一場 闇夜の宴

 家々の明かりが全て消え、空高く昇った月だけが煌々と輝きを放つ頃。人気のない、草だけがぼうぼうに生い茂った廃村の中を移動する人影があった。カチャカチャと焼き物のぶつかる音を立てながら、影は草の中を足早に通り抜けていく。その先には、赤々と燃えるかがり火と楽しげな話し声が待っていた。

「遅いぞ、チェンの老大アニキ!」

 中の一人がからかうように大声で言うと、人影ことチェンは「勘弁してや!」と言い返した。

「こんな時間やと酒買うんもひと苦労なんやぞ! わしのこと責めるんやったら、次はお前が行ってこい!」

 一体どこの出身なのか、この陳という男、かなりきつい訛りで話す。夜中に集まって廃村で酒盛りをしようという、この怖いもの知らずの酒飲みたちのまとめ役の中年の男で、訛りがきつく語気が強いことを除けば中肉中背のどこにでもいるような酔っ払いだった。

「つべこべ言うてんと、はよ始めるで」

 そう言いながら、陳は酒のかめを仲間に手渡した。火の周囲には串に刺した肉が均等に並べてあり、時折火に油が落ちては旨そうな音を立てる。かめの封が次々に開けられ、あたりに濃厚な酒の匂いが充満する。一同は衿ぐりが濡れるのも構わず文字通り浴びるように酒を飲み、焼けた肉にかぶりついた。

「ほお、こりゃ旨い!」

「良い兎が獲れたんだよ。こんなとこだから、干乾びた人の肉か、蟻しか見つからねえんじゃないかって話してたんだがな。兎サマサマだ、助かったぜ」

「よせやい、縁起でもねえ! 俺ぁ人肉なんざごめんだね、死んだって食わねえぞ」

「あんなあ。げん担ぐんやったらな、最初っからこないけったいなとこ選ぶなや。気味悪うてしゃーないわ」

「なーに言ってんですか、老大アニキはこんな場所怖くもなんともないでしょう!」

「アホ、わしら肝試ししてんとちゃうんねんぞ! 酒飲むんにこないけったいな場所があるか!」

 陳が返すと男たちはどっと笑い、やいのやいのと大声でしゃべり続ける。やはり親分格なだけあって、陳の訛りが一番よく響く。



 酒盛りに夢中になっている彼らは、崩れた家の中からじっと様子を窺っている人影に当然気が付いていなかった。

 紺で縁取りのされた白い装束を身にまとい、秀麗な額には白の一字巾。豊かな黒髪はひとつに結い上げて、その先端は腰まで届くほどだ。背中に流れる髷が風で揺れるたびに、一字巾の余り布がひらひらと見え隠れする。初めて聞く訛りにいささか驚きつつも、王仙羽ワンシェンユーはじっと陳たちの言動に意識を集中させていた。風に乗って漂ってくるのが酒の匂いなのだろうか。油断するとふわりと天に昇ってしまいそうな、生まれて初めて嗅ぐ不思議な匂いに気を引かれつつも、王仙羽はその誘惑を無視して監視に徹した。


 だが、酒よりも不思議なものがここにある。王仙羽の目には、一見普通なこの酒盛りの異様さがはっきりと見えていた。

(この陳という男、鬼を集めて酒盛りをしているのか)

 そう、この場で酒を飲んでいる男たちは、陳以外の全員が死んでいた。大の酒好きがなるという酒鬼という鬼が、この陳という男を兄貴と慕って、共に焚火を囲んで酒を飲んでいるのだ。

(だが、陰の気が強くないということは、酒鬼どもにはそこまで力はないはず……となると問題は、この陳という男か)

 廃村で酒盛りをしている時点で只者ではないのだが、仲間の全員が鬼となるとますます怪しい。崩れた壁からそっと目を出して様子を窺っていると、ふいに陳がこちらを向いた。王仙羽は素早く頭を引っ込めたが、それでも心臓が早鐘のように打っている。

(見つかったか⁉)

 焚火の方では、老大アニキ、どうしたんですかと鬼の一人が陳に尋ねている。何でもないと陳は答えたが、その声は明らかにこの壁を疑っていた。

「……悪い、わしちょっとションベンしてくるわ」

 そう言って陳が立ち上がる気配がした。周りの酒鬼たちはそれに答えると再び騒ぎ出したが、その音に混じって陳の足音は確実にこちらに向かっている。


「……なんや、何もおらんのけ」

 しかし、壁を回った陳が見たのは、一面の崩れかけた壁だった。王仙羽はその後ろ、家の外壁の向こうに移動して姿を隠していた。陳はあたりを見回してフンと鼻を鳴らすと、壁に向かって立ち、腰のあたりをゴソゴソまさぐった。ほどなくして、小さく水の流れ落ちる音が聞こえてくる。 

 王仙羽は息を殺してじっと機会を窺った。陳は鼻歌混じりに放尿を終えて衣服を直すと、そのまま立ち去ろうと踵を返した——今だとばかりに王仙羽は壁の後ろから躍り出た。ザッ、と長靴の下で砂が鳴り、陳がぱっと振り返る。

「おう、やっぱり——ッ⁉」

 目が合ったと思ったときには、白衣の青年が目の前まで迫っている。王仙羽は、陳が鷹揚に手を挙げたのには目もくれず、その体の経穴を突いた。陳は防御も反撃もできないまま、一瞬のうちに動きを封じられてしまう。

「おい! なにす……」

 声を荒げた陳の喉元に、王仙羽ワンシェンユーは剣指を突きつけた。

「……なあ、兄ちゃん。何の用事か知らんがな、わしに話があるんやったら、こんな物騒なことせんでもええやないか。火ぃのとこまで来てくれたら」

 さすがに身の危険を感じたのか、声を潜め、諭すような口調に切り替えた陳に、王仙羽は一言問いかけた。

「お前、名前は?」

チェンチンや」

「陳芹。お前は鬼を集めて何をしている?」

 思わぬ言葉に陳芹の目が見開かれる。

「鬼⁉ 鬼て兄ちゃん、一体何を……」

「ごまかすな! あの場にいるのはお前以外の全員が酒鬼だ、私の目に狂いはない。お前は一体、鬼を集めて、何をしているのかと聞いている」

 王仙羽はそう言うと、指先に気を集中させた。白く光りだした指先にはさすがの陳芹も縮み上がり、「ちょ、ちょっと待ってくれ!」と情けない声を上げた。

「さ、酒盛りや、わしもあいつらも酒が好きで好きでしゃーないねん、やから気の合うもん同士仲良う酒飲んでるんや。別にどっこも変とちゃうやろ?」

 ひとまず聞かれたことに答えると、白衣の青年の脅すような目つきがスッと細められた。「だがどうやって?」

 王仙羽ワンシェンユーは尋ねた。

「どうって、せやから気の合うもん同士……」

「いくらそうでも、これだけの数の鬼に囲まれるというのは普通の人間ではまず耐えられない。特殊な訓練を積んでいない限り、一人が一度に手に負えるのは鬼一体、それでもなお体の陰陽の均衡が大きく崩れかねない。この場にいる鬼はどれも強力な陰の気は帯びていないが、それでも五、六人も集まればかなりの負担になるだろう。お前はなぜ平気なのだ?」


 ——こいつ、いきっとるだけか思たらけっこう良い線行きよるな。陳芹は胸の内で呟いた。先ほどから点穴を解こうとしているが、技術も功力も年のわりにしっかりしていてなかなか体が動かない。おまけに知識もある。そういえば、近頃鬼が見えるという若い道士のうわさをちらほら聞くが、聞いた話では白装束に白い一字巾を締めていたはずだ。ここは粘るだけこちらが不利だ、陳芹チェンチンはそう判断するとはあとため息を吐いた。

「しゃーないな。わしの降参や。わしがあいつらと酒飲んでも平気な理由、それはわしが死霊術師やからや」

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