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「話したいことは沢山あるが、とりあえず家に来いよ」


 ウェーバーにそう言われた僕達は、一緒に壊れた自動三輪車を押して動かしながら、ウェーバーが普段寝起きしているという場所へと向かった。

 仕組みは分からないけれど、どうやら地下であっても夜は来るらしい。仄かに明かりを灯していた天蓋が、いつの間にかすっかり暗くなっていた。そんな暗くなった天蓋を見上げたパウラは「まるで星空見たい」と呟く。確かに、僕等の頭上には夜空のような光景が広がっていた。赤や黄、青、白、小さな光が瞬いている。ここが地下にあるだなんて嘘のようだ。


「あんなの紛い物さ。っと、ここが俺の家だ。少し汚いが遠慮せずに上がってくれ。自動三輪車はあっちのガレージに頼む」


 住宅街らしい一角。半壊した住居ばかりの中、かつてはどこにでもあった何の変哲もない平屋の住居とガレージが僕等の前に姿を現す。不思議なもので、今目の前に広がっている光景に僕は違和感を抱いてしまう。

 遠い昔、こういった平屋の住居が軒を連ねる光景の方が都市や街の当たり前であったのに、今はそちらの方が異質なのだ。僕にとって、今の都市や街に相応しいと感じる光景というのは、崩れた住居やビルが草木に飲み込まれている様なのだろう。


「どこも壊れていない、綺麗なお家ですね」

「お、ありがとよ。定期的に点検して、錆びついた柱なんかを取り換えたりしてるんだ。つっても、俺が暮らしている家だけの話さ。ここにはもう俺しかいない。この家以外はみんな壊れちまってるよ」


 ウェーバーは、「まあ、それが普通だろうさ」と呟いて、玄関の引戸を開け中に入っていく。彼の後に続き、僕達も家の中へ足を踏み入れる。


「ここら一帯をカバーしてた発電施設も俺が定期的にメンテナンスしてるんだ。だから電気だって点く。おまけに地下から水を引いてるから、その気になれば風呂だって入れるぞ」


「お風呂」と、パウラが反応する。そんな彼女の呟きを聞いたウェーバーは「つっても、この体になってからというもの、すっかり入らなくなっちまったからな」なんて、皮肉めいたこと言うのだった。

 僕等が通されたのは十畳くらいのリビング。あちらこちらに工具が転がっていて、ウェーバーは「本当、散らかっていてすまない」と、空笑いしながら床に散らばっている工具を退けていった。


「浴室はここを出て廊下を左に進めばある。入るか?」


 ウェーバーがパウラに尋ねる。尋ねられたパウラは困ったような顔をして僕を見る。


「せっかくですし、お風呂を貸してもらったらどうでしょう。生身の体ですし、心も休まるでしょう」


 僕がそう言うと、パウラは頷き、白くて長い髪を靡かせながらお風呂のある方へ歩いて行くのだった。


「それで、今日は俺ん家に泊ってくだろ? 外は暗いし、どの道ここで寝泊り出来る場所なんて、もう俺の家くらいしかねぇしさ」

「良いのですか?」

「ああ、良いさ良いさ。せっかくのお客さんだ。こんなこと滅多にねぇ。それに、聞きたいことが沢山あるんだ」


 ウェーバーは工具を退けて出来た場所に灰色のクッションを敷いて座り込む。


「ほら、お前も使えよ」


 ウェーバーから青いクッションを受け取る。受け取ったクッションを下に敷いて座る。


「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて、泊まらせてください」

「おう。何日だって泊ってけ。今じゃ人間は少ない。助け合っていかないとな」


 ウェーバーはケラケラ笑い声を上げる。


「で、だ。お前たち、地上から来たって言ったよな? それは本当か?」

「はい」


 海、なんてものはどこにも無かった。あったのは灰色一色のコンクリートで出来た地面だけだ。

 ウェーバーは、「そっかぁ。うん。まあ、そうだよなぁ」と呟く。


「ああいや、ごめんな。説明するよ」


 そう言ってウェーバーが僕に説明してくれたのは、この都市についての話だ。


「この都市はな、長らく海に浸かっていたはずなんだ」


 僕等のいるこの星は、人間が定住出来なくなるという意味で時期に死を迎える。そんな話が世界中で取り沙汰されたのはもうずっと昔の話だ。

 この星はそう遠くないうちに死ぬ。その事実が分かった時、世界中で色々な試みがなされた。この星を捨てて、どこか別の星へ旅立とうと考えた人達もいたし、人間自身が変わりゆくこの星の環境に適応することは出来ないかと考えた人達もいた。この星で培った文明を、未来永劫、消えることなく残し続けようと考えた人達もいた。

 そんな数々の試みの結果辿り着いた産物が僕等NIであり、今もなおこの星で人間の記憶を蓄え続けている記憶集約所という場所であったりする。きっとこの都市も、そんな人間の足掻きの一端なのだろう。


「俺が生まれ育った都市は、ちょうどこの地下都市の真上にあった。でもここら一帯が海に沈むだろうって話になってさ。それで、たとえここらが海に沈もうとこの場所で生き続けることをお偉い方は選んだ。そして、俺達は地上から地下へ移ったのさ」


 未来永劫、持続可能な都市。そんな在り方を目指していたという。そのためには、当たり前だけれど都市機能を維持し続ける人間が必要だった。

 つまり、永遠に生き続けることが出来る人間が求められた訳だ。だから都市に住んでいた人間はみんな揃ってNIになることを選び、都市機能を維持し続けることに焦点をあてた役割を与えられ、これまでずっと地下で日々を送ってきたという。


「まあ、色々あったもんだ。俺も随分体を変えて来たから、今となっちゃあ忘れちまった記憶の方が多いだろうが、それでも色々あった。色々な奴らがいた。そして、色々な理由で朽ちていった。自ら死を選んだ奴もいたし、地下での生活に嫌気がさしたって言って地上が海だろうがお構いなしに出てった奴もいたし、最後にゃあ替えの体がなかった奴もいた」


 ウェーバーは「そして、今やここには俺一人しかいないってわけさ」と、両手を広げて笑うのだった。


「ウェーバーさんの役割は何なのですか?」

「インフラの整備さ。電気網とか、上下水道の整備だとか、生活の基盤に関わるものなら何でもしてた」

「そういうお前さんの役割は何なんだ?」

「僕の役割は、NIの記憶を記録することです」


 僕がそう答えると、ウェーバーは少しだけ瞳を大きくさせて、「おお、そっか。へぇ、お前さんも、結構大変そうだな」なんて、僕の頭をポンポンと叩くのだった。

 それから、「答えたくなかったら別にいいんだけどよ」という前置きの後に、彼はパウラについて尋ねるのだった。


「俺、生身の人間なんてとっくにいなくなっちまったもんだと思ってたからさ。それとも、もしかして俺が知らないだけで、地上にはまだ機械になってない人間が沢山いたりするのか?」


「いいえ」僕は頭を横に振る。


「地上には、生身の人間は言うまでもなく、NIすら数少ないです。僕も、彼女と出会う前まで生身の人間は皆死んでしまったと思っていましたから」


 きっと、NIだっていつかこの星から姿を消す時が来るだろう。それが後何百年、何千年後かは分からないけれど、きっといつかその日が来るのだと、僕は思う。


「パウラのことは、彼女が戻ってきた時に話していいか聞いた後、お話します」


 そう答えると、ウェーバーは笑って「そうだな。本人に聞かねぇとな」と、やはり僕の頭をポンポンと叩くのだった。

 パウラがお風呂から上がってくるまでの間、僕はウェーバーのこれまでの仕事について話を聞いた。

 大規模な停電を二、三日かけて復旧させたときの話。

 真水を引いている機械の故障を直した時の話。

 天蓋の一部に出来た亀裂を修復した時の話。


「それとよ、あの天蓋に星を浮かべようって言ったの、実は俺なんだぜ」


 ウェーバーは「俺、意外とロマンチストだろ」なんて笑う。

 天蓋に星を。

 それはこれまでウェーバーがしてきたこの都市の仕事の中で、一番大変で、一番記憶に残っているものだと彼は話す。絶対に忘れたくはない大切な記憶だと、彼は僕に語った。


「天蓋の星空、とても綺麗だと思いました」

「本当か? へへ、ありがとよ」


 一際嬉しそうな声を上げて、彼は瞳を細めるのだった。

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