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「さぞかし辛かっただろうね。でも大丈夫、あなたなら乗り越えていけますよ」
優しい口調なのに、随分と色味のない声だと私は思った。
「では、まずはあなたのことを教えてください。これまでで一番嬉しかったことは何ですか?」
と、所謂カウンセリングというものが始まる。私はただ質問に答えていくだけで、医者はうんうんと頷くのだ。
一体私の何が分かるのだろう。私は答えながら思った。でも、不思議なもので話をしていくうちに少しずつ医者の声に色が付いていくようで、代わりに私の中からスッと何かが消えていくような感覚を抱いた。何より怖かったのが、私は診察室を出て待合室に戻るまでの間、この感覚はとても心地よいものだと、本心から思っていたという点だった。私はパウラのことをなかったことにはしたくない。忘れたくはない。パウラはまだ生きていて、きっと今頃あの病室で一人きりで、私が忘れてしまったら、本当にパウラは死んでしまう。それが私の本心だというのに、診察室から待合室に戻るまでの間、まるで別の私が私の中で形作られたかのようで怖かった。
一方で、一緒にカウンセリングを受けに来ていた両親はといえば、カウンセリングが終わった後は随分と清々しい表情をしていて、それが私は許せなかった。
カウンセリングを受けて唯一良いことがあったとすれば、カウンセリングを受けに行った夜は両親の口論も聞こえず、静かな夜を過ごすことが出来たくらいだ。
もらった薬は手を付けることなく投げ捨てる。
忘れまいと、これまでパウラと過ごした日々のことを思い出す。
それでも不安だった私は、その日から憶えている限りのことを日記として書き留めることにした。
日中は授業をさぼりパウラのいる病院へと向かう。パウラを診てくれている医者や看護師には適当な嘘をつき、パウラの元に通った。
忘れないように。
憶えていられるように。
でも、私のその思いとは裏腹に、パウラの記憶はより一層速さを増して消えていった。調査員になりたいという思いも、自分がこれまでどんな毎日を送ってきたのかも、両親のことも。私のことを忘れ去ってしまうのも時間の問題だと思った。もしかしたら次に出会った時、パウラは私のことを忘れてしまっているのかもしれないと、そんなことを考えながらパウラの元へ通うようになった。
「お前、最近学校に行ってないそうじゃないか」珍しく父が私に話しかけて来たのは、何度目かのカウンセリングを受けた帰り道のことだ。私が何も言わずにいると、父は「お前、まさかパウラのところへ行っているのか」と言葉を続けた。私は何も話したくはなかったから、頑なに答えることはせず、車窓の向こうで流れていく景色に目を向けていた。父は「パウラのことは、もう忘れなさい」と言い捨て、それ以上は何も言わなかった。きっと、教師が父か母に連絡をしたのだろう。その日眺めていた都市部の景観が、酷く頭にこびり付いた。
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