12
「地上に出るなんて、本当にいつぶりだろうな」
俺は背負ったミシェルに話しかけるような気持で呟く。ついにこの日が来たのだと、時折後ろを振り返っては眼下に広がる都市を見つめる。
地下に広がる都市。俺がいくつもの建物を壊して来た所為もあって、もう随分と昔とは違う様相だ。建物よりも瓦礫の方が多いし、ここで生きている奴も俺一人になってしまった。
それでも、この地はまだ死んではない。まだ死なせたくはなかった。
ここは俺達が過ごした場所だから。お前と一緒に日々を過ごした場所だから。
都市のそこら中には記憶が詰まっているんだ。だから、せめて俺が死んでしまうまでは、生かし続けたかった。
視線を前へ。
「さあ、もうじき地上だぜ」
怖くはない、と言えば嘘になる。きっともう地上には、俺が生まれてミシェルと出会ったあの場所は無くなってしまっただろうから。
でも、それでも俺は地上に行かなきゃいけない。俺の為にも、ミシェルの為にもそうしないといけないと思う。
だから目を逸らすことなく、どれほど変わっていようとも見なければいけない。
「ウェーバーさん、地上ですよ」
「ああ」
久しい地上へ。
「分かっていたさ、分かってたけど」
本当、なんもねぇな。
どこまでも続くような、一面コンクリートの地面。俺の記憶にあるあの景観なんてどこにもない。聞こえて来るのは夜風が駆ける音だけで、周囲には俺ら以外に生き物もいない。
もう、あの耳障りなほど賑わう音や声なんて聞こえないんだ。そして、その喧騒の中で、「ウェーバー!」と手を振ってくれたミシェルだっていない。今はもう、全部俺の記憶の中にしかない。
「この星には俺達しかいないみてぇだ」
ミシェルを下ろす。そして、何かに縋るように、ここまで来てもウジウジといつかの日のように、ミシェルの隣に座って肩を支える。
「この場所は、どんなところだったの?」
ふと、パウラが尋ねてくる。
「そうだな」
記憶の中の、生まれ故郷。
「人間が自然に上手く溶け込んだ場所だった。都市の景観は地下にあるそれに近い。中央に一番背の高い立派な建物。円を描くみたいに市街地が広がって、その隙間を水路が走る。都市は豊かな山々に囲まれていて、水路を流れる水はそんな山々から湧いて出て来たものだった。少し外れにあった丘からは都市と山を望めて、本当に綺麗だった。俺はまだ、覚えているよ。そういう場所が確かにここにあったんだぜ」
四季で様相を変える豊かな山々。澄んだ水と、活気あふれる都市。色々な人の色めきだった声。そうさ。そういう景色がかつてここにあったんだ。
だが、そんな面影はもうどこにも無い。ただ更地が広がるだけ。
寂しいもんだ。
「記憶を送り届けるのは、どれくらいかかるものなんだ?」
「そうですね。ミシェルのすべての記憶を送るとなると、通常NIの記憶を送り届ける時よりも時間はかかると思います。ただ、夜が明ける前には終わるはずです」
「そっか。じゃあ、初めてくれ」
ネウロは頷き、ミシェルの前へ。それからコネクタにケーブルを差し込んで準備を進めてくれる。一方でパウラはそんなネウロを支えるみたいに抱きかかえていて、何だがその様子が微笑ましい。
「さようならは苦手だ。何を言えばいいのか分からない」
別れたくはないと思えば思うほど、それでも理性では別れなければいけないと理解している時、何を言えばいいのか分からなくなる。伝えたいことが多すぎて、迷って、思いついた言葉はどれも陳腐に思えて、結局何も言えなくなる。
言えなくなって、そうして頭に浮かぶのは特別な事なんて何もない、ミシェルと過ごした平凡な日々だ。
「あの時、良いなって思ったんだ」
また地上で暮らしていた時のこと。仕事をして、帰って、夕日が都市を真っ赤に染めて。次第に明かりが灯り出して、俺と同じように仕事を終えた連中が、「飲むぞ!」なんて声を上げてゲラゲラ笑っていたり、子供を連れた親子が微笑みながら家に帰る後ろ姿があったり。そういう幸せな喧騒と景観の中で、俺もミシェルが待つ家に帰る途中、偶然お前と会って。お前は「ウェーバー!」って、自由に飛び交う幸せな喧騒の中、たった一人俺に向かって俺の名前を呼んで。そうして手を繋いで一緒に家に帰った。
あの時だ。あの時、日常の真っただ中に居ながらも良いなと思うことが出来た。
それが幸せだった。自然と笑っていて、ここにはかつて、そういうもので日々溢れていた時が確かにあったのだ。
ミシェル。知ってるだろう。俺、こう見えて臆病者だ。怖がりだ。
だから、まだ星を見上げられない。
お前と最後に見た夜空は、本当に綺麗だった。
正直、俺はあんな地下都市になんて行きたくなかった。やっぱり、生まれた街で、お前との日々が始まったあの丘の上で、毎日でも星を見上げて、そうやって毎日を過ごしたかった。
もう、辛いんだ。お前との日々が無くなっていくのが怖い。次、体を換える時、今度はどの記憶が無くなっちまうのか考えるだけでダメなんだ。お前との日々が無くなっていくみたいで、お前が本当にいなくなっちまうみたいで、ダメなんだ。
聞いてくれ。もう、俺一人になっちまった。そうしてようやく地上に出てみれば、もう俺の知ってるあの場所はどこにも無い。きっと地下都市だって、ゆったりと終わりへと向かって歩みを進めてる。
どこまでも物寂しい。変わって、朽ちて、そうして終わるしかないんだ。
「ウェーバーさん、大丈夫ですよ」
ネウロが言った。ネウロを見ると、彼は夜空を見上げていた。そして、彼を抱くパウラもまた、一筋の涙を流しながら夜空を見上げ、「綺麗だよ」と呟いていた。
瞳を閉じて顔を上げる。
思い浮かべるのはミシェルと約束した日に見上げた夜空。
そして、瞳を開く。
ああ、変わらないもんだ。
この美しさだけは変わらない。
「あの日、お前と見たもんと一緒だ」
本当、こういう時に機械の体になっちまったことを後悔する。涙なんかを流してしまいたい。
「ミシェル、これで許してはくれないかな。丘はなくなっちまったけど、あの日見た夜空と一緒だぜ。きっと、お前も見てくれているよな。聞いてくれよ、もう、いよいよ俺一人になっちまったんだ。寂しいもんだ。一体、いつまで俺は一人で生き続けるんだろうな。お前に会いたいさ。毎日毎日、動かなくなったお前を見て、女々しくお前の名前を呼んでたんだぜ」
でも。
「でもきっと、もう充分なんだろうな。お前は最期に笑っていたから。お前との日々を思い返すと、それは全部楽しい日々だったって言い切れるから。ずっと何てないものな。悔しいけど、そんなもんはないもんな」
出来る限り、俺はあの日々を憶えていよう。
お前に出会えたから、あの日々が俺の中にある。
ずっと残し続けたいと思えるほどの記憶が、ここにある。
「ありがとう。さようなら」
出会えてよかった。
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