第2話 秀頼の戦い その二


 幸村の後を、おれは六千円以上も出して買った大きなリュックサックを背負い、馬には乗らないで歩いて行く。パンパンに膨れた大型の防災リュックには、護身用の催涙スプレーがぎっしり詰まっている。トキに1日の猶予をもらい、掻き集めてきた。これを催涙弾として使う。

 パソコン越しに、どの時代に行きたいのかと聞かれた時は、思わず「夏の陣だ!」と答えてしまった。

 大阪城が落城する直前の戦さが行なわれた、正にその瞬間に行きたかったのだ。もちろん様々な思いがある。どうしたらあの戦さで徳川軍に勝てただろうかと。

 その結果導き出した答えが催涙弾だった。


 催涙ガスは広範囲の空間にいる者の行動を妨げる効果がある。ガスを浴びると目がやられ、涙、鼻水は止まらず、胸や喉が痛くなる。今回用意したこれは、いわば唐辛子スプレーなのだ。

 もちろん使用する側も影響を受ける。催涙ガスの被害を防ぐにはゴーグルとガスマスクは必須なのだが、とても数多くは集められない。代わりの手を考えた。肌はなるべく晒さない方がいい。だからフンドシ、いや布で顔をグルグル巻きにしてカバーする。

 布を水で濡らすなどすれば、より効果があるかもしれない。ただしガスの成分によって水は逆効果となる場合もあるという。

 今回用意したスプレーのガスはそれ程強くないようで、水を効果的に使えばいいだろう。目に入るガスの成分は洗い流す。だから水隊を編成して、いつでも何処にでも水を補給出来るようにしておく。

 最近の例では、香港の若者達が警官隊から発射された催涙弾の被害を最小限にする為、ペットボトルの水を大量に用意したと言われている。


 幸村は茶臼山に三千五百の兵で布陣して徳川勢を誘引し、別働隊の明石全登が家康本陣背後を突く作戦をたてていた。三百と寡兵であった為、隠密行動が可能だ。この明石全登は夏の陣で重要な役を担うことになる。

 関ヶ原の戦いでは宇喜多軍1万5千のうち、8千という半分以上の軍を率いて、敵の猛将・福島正則と激戦を繰り広げた武将だ。戦後は全登を恐れた徳川軍が明石狩りを行ったと言われている。大坂城に馳せ参じた智勇溢れる猛将であり、それ以上にキリシタン信仰の深さを警戒した結果だ。

 当時日本のキリシタン人口は七十万以上という統計があり、この時代の為政者は宗教一揆の難儀を思い知っている。キリシタンは東西の均衡を崩すほどの勢力なのだ。もしも秀頼が強固な信仰の力を認識し、厚い保護を約束してその者達を多く利用していたら、戦況は違った展開になっていたかもしれない。



 この天王寺口での戦いは正午から始まり、午後三時頃には大勢が決まったと言われている。敵も早く決着を付けたいのか、前面に詰めて来ている。短期決戦の様相なのだ。史実で家康はこの戦の二年後に亡くなっている。やはり彼は先を急いでいた可能性がある。

 ただし、徳川の本隊はこの時点ではまだ進軍中であった。

 敵は大軍を頼りに押し寄せて来ている。だからこちらも有力武将を一ヶ所に集め、先の鋭い錐のようになって一気に行く。その為の催涙弾使用なのだ。


「幸村、皆を集めろ。勝永殿にも主だった家臣達を連れて来てもらえ」

「はっ」


 今回の戦さで幸村と並んで催涙弾攻撃に参加する重要な武将が毛利勝永だ。豊臣秀頼より招きを受け、息子の勝家と共に大阪城に入った。勝永は豊臣家の譜代家臣であり、信望も厚く大坂城の五人衆と称される。


 まだ日は上っていない。茶臼山のなだらかな丘に、幸村と勝永らの家臣団が集結した。


「全員にフンドシを配れ」

「分かりました」


 集まった皆はフンドシを顔に巻くように言われ戸惑っている。

 それはそうだろう。急所を締めるフンドシを、よりによって顔に巻き付けろと言われたのだ。


 ざわついている皆に構わず、おれは一本の催涙スプレーをリュックから取り出すと、噴出レバーを押し、ストッパーを掛け前に投げる。もちろん辺りはとんでもない騒動となった。


「早くフンドシを顔に巻け!」


 おれの言葉を聞くまでもなく、皆はフンドシに頼った。それでも地面に這いつくばり苦しがる者が続出して、この催涙スプレーの効果は証明されたのだった。

 ただフンドシに水程度では、さほどガスの被害を防ぐ効果は無い。それでも事情を分かって仕掛ける側と、いきなり催涙ガスを浴びせられる側とでは混乱の度合いが違い過ぎるだろう。必ず勝機はあるはずだ。

 その後はスプレー缶の取り扱い方法を教える。


「やり方は簡単だ。ここをカチッと音がするまで押せば良い」


 ガスを浴びると灼熱感を感ずるようだ。噴出時のガスは非常に高温になる。


「ガスの噴射口を触ってはならぬぞ」


 催涙スプレーを矢の先に縛り付ける。これが我が新生豊臣軍の秘密兵器、催涙弾だ。催涙弾の射手達には何度も使用方法と作戦を説明確認しておく。


 やがて日が高くなって来る。勝永らは渡された半数の催涙弾を携えて持ち場に戻り、ついに実戦で試す時が来た。前進した射手が弓を引き絞ると、傍にいた者がスプレーの噴出レバーを押し、ストッパーを素早くかける。


「撃て!」


 三発の催涙弾が怪しげな煙を吹き出しながら、弧を描いて飛んでいく。

 この日、風はあまり無い。ガスは三十から六十分ほど効果が持続するという。

 催涙弾は徳川方前線の松平忠直率いる越前勢の中に落ちた。敵陣の中心辺りに動揺が広がっている様子が、離れた位置からでも見て取れる。


「進め!」


 秀頼の馬印を掲げた真田隊が遂に突撃を開始した。

 敵を四天王寺の狭隘な丘陵地に引きつけ、誘引されてきた敵を攻撃すると言う、史実で幸村達が想定していたのとは真逆の戦闘が始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る