6

 沢山の高層ビルの隙間を埋めるように、白い雪が降っていた。

 空中に浮かぶサイネージ。

 灰色の空を見上げる沢山の人間。

 沢山の人間の視線の先。

 浮かんでいるのはとても大きな宇宙船。

 雪が降る中、途方もない旅を始めようとしていたその宇宙船を僕は見送った。

 寒さから時折マフラーに顔を埋めつつも視線だけは逸らさずに。

 星を飛び出していく宇宙船を見つめ続けた。


/*――――――――――――――――――――――――――――――――――――*/


「…………」


 意識が戻る。

 天井の隙間から覗く空は薄暗い。どうやらまだ夜明け前らしい。

 少女はまだ眠っているのだろうかと体を起き上がらせて辺りを見る。しかしどこにも少女の姿はなく、代わりに空になった飲料水の容器と保存食の袋が転がっているばかりだった。

 その空っぽの容器と袋は、隙間風に吹かれてどこかへと行ってしまう。その様を眺めていると、僕のとても深いところに不安の影が落ちていく。


 不安の影が落ち切った頃には、僕は建物の外に出ていた。

 何も覚えていないと言っていた。そんな少女が一体どこへ行ったのというのだろう。

 生身の体は脆い。僕自身、機械の体になったことで元来の人間の体というものがどれほど脆いものなのかということを知ったし、実際に目の当たりにしたことだって随分と昔にあった。

 まだ外は暗い。幾分か夜空が白んで星の光も消えかかっているけれど、それでもまだ地上は夜の時分だ。


 建物の中。瓦礫と瓦礫の隙間。植物が鬱蒼とする荒れ果てた道路。

 少しして、背の高い雑草が一本の線を描くように踏み倒されているのを見つける。

 この街には僕とあの少女以外に人はいない。

 僕はその線を辿って先へと進んだ。

 次第に雑草なんかが無くなって、たどり着いたのは瓦礫の山と崩れかけた住宅が軒を連ねる住宅街。

 辺りの景観には見覚えがあった。ああ、この辺りはちょうどあの少女を見つけた後に街の中心地へ戻る際に通った場所だと僕はすぐに気が付く。

 気が付くと共に、朽ち果てた二階建ての住宅の前で、小さく座り込む少女を見つけたのだった。


「まだ暗いですし一人では危ないですよ。どうしたのですか?」


 僕が近づいてそう声をかけると、少女は顔を上げて僕を見て、それからすぐに俯く。

 よく目を凝らすと、少女の腕と足にはいくつかの擦り傷が出来ていた。きっとあの背の高い雑草の道を歩いている間に出来たのだろう。薄っすらと赤い血が擦り傷からにじみ出ている。


「擦り傷、大丈夫ですか?」


 少女は「うん」と頷く。それから、「大切なものを置いてきてしまった気がしたの」と少女はポツリと呟くのだった。


「大切なもの?」

「そう。あそこに忘れてしまったから取りにいかないとって、そう思った」

「あそこ、っというのは?」

「あそこはあそこ。私がいた場所」


 少女がいた場所。あの産まれたての卵のようなカプセルのことだろうか。それ以外に思い当たらない。

 少女は徐に立ち上がって歩き始める。そんな少女を止めることは出来ず、僕もその後を追う様にあの場所を目指した。


「大切なものというのは、具体的にどういったものなのですか?」僕は尋ねる。

「分からない。でも、私にとってそれはとても大切で、無くしちゃいけないもの。見つければ分かるから」少女は答える。


 刻々と夜明けへと向かって行く中、次第に地上にも光が射しこみ始め、空は随分と白み始める。

 一直線に抉られた地面。その線の上を辿って行く。


「水たまり」


 少女が呟くとおり、抉れた地面の所々に濁った水たまりがいくつも出来ている。おそらく、昨晩また雨が降ったのだろう。

 水たまりを避けながら突き進み、そして僕達は辿り着く。

 雨水が溜まった湖は、さながら小さな湖のようになっていて、その中心に少女がいた白いカプセルがあり、その開いたカプセルは、ちょうど半分近くが水に浸かっていた。

 少女は濁った水などお構いなしにカプセルへと近づいて行く。ザプン、ザプンと波紋が浮かび、少女はちょうど腰の辺りまで水に浸かった。

 僕は空中に浮いて少女の後を追う。


「ない」


 カプセルの中に手を伸ばした少女が呟く。

 それから、少女は徐に大きく息を吸ったかと思うと、水の中に潜り、少しして浮かび上がったかと思ったら、再び水の中に潜った。

 少女の必死な様子に、僕は何も言うことも出来なかったし、少女の行為を止めることも出来なかった。

 大きく息を吸って、濁った水に潜る。それを繰り返しているうちに、少女の綺麗だった白色の髪も薄汚れていく。そんな様を、次第に昇り始めて顔を出した朝日が照らしていた。

 しばらくして、少女は一冊のノートのようなものを手にして浮かび上がり、それから水に浸かったまま、ジッとそのノートに目を落としてその場を動こうとしなかった。


「それが探し物ですか?」


 少女は頷く。


「でも、こんなになっちゃった」


 水に濡れて今にも破けてしまいそうな一冊のノート。その表紙には薄っすらと『日記』という文字が見える。また、端っこの方には『パウラ』という文字が書かれているのが分かった。


「パウラ」


 僕がそう口にすると、少女は一度肩を震わせた後、日記を大事そうに抱きしめようとする。

 しかし、その日記は少女が抱きしめるよりも先に、少女の手から崩れるように破れて水の中へ落ちて行った。

 ちぎれ、破れた一冊のノート。

 スッと、少女の頬に涙が伝う。伝って、それから陽が昇って間もない紺桔梗の空を見上げ、何かを取り戻す様に少女は遠い方へ手を伸ばす。

 星が消えて、夜が明けた。

 少女は青白い光に照らされて、涙を流す。


「大切なことを、忘れちゃった」


 忘れたくはなかったのに。

 忘れてはいけなかったのに。

 少女はそう、呟くのだった。

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