六場 天上の酒
反乱は、どちらの勝利ともつかない形で幕を閉じた。ではこれからどうしたものか——誰もがそう思い、互いに顔を見合わせていると。
ふいに、どこかから手を叩く音が聞こえてきた。
「いやあ、すごい、すごい! ええもん見してもろたで」
忘れようのない強烈な訛りが上空から降って来る。
「あそこだ!」
誰かが叫び、屋根の上を指さす。屋根に腰かけ、悠々とひょうたんを傾けているのは誰あろう、陰霊城を出てからずっと追い続けていた
「陳芹‼」
王仙羽と凛冰子が揃って声を上げる。趙家村の面々——特に趙雲・趙雨の兄弟は、屋根の上にいる陳芹の姿に戸惑いが隠せないらしく、互いに眉をひそめてささやきあっている。
「逃げ回るのも終わりだ。大人しく冥府の裁きを受けろ!」
「嫌や。冥界なんか、行ったかて得体の知れんバケモンどもに痛ぶられるだけやないかい」
王仙羽が怒鳴っても、陳芹は全く意に介さない。
「そこへ行くと酒は偉大やで、道長、あんたみたいなひよっこにはまだ分からんかもしれへんけどな。一口飲めば天上の味わい、そのままぽっくり逝ってまう奴がおるんもよお分かる。一生地上でこいつと過ごせるんやったら願ったり叶ったりや」
「だから外道の修練に頼ったと言うのか? そんなもので得られる命など、水で薄めた上物の酒と変わらぬわ。天上の滋味とて、水で薄めれば安物の平安に成り下がろう」
凛冰子も声を張り上げる。その冷ややかな物言いに、陳芹は大声で笑った。
「ハ! 上手いこと言いよるわ! せやけどなあ、その天上の世界を味わえんもんにとっては、水で薄めた安物の酒でもないよりマシやて思うもんや。せや、
凛冰子が怒りに顔をゆがめる。だが、凛冰子が何か言い返す前に、陳芹がまた口を開いた。
「あのときは、どんぐらい薄めたらええんかも分からんかったさかいなあ。けど、わしもようやく掴めてきてんやで? ここにいはる趙家村のみなさんは、美味い言うて飲んでくれはったわ」
「お前、言わせておけば——!」
ついに凛冰子が怒鳴った。吼えるような大声にも陳芹はせせら笑うばかり、王仙羽は思わず長剣を握りしめた。
「陳芹殿、これは一体どういうことですか?」
「あなたが振る舞われた酒は、我らの体を強めるためのものではなかったのですか!」
「陳芹、まだ遅くない。このまま皆を逃して、犠牲者を弔えば済む話だ。今ならまだ間に合う!」
しかし、陳芹は口の端を持ち上げて薄ら笑いを浮かべただけだった。
「間に合うて、何にや? もう人はぎょうさん死んどる、それに弔いは命を地上から消す儀式に過ぎひん」
陳芹は立ち上がると、指を組んでぐっと伸びをした。その光景に、誰もが言いようのない異様な空気を感じて体をこわばらせる。
「何をするつもりだ、陳芹」
王仙羽が尋ねると、陳芹は答えて言った。
「そらもちろん、秘薬の力を見せるんよ」
「青海を渡らず、泰山に至らず。この地に留まりし魂魄よ、我が言葉に聞き従え」
呪符が毒々しい緑色の光を放ち始める。それに呼応するように、森の方角から地鳴りのような低い唸り声が聞こえてきた。
「汝の全てを我に見せよ。汝の怒りを解き放て。汝の憎む者どもの血しぶきこそが手向けの花と知れ」
「皆武器を持て!」
呪文に合わせて、緑色の光がますます濃くなる。
「七魄は塵に帰れど三魂は滅せず、肉体は残りて永遠の器と成る。不死の相、重生の新たなる定め、天命を超えて今ここに顕れん!」
最後の一言とともに呪符が一際強い光を放ち、方陣を描き出す。戦場は一瞬悪うちに陣に覆われ、皆が身を寄せ合う。すると、誰かがけたたましい悲鳴を上げた。
死んだ兵士が緑色の光に包まれて、次々と起き上がる。戦場は一気に恐慌状態に陥った。誰もが我先にと逃げようとする中、森から聞こえる唸り声が一段と大きくなる。木々の間から姿を現したのは、先の戦場で命を落とした者たちだ。蜂の巣をつついたような騒ぎの中、王仙羽と凛冰子、趙雲と趙雨だけが平静を保つことができている。森の近くにいた者が悲鳴とともに引き倒され、新たに起き上がった死体がぐるりと首を巡らせるやいなや、四人は各々反撃に出た。襲われかけた者をかばって下がらせ、死穴を突いて僵屍の動きを封じ、あるいは武器を振るって一瞬のうちに僵屍をばらばらの肉塊に変える。だが、この混乱の中で四人が戦い続けるのはあまりに危険だった——王仙羽は戦場を素早く見回すと、趙兄弟に大声で呼びかけた。
「
趙雲と趙雨はちらりと視線を交わすと即座に頷いて、皆を誘導し始めた。安全な場所に逃げられるとあって、官軍の面々までもが兄弟について一緒に撤退し始めている。王仙羽と凛冰子は、たった二人で僵屍の群れ、そしてその主と対峙した。
斬っても斬っても一向に倒れる気配を見せない僵屍の中で、
(陰霊城を襲ったのも陳芹だったのか!)
大きく振りかぶって刀を振り下ろした僵屍を半身になって避け、首を刎ね飛ばすと、王仙羽は戦場をぐるりと見回した。
「
と呼びかけた。
「このままではきりがありません。陳芹を討たない限り……」
「勝算がないと言うのだろう!」
くるりと回って僵屍を避けながら、凛冰子が怒鳴り返す。
「行くなら行け。化け物どもは私が引き受ける!」
そう言うと、凛冰子は閉じた扇子で僵屍の胸をドンと突いた。反動に乗って飛び上がり、後方に下がって印を結ぶ。両手と足をなめらかに運ぶ動きから結界を張るつもりだと察した王仙羽は、凛冰子が呪文を唱えると同時にその場で飛び上がった。
「陰陽は極まり、乾坤は邪を封ず」
呪文とともに、周囲の空気が突然重みを増す。王仙羽は圧迫感から逃れるように、僵屍の頭を踏み台にして陳芹のいる屋根に飛び上がった。地面では凛冰子が印を結び変え、
「太極八卦陣、起!」
と声高に唱えて足をダンと踏みしめる。その瞬間、周囲を覆っていた陰の気が陽の気に転じ、凛冰子を中心に放射状に放出された。陰陽の気がぶつかり合い、僵屍が一斉に動きを止める。だが、僵屍と同じ陰の存在の凛冰子にもその影響は及んだ。経脈を流れ、体を動かしている陰の気が滞り、その場でカクリと倒れそうになる。
「クソ……!」
凛冰子は自らの穴道を突いて気の流れを強引に整え、陣の維持に全力を注いだ。陰陽の気が拮抗している状態を保っていれば、僵屍が再び動き出すことはない——だが、それまでに王仙羽が決着をつけてくれないと、本当に一巻の終わりだ。
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