12
「パウラさん!」
私は、それが私のことを呼んでいるということにすぐ気が付くことが出来なかった。
「ネウロ……」
私は瞼を閉じたまま、声を上げる。自分でも分かるほどに、その声は酷く擦れていた。
「はい、僕はここに居ます。よかった、もう目を覚ましてはくれないと思いました」
「ネウロ……」
私は、私を思い出したよ。
私はパウラなんかじゃあないんだ。
その名前は、これまでのパウラとしての私のような、まだ見ぬ世界で美しい光景を目にすることを優しい心の底から望んでいた子の名前だ。
「パウラさんが眠っている間、パウラさんの衣服の下に隠れていた通信機のようなものから通信がありました。パウラさんを探しているという方が、近辺まで来られているようで、引き渡してくれと話がありました。今のパウラさんも救うことが出来ると話しています。パウラさん、パウラさんはもしかして、あの宇宙船に乗って旅立って行っ……達の、遠い子……なの……ね。パウ……さん、どうし……ま……」
少しずつ、また声が遠ざかって行く。
私は帰らなきゃあいけない。パウラが待っているから。パウラに、ここでの出来事を話してあげるんだ。それが、ようやく私が叶えようと思ったことなんだから。
「ネウロ……」
瞼を動かせそうだった。
私は瞳を開けた。
私の中に入って来るのは、ネウロのあの綺麗な青い瞳だ。
「綺麗」
とても、綺麗な青い瞳。
もっと、彼と一緒に旅がしたい。もっと、彼と一緒に色々な景色を見ていたい。
そんな感情が、思い出したかのように勢いよく浮上する。
水の中の泡みたいに、勢いよく浮上する。地上へ向かって、勢いよく。
「……」
これまでの出来事が、消えて行ってしまうのだろうか。
これまでの私が、消えて行ってしまうのだろうか。
そんなのはダメだと、二人の私が言う。でも私にはどうしようもないようで、微睡みが否応なく私を下へと下へと引きずり下ろす。
「ネウロ、パウラ……こんなにも、怖いんだね」
こんなにも、怖いことなんだ。こんなにも、苦しく悲しいことなんだ。
パウラがどれほどの思いを抱いていたのか、私はその一端をようやく知ることが出来た。
この星で生きていた人たちが、一体どれほどの思いで生き続けることを選び続けて来たのか、その一端をようやく知ることが出来た。
「記憶が無くなっていくって、きっとその人が消えていってしまうことと同じなんだよ」
パウラを見てそう思った。
これまでこの星で生きる人たちを見てそう思った。
ネウロと出会ってそう思った。
「私、楽しかった。もっと一緒にネウロと旅をして、色々な景色を見たいって思った」
ここで目にしてきたモノはどれもカラフルで、綺麗だった。
ようやく分かった気がする。きっと、私はこれまでちゃんと見ようとはしてこなかった。もっとちゃんと見て、向き合って、そうすればきっと、毎夜パウラと話をしていたあの時間以外にだって色付くモノがあるはずで、灰色だったのは私の方だった。
壊れた建物。壊れた機械。朽ち果てた世界と、ボロボロな人。それでもここで目にしてきたモノのすべてが美しいと思えたのは、きっとそういう事なんだ。
「消えたく、ないな」
ネウロと過ごした日々の記憶は、今の私が生きた証拠。
パウラと過ごした日々の記憶は、かつて私が生きた証拠。
どちらも、私のものに違いないのだから。
――僕が憶えています――
「本当に?」
だとしたら、今の私は少しだけ救われる。ここで過ごした私のことを憶えてくれている人がいてくれるのなら、あの日々が消えないのなら、それは幸福なことなのかもしれない。
「なら、幸せかな」
心残りがあるとすれば、それはネウロと一緒に記憶集約所へ行けないことだ。記憶集約所へ行って、ネウロの無くしたモノを取り戻せないこと。
「ネウロ……綺麗だけど……どこか悲し気だなって思ってたの」
綺麗な青い瞳なのに、彼はいつだってその奥底に悲しい何かを潜ませている。
彼もまた、自分の一部を落としながら生き続けることを選んできたのだ。とても長い時間、とても多くの大切なものを引き換えにして今まで生き続けて来た。
私は、出来る事ならそれらを取り戻してほしいと思う。私には、彼ががこれまで失って来たとても多くのモノをどうにかすることは出来ないけれど、でも彼は違う。何よりそれらは彼自身のモノなのだから、きっと取り戻せるはずだ。
通り過ぎて、消えてしまったかつての自分を取り戻せるはずだ。
きっとそれは、今の彼の悲し気な瞳には必要なものであるはずで、これまでこの星で出会った人達の様に、満ち足りるためには必要なものなのだと思う。
「約束、して」
記憶集約所へ行くこと。
忘れてはいけなかったことを取り戻すこと。
――ええ、約束します――
「よかった」
ありがとう。
本当に、良かった。
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