4
生身の体を持った人間は、もう随分と昔に死に絶えた。
今やこの星のどこにだって有機的な体を持った人間はいない。少なくとも、僕はもう長い時間生身の人間と出会ったことはない。
だから、もうこの星に元来の体を持った人間は居ないはずだった。
「あなたは」
どこから来たのですか?
何という名前なのですか?
どうしてこんなところにいるのですか?
聞きたいことは次々と浮かび上がるが、しかし僕はどれ一つとして実際に口にすることは出来なかった。
それまでキョロキョロと警戒するように周囲に視線を運んでいた少女は、僕の声を聞いてビクリと肩を震わせた後、ジッと僕の方を見てゆっくりと四つん這いになって近づいてくる。それから少女は、その華奢な腕を伸ばし何かを確かめるように僕の体をつつくのだった。
僕が「こんにちは」と言うと、少女はやはりまたビクリと体を震わせて、伸ばしていた腕を縮めた。
「こん、にちは」
静かな声。でも、それは確かに人間の声だった。
それから程なくして、グゥという音が鳴る。その音が鳴ると、少女は咄嗟に幾何か頬を赤らめてお腹を押さえるのだった。
「お腹が空いているのですか?」
そう尋ねると、少女はゆっくりと頷く。そうやって頬を赤らめてお腹を押さえる姿が随分と人間らしく、懐かしい。
しかし、人間が食べられるようなものがあの街にあっただろうか。探し物と言えば機械の部品ばかりだったから、口に出来るものなんて気にも留めなかった。
「…………」
きっと、このまま飲まず食わずでこの場所にとどまり続けていたら、この少女は死んでしまうだろう。
「食べるもの、あるかは分かりませんが、一緒に来ますか?」
僕がそう言うと、少女はコクリと頷き、それからヨタヨタといった様子で立ち上がり、手を繋ぐように僕の片耳をギュッと握りしめる。
「少し歩きますが、大丈夫ですか?」
少女は頷く。
少女の歩みは遅い。僕も体が小さいから歩みは遅い方だと思うが、しかし少女は僕よりも遅かった。であるから、ここ数日寝泊りしていた場所に辿り着くまでに思っていた以上に時間がかかってしまった。到着する頃には少女は薄っすらと汗を流していて、少女が来ている真っ白なワンピースにも微かに汗が滲んでいる。
「ここで少し待っていてください。何か口に出来るものを探してきます」
部品探しの次は食べ物探し。
食べ物も必要だろうけれど、きっと飲み水だって必要だ。でも、そんなものが都合よくこの街にあるだろうか。
内心不安になりつつも、僕は再び街に繰り出し辺りを調べて回る。
崩れかけた建物の中。
木々の隙間。
瓦礫の隙間。
草花の中。
しかし、あるのは鉄屑ばかり。とても人が口に出来るものがありそうには無かったし、仮にあったとしてもすべて腐り切っていそうだった。
それからも根気強く、ホバー移動が出来るようになったおかげもあって、広い範囲を探し回る。
保存食がある可能性はゼロではない、というのが僕の考えだった。多くの人間がNIになることを選んだとはいえ、少なからずそのままの人間の姿を選んだ人間も一定数居たのは事実で、これくらいの街であれば、きっとそういう人達のための日持ちする保存食が作られていたことは十分に考えられる。現に、これまでいくつもの街や都市を巡ってきた訳だけれど、大抵は食料製造、保存のための施設があった。
調べ回って、何棟目かの建物。運が良いことに、僕はそれらしき建物を見つけることが出来た。
他の建造物と同じように、その建物の屋根や壁は所々崩れ、隙間から木々なんかが伸び切っているが、その真下には薄汚れた銀色のパッケージに包まれる保存食が転がっていて、中に入って見ると、沢山の棚が立ち並び、その棚にはこれまた沢山の段ボールが敷き詰められていた。
多くの段ボールが雨風に曝されて原型を崩し、その中に入っている保存食も腐っている様に見えたが、ごく一部、まだ建物が比較的崩れ落ちていない一角には、口に出来そうな状態の保存食と、水が残っていた。
僕はそこから持てるだけの保存食と飲み水を抱えて少女の居る場所まで戻る。体が小さいせいもあって、持ち帰れたのはせいぜい一、二日分程度。でも、保存食や飲み水自体はまだ沢山あったから、もしも足りないようであればまたここに取りにくればいい。
少女の居る方へ戻って見ると、少女は床の上で横になり、静かに寝息を立てていた。が、僕が近づくと途端に目を覚まして体を起き上がらせるのだった。
「これなら食べられますか?」
持ってきた保存食を少女に手渡す。少女は警戒しながらも僕の手から保存食を受け取って、それから袋を開けてゆっくりとそれを口にする。
「水もありますよ」
僕がそう言うと、少女は頷いて容器を受け取り、さっそく水を飲む。
余程お腹が空いていたのか、あっという間に保存食を二つ平らげてしまうのだった。
少女が落ち着いたところで、僕は質問を投げかける。
「名前は、何と言うのですか?」
なし崩し的にここまで連れてきてしまったけれど、果たしてこれからどうするべきか。何れにしても、この少女がどこから来て、どうしてあんなところにいたのかを聞かないことにはどうしようもない。
ただ、物事はそう簡単には進まないらしく、少女は僕の問いかけに対し首を横に振って「分からない」と答えるのだった。
「分からない、ですか?」
ではどこから来たのか?
どうしてあんな場所にいたのか?
住んでいた場所は?
そういう質問をしてみるも、しかし少女はその全てに対して「分からない」と首を横に振るばかりであった。
「何も、分からない」
少女はそう呟く。
記憶を失っていると、そういう事なのだろうか。
これ以上少女に聞いたところで、何も得るものはなさそうだ。
そもそも、どうして機械の体ではない人間がここに居るのだろう。分からないことは増えるばかりで、でも何一つとして解消はしない。
ただ、少なくともこのまま少女をここに一人きりにするのは良くないだろう。出会ってしまったのだし、このままこの子を置いていける程冷たくもなれない。しかし、僕にもやらなければならないことがあるため、この先ずっとこの街に留まる訳にもいかない。
本当に、この少女は一体何者で、どこから来たのだろう。
頭に浮かぶのは、体を移し替える前の僕が残した「星が落ちた」という一文。その言葉の先で出会ったのがこの少女。
「あなたの名前は?」と、今度は少女が僕に尋ねてくる。
ふと、少女の目に今の僕は何者に映っているのだろうなとそんなことを思う。
「僕の名前は、」
そこまで口にしたところで、しかし僕はその次の言葉を言うことが出来ない。
途端に、何だかつま先から全身へ寒気が走る。
ああ、思い出せない。
僕の名前は、何だっただろう。
思い出せない。
ああ、どうやらいよいよこの時が来てしまったらしい。
いよいよ僕は、僕の名前まで忘れてしまったようだ。
何も言えないでいると、徐に少女は僕のことを抱きかかえ、そして不思議そうな顔をする。
そんな少女に、「ごめん、僕も分からないんだ」僕は答えた。
「そうなんだ。じゃあ、一緒だね」
少女はそう言って微笑むのだった。
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