走馬灯その4
夜になるとまだ少し肌寒さを感じる春の季節。
二人でやって来たその場所はカップルに大人気の有名デートスポット。道を挟んで満開に咲き誇る夜桜を色とりどりの光源が鮮やかに照らしていて、まるで光り輝く桜の花道が永遠に続いているかのような……そんなとても幻想的な空間だった。
「わぁ、見て見て勇君。とっても綺麗だよっ」
そう言いながらまるで子供のように無邪気にはしゃぐ蘭子。
よほど楽しみにしてくれていたのだろうか、とても嬉しそうに俺の手を引きながら軽快に歩いている。
だけどそんな彼女とはうって変わって、俺はまるで始めて出会った時のような緊張感と激しく高鳴る鼓動を感じながら、これからどう切り出したらいいのかを必死に模索している最中だった。
勿論、俺は最初の頃のようなヘマをしないようにと今日まで様々な情報をネットで蓄え、そして過酷な鍛錬を重ねてきた。
プロポーズのセリフやシチュエーション、勝率の上げ方などを徹底的に調べ上げ、抱き枕に彼女の写真を貼り付けては何度も何度も繰り返しプロポーズの練習をしてきたのだ。
……にも関わらず今、俺には一ミリの余裕もない。
そう、俺は本番に弱かったんだ。
つまりどれだけ事前に鍛錬を重ねて来ようともいざ本番になると緊張して頭が真っ白になってしまい、必死で覚えてきたプランも全て忘れてしまっていた為……結局この場で再度考え直すはめになっているという訳だ。
だけど、この絶好のシチュエーションで諦めるという選択肢はあり得ないだろう。
そう、ここで攻めなければもはや男じゃないのだからっ!
俺はようやく覚悟を決め、ポケットの中にある小さな箱を握りしめながら勇気を奮い立たせる。
「……ねぇ勇君、どうしたの?」
俺が黙々と歩いてる事が気になったのか、このあと俺が何をしようとしているのかも全く気づいていない素ぶりで彼女は問いかけてくる。
キョトンとした表情でこちらを見つめてくる彼女に、俺は両足の震えを悟られないようにとなんとか踏ん張りながらも……彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ乾いた口を無理やりこじ開けた。
「あ、あのさ蘭子。君と出会ってからもうすぐ一年だけど、この一年の間に二人でいっぱい色んな所に行ったり色んな事をしたりしてさ、何て言うかその……大袈裟かも知れないけど、俺が今まで生きて来た人生の中で君と過ごしたこの一年間がさ、一番……楽しかったんだ」
突如何の脈絡もなくいきなり始まった俺のカミングアウトに、彼女は一瞬呆けたような表情を見せるもすぐに満面の笑顔に変えてくれた。
「……ふふ、そうだね。私も……私も勇君と過ごしたこの一年が、今まで生きてきた中で一番楽しくて、一番素敵な一年だったなぁって……そう思ってるよ?」
彼女は満開の夜桜を見上げながら、これまでの事を思い出すかのように語り始める。
「ほら、私ってかなり人見知りだし、引っ込み思案な性格でしょ? だから、学生時代の休み時間なんかずっと一人で本ばっかり読んでてね? でも本当はそんな自分が嫌で、何とかそんな自分を変えたくて、だから頑張って教師を目指したんだ。環境を変えれば、こんな私でも何か変われるんじゃないかって。……でも、やっぱりそんな簡単には上手くいかなくて、いざ生徒達の前に出たら緊張して上がっちゃって、ミスばっかりで……。それで勇君と出会ったあの日も、先輩の先生からすっごく怒られちゃって……」
「……蘭子」
「でもね? あの日、あの時……勇君がハンカチを拾ってくれて、それで物凄く緊張しながらも私の事を心配してくれて……あの時はそれが本当にすっごく嬉しかったの。凄く慌てふためいたかと思ったらその後すぐに絶望し始めて……ふふっ、それがちょっと可笑しくておもわず笑っちゃったけど。……でもね? 本当にすっごく嬉しかったの。勇君もきっと凄く緊張してるのに、それでも頑張って私に声を掛けてくれた事が。私の為に、頑張ってくれた事が。その事が、すっごく私に勇気を与えてくれたから……」
蘭子は再び俺に視線を戻して、とても慈愛に満ちた表情を魅せてくれる。
「だからね、勇君。あの時、私に声をかけてくれて本当にありがとう。あの時、勇君が誘ってくれたからきっと……今の私があるんだよ。この一年、色んな事にめげそうになりながらも、なんとか教師として頑張ってこられた私が。だから、本当の本当にありがとう勇君。こんな私と一緒にいてくれて……」
そんな、彼女の想いが沢山詰まった感謝の言葉に、俺は心の底から喜びを感じた。
……あぁ、やっぱり。
やっぱり、俺にはきっと君しかいない。絶対にそうだと、確信できる。
だからこそ、俺は……
「こちらこそ、ありがとうだよ。蘭子」
「勇君?」
「俺も、結構な人見知りだからさ? その場の空気を読んで他人と当たり障りなく仲良くする事は出来ても、中々深くまでは入っていけなくて。……はは、だからまぁ友達も少ないんだけど。しかもそんな数少ない友達でさえも学校を卒業してからは中々時間も合わなくなってきて、集まるのはたまに飲みに行く時くらいでさ。休みの日はほとんど家でゲームか漫画ばっかりの典型的な引きこもりだった訳だけど……」
「ふふ、確かに勇君の部屋……ゲーム機か漫画しかないもんね?」
「だろ? ……でも、蘭子と出会ってからはさ? 他の色んなの楽しさを教えてもらった気がするんだ。勿論ゲームや漫画も楽しいんだけど、そういうのとは全く別の楽しさって言うか。君と二人で色んな所に出かけて、見て、体験して……君と二人で行った場所はどこも本当に凄く楽しかったんだ。さっきも言ったけど、それこそ今までの人生で一番だって思うくらいにさ。……でも、それはやっぱり、君と一緒だったからなんだって思うんだ」
「……私と?」
「あぁ。他の誰でもない、君とだったから。だからどの場所も、どの景色も、どの体験も、全部一番楽しかったんだって。君と一緒だったから、だからこんなにも俺の心は満たされてたんだって……本当に心の底からそう思ったんだ。だからやっぱり、俺の方こそ君には感謝の言葉しかなくて。……本当に、こんなにも沢山幸せな時間を俺にくれて、本当にありがとう、蘭子」
そんな俺からの真っ直ぐな感謝の言葉に、彼女はとても恥ずかしそうにその表情を真紅に染めながらささやかな抵抗を見せてくれる。
「う、うぅ……ゆ、勇君ってたまに恥ずかしいセリフを平気で言ってくるよね?」
「はは、まぁ言っててなんだけど俺も普通に恥ずかしいんだけどさ……」
きっと、俺の顔も彼女と同じ色に染まっている事だろう。だけどそんな事はお構い無しに俺は更に言葉を紡いでいく。
「……なぁ蘭子、俺は、俺は君が大好きなんだ」
「君の楽しそうに笑った顔も、少し怒って拗ねてる顔も、俺が恥ずかしい台詞を言うとすぐ真っ赤になって恥ずかしがる所も、しっかりしてるようで肝心な時に財布を忘れてくるような意外とおっちょこちょいな所も、生徒達の為に文化祭の準備を遅くまで手伝ってあげる頑張り屋で優しい所も、感動系の映画が大好きで、何度も観てるのに同じ所で何度も泣いてしまう涙もろい所も、仕事終わりに一緒に飲みに行く時にわざわざ俺の学校まで迎えに来てくれて、俺を見つけると嬉しそうに手を振ってくれる可愛いらしい所も……本当に君の全部が大好きで、心の底から本当に大好きで、世界で一番愛おしいって、本気でそう……思っているんだ」
「……ゆ、勇君」
「だからさ、だから俺は……この先もずっとずっと大好きな君と一緒にいたいっ。もっともっと大好きな君と一緒の時間を増やしていきたいっ。これから先何十年でも、それこそ本当に死ぬまでだって、ずっとずっと、大好きな君と一緒に生きていきたいって本気でそう思ってるんだっ。だ、だから……」
俺は彼女のその目の前で、ポケットに入れていた小箱を取り出してゆっくりと開いて見せる。
中に収まっているのは、銀色に光輝く美しい指輪。
その中心部のダイヤモンドは周囲の光によってより一層輝きを増し、その存在感を放っている。
そして彼女の瞳を見つめながら、俺は最後の言葉を紡いだ。
「だから、星野蘭子さん。俺と……俺と結婚して下さいっ」
訪れる静寂。
周囲にいるはずのカップル達の声など、もう俺の耳には一切入ってこない。
永遠とも感じられるようなその二人だけの空間の中で、彼女は両手で口を隠しつつも驚きの眼差しでじっと指輪を見つめている。
だが、ふとその瞳から大粒の綺麗な雫が溢れ出して、徐々に彼女の両手を濡らし始めた。
その溢れ続ける大粒の雫に彼女もすぐさま気がついて、慌てて拭い始めるも次から次へとそれは溢れ続けている。
何度も何度も拭うが全く止まる気配を見せないそれに早くも彼女は諦め、とても恥ずかしそうに、でもとても嬉しそうに、周囲の桜の輝きに負けないくらいのとても素敵な笑顔で……可愛らしく答えてくれた。
「……はいっ!」
彼女からのその喜びに満ちた返事に俺は感無量となり、勢いよく彼女を抱き締めた。
未だ溢れ続ける彼女のその綺麗な雫をそのまま自分の胸元で拭ってあげながら……
その日、俺たちは結ばれたのだった。
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