3

 意識が戻る。

 視界が開ける。

 正面には力なく頭を垂れて座り込んでいる僕の前の体があった。瞳は失われ、ただの鉄の塊になったそれは、不自然なくこの朽ちた街に溶け込んでいる。

 新しい体の、新しい片腕を上げる。それからもう片方の腕を上げる。両足を動かして、顔を動かしながら新しい体のつま先から手の先までを見る。


「大丈夫そう、ですね」


 何不自由なく体は動く。正面で眠っているかつての僕の体と、今の僕を繋いでいる三本のケーブルを抜き、立ち上がって数歩歩く。それから試しにここ数日寝泊りしていたこの建物の隅から隅までをホバー移動してみたが、こちらも問題はなさそうだった。


 ふと、地面に「星が落ちた」という言葉が描き残されているのに気が付く。筆跡からして、この言葉を書き残したのは体を換える前の僕だ。その言葉の近くにはどこか一点を指す様に矢印も合わせて書かれている。でも、これを書き残したという記憶が無かった。僕は新しい体に乗り換えるために数日この街に留まった。留まって、体を組み立てて、そして今日、僕は新しい体に乗り換えた。そのことは覚えている。でも、この言葉が意味するところを僕は思い出せない。


 星が落ちた、というのはどういう意味だろう。その一言が僕の興味を惹く。

 きっと、この矢印が示す方へ行ってみろということなのだろう。おそらく、体を換えた後に忘れてはいけないからと僕は僕宛てにこの言葉を残したのだ。

 行ってみればいい。どうせ時間はいくらでもある。特段目的地もなく、ただ誰かを求めてこの星中を彷徨っているだけなのだから、前の僕の書置きを無視する理由も無い。


「…………」


 行く前に、僕はピクリともしない錆びついたかつての僕の体を倒し、引きづるようにこの建物の隅へ運び、それから随分と荒れ果てたそれを少しの間見つめて、さようならと胸の内で呟き、僕はその場を去った。


 今日は天気が良かった。雲一つない晴天で、体を換えたことも影響しているのかは分からないけれど、何だか視界に飛び込んでくる景色の彩度がくっきりと鮮明に映る。

 長い耳を持ち上げてホバー移動する。どれくらいの高さまで上がることが出来るのかと試してみると、上空八メートルくらいまでは飛ぶことが出来て、少し先の様子を見通すことが出来た。

 見通して、改めて僕はこの街の全貌を目の当たりにする。

 おもちゃの様に中途半端なところでぽっきりと折れた高層ビル。瓦礫の山。アスファルトの隙間から伸びる植物と、錆びついた建造物を飲み込むように伸びる木々。僕以外に誰もいない、死んだ街。

 上空で一周し、辺りを見渡す。


 特別珍しい光景じゃあない。むしろ、何も生まれずに朽ち果てて行くことしかないこの星に相応しい光景だろう。これまでそれなりの数の都市や街を訪れて、それなりの数のNIと出会って来たけれど、ここよりも酷い場所は沢山あったし、そんな酷い場所で生き続けているNIにだって出会って来た。

 これが今の日常だ。この星のありふれた光景。あのビルが光を灯していたのも、この街を沢山の人が行きかっていたのも、もう随分と昔のことであるはずだ。

 眼下に見える草花は昨日降った雨粒を纏い今日の陽の光を受けて皮肉にも明々としていた。


 矢印の方へ。星が落ちたという場所へ。

 本当に星が落ちて来たとして、しかしあんな矢印だけの書置きでその場所が分かるのかとも思ったけれど、それは杞憂だった。

 距離にして十数キロ。

 街の中心地を外れ、おそらくは住宅街であった場所にまでやって来る。

 崩れた家屋が並ぶ中、何かが削って一筋の線を描いたかのように地面が剥き出しになっていた。

 その一筋の線を辿るように先へと進み、そしてその先端に辿り着く。

 星が落ちた。

 あの空の向こうから、この星に落ちて来た。

 脳裏に浮かぶのは宇宙船。

 沢山の高層ビル。

 隙間から覗く灰色の空。

 白い雪が降っていた。

 僕はマフラーに顔を埋めながら、しかし視線だけは逸らさずに。

 それはこの星を離れ、あの空の向こうへと旅立って行った。


「…………」


 地面が半球に抉れたクレータの中央。

 そこにあるのは、白色の綺麗な長球型をした何か。

 まるで産まれたての卵のようだ。

 僕はそれに触れる。

 シュウ、という空気の抜ける音。

 抜けた空気は太陽の光を受けて瞬いて、この星の空気と混ざり合う。

 卵が割れる。

 中にいたのは一人の少女。

 卵の中で、少女が一人膝を抱えて小さくなっている。

 それからほどなくして、少女は手で目を擦りながらゆっくりと体を起こす。


「ん……」


 開いた瞳は綺麗な水色。

 長く白い髪と、白い肌。

 機械よりも緻密で、アンバランスで、有機的な体。

 どれ一つとして、この星には似合わない。

 そこにいたのは、とても綺麗な人間だった。

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