奸計
「……やはりおかしい。
咆哮と詠唱、悲鳴が飛び交う通りを一瞥して、凛冰子が呟いた。迷屍陣の僵屍は陣の中を彷徨うばかりの存在で、人を襲うことはしないはずだ——もっとも、誰かが意図的に操っていなければの話だが。
「まさか、誰かが僵屍を操って街を襲わせているのか?」
「もしかすると、迷屍陣の僵屍ではないのかもしれません。さっき倒した僵屍には瞳がありましたが、迷屍陣の僵屍はどれも白目だったはず」
王仙羽は言った。幸い、二人のいる暗がりには他の僵屍が侵入した形跡はない。
「とにかく、今は
王仙羽が言うと、凛冰子はハッ! と大声で嘲笑し、吐き捨てるように言った。
「陳芹だ? あんなクソ野郎、置いて行っても死にはせんだろうに!」
「なっ……何てこと言うんですか! 今は仲違いするときじゃないでしょう! あなたがどう思おうと、彼は私の協力者なんです!」
王仙羽は驚き呆れつつも言い返した。だが、凛冰子は好きにしろと言わんばかりに冷笑し、扇子をもてあそびながら暗い路地へと戻っていく。王仙羽はため息をつくと長剣を握り直し、通りへと飛び出した。
誰かが松明を落としたのか、通りは地面で燃える炎で明々と照らされていた。
「封印を!」
王仙羽は、足を止めると大声で号令を出した——が、死霊術師たちは皆、ぽかんと口を開けて突如現れた助っ人を見つめている。あれほど敵視していた道士に助けられたという事実が飲み込めないのか、分かってはいても言うことをきくのが癪なのか、一向に動こうとしない死霊術師たちに、王仙羽は呆れたように告げた。
「私は一時的にこいつらの動きを止めただけです。もしこのまま放置して、あとでこいつらが動き出しても、私は手助けしませんよ」
死霊術師たちはその一言で我に返ると、慌てて封印のための陣を敷き始めた。王仙羽は取り逃がした僵屍がいないことを確かめると、軽功を使ってその場を立ち去った。
***
王仙羽はここ最近、
そして今、この繁華街では、先ほどとは比べ物にならないほどの激戦が繰り広げられていた。詠唱と咆哮と悲鳴が交錯し、周囲はひっきりなしに閃く緑色の光で毒々しく照らし出されている。王仙羽は混沌の中に飛び込むと、僵屍を斬り、動きを封印し、襲われている人々を助けながら陳芹の名を叫んだ。
「陳芹殿! 陳芹殿! どこですか!」
夜の暗さと緑色の光の中では、王仙羽の白一色の装いは一際よく目立つ。それが軽功も使いつつ、僵屍を制圧しながら戦場をすり抜けていくさまは白い突風が吹き抜けるようだ。
「
助けた少女を逃し、長剣を振り下ろして迫ってきた僵屍の胸を切り裂く。手を止めて大声で呼ばわり、また迫り来る僵屍を迎え撃っていると、どこからか、
「道長!」
と叫ぶ声が聞こえてきた。
「道長! こっちや!」
「陳芹殿!」
王仙羽は声のした方に向かって呼びかけた。その間にも背後から迫ってきた僵屍に掌を叩きこみ、点穴を施して動きを封じる。
「わしは大丈夫や。ちょっとここまで来てくれるか!」
陳芹の声は、すぐそこの路地から聞こえてくる。
「陳芹殿?」
通りの喧噪からは切り離されたように、路地は暗く、静まり返っている。すると、
「こっちや、道長。来てくれておおきにな」
ぬっと目の前に人影が現れたかと思うと、胸に鈍い衝撃が、一拍置いて痛みが走る。王仙羽は思わず立ち止まって、己の胸元に目をやった。
右胸の下の方、あばらのあたりに鈍く光る鏢が刺さっている。白い布地にじわじわとどす黒い染みが広がっていくのを見た途端にすっと血の気が引いて、目の前が暗くなる。
「いやあ、悪いなあ、道長」
「せやけどな、道長、あんたもたいがいあかんで。あんた、人の話を信じすぎなんや。最初にわしらの酒盛りに乗り込んだ時点でもうちょい粘っとったら、こんなとこでこんな目にも遭わんで済んだのに」
陳芹の声音は今までとは打って変わって、ひどく冷ややかに響く。
「……何の、ことですか」
だが、どうにか声を絞り出した
「あんた、このひょうたんの中身が何か知りたいか」
陳芹がせせら笑いを浮かべてひょうたんを振ると、ちゃぷ、と液体の波打つ音がかすかに聞こえた。蓋が開けられると、いつか嗅いだ、油断すると天に昇ってしまいそうな不思議な匂いがふわりと広がる。その匂いで、王仙羽はハッとした——あの村で、もう少し粘ってさえいれば。しかしもう、事態は取り返しのつかないことになっている。
陳芹は王仙羽の上半身を持ち上げると、ひょうたんの口を半開きの唇に当てた。王仙羽が効かない体で抵抗しても陳芹はお構いなしに口をこじ開け、無理やり飲み口をねじ込むと、思い切りひょうたんを傾けた。
不思議な香りをまとった、ひんやり冷たく焼けるように熱い不思議な液体が喉に押し寄せる。むせた拍子に液体は胃の腑へと滝のように落ちていき、内臓を内側から焼き始めた。
咳き込もうが吐き出そうが溢そうが、陳芹は全く気にせず王仙羽にひょうたんの酒を飲ませ続ける。王仙羽は、くらくらする頭で何とかこれ以上飲み込まないよう抵抗した。液体が触れたところが熱い。鼻から抜ける香りも、喉の奥からあふれる分も飲み込んでしまった分も、全てが炎のような熱を持っている。視界が回る。体からふにゃりと力が抜ける。
「どや、旨いやろ。これが酒の味、命の水の味っちゅうやっちゃ。三魂七魄に染み渡る、天下に一つだけの不死長生の秘訣や」
陳芹の声がどこかから聞こえてくる。ふわふわと浮かんでいるような間隔が気持ち悪い。ようやくひょうたんが口から離されると、王仙羽はふらりと陳芹の腕から転がり落ちた。
「ちときつかったか。まあええわ、捕物劇は悪党の勝ちっちゅうこっちゃな。あんまり上手いこと行きよるさかい、実はわしの方が騙されとるんちゃうかとも思ったけど……ま、終わり良ければ全て良しとも言うさかいな。次会ったら不死身の感想でも聞かせてや」
地面を踏みしめる音がして、陳芹の気配が遠ざかる。それに合わせるように、王仙羽の意識も遠のいていった。
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