11

 その日はちょうどパウラが検査を受けているところで、「もう時期終わると思いますから」と、私はパウラがいない病室に通された。

 そこでふと、机の引き出しが少しだけ開いているのに気が付いて、その隙間からノートが見えたのだ。

 私は、あまり深くは考えずにそのノートを手に取った。

 捲って一ページ目。飛び込んできたのは「私と同じ真っ白で長い髪の人。私の大切な人。お姉ちゃん」という文字で、それ以降、私と話したことが事細かにそこには書かれていた。そして最後には「明日の私へ」という一言が添えられている。


 程なくして足音が聞こえて来たから、私は日記を元の引き出しの中に戻した。病室にやってきたのはパウラではなく医者だった。

 医者は「妹さんの容態が急変してね。病室を移させてもらいました」と言って私を手招きした。それから私は医者に案内され、これまでとは別の病室へと足を踏み入れた。


 重々しい機器。瞳を閉じ、透明な箱の中で静かに息をしているパウラから、いくつかの管が伸びている。

 随分と遠くへ行ってしまうのだなと、私は思った。毎夜、パウラの話を聞いて眠りに就いていた日々なんてあっという間に過ぎ去って、あの病室でパウラと話をしていた日々も遠くへ去ってしまった。でも不思議と、その時の私は怖いくらいに落ち着いていた。涙も流れなかった。ただ、目の前で変わり果てた双子の妹の姿を私は眺めていた。


「出来る限りの延命をと思っています。ですが、いつその日が来てもおかしくはありません。ご両親への連絡も先ほどいたしました。パウラさんのことをどうするか、しっかりと話をしてください」医者はそう言って去って行った。

 両親と話をするまでもない。あの人たちはパウラをもう見捨てたのだ。そう、見捨てたのだ。そんなあの人たちが連絡を受けたところで、何も変わらないだろうし、ここにも来ないだろう。


「…………」


 パウラと二人きり。

 私は眠るパウラを見つめる。

 果たして、私は一体どれくらいそうしていただろうか。

 それなりの時間が経過して、ピクリとパウラの瞼が動くのが分かった。

「パウラ」という透明な箱越しの私の呼びかけに反応するように妹の瞼が開く。でも、パウラの言葉は私に現実というものを突きつけた。


「あなたは?」


 その一言で、私はようやく地に足をつけることが出来たような気がした。


「どうして泣いているの?」


 地に足をつけて、途端に涙があふれ出た。

 何も言えなかった。


「ここ、どこ?」「何だろう。分からない」「私、私は?」パウラの呻くような声と、私の泣き声。私は気がつけば看護師に連れられて病室から別室へと移されて、「パウラちゃん、もう自分のことも分からなくなってしまったみたいで」という言葉と、「これ、良かったら」とあの一冊の日記を置いて看護師は去って行った。


 途端に寂しくなった。私は何も出来ないじゃあないか。私は目を背けていただけじゃあないか。こうなることは知っていたはずなのに、自覚して目の当たりにした途端このザマだ。私はパウラに何もしてあげられていない。私は望んでばかりいる。

 机の上に置かれたパウラの日記。パウラはあの病室で、何を思っていたのだろう。

 続きを読むか、読まないか。

 開くか、開かないか。

 最後のページ。きっと、昨日のパウラ。昨日のパウラは何を考えていたのだろう。

 私は開いた。



 私には望みがあります。

 でもきっと、今日眠って明日起きたら忘れてしまうかもしれないから、ここに書き残しておきます。

 私は、綺麗な景色が見たいのです。

 とても綺麗な景色が見たいのです。

 もう、上手くは思い出せないけれど、私の大切な人は喧嘩ばかりします。

 私は私にとって一番大切なお姉ちゃんと一緒に話をする時間が大好きです。でも、皆でそんな時間を過ごすことが出来たのなら、もっと素敵な時間になると思います。

 昔、大切な人達と、隣の星の、とても美しい景色を見に行きました。

 あの時の幸せな空気が忘れられなくて。

 あの時の穏やかな空気が忘れられなくて。

 きっと、綺麗なものを一緒に見ることが出来たのなら、またあの時のようになれると思います。

 でもきっと、一緒に見ることは難しいと思うから。

 だから私は、せめて私一人だけでも綺麗な景色を見て、その綺麗な景色を大切な人達に見せて、話をしたい。

 一番大切な人も、楽しみにしてると言ってくれたから。

 そうやって、少しずつ。

 そうすればきっと。

 きっと。

 SA-SS-03



 日記はそこで終わっている。

 私も、憶えている。あれは後にも先にも最後の家族旅行だった。

 思い浮かぶのはあの景色。パウラの笑顔と、両親の穏やかな表情。

 私は。

 私は、無意識の内に足を動かしていた。日記を握りしめて、走った。

 病院を出て行く途中、両親にぶつかった。「お前、やっぱり」と父は言ったが、私は立ち止まることも、振り返ることもせずに走った。


 パウラはまだ生きている。

 まだ、終わってない。

 もう、夜空を見上げるのは止めだ。

 走って、走って、乱れた呼吸が耳元で騒いでいた。

 家のガレージに、父が仕事で他の星へ行くときに使っていた小型宇宙船がある。

 どこでも良い。

 まだ、間に合う。

 両親のことなんてどうでもいい。

 パウラの願いを叶えたい。

 パウラが叶えられないのなら、代わりに私が叶えてやる。

 日記の最後にあった文字列。

 あれは座標値だ。


 SA-SS-03。


 何もかもを振り払う様に。

 そして、またパウラの元に帰って願いを叶えるために。

 私は飛んだ。

 最後に見た光景は、何だっただろう。

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