第3話 秀頼の戦い その三

 この天王寺口の戦で、史実での戦略は敵を狭隘な丘陵地に引きつけ攻撃する。

 そして敵の陣形が伸びきったところで、別働隊の明石全登が迂回して徳川軍本陣に突入し、挟撃して家康を討ち取るというものだった。徳川方をできるだけ自陣側へ引きつけた後、一気に奇襲を仕掛けて家康の首を取るという、その一点に全てを賭ける腹づもりでいた。

 その為、幸村と勝永との合意では、即時の戦闘・抜け駆けを禁じる。

 待ち伏せしている陣からの出戦を禁じ、違反したら即成敗する。軍法は固く守れと言ってあった。

 ところがそれでも違反者が出た。

 正午頃、敵を引きつけようとしている矢先、豊臣方毛利勝永の寄騎が先走った。射撃命令を待たず、物見に出ていた徳川方本多忠朝勢を銃撃したのだ。これをきっかけに合戦が始まると、意図していなかった展開で戦場は大混乱に陥った。勝永は止めようとしたようだが、始まってしまった戦はもう止められなかった。


 一方、徳川の軍側にも抜け駆けの要因はあった。藤堂勢および井伊勢はこの戦闘の前、若江の戦いで大きな被害を受け、翌日の天王寺・岡山の戦いの先鋒を辞退せざるをえなくなった。

 問題は松平忠直がその戦闘を傍観していた事だ。勝手な戦闘は慎めという命令を素直に守った結果だが、この始末を家康に叱責された。結果的に、これが翌日の戦いでの抜け駆けの誘因になったといわれている。結局彼は家康の言いつけを守って怒られ、冬の陣では奮闘して武勲を立てるも論功行賞で不満を持つ。その後はご乱行から隠居を命じられ、挙句の果てに流罪と不運な男であった。


 しかし他にも抜け駆けの要因はある。この戦で豊臣方に付いた浪人衆の願いはただ一つ。手柄を立ててまた召し抱えられる事だ。いや、場合によってはいずれ一国一城の主も夢ではないと。

 浪人生活を抜け出すチャンスではないか。のんびり敵がやって来るのを待ってはいられない。一刻も早く敵の大将を探して首を取る。始まってしまった戦で手柄は早い者勝ちだ。これでもう我勝ちに出ていく浪人衆を止める事など不可能だった。

 幸村も勝永も予定を早めて突撃するしかなかったのだ。


 そんな史実の戦闘と違い、今回は初めから突撃が企てられている。途中から変更した作戦ではない。しかも秀頼が総大将として、幸村の配下に周囲を守られ先陣を切っている。勢いが違うというものだ。



 勝永と勝家は兵四千を率いて、家康側陣営の正面にあたる四天王寺南門前に布陣した。そしてここでも催涙弾が用意され、前方を睨んでいる。

 真田隊と勝永隊は同時刻に催涙弾攻撃を開始。勝永らが本多忠朝の陣営に斬り込むと、敵陣内は地面を這いずりもがく者から、顔を両手で覆って叫けぶ者と、収拾がつかない有様であった。

 しかし敵も苦しいだろうが、味方もガスで苦しんでいる。それでも突然襲って来た異変にパニックとなり右往左往している敵と違い、あらかじめ知らされた、計画通りの作戦を実行している者との違いは明らかだった。目がやられて苦しければ、水隊の差し出す水で洗えばいい。

 結局、忠朝と救援に駆けつけた小笠原秀政・忠脩父子を討ち取った。



 幸村達が見守る前方では、松平忠直の陣に催涙弾は落ちた。

 真田隊が遂に突撃を開始し、


「秀頼様に続け!」


 真田隊は大歓声を上げ、布陣してした茶臼山の丘を駆け下って行く。幸村には更に二本の催涙弾を、角度を変え続け様に撃たせた。

 真田隊先鋒が到達した敵陣内は、既に阿鼻叫喚の有様、目を開けられない敵方の兵を次々と倒して行く。

 この混乱の中、幸村の配下三千五百の兵は目覚ましい働きをする。

 松平忠直とその家臣で西尾宗次など、ほぼ無抵抗の者ら約五千の首級を上げると、残りは何処かに逃げ去った。一万もの兵を動員して来たという忠直は、その半数を失い、挙句に討ち取られたのだった。


「幸村」

「はっ」

「次の催涙弾を撃て」


 再び三本の催涙弾が、角度を変えて射られた。

 状況を把握しきれていない周囲の徳川方は、騒ぎを聞きつけ集まって来るだろう。特に後方の徳川軍本隊は今も前進を続けているはずだ。ここは一気に行く。



 勝永隊も激しい戦闘を続けていた。もちろん催涙弾の効果ははかりしれない。浅野長重・秋田実季といった、徳川軍の前衛である第一陣部隊を撃破しつつあった。

 関ヶ原の戦いで戦功の著しかった浅野長重などは、半分目をつぶりながら刀を振るっていた。だが先陣をきって毛利勝永らと戦ったものの、二百人あまりの家臣や兵を失い敗走する。秋田実季も大損害を出し敗北を喫した。

 徳川方となった真田信之などは、大阪城に入った幸村とは対照的な戦いぶりとなった。幸村と一歳違いの兄であったが、毛利勝永隊と激突した際に皆パニックに陥ってしまい苦戦する。ついに多くの死傷者を出して反撃も叶わず敗走している。


「催涙弾をもっと撃て!」


 勝永や勝家の檄が飛ぶ。ただし両人共に鼻水は流れっぱなしの、涙目ではあった。催涙ガスの成分が大量に触れれば、目や皮膚は火傷をして爛れてしまう。頻繁に洗い流す必要がある。


「水隊は何処だ!」


 勝永隊の兵もガス対策の必要性をまざまざと実感しだした。

 催涙ガスは他に思わぬ効果も発揮していた。今回の攻撃で馬は一切連れて来ていない。ガスの影響を危ぶんだからだが、やはり予想通りだった。ガスを吸った徳川方の馬が暴れて収拾がつかなくなってしまっていたのだ。

 さらにこの戦で徳川軍は大名から侍大将、足軽に至るまで勝ち戦だと信じて疑わぬ者ばかりだった。敵の首を一つでも余計に摂ろうと、皆どんどん前に出て来てしまう。とうとう二陣も三陣も区別がつかない程詰まってしまっていた。そこに催涙弾が撃ち込まれたのだ。これが大混乱に拍車をかけたのだった。


 だが徳川軍の中にも漢が居た。前日の若江の戦いに遅れたことを家康から叱責され、深く恥じていた小笠原秀政である。

 開戦直後、毛利勝永の隊は猛然と徳川一陣の本多忠朝隊に襲い掛かる。やがて本多隊が崩れるのを見た二陣の小笠原秀政は、その救援に向かった。秀政は辺りに漂う異様なガスをものともせず、味方を助けようと第一陣まで迫り槍を奮って奮戦する。

 槍は戦闘時に相手との距離がとれることで恐怖感が少なく、雑兵はこれを振りまわして敵の頭をぶん殴る。練度の低い者を戦力化するにも適した武器だ。

 だが秀政は何人目かの敵を刺し貫いたところで槍が抜けなくなってしまった。やむを得ず刀で応戦するが勝永隊の勢いに圧倒される。瀕死の重傷を負って戦場を離脱も、間もなく戦傷により死去。

 また長男の忠脩は冬の陣に参戦したが、夏の陣では父・秀政から居城・松本城の留守を任された。ところが若武者の血が騒いだのか、その城の守備をなげうち、幕府に届けもなく戦場に現われた。軍令違反に問われるのは必至だったのだが、家康はこれを評価する。しかし父秀政と共に戦場を駆けめぐって忠脩も戦死。小笠原軍は撤退してしまった。

 酒井家次も毛利勝永軍と交戦するも蹴散らされる。家次は天王寺口第三陣の大将を任されている。冬の陣では大坂城の東側の黒門口を持ち場として戦ったが、城の堅い守りに阻まれてはかばかしい武功を挙げることは出来なかった。その汚名を挽回しようとしたのか、配下の者を叱咤激励する。しかし、豊臣軍の信じられないガス攻撃に晒され、味方は散々に崩され、家次自身も敗走した。毛利隊の猛攻と催涙ガスに苦しんだ結果であった。

 榊原康勝などはこの激戦で冬の陣より患っていた腫れ物が破けた。大量に出血して悪化したが、なお戦い指揮し続けるも勝永軍に大損害を与えられる。第二陣の筈だった榊原康勝の軍だが、討ち取られた時は三陣に居た。パニックで大混乱となってしまった徳川軍は、第二陣も三陣もなくなってしまったのだった。

 また諏訪忠恒は榊原康勝軍に属して善戦するも勝家の配下に討たれている。

 これらの圧倒的勝因は全て、効果的に撃ち出す、催涙弾の支援が有っての事だった。


 だがこの時事情をよく把握していない藤堂高虎、井伊直孝、細川忠興らの東側を進んでいた徳川勢が、次々と押し寄せて来た。しかしここでも催涙弾の支援を受けた七手組諸将が反撃に転じる。藤堂高虎隊を撃ち破ると、勝永隊もこれに協力して井伊直孝や細川忠興らを攻撃、押し返す。


 この頃になると真田隊と勝永隊は、ほぼ平行して徳川本陣に向かい、松平忠明・本多忠政といった第三陣の部隊を攻撃しつつあった。




「急げ、家康本陣を攻撃するんだ!」


 だが檄を飛ばすおれに、幸村が遠慮がちに言って来た。


「秀頼様」

「ん、どうした?」

「催涙弾が残り少なくなってきました」

「なに、何本残っているのだ?」


 持って来た催涙スプレー缶は全て矢にくくり付け、幸村に管理を任せてある。


「あと五本で御座います」


 そんなに使ってしまったのか。


「勝永隊の方はどうだ。分かるか?」

「聞いたところ、四本だそうです」

「…………」


 まずい、これからが勝負だと言うのに。これはまずいぞ。

 だがここでおれ秀頼が弱気なところを見せる訳にはいかない。


「幸村、勝永隊らとは予定通り合流して徳川本陣に突入するぞ。今から残りの催涙弾全てを撃て」

「しかし、それでは」

「構わん。ただし間隔を開けろ。突撃しながら撃ち続けるんだ」

「分かりました」

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