3
雪が降っていた。真っ白な雪が。
どこまでも続く真っ白に染まった斜面の先には分厚く濃淡のある灰色の雲が広がっていて、まるで僕等が居るこの星に蓋をしているようだった。
「……」
いつに日かあの蓋をこじ開けこの世界の外へと向かおうとした人達が居て、そして実際にその人達はあの蓋の外へと旅立って行ったのだ。
僕はそちらへは行けなかったというだけの話だ。
僕にはそちらへ行くだけの価値がなかったというだけで、滅んでいくこの星で本来の自分自身を削りながら生き続けることしか選ぶことが出来なかったというだけ。
あの日もこんな風に雪が降っていた。ただ、記憶の中にある光景と今僕が目にして光景は何もかも違う。
記憶の中の光景では沢山のビルが建っていて、沢山の人がいた。そして、その沢山のビルの隙間を埋めるように雪が降って、沢山の人は皆、顔を見上げて蓋の外へと旅立とうとしている宇宙船を見つめていた。
音もなく、ただ冷たい空気が満ちていた。選ばれなかった地上の僕等は、ただただ希望の船だと呼ばれるそれを見送ることしか出来ない。
あんなものは鉄屑だ。でも、君が今あれに乗っていて、そうしてどこかで人間らしく生き続けてくれるのだとしたら、その仰々しい呼び名も悪くはないのかもしれない。
宇宙船は高度を上げ、分厚い雲の中へと消えていく。
約束を果たそうと思った。
それには、きっととても長い時間がかかると思った。
だから僕は生き続けることを選んだ。生き続けることを選び、人間であることを半ば諦めた。
宇宙船を見送った記憶はまだ僕の中にある。でも、僕はもう当時の僕がどんな名前だったのかを憶えてはいない。同様に、その果たしたいと願った君との約束も忘れてしまったし、君のことも朧気だ。
それだけ途方もない時間が過ぎ去ったのだ。いくつかの僕を捨てて、新しい僕を積み上げて、そうやって長い時間を生き続け、そうして今の僕はこの山脈の山頂を目指している。
どれくらい上っただろう。何度昔のことを思い出しただろう。それでも、未だ山頂の影は見えることなく、それらしい建造物の姿も見えてこない。
降る雪の量が増え、少し風も吹き始める。きっと時期に吹雪になるだろう。そうなったとして、もしも僕が生身の人間であったのならきっとそう時間のかからないうちに死んでしまうだろう。だとすれば、パウラがここにいなくて良かったのかもしれないとそんなことを朧気に思った。
寒さは感じない。
恐怖はない。
吹雪の音が聞こえて来る。
何も感じない。
でも、この機械の体も確実にこの寒さにやられているようで、少しずつ体が動かしにくくなっていく。
初めて体が機械になった時、果たして僕はどんな姿だっただろう。
初めは、それなりに大きな都市で暮らしていて、そこにはそれなりに多くの人が居て、まだ生身の体のままであった人と、僕と同じようにNIになった人がいた。
僕は与えられた役割を果たしながら日々を過ごした。初めこそ、食事も必要せず、眠ることも不要で、伝わってくる感覚の乏しさに困惑したものだけれど、都市に住む生身の人間が居なくなった頃にはそれにも慣れた。
それからまた時間が過ぎ去って、他のNIの記憶を送り届け続け、その傍らで何かをしていたような気がしているけれど、今の僕にはもう分からない。
初めて宿った機械の体が壊れて次の機械の体に乗り換えた頃になると、もう僕が居た都市で生きるNIの数も随分と減っていた。
NIであることに耐えられず、体を換えることもなく記憶を消去することもせず死ぬことを選んだNIもいれば、都市を離れ別の場所へと旅立って行ったNIもいた。
そうして僕もまた、都市で暮らすNIが片手で足りる程にまで減ってしまった頃、別の都市や街を求めて旅立った。
僕の役割はNIが居なければ成り立たない。
役割を全うするためには、NIがいる場所へと行かなければならない。
だから都市や街を巡って、NIが居なくなればまた別の場所を目指した。
次第に一つの都市や街に留まる期間が短くなって、気が付けばいつしかNIを求めて星中を彷徨うようになった。
生き続ける理由を与えられた役割に擦り付けていただけだ。それを杖代わりにして歩き続け、でもきっと、どこかしらで僕は気が付いていた。ただ単に生き続ける理由を見失ってしまったのだということに気が付いていた。
淡々と生き続け、NIにも中々会うことが出来なくなって、それでも役割を果たすためだからと彷徨い、生き続け、そうして彼女に会ったのだ。
生まれたての卵のようなモノの中で、僕は真っ白で美しい人に会った。
彼女と出会った後と前とで、特段僕がやってきたことが変わった訳ではなかったし、この星の有様だって変わった訳ではない。けれど、そんな日々を今思い出してみるに、それはとても満ち足りていたと僕は思ってしまう。
彼女は僕との日々がどこまでも続けばいいと思ってくれた。そのことが僕は純粋に嬉しかった。
僕は今、隣に彼女がいないことを寂しく思っている。ただ、そう思えること自体、僕には喜ばしいことだった。
どれだけ生き続けたところで生きている心地がしなかったこれまでとは違い、あの日々の中にいるネウロとしての僕は、確かに生きていたような気さえする。
あの分厚い雲の向こう側。
彼女無事、居るべき場所へ帰ることは出来ただろうか。
まだ、ここでの日々のことを憶えているだろうか。
「…………」
吹雪が強くなる。
いつかの時と同じだ。
僕は変わらず、この星の上でこの星の外を思うことしか出来ない。
視界が一変して、少し先も見えなくなる。
寒さも、痛みも、何もかも伝わっては来ない。
けれど、気が付けばホバーしていた片耳が動かなくなる。
宙を浮くことが出来なくなって、真っ白な雪の上に落ちていく。
落ちて、それからあっという間に体が雪に包まれる。
寒さも、痛みも、何もかも伝わっては来ない。
しかし、深いところからかつての生身の僕が顔を出す様で、僕は堪らずギュッと瞳を閉じる。
誰もいない。
何も見えない。
独りきり。
物寂しいなと呟いて、吹雪が止むまではどちらにしろ動けないと思い、僕はプツリと意識を断ち切った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます