【中】社員証は胸にあり
──場面変わって、景子が向かっていた銀行の店内。
その空間は、はりつめた空気で満たされていた。
十人ほどの利用客たちと数人の銀行員が、店の奥の一か所に集まって両手を頭の後ろに組まされ、一様に不安げな表情を浮かべながら、窓口のひとつに目を向けていた。
彼らの視線の先にいるのは、フルフェイスのヘルメットにライダースーツで身をかためた黒ずくめの一人の男。
その手に収まる拳銃こそが、この空間の支配者だった。それがモデルガンでない本物であることは、彼の頭上で砕け散った照明が、すでに証明済みだ。
「遅い。あんたを撃って、別のやつに代わってもらおうか?」
窓口の内側にひとり残された女性行員は、至近距離で突きつけられた銃口と男の言葉に怯えながら、震える手で必死にボストンバックに現金を詰め込んでいる。
──そう、銀行強盗のまっ最中であった。
誰かのすすり泣く声だけが時折りかすかに聞こえる店内の静寂のなか、ヴーンと低いモーター音を響かせて出入口の自動ドアが開いた。
『いらっしゃいませ。整理券をお取りになって、番号をお呼びするまでお待ちください』
続いて、空気の読めない自動音声にエスコートされながら、新たな客がひとり自然な足取りで入店してくる。
事務服を着て、すらりとした立ち姿の若い女性である。漆黒のショートボブと対をなす新雪のような白い肌と、きりりと真っ直ぐな目鼻立ちに、彼女を見た十人中九人は「凛とした」という形容詞を思い浮かべるだろう。
「お前も、そいつらと同じようにしろ」
男は落ち着いた口調で、行員からその女性に向け直した銃口をくいくいと動かしつつ、奥の客たちの方を示す。
対して彼女は、店内をぐるりと見まわしてひとつ、大きくため息をついた。
「はぁ……、やっぱりそんなとこだと思った」
驚きも恐怖もなく、ただ呆れたように言って、左右のスニーカーのつま先で交互にとんとん床を叩く。
「ほんと、履きかえてきて良かった」
ひとり言のように口にして彼女──景子は、自分をまっすぐ狙う黒い銃口に向かい、なんの躊躇もなく真正面から駆けだしていた。
「なっ」
男は一瞬だけ面食らったものの、すぐに状況を把握し、脅しではない、両手で銃を撃つべき構えをとる。
単独で銀行強盗を企てるような無謀な人間らしからぬ判断力を見るに、店外にはおそらく逃走を手助けする共犯もいるかも知れない。
「舐めやがって」
だから拳銃の扱いも決して素人ではなかったし、障害となり得る相手の命を奪うという判断に一切の呵責もない。
そして男は、彼女に向けた銃のトリガーを躊躇なく引いた。
サイレンサーによってくぐもった銃声に続き、彼女の後方に飾られていたガラスの花瓶が粉々に砕ける。
もう一発、さらに続けて一発。
──当たらない。かすりもしない。
戦場にて先陣を切る上杉謙信には、「毘沙門天の加護」あるかのごとく矢弾が当たることはなかった。まるでその逸話を再現するかのように、景子に向けて放たれたあらゆる飛翔物は決してその身に当たることなく、危害を加えることもできない。
これが、先ほど名前だけ挙げた生まれ変わりとしての能力「リアクト」──すなわち、前世における運命を今世でも「
──便利な特殊能力と思うだろうか?
だが、この力のせいで彼女はいかなる球技においてもパスを受け取ることができず、またブロックすることもできない。それにより彼女が青春時代にさまざまな辛酸をなめたことは、知っておいてあげてほしい。
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