3
「パウラさん、着きましたよ。起きてください」
ネウロの声が私の意識をすくい上げる。
頭と体がいつもよりも重く感じる。酷く霧が立ち込めているみたいで、何だかとても長い夢を見ていた気がする。
「大丈夫ですか?」
「うん。ごめんね、大丈夫」
まだ寝ぼけている気がする。私は立ち込めた霧を振り払うみたいに瞼を擦って、それから重い頭を持ち上げて両目を見開く。
「着きましたよ。あれがヒバリさんが生身の人間から通信を受けたという場所のようです」
目を開いて、その先に広がっていたのは一面真っ白に染まった世界だった。
地面も、遠くに見える山脈も、何もかもが汚れを知らない白色に染まっていて、代わりに空はどんよりとした灰色に覆われている。その灰色の空からは白く小さな塊がゆらゆらと舞い降りてきていて、その上空からゆったりと落ちて来る小さな白い塊は音もなく真っ白な地面へと溶け込んでいった。
「この辺りは雪が降るようです」
「雪? 雪って、あの空から降ってくる小さな白い塊のこと?」
「はい」
「そうなんだ。雪って言うんだ」
私は自然と「綺麗」と呟いていた。これまで沢山の景色を見てきたけれど、今目にしているこの景色が一番綺麗だ。
「おそらく前方に見えるあの山脈が、ヒバリさんが話していた記憶集約所があるかもしれないという山脈でしょう。それと山脈の手前、ここから少し先に建ち並んでいる建造物。あれがヒバリさんが話していた生身の人間が過ごしていた場所かもしれません。ひとまず、あの建造物のところへ行ってみましょう」
ネウロは自動三輪車で降り積もった雪に跡を残しながら前へと進む。
進むにつれて、その建物達は私達にくっきりと姿を見せる。
「何だか不思議」
「そうですね。少なくとも人が生活をするための場所のようには見えませんね」
横に長い、天井なんかが所々崩れている大きな建物が少なくとも八つ見える。その八つの建物は地面と同じように真っ白な雪で覆われていて、白と白の隙間からは真っ黒な建物の壁面が顔を覗かせていた。どうやらその建物たちは正方形を描くように等間隔に並んでいるようで、きっと、あんな風に天井なんかが崩れ落ちてさえいなければ、この場所にはとても綺麗な直方体をした建物が建ち並んでいたのだろう。
崩れ落ちた建物達。
崩れて、剥がれ落ちた建物の一部だったものは、地面に降り積もる真っ白な雪に埋もれている。
とても静かで、ヒバリとドクターが居た街よりも一層物寂しくて、自動三輪車越しに伝わるこの場所の空気は寒々と蒼く重々しい色合いをしている。
仮にネウロの言う通りここは人が日々を過ごす場所ではないのだとしたら、ここはどういう場所なのだろうか。
ジッと、私は外の様子を見る。
灰色の空と白色の地上。
「ネウロ、あれ」
地面に降り積もった雪の上。私達から少し離れた左側に黒い影がある。ここからだとあまり良くは見えないけれど、その影はどうやら私達の方に近づいて来ているようで、近づいて来れば来るほど、その影は具体的な形として私の視界に入ってくる。
「人、みたいだよ」
でも私と同じ体じゃあない。ネウロとみたいな機械の体だ。
胴体と腰。胴体からは腕が伸びていて、腰からはとても短い足が生えている。顔は半球型をしていて、半球の面を胴体にそのまま乗せたような様相だ。
「いえ、あれは……」ネウロは自動三輪車を止めつつ、何かを考えるように呟く。
「ネウロ?」
「おそらくですが、ただのロボットです」
ネウロがそう言ったのと、私達の方に向かって来ていたその影が、とうとうすぐ傍まで来たのは同時だった。
『車両から降りて姿を見せなさい。侵入者二名。当施設は一般人立ち入り禁止であり、特別指定施設です。繰り返す。車両から降りて姿を見せなさい』
音程がバラバラで不格好な声。きっと、ネウロがロボットだと言ったアレの声だ。錆びついた声で、何だか私達を敵視しているようで、黒い筒状の何かをこちらに向けている。
「大丈夫、かな」少し怖い。
「大丈夫ですよ。ともかく一度僕が話をしてきます。パウラさんは少し待っていてください」
「う、うん」
ネウロは一人自動三輪車を下りて外へ出て行く。
「…………」
自動三輪車を降りたネウロはロボットと話をし始める。何を話しているのかはよく聞こえないけど、少しするとそのロボットは警戒を解くように構えていたものを下ろした。それからネウロの方をジッと見つめる。どうやら何か会話をしているようだ。
人ではなくロボット。
私はてっきり人だと思った。ネウロと同じ人だと思った。今だってそう思う。こうして見ている限りでは、ネウロとロボットでは見分けがつかない。
ネウロは人で、ロボットは人じゃあない。
「……」
少しだけ、何だかあのロボットと話をしているネウロが私の知っているネウロじゃあないみたいで、私はそれが嫌で視線を落とす。少しして、「あのロボットに私達のことを理解していただきました」とネウロが私の隣に戻って来てくれる。その時見たネウロの顔は、私の知っているネウロの顔をしていて私は安心した。
「この場所について案内もしてくれるそうです」ネウロがそう言って正面を指さすと、ロボットは私達のことを待つようにジッとしていた。
ネウロが自動三輪車を動かし始めると、そのロボットは雪の上を歩き始める。
ネウロはロボットの後を追う様に自動三輪車を走らせ、そうしてたどり着いたのはここ一帯にある八つの建物のうちの一つだ。一番山脈に近い方にある、左端の建物。壁面が所々剥げ落ち、天井だって一部が崩れ落ちているけれど、他の建物よりは比較的原型を留めているように見える。
「自動三輪車ごと中には入れなさそうですね」
ネウロの言う通り、この建物の出入口は人一人が行き来出来るくらいのドアが一つあるだけのようだった。私達は自動三輪車を建物の脇に停め、自動三輪車から下りる。
初めて目にした、真っ白な世界を私は踏みしめる。
「少し、寒い」
吹く風が肌を刺すみたいに冷たい。
「かもしれませんね、早く建物の中に入りましょう」
「うん」
ロボットはどこに行ったのだろうかと辺りを見ると、ロボットは私達を待つように建物の出入口前でジッとしていた。
私はネウロを追う様に建物の出入口へと進む。
『ようこそ。Primitive Human保存施設へ』
ロボットはそう言って扉を開け、建物の中へと入っていく。
私達も、そんなロボットの後に続いて建物の中へと足を踏み入れるのだった。
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