがとても楽しそうに笑っている光景が目に浮かぶ。

 とても幸せそうに大きなお腹に語りかける、そんな幸せそうな二人の姿が。



「……でもさ、二人共突然……



「……っ!? な、なんで……っ!?」


 幸せな二人の世界に、ヒビ割れが入る。


「あおり運転による巻き込まれ事故でさ。はは……本当にさ? 俺も……俺も自分の身近な人がこんなにも簡単にいなくなるなんて、思いもしなかったんだ。……明日も明後日も、来週も、来月も、来年も……ずっと、ずっと、蘭子達と過ごすいつも通りの日常が、二人が側にいてくれる事が当たり前のそんな毎日が、ずっと続いていくって……何の確証もないのにさ? 誰も保証してくれてないのさ? 俺は、俺はずっとそう、思ってたんだ。……でも、やっぱりそうじゃなかった。当たり前の毎日なんてものは……俺達の世界のどこにもなかったんだ……」



 幸せな二人の世界は、完全に粉々になった。



 必死に何かを堪えながら、必死に微笑みながら……目の前のこの人は語り続ける。


「だからさ? 今の俺はそんな、自分の大切な人を失う悲しみを知っているんだよ。大切な人を失う悲しみも、苦しみも、悔しさも、怒りも、絶望も……全部、全部。だからさ、そんな辛く苦しい絶望をもう一度だなんて……そんなの絶対に星蘭さんに味わって欲しくないんだよ」


「……母さんに?」


「あぁ。……なぁ、勇蘭? 君のお父さんが……勇介がこの世界からいなくなった時さ、星蘭さん……どんな顔してた?」



「……父さんが亡くなった時の、母さんの顔……」



 目の前のこの人にそう問われて……僕は思い出す。



 あの日の光景を。



 畳の部屋に敷かれたしわ一つない綺麗な布団。


 まるで本当に眠っているかのような、とても綺麗で穏やかな父さんの顔。


 その周囲に集まり、涙するたくさんの城の者たち。


 必死に何かを堪えるような、おじいちゃんの横顔。



 そして……とても辛そうに泣き続ける、母さんの顔。



 思い出しながら、僕はゆっくりと口を開く。



「……父さんが亡くなった時、母さん……すごく泣いてました。……普段のあの凛々しい姿からは全く想像もつかないくらいに、まるでずっと大切にしていた宝物を失くしてしまった小さい子供みたいに……。父さんの手を必死に握り締めながら、何度も何度も父さんの名前を呼びながら、大粒の涙を流しながら、ずっと……ずっと泣き続けていました……」



 僕は、理解する。


 何でこの人がこんなにも辛そうに微笑んでいるのかを。


 何でこの人がこんな話をしたのかを。


 そして、何でこの人が……僕を助けたのかを。



 この人もそんな僕に気づいたのか、再び話し始める。


「……そっか。ならさ勇蘭? 君はそんなお母さんの顔を、もう一度見たいと思うかい? もう一度お母さんに、そんなとても辛い思いを、とても苦しくて、悲しい思いを……そんな思いをもう一度、して欲しいと思うかい?」



 ………………


 …………そんなの


 ……そんなの……っ



「そんなの、思うはずないじゃないですか……っ。母さんのあんなにも辛そうな顔、あんなにも苦しそうな顔、あんなにも……あんなにも悲しんで泣いてる顔……っ、僕はもう二度と見たくないっ。僕は母さんにあんな顔、二度とさせたくないです……っ」



「……そう、だよな……」


 すると、目の前のこの人の表情がとても穏やかなものへと変わる。


「……俺もさ勇蘭? 俺も……星蘭さんに二度とそんな思いをして欲しくないんだ。そんなとても辛くて、苦しくて、悲しい思い、そんな思い二度として欲しくないんだ。……確かに俺は君の言う通り、ただ君のお父さんにそっくりってだけの赤の他人なのかも知れない。君達とは本当にただそれだけの関係で、わざわざ自分の命を削ってまで助ける義理なんてものもないのかも知れない。……でもさ? それでも俺はもう、君達と出会ってしまったんだ。君達の事を知ってしまったんだ。だから俺はもう、君達と関わらないなんて事、絶対に出来ない。君達を放っておくなんて事、絶対に出来ないんだよ。だってそれはさ? 他の誰でもない君達だから。だからこそ俺は、星蘭さんに、そして勿論君にも……もう二度とそんな顔させたくないんだよ……」


「…………えっ?」



 ……僕、も?



 僕は……僕はいま、どんな顔をしてるんだろう?



 この人の目には、どう映ってるんだろう?



 ……あの日の僕は、どんな顔をしていたんだろう?



 ……僕はあの日、あの時、必死に堪えるおじいちゃんの隣で父さんを見ていた。

 とても綺麗な、父さんの寝顔を。


 でも、それが本当は寝顔じゃない事を僕は子供ながらに分かっていた。

 父さんがもう二度と目覚めない事を、分かっていた。


 僕は……父さんが嫌いだった。


 父さんのせいで周囲から勝手に期待されて、失望されて、バカにされて……


 だからきっとあの時も、僕は泣いてなんかいなかったはずだ。

 泣いてるはずがない……だって僕は父さんの事なんて大嫌いだったんだから。



 ……なら……泣いていないのだとしたら……僕はあの時、一体どんな顔をしていたんだろう?


 僕は今、どんな顔をしているんだろう?


 …………分からない。


 笑っているんだろうか?


 怒ってるんだろうか?



 それとも……



「……すみません、僕は今、どんな顔してますか?」



「……勇蘭……」



 するとこの人はそれ以上何も言わず……ただ静かに、でもとても力強く、僕を抱きしめてくれた。



 …………あったかい。


 こんなにも強く抱きしめられたのは、いつ以来だろう?


 与えられる温もりに、心の中で何かが溶けていく感じがする。



 ……もしかしたらあの日


 あの時、僕は本当は……


 失くしたはずの温もりを……



 ずっと求めていたこの温もりを……ほっしていたのかも知れない。




 その後もお互い無言のまま、でもこの人はずっと、ずっと……僕が満足するまで、優しく抱きしめてくれたのだった。



          ☆



 波の音とカモメの鳴き声をBGMに、目の前のとても大きな船をミハルちゃんは目を輝かせながら見上げている。


「お父様、これに乗るんですねっ!」


「うん、そうだよ」


 楽しそうにはしゃぐミハルちゃんに相槌を返しながら、ふとあの人の方へと視線を向ける。

 今は筋肉さんと一緒にチケット確認の行列へと並んでくれていて、もう少しで順番が来そうだった。


 ちなみにウェイトレスさん……もとい愛鏡さんと萌愛ちゃんはこの場にはいない。


 なぜなら、いざ出発というまさにその時に……



「あ、勇騎さんすみません。私、少し萌愛この子に聞きたい事がありまして……。それに流石にこの状態でこのまま宿に放置という訳にもいきませんし、一旦この子とここに残ろうと思います」



 ……と、いう訳でそこで彼女達とは別れて行動する事になったからだ。


 でも、一体愛鏡あの人は何者だったんだろう?

 なぜかミハルちゃんの力にも気付いていたらしいし、それにどこか……とても不思議な雰囲気のする人だった。


 そんな、謎のウェイトレスさんについて物思いにふけっていると……船の入り口の方から僕達を呼ぶ声が聞こえて来た。


「おーい、ゆぅーらーん、ミハルちゃーん。もう入るぞー!」


 ようやく順番が回って来たようであの人が大きく手を振ってくれている。


「今行きまーすっ」


 僕は返事を返しながらミハルちゃんと共に急いで入り口へと向かった。



 ……今はただ、この人と一緒にこの先へと進む……その事だけを考えていればいい。


 見た目はとても父さんによく似ていて


 でもやっぱり父さんとは全く違う、この人と共に……



「さぁ、行こうか。勇蘭」



「……はい、勇騎さんっ」

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