11
ドクターの家はヒバリの家よりも散らかっていた。
僕等が通された部屋には大きな本棚が壁一面にあって、その本棚からこぼれ落ちるように分厚い本が何冊も床に散らばっている。
本ばかりの部屋。それも、その本の大半は医学に関するものばかりのようだった。
「悪いが客人用の椅子はない。これで我慢してくれ」と、ドクターはクッションを二つ僕等に手渡してくれる。僕等はそのクッションを受け取って、適当に床に敷いて座り込む。
一方でドクターはというと、部屋の端の大きな机の前にある座椅子に座るのだった。
「ヒバリさんから受け取った部品集めのチェックリストに、この場所があったんです」
ドクターは既に僕等がヒバリに協力して機械の体を作るための部品集めをしていることを知っている。であるから、ドクターは僕のこの一言だけで大体理解できたらしく、「なるほどの、それでワシの家にお前さんらが来たって訳か」と手を顎にやって数度頷いてみせる。
でも、本当にドクターの家にNIの体作りに必要となるものがあるのだろうか。そもそもメッセージとは一体どんなものなのだろうか。
「それでお前さんら、こんな医学書しかない老いぼれの家で何を探そうと言うんじゃ? まあ、薄々分かってはいるのじゃが」
「メッセージ、っていうのを探しているの」パウラがそう言うと、ドクターは「やはりそうか」と、どこか遠くのものを眺めるような声色で呟くのだった。
「少し待っとれ」と言ってドクターは部屋から出て行く。どうやら二階へと上がっていったようだ。それから少ししてドクターが僕等の居る部屋に戻って来る。
「おそらくこれじゃろう」とドクターが僕等に見せたのは、一通の古ぼけた手紙だった。
「これがメッセージ、ですか?」
「そうじゃ。もう随分と前になるかの。ヒバリの決心がついた時で良い、その時になったらこれを渡すと約束をしたのは」
ドクターは「少しだけ、この街についてとヒバリの遠い昔話をしようかの」と古ぼけた手紙を机の上に置き、それから彼は話を始めるのだった。
「聞いての通り、この街はNIのために作られた街じゃ」
街を構成している一つ一つはすべてNIのためのもの。
そんな街に住まうのもNIしかいない。
元来の人間など存在しない、NIだけの街。
「つまり、この街に住まうもんは皆他所からやってきたということを意味しているじゃろうて」
ドクターの言う通り、初めから機械の体を持った人間が生まれる訳はなく、NIはあくまで産まれた人間が生き続けるために得た果ての姿でしかない。
であるのだから、当然この街が生まれ故郷である人間などいるはずもなく、この街に住まう人達は皆例外なくどこか別の場所で生まれて、そうして何かしらの道を辿ってこの街に流れ着いているはずだ。
「ここに住まうNIはな、たとえばワシのような医者や、体をメンテナンスするための整備士なんかを除いて、そのほとんどがNIに成らざるを得なかった人間なんじゃ」
「NIに成らざるを得なかった人間、ですか」
ドクターのその言葉が意味するところを、僕は上手く理解することが出来ない。
「どういう事ですか?」と尋ねると、ドクターは「大きく二つじゃ」と話を続けてくれる。
一つは、NIが実用化される前に試験的に機械の体にさせられた人間。
もう一つは、何かしらの理由で生身の体では生き続けられなくなり、やむを得ずNIとなった人間。
「この街にやってきたNIは、大抵そういう理由からNIになった人間じゃという話じゃよ」
「それは、ヒバリさんもそうだという話でしょうか」
ドクターは何も言わずに瞳を細める。それからゆっくりと「さて、ここからがヒバリの昔話じゃ」と話を続ける。
「お前さん、ヒバリがどうして空を飛びたがっているか聞いたか」
「はい」
ヒバリの父親はパイロット、母親は客室乗務員。両親は共に空で仕事をしていて、ヒバリはそんな両親から空での出来事を聞き、そうして少しずつ空への憧れを募らせていき、いつしか空を飛びたいと思う様になった。それがヒバリから聞いた、ヒバリが空を目指す理由だ。
「そうじゃな。確かにそれも、ヒバリが空を目指す原動力の一つじゃろう。ただもう一つ、ヒバリが自覚しているかどうかは分からぬがな、ヒバリはただ両親に会いたいんじゃよ。もう一度会って、そうしてお別れを言いたいんじゃ」
「それは」
どういう意味ですか。と僕は尋ねる。
ドクターは短く「ヒバリの両親は、航空事故で亡くなったんじゃよ」とそう語った。
ドクターも、その航空事故のことを詳しく知っている訳ではないと言う。仮にかつて知っていたとしても、今はもう覚えていない。ただ今でも知っていることがあるとすれば、その航空事故はヒバリが両親と一緒に旅行をしに航空機に乗っていた時に起こったということと、その航空機に搭乗していた大半の人間が亡くなったということだと話す。
「ヒバリの両親は亡くなった。当然、ヒバリの体も無事ではなかった。何もしなければ亡くなってしまう。じゃが生き永らえたとしても両親はもういない。辛い日々が待っているだけかもしれない。じゃがな、医者っちゅうもんは救えるのならば救わなきゃあいけない」
そうしてヒバリはNIになった。機械の体を得て、ヒバリは生き永らえた。
「言ってしまうとあっけないもんじゃな。今ではもう忘れてしまったことも多いじゃろうが、それでも本当に色々と面倒なことがあったもんじゃ。本当に色々と……まったく、あっけないもんじゃわい」
ドクターはメッセージを手に持って立ち上がる。
「この手紙は瀕死のヒバリのポケットの奥に仕舞われてもんでな、推測でしかないが、おそらくヒバリの両親が書き残したものじゃろう。長い間ワシが預かっていた。じゃがまあ、ヒバリもいい加減親離れする時が来たんじゃろうて」
ドクターは「空、飛べると良いな」と、僕等にメッセージを手渡すのだった。
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