Sakura Valkyrie〜サクラヴァルキリー〜

@okonomiyaki_takoyaki

プロローグ この絶望の現実世界にさよなら

走馬灯その1

 夕焼け空に包まれた、緑生い茂るとある山の中。


 俺はとても立派な大木の上によじの登り、その太い枝にロープをしっかりと結びつける。

 ロープの反対側には既に人の頭がちょうど入るくらいの大きさで輪っかが作ってあり、俺はその輪っかにゆっくりと頭を通しながら、自分に言い聞かせるように独り呟く。


「俺の人生もこれで終わり、か……」


 まるで奈落の底のような、赤黒い地面をぼんやりと見つめながらふと考える。


 一体、何がいけなかったんだろうか? と。


 もしかしたら、俺はどこかで何か選択肢を間違ってしまったんだろうか?

 それともただ、最初からそういう運命だったというだけなんだろうか?


 ……まぁ、もうどうでもいい事か。


 全てにおいて無気力になってしまった俺はすぐさま考える事を放棄し、俺をあの世へと導いてくれるであろうその輪っかを強く握りしめながら……勢いよく枝から飛び降りた。


「……がはっ!? ……はっ……ぁがっ……っ」


 一瞬にしてロープは首に食い込み、圧迫され、俺から酸素を奪い去る。


 ……く、苦しい……っ。

 や、やばいっ、死ぬ……っ!


 いや、お前死ぬつもりだったんだろ? って言われると確かにそうなんだけど……ただ、いざ実際にこのいつまで続くかも分からない地獄のような苦しみを体感してしまうと、早くも辞めときゃ良かったという思いに駆られてしまう。


 頭に血液がどんどん溜まっていき、そのまま脳みそが爆発でもするかのような感覚に囚われながら、ギシギシとロープが擦れる音だけがはっきりと耳に鳴り響く。

 その永遠とも感じさせるような苦しみからなんとか逃れたくて、当初の目的もそっちのけで俺は首に食い込んだロープを掴んで必死にもがき始めた。


 やっぱり練炭自殺の方が良かったか? と、激しく後悔の念に駆られるが時すでに遅し。

 先程まで自分の命を繋ぎ止めてくれていた救世主である太い枝は、勿論全く折れる事なく今は全力で俺を殺しにかかる死神と化している。

 更には母なる大地から与えられる重力も相まって、まさに地獄へと引きずり込まれる感覚を味わう事になってしまった。


 ぁ……でもなんか……目が、霞んできた。


 ……ようやく、意識が……遠退いて……


 次第に視界の端から白いモヤがかかり始め、どんどん自分の世界を真っ白に染めていく。

 それと同時に、先程まで感じていた苦しいという感覚さえも徐々にかき消してくれてるようだった。



 ……あぁ、でも、ようやくこれでこの糞みたいな世界とおさらばできる。



 ようやく訪れた解放感に俺は安堵する。


 ……だがそんな時間も束の間、その一面真っ白な世界に突如映画のフィルムのようなものが無数に現れ、俺の視界の前を勢い良く通り過ぎていく。

 何でフィルムが? と疑問に思うも、すぐにその中に見覚えのある映像が流れてきて……俺はその正体に気づいた。



 そこに映し出されていたのは、夕暮れ時のとある学校の校門。



 道なりに生えている多くの木々にはまだ少しだけ桜の花びらが残っているが、やはり四月も終わりを迎えるからかそのほとんどが地面へと舞い落ちていた。

 そんな少し寂しくなった桜の木の下で、スーツ姿の挙動不審な男が映っている。

 このキョドってる男は霧島勇騎きりしまゆうきと言って、まぁ……俺だ。


 そしてもう一人……同じくスーツ姿で長く美しい漆黒の髪をなびかせた、とても可愛らしい女性も一緒に映っていた。


 彼女の名前は星野蘭子ほしのらんこ



 俺の、世界で一番大切人だ。



 ……あぁ、もしかしてこれが走馬灯ってやつか?


 ぼんやりと、まるで映画館で話題作の予告映像でも見るかのように……目の前に流れる映像を俺は眺める。


 いや、それにしてもいくら初対面だからって、果たして俺はこんなにもキョドッていただろうか?

 うーん、この時は確か……親御さんからのクレームを何とか穏便に対処して、それでようやく帰宅しようとしていた時だったような……。


 この頃の俺はまだなりたてホヤホヤ一ヶ月目の新米教師で、いきなり担任を任された事もあってか中々仕事のノウハウを掴めずにいた。

 いかにもパリピ系でウェーイな感じの問題児達の指導やら、過保護母親モンペマミー達からのクレーム対応、はたまた教頭や先輩教師達の顔色を伺い忖度そんたくを欠かさない等々……そんな新社会人が受けるであろう洗礼的な所で俺はいきなりつまずいてしまい、なかなかに苦労していたのだった。

 心身ともに疲れ果てた状態で帰宅する、そんな毎日の繰り返しだった訳だけど……だけどこの日は違ったんだ。


 帰宅しようと俺が校門を出た、まさにその時。


 まるで神様が運命のいたずらでも仕掛けて来たかのように、その場を物凄い強風が吹き抜けていき、そしてたまたま俺の前を歩いていた女性のその手から赤いハンカチを勢いよく吹き飛ばした。

 ハンカチはそのまま大量に積もっていた桜の花びらと共に高く舞い上がり、偶然なのか必然なのか、ちょうど上手いこと俺の足元に落ちてくる。

 その時の俺は勿論下心など一切なく、親切心から咄嗟にハンカチを拾って彼女に渡そうとした。


 だけど……彼女がこちらを振り返り、その表情を見た瞬間。俺はまるでゲームの一時停止ボタンを押されたみたいにその場で固まってしまった。



 振り向いた彼女のその瞳からはとても綺麗な茜色に光輝く雫が溢れていて、彼女の周囲には大量の桜吹雪が舞い散っていて……その光景がまるで一枚の名画のように、とても美しく、とても幻想的だったからだ。



 ……あぁ、そうだ。

 俺はそんな、まるで幻の光景の中にいるような彼女に……なんて声をかけたらいいかのか全く分からなかったんだ。


 だけどずっと彼女のハンカチを持ってほうけている訳にもいかず、慌てて自身の脳を叩き起こした結果あんなにも挙動不審になってしまっていたと……。

 まぁこの時の俺は兎にも角にも、まずは何とかして目の前の彼女に泣き止んで貰う事を最優先とし、その為の気の利いた台詞を数少ない引き出しから急いで探し出さなければいけなかったのだから……まぁしょうがなかったと今見ても思う。


 そうこうしてる間に、映像の中の俺はキョドりながらも必死に彼女に声をかけ始めた。


「……あ、あああ、あの、その、ど、どうしたんですか? どこか怪我して痛かったりとか? ……あ、俺ここの学校の教師なんですよっ。だからもし良かったらその、い、一緒に保健室とか行きましょうか? あ、安心して下さいっ。他の先生方や生徒達はもう結構帰ってると思うんで、多分誰にもバレずに中に入れると思うんで……」


 と、そこまで言い終えた丁度その瞬間。

 門から出てきた二人の男子高校生達が、なぜかとてもよく聞こえるはきはきとした喋り声で俺達の横を通り過ぎて……


「もー、お前早く俺の秘蔵DVD『魅惑の保健室・軋むベッドの情事』返せよなぁ。ったく、いつまで使ってんだよ?」


「ちょっ、待てよ。まだチャプター1しか使ってねぇんだからさ~。折角借りたんだし、全チャプター使いてぇじゃん?」


「チャプター1……ってまだ最初しか使ってねぇじゃねーかっ!? あれチャプター19まであるんだぞっ!?」


「いやだってさ~、あの女教師が挙動不審な男教師に騙されて保健室に連れ込まれるやつ最高じゃね?」


「……いやまぁ、全チャプター使用済みの俺も、やっぱチャプター1が一番良かったけどよ~」


「だろ? あの男教師のキモいねっとり感がさ~……」


 ……そんな、思春期男子特有の熱い議論を交わしながら、男子高校生達は夕日に向かって消えていった。



「「…………」」



 そして、俺と彼女の間に訪れる静寂と気まずい空気。



 ……お、お前らの血は、何色だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?


 これが、これが人間のやる事かよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!?



 ど、どうしてくれるんだこの空気感っ!?

 これじゃ明らかに怪しい男教師がほとんど人気ひとけがない夕暮れの学校の保健室で目当てに誘ってるようにしか見えないじゃないかっ!?

 あと、何でこのタイミングでそんなタイトルのAVなんだよぉぉぉぉっ!?


 う、うぅ……こんなのってねぇよっ。死にきれねぇよ……っ。


 俺はその場で絶望し、項垂うなだれるしかなかった。

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