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僕一人きりの旅路であればこの機械の体一つあれば事足りる。これまでと同様に淡々と進み、都市や街を見つけては立ち寄り、体が壊れたのなら修理すればいい。
ただ、これから先パウラという生身の人間が一緒となると話は変わってくる。食べ物や飲み物が必要だし、体一つでこの星中を歩き回るのだって現実的じゃあない。
だから、僕は移動手段をこの街で見つけ出すことにした。
一日。僕はもう一度この街を隅から隅まで見て回り、そして自動三輪車を見つけた。とはいえ、見つけたその自動三輪車はそのまま使える状態だとは言えなかったため、また数日間、僕はその自動三輪車を修理する日々を過ごす。
きっと、これから先は街や都市に寄ってはパウラのための保存食や飲料水なんかを手に入れて運び出すことになるだろうから、荷台も取り付けることにした。
三日、四日と時間はあっという間に過ぎて行く。
僕が自動三輪車を直している間、パウラは僕がこれまでどんな風に生きて来たのかを聞いてくるものだから、僕は覚えている限りのことを彼女に話、作業を進めた。
僕が覚えている最も古い記憶の話。
沢山の高層ビルが立ち並んでいた。
その高層ビルの隙間を埋めるように白い雪が降っている。
灰色の空。空中に浮かぶサイネージ。
大きな宇宙船。
僕はそれを見送った。
とても悲しかったことを覚えている。
でも、どうしてあんなにも悲しかったのかは思い出せない。
ただただ悲しくて、寂しくて、僕はとても大切な約束をしたような気がして、それを守ろうと誓ったような気がした。
でも、今はもうその約束の内容を思い出すことは出来ないし、その約束を誰としたのかも思い出せない。
とても寒かった。寒くて、僕は時折マフラーに顔を埋めていた。
それでも視線は逸らさずに、宇宙船がこの星から旅立ってしまうその時まで、僕はずっと見つめていた。
それが、今の僕が覚えている最も古い記憶だった。
それから、僕は僕の役割を果たすためにこの星中を歩き回り、沢山の都市や街を巡った。
それなりに沢山の出来事があった。
でも、嬉しい出来事よりも悲しい出来事の方が多かった。
僕はNIの記憶を記憶集約所へ送り届けるために旅をしている。それはつまり、出会うNIは皆記憶が一杯になっているということで、つまるところ、出会うNIは皆死に際に立っていることを意味している。
自ら死を選ぶNIは少なくなく、それを説得するNIが居たり、街に経った一人きりであったから、そのまま死んでいったNIもいた。
乗り換える体を一緒に作ったり、最期にやりたいことがあるんだと、その協力をしたことだってあった。
生き続けることを選んだとしても、どの記憶が消えてしまうのだろうかと悲しむNIだって多かった。
本当に色々なことがあった。
なんて、一言で済ませてしまえば随分とあっけないけれど、しかし本当に沢山のことがあった。
そしてまた、こうやってパウラという人間に出会い、場所すら分からない記憶集約所を目指そうとしているのも出来事の一つになっていく。
そうやって記憶が積み重なって、そしてきっと僕は忘れてしまうのだろう。
そんなことを考えながら、これから先どんなことが起こるのだろうかと思いつつ作業を進め、結局自動三輪車を直すのに六日かかったのだった。
「ネウロ、こんなことも出来ちゃうんだね」
「自分で言うのも恥ずかしいですが、機械いじりは出来る方です」
前方に車輪が一つ。後方に車輪が二つ。運転席と、それなりにスペースのある荷台。
これがあれば、パウラを連れていても問題なく都市や街を巡って記憶集約所を目指すことが出来るだろう。それに、荷台には昨日の内に出来る限りの保存食と飲料水を積んで置いた。おそらく、パウラ一人であればそれなりの日数はもつはずだ。
「こういうものもついています」
運転席に乗り込んで、僕は車内の中央にある液晶に触れる。触れると、『起動。データを確認中』という声が響き、それから液晶にこの星の地図が表示される。
「元々ナビゲーションシステムが搭載されていたようです。それと、制御用AIも搭載されているようですね」
とはいえ、このナビゲーションシステムに搭載されている地図は随分と古いもののようだ。現に、地図上だと今いるこの都市周辺にはそれなりの街が点々としている様に映っているが、今はそんな街などない。
『衛星との通信に失敗。ネットワークへと接続に失敗。累積データから現在地を特定に成功。センサーへの接続に成功。ナビゲーションは可能です。目的地を設定してください』
僕は試しに、「ここから一番近い都市」と言ってみる。
すると、『ローカルデータから座標を検索。検索終了。目的地を決定しました』とナビゲーションシステムは答える。どれだけ当てにできるかは分からないけれど、ひとまずマップに表示された場所を目指してみることにしよう。保存食と飲料水には限りがあるのだし、やみくもに走り回って都市や街を探すよりは断然良いはずだ。
「…………」
何だか随分とここに居座ってしまったが、ようやくここを立ち去って役割を果たすために次の場所へと向かえる。
「どうしたの?」
「いえ、ただ一つだけやり残したことがあるので、少しだけ待ってください」
自動三輪車を下り部屋の奥へ。
そこには、前の僕の体が横たわっている。
かつての僕の体。その体の中には、未だ僕の記憶が残っている。NIが体を乗り換える時に失われた記憶は、そのまま以前の体に残ったままで、それらの記憶を記憶集約所へ送り届けるのもまた僕の役割だった。
だから僕は僕自身の記憶を送り届ける。これまでもずっとそうしてきた。そうやって、忘れてはいけないと思い続けていた僕の大切な記憶を送り届けて来た。
きっと、ここに僕の名前がある。
きっと、ここに忘れてはいけなかった記憶がある。
「…………」
ケーブルを繋いで、僕は僕の記憶を送り届ける。
瞳を閉ざす。そして、僕は胸の内で「さようなら」と呟いた。
これも、もう何度も繰り返して来たことだ。
「ネウロ、大丈夫?」ふと、僕の隣にまで来ていたパウラがどこか不安げな顔で僕を見ていた。
「大丈夫ですよ。気にしないでください」
さようなら、かつての僕。
「さあ、行きましょうか。」
僕は振り返らずに自動三輪車へ乗り込む。
「うん」
パウラが助手席に座るのを確認し、僕は自動三輪車のエンジンをかけた。
空は雲一つなく澄み渡っている。
ネウロとしての日々が今日から始まる。
記憶が一つ、積み重なる。
さあ、出発しよう。
失った記憶を取り戻すために。
記憶の在処を探しに行こう。
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