三場 陰陽の取り引き
「もう一つ、聞いてもいいでしょうか」
「我の知識が及ぶ事物ならば、何なりと」
李知恩がゆっくり頷くと、王仙羽は質問を口にした。
「なぜ私が、冥府の名のもとにその仕事をするのですか? 冥府のことは冥府の中で処理するのが筋でしょう。それに、黒白無常のような、人間に近い存在の拘魂鬼だっているではないですか」
拘魂鬼は、この世を彷徨う鬼のうち、死者の魂を冥府に連れていく役目のものを言う。さしずめ下級官吏といった存在で、黒白無常もその中に数えられる。しかし、李知恩の答えから察するに、黒白無常とは上司違いの同僚といった関係らしい。
「先ず第一に、城隍神とその眷属は多忙を極めており、新たな任務を受けている暇がない。第二に、この死霊術師の男は文書の上ではまだ生きている。我々拘魂鬼は、基本的に死にゆく者にしか干渉することができぬ。したがって、陽間での協力者を見つけねばならないのだ」
李知恩はそこで一息つくと、
「第三に、其方を指名されたのは府君ではなく、その御令嬢であらせられる
と告げた。
「娘娘によれば、其方は世界の陰陽の境界が見えるとか。陰間と陽間の住人の別がつき、尚且つ武功にも優れた其方ならば、我らに代わって冥府の顔を立てることも叶おうと。娘娘はそうお考えであり、その旨を我々の面前で府君に直訴された……その時は疑わしいと思っていたが、それが真であることはこの目でしかと確かめた次第」
不自然な間のあとに付け加えられた一言は、
「ちなみに、
こんな仕事よせばいいのに、断れば済む話だと頭の片隅では思いながらも、
「其方の母堂、
と答えた。要は信者の息子がちょうど良いことに、といったところなのだろう。
とはいえ、死霊術師を相手にするという話が魅力的なのもまた事実だった。死霊術の非道さや、それを扱う術師たちの仁義にもとる行いの数々は母親たちからよく聞かされてきた。生死の理を尊重しないばかりか己の手に負えるものと驕っている、人の不幸につけ込んで悪事を働きさらなる不幸を呼び起こす、奴らは災いの種にして蒼生の敵だ、除く以外にかかわりを持つな等々の悪評は、武林の正派の弟子であれば嫌というほど聞かされるものだ。この仕事を引き受ければ、邪を除いて蒼生を救えるし、己の実力の証明にもなる。天秤がどちらに傾いているかは明らかだ。
「良いでしょう。その役目、この
王仙羽がそう答えると、李知恩が表情を少しやわらげたように見えた。
「ですが、私からも頼みたいことがあります。私の父、
すかさず言うと、李知恩がまたもとの無表情に戻る。
「父は、少し変わった人でして。母や師伯たちの言うことには、死んでも必ず生き返るそうなんです。私が生まれる前に世を去ったのですが、今彼がどうしているのか、もし生き返っているのであれば今どこにいるのか、教えてはもらえないでしょうか?」
「……なるほど。ではそのように、府君と娘娘に通しておこう」
李知恩はそう答えると、窓のほうをちらりと見た。話も済んだから、この結界と化している部屋から出せという合図なのだろう——王仙羽が窓の護符をはがすと、李知恩はもとの鬼火の姿に戻って言った。
「それと思しき者を捕らえたら、一番近い廟から私を呼びたまえ。すぐに確認しに行く」
李知恩はそう言うと、滑るように窓を飛び出してそれきり見えなくなった。
***
「——そういうわけで、今はその死霊術師を探している最中なのです。その中で最近この村に夜な夜な鬼が集まっているといううわさを聞いて、何か関連があるかもしれないと思って来てみたのですが……本当にすみません」
一方の陳芹は、何やら考え込んでいる様子でしばらく黙っていたが、やがて腰に携えたひょうたんを取り上げた。蓋を開けて一口飲むと、例の天にも昇る心地の匂いが王仙羽にも届く。
「……まあ、なんや。協力したらんこともないで」
陳芹が口を開く。王仙羽は半信半疑で振り向いた。
「本当ですか?」
尋ね返した王仙羽に、陳芹は仕方がないと言わんばかりにため息をつく。
「立派な若者の立派な行いや、専門家のはしくれとしても手伝わんわけにはいかへんやろ。ちょっとやりすぎたぐらいどうってことないて。それに正直な、わしもこんなことやっとるさかい、冥府のお偉いさんには十分恨まれとるんやわ。せやから、ちょっとでも向こうさんに恩売っといたら、いざという時に役に立つかもしれへんやろ?」
「……本当ですか⁉」
顔を輝かせる王仙羽に、
「そない何べんも聞かんでも、わしはどこぞのお上みたいに言うことコロコロ変えたりせえへんで。手伝ったる言うたら手伝ったる」
「ありがとうございます!」
王仙羽は大声で礼を言うと、その場に座り直して深々と頭を下げた。驚いた陳芹が慌てて身を起こさせると、王仙羽はすみませんと苦笑する。陳芹も呆れたように笑うと、ひょうたんを傾けてもう一口飲んだ。
この英雄のひな鳥が果たしてどこまでやってくれるのか、今から楽しみだ。
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