10
「汚いだろ。気を付けてくれ」
暗い部屋に明かりが灯る。ウェーバーに連れられてやってきたのは、今パウラが眠っている部屋とはちょうど反対側にある部屋。彼から以前、使わなくなった道具があって危険だから入らないでほしいと忠告されていた部屋だ。
彼の忠告通り、明かりの灯ったこの部屋を見渡してみると床には工具が散らばっているし、何に用いられるのかは分からないがそれなりに大きな機械が無造作に置かれている。その大きな機械の中には鋭利な刃がついたものもあって、確かに生身の体のパウラにとっては危険そうだ。
「ある一人のNIっていうのは、こいつのことだ」
ウェーバーの部屋の奥に視線を向ける。
工具や機械の先、部屋の片隅にひっそりと質素な木製の椅子があり、その椅子には人型のNIが座っていた。
「もう動かないのですか?」
「ああ、動かない」
見たところ、このNIの体に損傷はない。ということは、きっとこのNIは抱えられる記憶の限界を迎え、この世を去ったのだ。
「ネウロは俺達の記憶を記憶集約所に送る仕事をしているんだろ」
「はい」
ウェーバーのお願いというのは、もしかしたら僕にこのNIの記憶を送り届けさせ、再び生きていけるだけの記憶保持領域を確保させたいというものだろうか。
でも、そんなことをしたところで一度動かなくなってしまったNIはどうしたって動かない。生身の体であっても、機械の体であっても、死は取り返しがつかないという点は同じだ。
ウェーバーにそう告げると、「そんなこと、俺だってわかってるさ」なんてカカッと笑い、動くことなく椅子に座るNIの頭を優しく撫でるのだった。
「出来る事なら生き返ってほしいよ。でも、そんなのは絶対に出来っこない。そんなことは俺だって分かる。さっさと区切りをつけなきゃいけないのも分かってる。分かってるけどよ、でもダメなんだ。なんか、こいつがまだここに居続けているみたいでさ。俺の勝手な思い込みで、女々しいだけなのかもしれねぇ。でも、ずっとダメで、ダメなんだ」
ウェーバーの赤い瞳が揺らぐ。
「ネウロの役割を聞いた時、俺は思った。ようやく俺は区切りをつけられるかもしれないってさ」
ウェーバーは「だから頼む。こいつの記憶を送り出してほしい」と頭を深く下げる。
「…………」
きっと、彼にとってこのNIの記憶を送り届けるという行為は、追悼することに等しいのだ。
ただ、彼の願いを聞き入れるにしても一つだけ確かめないといけないことがある。
「このNIの中に、まだ記憶が残されているかだけ確認させてください」
NIが体を乗り換えた時失われた記憶が元の体に残り続けるように、死んだNIの体にも記憶が残っている場合がある。
場合があるというのは、NIである僕達は自分が死ぬ際に自身の持つ記憶を機械の体にある記憶領域に残し続けるか、あるいはその全てを消去するかを選ぶことが出来るからだ。
このNIが命を落とすその瞬間、前者を選択したのであれば記憶を送り届けることが出来るだろう。ただ、後者を選択したのであれば僕にはこのNIの記憶を送り届けることは出来ない。
「確認っていうのは、こいつの中に記憶が残っているか残ってないかって話だろ? なら大丈夫。きっと残ってるさ。こいつ『私が生きていた証になるものは、何でも残しておきたいの』って、ずっと話してたから」
椅子に座るNIに接続し記憶領域に記憶が残っているか確認する。
ウェーバーの言う通り、確かにこのNIの記憶は削除されずに残り続けているようだった。
「記憶は残っているようです」
ウェーバーは「だろ」と笑う。
「改めて頼む。どうか、こいつの記憶を送り届けてほしい」
ウェーバーの声は真剣で、彼は優しく椅子に座るNIの手を握っている。
「ウェーバーさんにとって、その方はとても大切な人なのですね」
「そうさ」
ウェーバーは「一番愛していた人だから」と、その瞳を細める。
「お受けします。ウェーバーさんには沢山お世話になっていますし、断る理由もありません」
「本当か」
「はい」
ウェーバーは「ありがとう」と、言葉を繰り返す。
「そんな」
お礼を言われることじゃあない。
NIの記憶を記憶集約所に送り届けること。
それは僕の役割であり、僕がすべきことなのだから。
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