二場 悪鬼の集会





 夜半。あぜ道を急ぐ影の前に、青い衣を着た男がぬっと立ちふさがった。

「どうも」

 すくみ上がった人影に、青い衣の男——凛冰子リンビンズが淡々と声をかける。

「一つ尋ねたいことがあるのだが。この先の荘家に、夜な夜な酒鬼が集まっているというのはまことか?」

「……な、何を言って」

 おっかなびっくり言い返した影に、今度は背後から鋭い刃物が押し当てられる。

「とぼけるな。ならば以前、仲間と連れ立って廃村に集まっていたことは、何と申し開きをするつもりだ」

 後面に潜んでいたのはもちろん王仙羽ワンシェンユーだ。影は逃げられないと悟ったのか、チッと舌打ちすると、いきなり凛冰子に突撃した。

「何をする!」

 正面から吹き抜ける黒い風に全身を撫ぜられて、凛冰子は思わず顔をかばった。王仙羽は

「逃がすか!」

 と叫ぶと、影のあとを追って駆け出した。凛冰子も遅れて走り出す。影は荘家の門を抜け、奥の酒蔵に向かって一直線に飛んでいく。


 酒蔵が見えた瞬間、凛冰子はふっと全身の力を抜いた。傀儡にされて唯一役に立ったこと、それは肉体という枷がありながら鬼神のような振る舞いができるようになったことだ。王仙羽の後ろにあった気配がすっと消えたと思うと、その体は一瞬のうちに前方に移動して酒蔵への道を塞いでいた。

 影は先ほどと同じように凛冰子の体をすり抜けるつもりなのか、勢いを全く緩めない。あわやという瞬間、凛冰子が剣指を眉間の高さに突き立てて、影は動きを封じられてしまった。

「ここまでの道案内、恩に着るぞ」

 二人に追いついた王仙羽が、影の背中に護符を貼り付ける。護符からスルスルと光る縄が伸びて、元の人型に戻った影はそのまま拘束されてしまった。



 王仙羽は、酒蔵の中にじっと意識を集中させた。漆喰の壁の向こうから、たしかな陰の気が感じられる。

「奴ら、まだ中にいますね」

 王仙羽はそう言うと、袖を振って護符を取り出した。

「捕まえて冥府に引き渡しましょう。凛先生は、そいつから陳芹の居場所を聞き出しておいてください」

 凛冰子が応えて頷く。王仙羽は息を殺して酒蔵にそっと近づいた。鬼の出入り口になれるのは、正面の扉のほかに、天井付近にある採光用の窓——王仙羽は護符を静かに飛ばして窓に貼りつけると、片方の手で扉の取手を握りこんだ。空いた手に剣指を作り、「起」と呟く。


 突然、見えない膜が窓を覆った。中の気配が慌てふためき、互いに喚きあっているのが手に取るように分かる。王仙羽ワンシェンユーは蔵に滑り込むと、扉にも護符を貼りつけた。

「誰だ!」

 怒鳴り声とともに、黒い気配が接近する。王仙羽は半身になって避けると、その首筋をむんずと掴んで組み伏せた。蔵の中は闇に沈んでいて、とても視界が利くとはいえない。だが、どこに陰の気の塊があって、どの方向から攻撃が繰り出されるかを判断するのに周囲の明るさは関係なかった。結局のところ、実戦でものを言うのは武芸者の勘だ。動物的ともいえるこの勘さえ磨かれていれば、たとえ盲ていたとしても江湖では十分通用するのだ。

 組み伏せた鬼の背に護符を貼りつけると、護符から伸びた縄がひとりでに鬼を拘束する。王仙羽は襲い来る鬼を次々といなし、その体に護符を貼りつけていった。暗さに目が慣れてくる頃にはほとんどが制圧されていた——最後の一体を拘束すると、王仙羽は窓と扉に貼った護符を剥がして結界を解除した。



「終わったか?」

 外から凛冰子リンビンズが呼びかける。王仙羽は扉を開け放って、光る縄で縛られている鬼たちを淡い月明りのもとにさらけ出した。

「ほう、やるな。これでこの荘家も安泰だろう」

「先生の方はどうです? 何か分かりましたか」

 王仙羽が尋ねると、凛冰子は不満げに扇子を広げた。

「奴はすでにこの近辺を離れていると」

「では今どこに?」

「分からぬ。おそらく陳芹チェンチンに口止めされているのだろう。死霊術で支配権を奪わない限り、我々では吐かせることはできぬ」

 整った顔を堂々とゆがめる凛冰子は、夜の暗さも相まって本物の鬼のようだ。だが、主人である陳芹に口止めされているとなると、おそらく他の酒鬼からも情報は引き出せない。

 こんなにも早く行き詰まるとは——どうしたものかと二人が首をひねっていると、突然周囲の温度が下がった。陰の気がぐっと濃くなり、空がどんどん曇っていく。警戒を強める凛冰子を制してじっと待つと、見慣れた姿が暗闇の中に現れた。



 古代の衣装、首に巻いた紐、冷え切った双眸。久方ぶりに姿を見せた冥府の官吏・李知恩リーチーエンは、王仙羽と凛冰子、縄に繋がれている酒鬼を順番に見ると、視線を王仙羽に戻した。

「王仙羽殿。此度の話、その後如何お進みかな」

 冷え冷えと響くその声に、凛冰子が身を固くする。王仙羽は大丈夫だというふうに手で制すると、前に進み出て一礼した。

「李知恩殿。実はこちらから伺おうかと思っていたところです」

「左様か。突如此方から行方を追えなくなった故、方々を回って探していたところだ」

 そう言って王仙羽を睨んだ目は、骨の髄から凍ってしまいそうなほど冷たい。王仙羽は唐突に、陰霊城の周辺は冥府の監視も及ばないという事実を思い出した。つまり李知恩は、迷屍陣に入って陰霊城で過ごし、負傷したところを凛冰子に連れ出されるまでの間、ずっと王仙羽の行方を探し続けていたのだ。おまけに王仙羽は陳芹のせいで、昨日まで文字通り生死の境をさまよっていた。一体李知恩にどれだけの苦労をかけたのか——さすがに王仙羽ワンシェンユーも、申し訳なさから黙り込んでしまった。

「我等の目を逃れ、奴等の手の者と連れ立って一体どのような調査をされていたのか、是非ともお聞かせ願いたい」

「……ええと、それは」

「失礼な口を利くな、死人」

 王仙羽が口ごもると、それまで黙っていた凛冰子リンビンズが口を開いた。

「こいつがどんな目に遭ったか知りもしないくせに、やはり役人というのは口ばかり立派で人をこき使うのに何の呵責もないのだな。虫唾が走るわ」

「ちょっと、凛先生!」

 王仙羽が慌てて止めようとするが、李知恩からも明らかに不穏な空気が漂っている。

「こいつが誰を捕らえたか、しかとその目に焼き付けるがいい。お前が王仙羽に押し付けた死霊術師の使役する鬼どもだ。先ほど全員拘束した」

 凛冰子はそう言うと、扇子を開いて口元を隠した。言うことは言ってやったぞということなのだろう、そう受け取った王仙羽は李知恩に向き直った。

「……ええと。まず、李知恩リーチーエン殿がお探しの死霊術師については、もうこちらで突き止めました。それから今しがた捕らえた鬼についてですが、私たちはこの荘家の酒蔵で夜な夜な複数の話し声がするというのを聞いて、奴の配下ではないかと疑ったのです。それで邪を祓うという約束で入らせてもらったら、思ったとおり奴の手の者だったというわけです」

「して、此奴らの首領は如何した」

 李知恩の冷たい視線が王仙羽を刺す。だが、王仙羽は今度は李知恩から視線を逸らさなかった。

「逃げられました。ですがむしろ、こうして手下を捕らえたことで反撃の機会が巡ってきたと言えましょう。こいつらから行き先さえ聞き出せれば、あとはこちらのものです」


 李知恩は相変わらずの無表情で、決意みなぎる王仙羽ワンシェンユーをじっと見つめている。王仙羽は、袖を払って手を重ねると、

「実は折り入って、李知恩殿に頼みたいことがあるのです」

 と言った。沈黙が返されるのを是と取り、頭を下げて頼み込む。

「奴らは死霊術によって支配されているため、私たちではどうしても情報が引き出せないのです。なので、李知恩殿から直接尋問して頂きたく」

 わずかに目を見開いた李知恩に、今度は凛冰子リンビンズがピシャリと言い放った。

「お前たちの手からコソコソと逃げ回っていた奴らを見つけて一網打尽にしてやった、その功労者の頼みは聞くのが筋とは思わぬのか」

 言うだけ言って扇子をもてあそぶ凛冰子を、李知恩は苛立たしげに睨んでいる。だが、やがてため息をつくと、

「良かろう。囚人をここへ」

 と一言命じた。

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