9

「さあ、帰りましょうか」

「うん」


 外はすっかり陽も暮れて夜。

 思っていたよりも時間はかかってしまったけれど、それでもパウラの協力もあってどうにか一日で第四整備施設にある部品はすべて集め終えることが出来た。思っていた通り、一つの場所につき、部品をすべて集めるのに一日程度はかかる。残りは後四か所だから、どうやら僕等はもう少しばかりヒバリの家にお世話になることになりそうだ。


「真っ暗だね」

「はい」


 僕はパウラとはぐれないよう、長い片耳を差し出して「はぐれるといけませんから」と言葉を添える。彼女は「うん」と言って僕が差し出した片耳を握るのだった。


「真っ暗だけど、怖くないね」

「そうですね」

「うん。怖くない」


 パウラが顔を上げる。僕もそれにつられるように顔を上げる。僕等の頭上には見慣れた星空が変わらずに広がっていた。

 来た道を引き返す様に、第四整備施設から街の中心へと歩き、それからヒバリの家を目指す。

 夜の街を歩いてしばらくすると、明かりの灯った建物が一軒、ヒバリが住んでいる家がどこか物寂し気に現れるのだった。


「ただいま戻りました」


 ヒバリの家に帰る。ヒバリは作業をしているのか「すまない、今手が離せないんだ。作業場まで来てくれないか」とジィジィという断続的な音に紛れてヒバリの声が聞こえて来る。奥へと進んで作業場へ行ってみると、ヒバリは新しい機械の体と相対し作業をしていた。


「おかえり。部品集めの方はどうだった?」

「はい。ひとまず一か所終えられました」


 僕とパウラはリュックサックを下ろし中に詰め込んだ部品を取り出してヒバリに渡す。

 ヒバリは部品を受け取ってジッと見つめ、「うん。ばっちりだよ。本当に助かる。ありがとう」と瞳を細める。


「やはり、一か所探し終えるのに一日はかかりそうです。残りは四か所ですから、少なくともあと四日はかかりそうです」

「充分さ。私だったらもっとかかる」


 ヒバリは僕等が集めて来た部品を大事そうに抱えて机の上に置き、それから先ほどまで使っていた工具なんかを片付け、「さあ、今日はもうこれでおしまいだ」と言って作業場を後にしリビングへと戻る。僕もパウラと一緒にリビングへと向かった。

「お風呂でもあれば良かったんだけど、生憎この家にはないんだ。もっと言ってしまえば、この街にはそんなものは無いんだ」ヒバリがパウラを見ながらそう言って長い足を器用に折りたたんで床に座り込む。パウラは「ううん。大丈夫」と言ってそんなヒバリと向かい合う様に床に座るのだった。

 僕は前もってヒバリの家に運んでおいたパウラのための食べ物と飲み物を持ってパウラの隣に座る。「ありがとう」とパウラは僕が渡す食べ物を口にするのだった。


「ネウロ君とパウラちゃんは、出会ってからどれくらい経つの」


 ふと、ヒバリは頬杖をつきながら食事をするパウラのことを見ながら僕等に尋ねる。


「正確なところは分かりませんが、出会ってからそれなりの日数は経っていると思います」


 僕に続いてパウラも「うん。それで、色々な場所へ一緒に行った」と答える。


「そうなんだ。たとえばどんな場所なんだい?」

「うんとね、たとえば地面の下にある都市かな」


「ウェーバーさんの事ですね」僕がパウラにそう言うと、パウラは「うん」と頷いて、あの都市の出来事についてヒバリに話し始める。

 その地下都市に住んでいるのは一人だけ。彼はたった一人、愛した人と出会ったその場所で、都市を守り続けていた。

 パウラの話を聞くヒバリは楽し気で、話をしているパウラも自然と笑みをこぼし、時折「そうだったよね」と僕に言うのだ。そんなパウラのことを見ていると、ああ、僕は確かに彼女と同じ時間を過ごしていて、同じ記憶を持っているのだと思える。その事実が僕は純粋に嬉しかった。誰かと共有された記憶を持っているというのは、本当に幸せなことなのかもしれないと、僕はそう思った。

「パウラちゃんは、ネウロ君と一緒に色々な場所を巡るのが楽しいんだね」ヒバリのその一言に、パウラは澱みなく「うん」と微笑む。


 それからも、パウラはしばらく楽しそうに僕等の旅路の話をヒバリに語った。

 語って、疲れたのか人間らしい自然な眠気に包まれて眠りに就いた。

 僕はそんなパウラを、ヒバリと一緒に寝室へと運びベッドに寝かしつける。

「何かを飲んで、何かを食べて、誰かと話をして、そうして眠る。もうとっくに忘れていたけれど、元々私達はこんな風に生きていたんだ」ヒバリは穏やかな寝息を立てるパウラの頭を撫でながらそう呟く。


「少し羨ましいですね」

「はは、ネウロ君はそう言うんだ。そうだね、少し羨ましい」


 悲しみと虚しさの影を落とした憧れ。時々、パウラを見ているとそんな思いを抱いてしまう。


「記憶を失って、きっと怖くて不安だろうね」

「はい」


 僕等NIは記憶を捨てながら生き続ける。

 だから、記憶を失うというのがどういうことなのか、僕等には良く分かる。

 記憶を失うというのは、自分自身を削ぎ落すことに等しい。

 僕は記憶を失う前は不安と恐怖に苛まれる。

 次は一体僕の中に残っているどの記憶が失われるのだろうか。

 僕の中にいるあの人は、次も消えないでいてくれるだろうか。

 あの日々を覚え続けていられるだろうか。

 そういう感情をこれまでに何度も無理やり押さえつけて僕は今日まで生き続けて来た。


 そして、記憶を失った直後はただただ不安が自身を包むのだ。

 何を忘れてしまったのか、その全てを自覚することは出来ない。

 でも、漠然と自分というものから何かが失われてしまったという感覚だけは伝わってくる。

 それが不安で仕方がなかった。

 そして、ふとした時に自覚するのだ。失ったものを自覚して、言い難い悲しみに包まれる。

 きっと、僕はもう随分と歪な形をしているだろう。削ぎ落して、削ぎ落した場所を虚しい日々で埋めて、今はもう、どれほど僕がそこにあり続けているのか分からない。

 記憶の一端を失うだけでこうなのだ。きっと、すべてを失ったパウラの不安や恐怖、悲しみはより深い。


「私も怖い。大切な記憶が、お母さん、お父さんとの日々が、あの青空が、あの景色が、私の中からいつか消えてしまうかもしれないという事実が怖くてたまらないし不安さ。でもきっと、パウラちゃんは私が抱くこの恐怖とはまた違った不安と恐怖を抱いているんだと思う。それでもさっきみたいに笑っていられるのは、きっとネウロ君のおかげなんだろうね」

「そう、でしょうか」

「そうだよ。そしてきっと、誰かと分かち合った記憶が幸福なものだと思えたのなら、それは産まれ落ちた理由としては充分なのさ」


 誰かと分かち合った、幸福な記憶。

 パウラにとって、僕との日々は幸福な記憶として積み重なっているのだろうか。

 もしもそうであるのなら、多分僕は嬉しいのだと、そう思う。

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