3
その日の夜、春臣は父と共にすみれの家を訪れた。玄関先で待っていると、すみれの父と、額に大きなガーゼを貼ったすみれがやってくる。すみれは春臣と目を合わせると、少しばつが悪そうに、けれどうれしさを滲ませるように笑った。
あの後、すみれは三人の呼んできた近所のおばあちゃんによって町の外科医院に連れていかれた。春臣もそれに同行したかったが、農作業中のおばあちゃんの軽トラックにはすみれしか乗ることができなかった。夕方頃、すみれの家族から連絡を受けた母は「大事にはならなかったって。でも、こめかみの傷は小さいのが残っちゃうかもって言っていたわ」と眉を下げた。
すみれをじっと見つめている春臣の背中を、父の大きな手が撫でる。
「すまなかった。うちの愚息のせいで、大事なお嬢さんの顔に傷を作っちまった」
そう言うと、父はすみれとその父親に向かって深々と頭を下げた。春臣もそれに倣って頭を下げる。コンクリートの床を見ながら、春臣は内心ほっとしていた。ガーゼの貼られたすみれの顔を見ていられなかったのだ。
親子二人に頭を下げられたすみれの父親は、裸足のまま春臣の父に駆け寄る。
「顔をあげてくれよ、
「そうは言ってもなあ。顔の傷だぞ。しかも、こんなにかわいらしい子の。うちのが嫁に貰うくらいしねえと、責任取れんだろう」
父の言葉に、春臣はぎょっとして背筋を伸ばす。それを見たすみれの父親は、いたずらっぽく笑うと、わざとらしいしぐさで腕を組んだ。考え込むような素振りで「うーん」と呻いてみせる。
「そりゃあ、あんたの所に嫁に行ければ最高だけどなあ。春臣だって男前だし」
「父さんもおじさんも、何を言ってるんだよ! すみれさんは妹みたいなもんじゃないか。それに、すみれさんの気持ちはどうなるんだよ!」
言った後に春臣はちらりとすみれを盗み見る。ちょうど目が合ってしまって、ふたり同時に俯いた。頬がどうしようもなく熱い。
そんな子どもたちを他所に、二人の父親は大声で笑い合っていた。
「まあ、安心してくれや。うちのすみれは顔に傷があったって、嫁の貰い手には困らねえよ。なんてったって美人だからな!」
からからと笑いながらすみれの父親が春臣の肩をばんばんと叩く。反動に揺れながら、春臣は「うう」と呻いた。
その帰り道、父は春臣の頭をわしゃわしゃと撫でながら言った。
「すみれちゃん、嫁に貰い損ねたな」
◆
ノックの音に、春臣と秋実は同時にドアを見た。「はい」と春臣が返事をすると、冬花が顔を見せる。床に広がったアルバムを見て、冬花は「うわ、懐かしいね」と目を細めた。
「早いけど、ごはんだよ。下りておいで」
壁掛け時計を見ると、時刻は午後五時ちょうどくらいだった。「行こう」と言って立ち上がる秋実に頷きながら、春臣はこんな時間に夕飯を食べるのは久しぶりだと苦笑する。もしかしたら、就職してから初めてかもしれない。
部屋を出る前にもう一度、春臣はすみれと一緒に写っている写真を見る。父と謝罪に行った後、ケガの完治したすみれが春臣の家に初めて遊びに来たときの写真だ。すみれの右のこめかみに残った小さな傷跡を見つけて、春臣は自分の無責任さを痛感して泣いたのだ。それを面白がった父の撮った一枚がこの写真である。父はこの後、母にこっぴどく叱られていたと春臣は記憶している。
──僕が、面倒くさがらずに彼らと向き合っていれば、すみれさんがケガをすることはなかった。
このことをきっかけに、学校では春臣と三人に対する下校指導が行われた。三人は春臣とすみれに対して素直に謝罪し、二人もまたそれを許した。温厚な春臣が三人を怒鳴りつけたという話を聞いてかはわからないが、春臣に対する嫌がらせもこの頃から少なくなっていった。春臣が嫌がらせに対して「やめてほしい」ときっぱり言うようになったこともあり、六年生になる頃には嫌がらせは完全になくなったのだった。
そういえば、すみれは今、どうしているのだろうか。階段を降りながら、春臣はふと思った。
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