走馬灯その2

 …………は、ははは……終わった。

 これじゃただの事案発生じゃないか。


 はぁ……ここまで男手一つで俺を育ててくれた父さん。そして天国にいる母さん。

 すみません、貴方達の自慢の息子はきっと今から警察を呼ばれて連行されるんです。

 ……あぁ、きっとドナドナの子牛も連れて行かれる時はこんな気持ちだったんだろうな。今なら俺にも分かるよ、お前のその悲しみが……。


 夕暮れ時の学校前で、人目もはばからず膝をつき絶望する俺。


 だけど……こんなやばい奴を前に彼女はクスッと可愛いらしく笑ってくれたのだった。


「ぷ、ふふ……ふふふ」


「…………え?」


「あ、ごめんなさい。でも、そんな「この世の終わりだぁ」みたいな顔しなくても大丈夫ですよ? 私の事心配してくれただけだって、ちゃんと分かってますから。あ、あとそれから私、別にどこか痛めたとかそんなんじゃないんで、そこは安心して下さい」


「え、でもそれじゃあ何で泣いて……」


「……えっと、その……私、ちょっと今の仕事が中々上手くいってなくて、それで今日もちょっと失敗しちゃって上の人から怒られちゃいまして……あはは。それで夕焼け空を見上げながらぼんやりと帰ってたら、なんだか物凄くしんみりしちゃって、悲しくなってきちゃって……それで少し泣いちゃってました。えへへ」


 そう言って恥ずかしそうに顔を赤らめながら、少し困ったようにはにかむ彼女。

 そのとても可愛らしい微笑みの爆弾によって、先ほどまで重くのしかかっていた俺の中の絶望感は木っ端微塵に吹き飛び散らかし、と同時に胸の奥がトゥンクッ! と一際大きく高鳴った。


 ……え、あれ?

 これは……この感覚はもしかして……恋?


 中学生の時に初めて感じた、あの感覚。

 その人の事を思うと夜も八時間しか眠れないほどに、その人の事で頭がいっぱいになるあの感覚。

 そんな久しぶりにやってきた甘酸っぱい青春の感覚に、俺の鼓動はどんどんとスピードを早めていく。

 顔面は燃え上がるように熱くなり、彼女のハンカチを握りしめた手からは大量の汗が溢れてくるのが分かるくらいに、身体中に熱が増していた。


 ……けど、だけど……っ!

 俺はここから、どう会話を繋げればいいっ!?


 脳内に鮮明に蘇る中学時代の記憶。

 何も考えずに勢い任せに突っ走り、そして当たって砕けて木っ端微塵に消し飛んだ俺の初恋。

 あの日以来、俺は恋に臆病になり女の子に声を掛けれなくなっていた。


 ……いや、違う。そうじゃないだろ俺。


 俺達人類は失敗をきちんと反省し、学び、そして学習する生き物だ。なら俺が今すべき事はあの時の経験を踏まえ、そしてこの後どう切り返せばいいのかをしっかり検討し対策する事……っ!


 俺はすっと目を閉じて意識を脳内に潜らせて、その対策の為の議論をすべく脳内で開かれた会議室へと足を踏み入れた。


          *


 漆黒に包まれたとある一室。

 俺が入るとそこには既に無数の『俺』達が円卓を囲んでズラリと座っている。

 俺はその一番後ろに用意された『01』と書かれた座席に座り、早速議論を始める事にする。


「……さて、それじゃあ始めようか。まずはこの後なんて彼女に声を掛けるか、についてだが……」


 すると別の俺が早速手をあげる。


「とりあえず心配しつつ家まで送って行く、とかでどうだろうか?」


 だけど俺はすぐさまため息をつきながら、その意見を却下する。


「……はぁ、よく考えてみろ。このご時世、幼女を見ていただけで事案になる世の中なんだぞ? そんな事したらストーカーと間違われて一発KOに決まっているじゃないか?」


 するとそれを皮切りに、次々と俺達が意見を言い出し始めた。


「なら今回は普通にハンカチを返して、また次の機会を伺えばいいんじゃないか?」


「いや、それじゃ次の機会があるかどうか分からないじゃないか。寧ろこれっきりの可能性の方が高いとすら思える状況だ。だとしたらここでとりあえず連絡先の交換くらいはしておかないと……」


「いやいや待て待て。ハンカチを拾ってあげただけで連絡先を教えて下さいって、そんなのチャラいナンパ野郎って思われるに決まってるじゃないか。そんなんで素直に教えてくれるお人好しがこんな都会にいる訳ないし、例え超絶イケメンであったとしても難易度エキスパートじゃないか?」


「いやいやいや、そんな事言ってたらどうあがいても無理じゃないか?」


「いやいやいやいや、それを言ってしまったらもう話が終わってしまうだろ?」


 あーだこーだと激しく意見をぶつけ合う俺達。

 中々良い案が浮かばないそんな最中、一番端の席に座っていた俺がだるそうに手を挙げた。


「……なぁ、そんなわざわざリスクを冒してまでこっちがしんどい事しなくてもいいんじゃないか? いつかちゃんとした運命の相手が向こうから勝手に声をかけてくれるかも知れないしさ? それに今は目の前の仕事を片付けていくので精一杯なんだから、無理に恋人とか作っても余計に大変なだけだって思うんだけど……」


「「…………」」


 全員、一斉に黙り込む。


 ……確かに、一番端の俺の言う通りなのかも知れない。

 今ここで執拗に声をかけて、やっぱり変質者なんじゃないかと疑われるリスクをわざわざこちらから背負い込む必要なんて全くない。

 それに本当に今は自分の日々の生活で手一杯な訳だし……。


 …………


 ……


 ……でも、それでも……俺は、諦めきれなかった。


 そうさ、だって俺は……


「でも俺は……俺はやっぱり『教師』だから。大人として、教師として、生徒達の見本にならなくちゃいけない存在だから。生徒達に、困難からただ逃げるだけの大人にはなって欲しくないから。だから、まずは今ここで俺が困難から逃げてちゃ駄目なんだって……俺はそう思うんだ」


「「…………」」


「だから俺、やっぱりなんとか頑張ってみるよ。例えミスって変質者扱いされたとしても、その時は必死に焼き土下座でも何でもしてさ、なんとか許して貰えるよう頑張るから」


 俺は自信なさげに、それでも俺達に笑ってみせる。


 するとそんな俺の姿に心底呆れつつも、周囲の俺達の表情からも次第に笑みがこぼれ始めた。

 そして最後に、一番端の俺も観念したようにその両手を上げながら……


「……はぁ、わかったよ。まぁやるだけやってみたらいいさ。それにもし今回もダメだったとしても、頑張って生きてりゃきっとまた次がある……そう言う事だろ?」


「……もうひとりの俺……」


「はは、まぁせいぜい頑張って来いよ、相棒っ!」


「……あぁっ! それじゃあ、行ってくるっ!」


 俺は自信に満ち溢れた表情で、会議室を後にした。


          *


 意識が、現実へと戻ってくる。

 熱い議論を交わし、『俺』達との絆をより深く実感した俺の心の中は凄く晴れやかで、きっと今……俺はとても清々しい表情になっているだろう。


 あぁ、もう大丈夫だ。

 動悸、息切れ、気つけ、全て問題なしっ。


 ……行けるっ!


 俺は出来る限り最大限に真剣な表情を作り、スーツの袖で涙を拭い終わった彼女の瞳を曇りなきまなこで真正面から見つめながら、

 そしてーー


「……あ、あの、せっかくだし、もし良かったら一緒に晩御飯でもどうですか?」

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