三場 奥つ城のその先

 鬼焔符の防護陣を破られて、陳芹チェンチンは思わず舌打ちした。王仙羽ワンシェンユーは長剣を握りしめ、周囲を取り囲む僵屍の輪に視線を走らせる。地鳴りのような唸り声を発していた僵屍の一体が、突如として獣のような咆哮を上げた——それを合図に、戦いの火蓋が切って落とされた。先ほどまでの緩慢さとは打って変わって俊敏な動きで、僵屍が群れを成して襲ってくる。

「道長! とにかくいつも通りに動け!」

 陳芹が大声で叫ぶ。王仙羽は剣を構えると地面を蹴って飛び出し、先陣を切って飛びかかってきた僵屍を迎え撃った。一気に間合いを詰めて腕を斬り落とし、背中に回って心臓のあたりを一突きにする。剣を抜くついでに倒れ伏す僵屍を蹴り飛ばし、勢いをつけて次の僵屍の腹を抉る。二体を倒してから、王仙羽は魄縛帯はくばくたいの何たるかに気が付いた。それほど長さもなく、両端を互いの腰に固く結んでいるにもかかわらず、動きが全く妨げられないのだ。名前から察するに、どうやら肉体ではなく魄の方を縛って固定するものらしい——いずれにせよ、動きが妨げられないならば陳芹を気遣う必要はない。王仙羽は剣を構えなおすと、遠慮は無用とばかりに僵屍のただ中に猛然と突っこんでいった。


 僵屍が次々と倒れる中、王仙羽は傷一つ負わずに剣を振るい続け、陳芹にはその様子が青い閃光が尾を引いて遊んでいるようにしか見えない。

「陳芹よ。見惚れるのは自由だが、あの青年を連れて迷屍陣を抜けなければならないことを忘れてはおるまいな?」

 その戦いぶりを静観していた陳芹は、老不殤ラオブーシャンの声で現実に引き戻された。ハッと我に返ると、老不殤の口の僵屍が目の前まで迫っているはないか!

「うわっ!」

 慌てて身を屈めて、陳芹は凶悪な爪の一撃を避けた。起き上がって急いで印を切り、呪文を唱える。


「青海を渡らず、泰山に至らず、この地に留まりし魂魄よ……ぉわっ⁉ あぶなっ!」


 僵屍が再び腕を振り回して襲いかかり、陳芹チェンチンは素早く体をよじった。方々に逃げ回りたいのはやまやまだが、あまり大きく動くと正しい道から逸れてしまう。王仙羽ワンシェンユーは好きにさせても問題ないが、自分が道を逸れたら一巻の終わりなのだ。それだけは避けたい。


「青海を渡らず泰山に至らずこの地に留まりし魂魄よ、我が言葉に聞き従え!」


 出来る限りの早口で呪文を唱えると、僵屍の動きがガクンと不自然に止まった。老不殤の命令と新たに下されようとしている命令の間で、どちらに従うべきか迷っているようだ。


「汝の全てを我に見せよ汝の怒りを解き放て、汝の憎む者どもの血しぶきこそが手向けの花と知れ」


 陳芹はすかさず、続く呪文を早口に唱えた。同様の呟きが陳芹の耳にも聞こえてくる。きっとこの陣の向こうで、老不殤ラオブーシャンも同じ命令を下しているのだろう。陳芹は同じ言葉を繰り返し唱えながら、僵屍に全神経を意識を集中させた。僵屍は毒々しい緑色の光に包まれて、二つの命令の前に混乱し、苛立ちの叫びをあげている。陳芹は、老不殤との実力差は身をもって知っていた——こうして妨害ができているだけでも御の字だ。だが、今は老不殤と方術対決をしている場合ではない。自分を襲う僵屍がいなくなることの方が重要だ。

「道長! 先に進むからついてこい!」

 陳芹チェンチンは一声叫ぶと素早く指を折って頷き、立ちすくんだまま動かない僵屍の脇を素早く通り過ぎた。腰をぐんと引っ張られる感覚のままに、王仙羽ワンシェンユーも一歩ずつ後退し始める。十分な聖気で精錬した剣でもっても、この僵屍の群れを完全に制圧するのは不可能だった。斬っても刺してもばらしても、少し経てば起き上がって何事もなかったかのように襲いかかってくる。滅多やたらと腕を振り回してきた首のない僵屍を半身になって避けると、王仙羽は剣を逆手に持ち替えてその腰を両断し、体が落ちる前に両腕をも斬り落とした。腕だけになっても襲ってくる僵屍を避けると、王仙羽は宙に飛び上がって後退し、着地と同時に剣を仕舞った。すっと立ちあがると両手で印を結び、腕を回して内功を全身に巡らせる。


「五行相生・木は火を生み、火は土を生ず。七魄は塵に帰り、以て邪を滅す!」


 高らかに唱え、溜め込んだ内功を一気に放つ。次の瞬間、二人と僵屍を隔てる炎の壁が現れた。先頭の何体かはなすすべもなく炎の中に突っ込んで、自らを焼く熱に吼え、悶えている。すると濃霧の中、ピリッと苛立ったような気配が走り、攻撃がふつりと止んだ。



 王仙羽は僵屍が追ってこないのを確かめると、急いで陳芹の横に戻った。

「諦めさしたか」

 感心したような口ぶりだが、陳芹はせわしなく計算を続けている。

「あとちょっとで出口に着くから、それまでは安心やな。けど、着いたら着いたで用心しとかな、何されるか分かったもんやない」

「でも、あの老不殤ラオブーシャンという術師との腕比べは一応こちらの勝利でしょう?」

 王仙羽が尋ねても、陳芹は「さあな」と渋い顔だ。

「下手に手ぇ出せへんくても、お前が招かれざる客やっちゅう事実に変わりはないんや。よう気い付けとかな、誰に何をされても文句は言われへんで」

 陳芹はそう言うと、また何やら計算をして進む向きを変えた。王仙羽は黙ったまま、陳芹にいざなわれるままに足を踏み出した。




***




 あたりを包んでいた濃い霧が、いつの間にか晴れてきた。肺に入る空気も比較的——瘴気のただ中にいるよりはだが——清涼になっている。しかし、霧が晴れても、見えてきたのは陰鬱とした森の景色だった。空はどんより曇って空気も湿っぽく、道の両側にうっそうと生い茂る木々がこれまた鬱屈とした雰囲気をかもし出している。この世の全ての喜楽や快感が失われ、悲しみと苦痛のどん底にいるかのように、どの木も低く頭を垂れて、黒ずんだ梢を生ぬるい微風に力なく揺らしていた。

 生気の失せた森の向こう、道の先にはすでに城門が見えてきている。その全容がはっきり見えてくるにつれ、王仙羽は先の戦いの疲れや痛みも忘れてその美醜入り混じった荘厳さに見入っていた。


 黒を基調とした城門は、長年の雨風にさらされるままに塗料が落ち、そこからさらに材木が黒ずんで廃墟のようになっている。石を彫った扁額もすっかり黒くなっていて、どっしりした「陰霊城」の文字が闇に佇む鬼のようにおぼろげに浮かび上がっている。だが、よく目を凝らすと、やぐらに施された繊細かつ複雑な彫り物はどれも損なわれていないのが見て取れる。

 そして、その門はすでに開かれており、中に入る者を飲み込もうとせんばかりにぽっかり口をあけていた。



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