五場 反乱の行方

 この近辺には城鎮もなく、小さな町に役所があるのみだ。税の管理から民同士の諍いの仲裁まで、必要とされる全ては朝廷から派遣された官吏の采配のもとに執行されているが、当の官吏にとっては、こんな山奥で百姓を相手にするなど左遷にも等しい配属だ——なので、近隣の農民が徒党を組んでいるらしいという報告を受けたとき、彼は鼻で笑ってこう答えた。

「適当に泳がせておけ。そんなもの、一網打尽にしてくれるわ」

 馬鹿な百姓どもめ、誰のおかげで生活できているのかも知らずに反旗を翻すとは。彼にとって今回の反乱は、己の力を思い知らせて日頃の鬱憤を晴らすと同時に、もっとましな場所に封ぜられるための足がかりともなり得る絶好の機会だった。



 備えは完璧で、兵の配置も済んでいる。あとはのこのこやって来た馬鹿どもを叩き潰すのみ、そう思って朝からほくそ笑んでいたこの官吏、黄子華ファンズーファは、突如聞こえた階下の騒音にうっとおしそうにため息をついた。ものが壊れる音、人が倒れる音、気合い、怒号、悲鳴、うめき声——織りなされる喧噪の隙間を突いてバタバタと騒がしい足音が廊下を近付いてきたかと思うと、バンとけたたましく扉が開けられた。

「黄大人!」

 礼も忘れ、息せき切って飛び込んできた部下に、黄子華は面倒くさそうに「何事だ」と尋ねる。

「黄大人、侵入者です、白服の道士が化け物を連れてきて——」

 しかし、最後まで言い終わらないいちに、その部下は横っ飛びに吹っ飛んで黄子華の視界から消えた。下手な芝居のような間の抜けた悲鳴が廊下の端へと消えていく。代わりに戸枠の中に現れたのは見慣れぬ青年だった。

「……お、お前!」

 白ずくめの装束に、いかにも武芸に優れていそうな佇まい——もしやこいつが、一拍遅れてそのことに気づいた黄子華の顔から血の気が引いていく。しかし、そんな黄子華の胸中はいざ知らず、青年は申し訳なさそうに廊下の端を一瞥すると、執務室に入ってきて一礼した。

「お騒がせして申し訳ありません。私は碧雲観へきうんかん王仙羽ワンシェンユーです。貴方が黄子華殿ですね?」

 散々無礼を働いたわりには礼儀正しく、端麗な容姿も手伝って乱暴そうにも見えない。これはよくできた若者だと、黄子華は一瞬、自分が襲撃を受けていることも忘れて王仙羽に見入ってしまった。

「いかにも、私が黄子華ファンズーファ……って、お前! よりにもよってこの建物内で狼藉を働こうとは、一体どういう了見だ!」

 我に返るなり青筋を立て、唾を飛ばして怒鳴る黄子華に、王仙羽はもう一度申し訳ありませんと頭を下げた。

「火急の用があって参ったのですが、ちょっとしたすれ違いが起きまして……」

「狼藉は狼藉じゃ! いかなる理由であれ許容することはできぬわ!」

 鼻息を荒げる黄子華に、王仙羽は言った。

「ですが、この件は本当に急を要するのです。この付近で企てられている反乱のことで」

「だからどうした? 奴らが出陣したことを伝えるためだけに我々に危害を加えたとでも申すのか! それともお前、もしや連中の差し金か⁉」

 黄子華は耳をつんざく金切り声で怒鳴る。王仙羽もたまらず「違います!」と怒鳴り返すと、

「そうではありません。私は皆様に警告するために来たのです! 彼らはある死霊術師に騙されており、私はその術師の方を追ってここに来たのです。奴は悪辣極まりない蛇蝎の徒で、反乱に乗じてどんなおぞましい悪事をしでかすか分かったものではありません。貴方がたにも危険が及ぶかもしれないのです!」

 と訴えた。


 その一言で、黄子華の表情がにわかに曇った。死霊術師といえば、鬼や妖怪を操るという妖術使いのことではないか。古から伝わる呪いを駆使するという不気味な連中が、まさか朝廷に楯突こうと言うのか……しかもその場合、真っ先に餌食になるのは自分たちだ!

 そう考えた途端、黄子華はみるみる青ざめた。

「……お前には、その死霊術師を止める術があると言うのか」

 すっかり色を失った黄子華に、王仙羽が頷く。

「もちろんです。ですので、反乱軍の相手は朝廷の兵士ではなく、私どもに——」

 王仙羽ワンシェンユーがそう言いかけた途端、警鐘がけたたましく鳴り響いた。黄子華が椅子の中でビクリと飛び上がる。王仙羽が窓に駆け寄ろうと踵を返すと、「ファン大人!」と叫ぶ声が廊下からした。

「大変です、百姓がもり——」

 しかし、その部下が最後まで言い切らないうちに、戸枠の外から青い袖がぬっと伸びてきた。あっさり突き飛ばされた部下は潰れた呻き声とともに黄子華の視界から退場する。床に伸びているであろう部下を一瞥し、フンと鼻を鳴らしてずかずかと入ってきたのは凛冰子リンビンズだった。

「王仙羽。チャオ家村の連中が衛兵と衝突した。町の裏の森だ」

「もう着いたんですか……死者は出ているんでしょうか?」

「分からぬ。だが、あの間抜けどもを寄越して調べさせるより、我々が直接行って間に入った方が話は早いだろうな」

 凛冰子が廊下をあごでしゃくった。その仕草に、ようやく我に返った黄子華が一声叫ぶ。

「い、一体何のつもりだ! 私の部下が役に立たぬと申すか!」

「いかにも。我らが追っているのはこの世の道理から外れた手合い、お前の手勢では何の役にも立たぬわ。もっとも、お前の見栄のために連中を犬死にさせると言うなら止めはしないが。そうでないなら黙っていろ」

 凛冰子が冷たく言い放つと、さすがに黄子華も大人しく黙り込む。凛冰子と王仙羽は、哀れな黄子華を残してさっさと部屋をあとにした。




***




 しかし二人は、町のはずれまで出たところで行く手を阻まれた。反乱軍が森の防衛を破り、兵士たちを圧してここまで入ってきたのだ。長刀や槍で武装した農民たちの先頭に立っているのは、チャオ家村で手合わせをした例の二人組の若者だ。流れてきた矢を避けて、二人は近くの家の影に入った。その間にも、鬨の声に混じって誰かの断末魔が上がる。

「遅かったか」

 凛冰子リンビンズが舌打ちする。王仙羽は首を横に振ると、

「まだ間に合います」

 と答えた。

「早く皆を止めましょう。奴が姿を現す前に!」

 王仙羽ワンシェンユーはそう言うと、空手のまま飛び出した。凛冰子もあとを追って乱闘の中に飛び込む。突如現れた闖入者に、反乱軍も官軍もにわかにどよめいた。



 二人の目的はこの戦いをやめさせることであって、怪我はやむを得ずとも命は取ってはならない——二人に気を取られて動きを止めた者から順番に、王仙羽と凛冰子は間に割って入った。ある者は剣気で槍の穂先を斬り落とされ、ある者は手首をしたたかに打たれて刀を取り落として、何が起きたかも分からないうちに次々と戦いを中断させられていく。やがて、誰かが声高に叫んだ——「奴らだ!」

 その声を聞くやいなや、二人の若者が猛然と飛びかかってきた。一人は王仙羽ワンシェンユーに、もう一人は凛冰子リンビンズに、それぞれ狙いを定めて長刀を振りかぶっている。唸りを上げて振り下ろされた刃を王仙羽は飛びすさって避けた。見れば、趙家村で手合わせをした例の青年たちだ——前回は棍だったから良いものの、今回は下手に間合いに入れば肩口から腕を斬り落とされかねない。王仙羽は着地と同時に右袖を払うと、その手に長剣を握りしめた。

 かけ声とともに振り下ろされた長刀を剣で受けると、重い衝撃が腕に伝わった。刃を跳ね返し、横なぎに繰り出された次の一手を飛びのいて避ける。問題は、先の刃を斬り落としても、棍を扱える彼らには通用しないということだった。つまり、二人の動きを封じるには、腕の中まで入り込んで点穴を施す必要があるということだ。


 一方の凛冰子は、空手の分、王仙羽よりもいくらか不利な状況に立たされていた。隙を突いて間合いに入り込んでもすぐに追い出され、防戦を強いられてしまう。凛冰子は苛立ちを隠しもせずに舌打ちしたが、ふと、二人の戦いに見入っている官軍の兵士が目に留まった。その手には刀が握られている。

 ちょうどいいとばかりに、凛冰子は男の手から刀をひったくった。「おい!」と声を上げた男を押しやって、降ってきた刃を流す。間髪入れずに繰り出された次の一手を飛びのいて避けると、背中にドンと衝撃が走った——振り返ると、王仙羽と背中合わせになっている。二人はちらりと視線を交わすと、各々目の前に立ちはだかる若者に目線を戻した。



 農民も官軍も、王仙羽たちに武器を取られた者もそうでない者も、今や誰もが戦いの手を止めて、趙家村の若者二人と闖入者の戦いに見入っていた。

「なかなかやるではないか。名は何と言う?」

 凛冰子が尋ねる。その声は内力で増幅され、その場にいる者は骨から全身を揺さぶられるような感覚に襲われた。

「俺は趙雲チャオユン、向こうは弟の趙雨チャオユーだ」

「二人合わせて雲雨と言うわけか。面白い! 立派な龍になれると良いな」

 趙雲の答えに、凛冰子は空気を震わせて大笑する。あからさまな挑発に、趙雲・趙雨の兄弟は揃って怒りに顔を赤く染めた。

「ほざけ!」

「お前を倒してのし上がるまでよ!」

 二本の長刀が唸りを上げて襲い来る。王仙羽と凛冰子はそれぞれ得物を構えると、攻撃を正面から受け、刃を跳ね返した。内力を込めた武器同士がぶつかり合い、ギィン、と耳障りな音が周囲に響き渡る。だが、その威力は趙兄弟よりも王仙羽たちの方が勝っていた。予想外の力を受けた二人は反動で数歩後ずさりした。内傷を負ったのか、唇の端から赤黒い筋が伝う。そして二人が体勢を整える前に、冷たく鋭い敵意が喉元に迫っていた。慌てて攻撃をかわし、流れで数手を交えるが。


「戦場で勝ちをおさめたいなら、冷静さを失わないことだ」

 目を白黒させて硬直する趙雨の首筋に背後から長剣を押し当てて、王仙羽が一言告げた。左手は剣指を作って背中の穴道にぴたりと当てている。凛冰子も趙雲の首筋に刀を突きつけ、空いた手で胸の穴道を制している。趙雲・趙雨の兄弟はそっと目配せすると、長刀を地面に捨てた。


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