走馬灯その6

「……まっ、待ってっ、待って下さいっっ!!」



 俺はしがみ付くように必死に棺を止めて、その覗き窓を開け放ち、そして彼女を起こそうと必死に語りかける。


「な、なぁ蘭子っ、もういいだろっ? いつまで寝たふりなんてしてるんだよっ? 本当は起きてるんだろっ、な? これ以上は本当に冗談じゃ済まないしさ、今なら俺全然怒らないからっ。だからもうそろそろこんな事やめてくれよ、なぁ蘭子っ?」


 するとそんな取り乱した俺をすぐさま父さんが羽交い締めにして引き離そうとする。


「お、おい、よせ勇騎っ! いい加減現実を見るんだっ。お前が辛いのは分かる。でも、蘭子さんはもうにはいないんだよっ」


「……っ、父さんこそ何言ってるんだよっ!? 蘭子はまだにいるじゃないかっ! きっと本当はまだ眠っているだけなんだよっ。ほら、蘭子はさ、たまにうっかりしてる所があるからっ。だからこうやって俺が起こしてあげないとダメなんだよっ。なぁ蘭子、そうなんだろっ? 本当はまだ寝てるだけなんだろっ? 俺はもう全部分かってるんだからさ、だからもういいから早く起きてくれよっ!」


 俺は父さんを振り払い再び棺にしがみ付き、彼女の顔を見ながら優しく語りかける。


「……な、蘭子? 父さん達も困惑してるんだし、もういいだろ? 俺も一緒にみんなに謝るからさ? だからそろそろ起きてくれよ、な? それにほら、俺達はこれから勇蘭を立派に育てていかなきゃいけないじゃないか。だからいつまでもこんな所で寝てる場合じゃないだろ? なぁ蘭子?」


 覗き窓から彼女の綺麗なを見下ろしながら、俺は尚も独りで話し続ける。


「本当にこれからさ……勇蘭も無事に産まれて、子育てが始まってさ、これからきっと大変な事がいっぱい待ってると思うんだ。多分、勇蘭は君に似て泣き虫っぽいから、きっと夜泣きも酷そうだしさ? 歩けるようになったらなったで子供って俺達の予想もつかないような行動をするから、それで怪我したりなんかするかもしれないし……。病気にだってなるだろうし、そしたら急いで病院に連れて行って、落ち着くまで看病したりしてさ? ……それから、それから、小学校に上がったら上がったでイジメに遭ってないかとか、成績はどうだとか、進路はどうするかとかさ? きっとこれから、俺達はそんな……本当に沢山色んな壁にぶち当たって行くと思うんだ……」


 蘭子は、ピクリとも動かない。

 それでも俺は話を続ける。


「でもさ、そんな風に色んな事につまずいたり、悩んだり、落ち込んだりしても……俺は君と二人でならなんだって乗り越えられると思うんだ。……だって俺は君が側にいてくれるだけで、どんな事だって頑張れるんだから。きっとどんな困難だって乗り越えていけるからさ。だから、だからさ……これからもずっとずっと、俺の側にいてくれないと困るんだよ、なぁ蘭子。だってこれから君と二人で頑張って、支え合って……俺達二人で勇蘭を育てていくんだから。……俺と君と、勇蘭とで、これからもずっとずっと家族一緒に、暮らしていくんだから。ずっとずっと一緒に、生きていくんだから。な、そうだろ……蘭子? だからさ、ほら……早く起きて、いつもみたいに笑ってくれよ? いつもみたいに笑顔で「そうだね」って、言ってくれよ……なぁ、蘭子……」


 ふと、なぜか蘭子の綺麗な顔に雫が溢れ落ちる。

 疑問に思ったのも束の間、俺はすぐにその正体に気付いた。


 なぜならそれが、自分の瞳から止め処なく溢れ出していたものだったから。


「……え? あ、あれ? な、なんで俺、泣いてるんだよ? だって蘭子はただ眠ってるだけなんだからさ、だから泣く事なんて何もないじゃないか。これからもずっとずっと、俺達は一緒なんだから。……なのに何で、何で泣いてるんだよ俺はっ!? これじゃあ、これじゃあまるで……」


 俺はそこで危うくこのを受け入れそうになり、慌ててそれを否定する。


「ち、違うっ! 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うっ、違うっっ!! まだに、にいるんだっ。蘭子はまだ、にいるっ。ちゃんとまだ……に……っ!!」


 だが父さんが俺の肩に手を添え、そして優しく諭すように語りかけてくる。



「……勇騎、もういい、もうよすんだ。……蘭子さんはもう、にはいない」


「……父さん」



 俺は……


 彼女がもう、にいない事を


 どれだけ否定しても、現実は変わらない事を


 もう二度と、彼女の声を聞くことも


 彼女の温もりを感じる事も


 彼女の怒った顔や、笑った顔を見る事も


 ただ、彼女の側にいる事さえも


 もう二度と叶わなくなってしまったという事を



 ……本当は、分かっていたんだ。



「……っく……ぁ、あぁ……うあぁぁ、ああぁぁぁぁぁぁっ、ぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」



 俺は棺にしがみつきながら、その後もずっと、声が枯れ果てるまでずっと……泣き叫び続けた。



          ★



 のちにやって来た警察が、この絶望の経緯を全て説明してくれた。


 その日、彼女は行きつけの産婦人科に向かっていただけだった。

 そして途中の信号が赤になり、その場で立ち止まって待っていた。ただそれだけの……本当にただそれだけの、よくある日常の一コマだった。


 だけどそんなただ日常を過ごしていただけの彼女を、もう少ししたら信号が青に変わって、そしたらその場にはきっと居なかったであろう筈の彼女を、突如大型トラックが突っ込んで来て……そして轢いたそうだ。


 トラック運転手の名前は金田真男かねだまさお、四十代。

 事故当時、こいつはどうやら一般の乗用車を煽りながら蛇行運転していたらしく、そこでハンドル操作を誤ってしまい突っ込んで来たらしい。

 しかも轢いた後は何も救命活動を行う事なく、その場を急いで逃げたという事だった。

 その一部始終が煽られた側の車のドラレコに映っており、そのおかげで金田はすぐさま逮捕となったそうだ。


 事故後は何度も何度もニュースでその顔を見ることになったが、だけど俺はなんの感情も浮かばなかった。


 ……そう。蘭子と勇蘭を、生きていく意味を、大切な宝物を全て失ったその日から……俺はただ息をしているだけの屍と化してしまったのだから。


 あの葬儀の後……俺はこの理不尽な現実に、世界に、全てに絶望し、自分の部屋でただ独りひたすらに泣き続けるしかできなかった。


 数日前には確かにそこにあったはずの彼女の声も、彼女の体温も、彼女の笑顔も、その全てが無くなってしまった自分の部屋。

 俺はそんな部屋で電気も付けずにテレビの光に照らされながら、ただひたすらに画面を見つめ続ける。


 何も考えないように。

 何も思い出さないように。


 大量に買ってきた缶酎ハイを飲みながら、カップ麺やお菓子を食べながら、無心でテレビを見続けた。



 でも、そんな腐った日々を過ごしていた俺だったけど、この時の俺はまだ……本当は独りじゃなかったんだ。


「おーい、勇騎。まーたこんなに部屋散らかして。本当お前は昔から片付けが出来ないよなぁ」


 呆れながらも俺の部屋を片付け始める父さん。


「…………」


「ほら、今日は少し奮発していい肉買って来たから、父さんがすき焼き作ってやるからな。お前好きだっただろ? すき焼き」


 そう、こうやってたまに父さんが仕事の合間をぬっては俺の様子を見に来てくれていた。

 自分も貧しい暮らしなのに、少ない給料からなんとか捻り出した金と、安く購入した食材を持って来ては相変わらず不器用ながらも俺に手料理を振る舞ってくれる父さん。

 俺が立ち直る事を信じて、諦めずに懸命に支えてくれていたのだった。


 今思えば、本当に父さんにはずっと迷惑を掛けてきたと思う。


 俺が産まれてすぐに母さんを亡くしてから、そこからずっと父さんが一人で頑張って俺を育ててくれたのだから。

 頑張って遅くまで働いて、疲れているはずなのに休みの日には一緒にキャッチボールや釣りをしに行ってくれた。

 俺が体調を崩した時にはすぐに自転車で病院まで向かってくれて、俺が眠るまで側にいてくれて。……きっとそれ以外でも大変な事が沢山あったに違いない。


 それなのに、ようやく俺が独り立ちして大変な子育てから解放されたというのに……その後もずっとこんな腐った俺を気にかけてくれていたのだから。


 だけど、人が一人でやれる事には当然限界がある訳で……それは父さんも例外ではなかった。

 その後、父さんは過労によって事故に遭い、長期入院を余儀なくされた。


 結局……俺はいつまで経っても父さんのお荷物でしか無く、もしかしたら俺が居なかった方が父さんは幸せだったのかもしれない。


 そんな思いで、更に心が潰れそうだった。



 何もしないで、勇蘭の養育費の為の貯金をただひたすらに食い潰していくだけの毎日。


 部屋は大量のゴミと空き缶で埋もれていき、もう足の踏み場もほとんどないような状態だ。

 いつの間にか髪の毛も腰ぐらいまで伸びていたが、床屋に行く気も起きずにそのまま放置していた。


 やがて貯金は底をつき、冷蔵庫に入っていた最後のおはぎを食べていたそんな時に……インターホンの音と共に丁度はやって来た。


「……ふぅ、やっと届いたか」


 目の前にはネット通販の段ボール箱。

 その中には溜まっていたポイントで購入した太めのロープ。


 俺はそのロープを握り締めながら、独り呟いた。


「……父さん、今日まで育ててくれて本当にありがとう。……母さん、俺を生んでくれて本当にありがとう。でもごめん……俺にはもう、無理みたいだ……」



 そして俺は、生きることを諦めた。



          ★



 ……あぁ、そうだ。

 だから俺は今、こうして首を吊っているんだ。


 ……まぁでも、折角走馬灯を映してくれるんなら、幸せな所だけ思い出させてくれればいいものを。


 君もそう思うだろ? なぁ、蘭子。


 まぁとりあえず、俺も今からそっちに行くからさ? だから勇蘭と一緒に、もうちょっとだけそこで待っててくれないか?



 そうして、俺の意識は次第に無くなっていき……



 ……なくなっていき、いき……



 ……ん? あれ、いかない。

 意識がある?


 何でだ? しかも全く苦しくないどころか何故か体が温かくて気持ちいい……?


 疑問に思いゆっくりと目を開けてみると、俺の頭上にはなぜか魔法陣らしきものが浮かび上がっており、そこから発せられる温かな光が全身を優しく包み込んでいた。


 …………


 ……


 ……ふぅ、なるほどね。

 つまりこの魔法陣の光が俺を浮かび上がらせていて、それで首のロープが緩まったと。どうりで中々意識が遠のかない訳だ。



 ………………………………………………ん?



 魔法陣? いやいや、ちょっ、待てよ?

 何でこんな普通の木の枝に魔法陣なんてものが浮かび上がってるんだ?

 いや、そもそもそんな漫画かアニメみたいな事が本当に起こるはずないじゃないか?


 え? いやでも……ならこの現象は一体どう説明すれば……?


 …………


 俺は、夢でも見てるんだろうか?


 ……あっ、そう言えばちょっと前、生徒達の間でライトノベルが流行ってたな。あれは確か……そう、主人公が異世界に転生したり転移する系のやつだ。



 ……………………いやいや、まさかね。



 なんて事を考えてると、急に魔法陣から確かな吸引力が発生し、何故か勢いよく俺を吸い込み始めた。



「ちょっ……ちょっと待っ、ま、まじかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?」



 こうして俺は、この絶望の現実世界に別れを告げたのだった。

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