阿呆鳥の癇癪

タイムリミットまであと3日








「お、かえんの?」




朝、4時。




クラブの裏口から出ようとした所を、燈真に声を掛けられた。





「ん」




振り返って短く返事すると、燈真がおかしそうに笑う。





「なぁ、やっぱりなんか怒ってんの?」




燈真とは反対に、俺は無表情だ。





「…別に」





「俺は忠告してやっただけだよ?花音ちゃんのこと。」





「その名前、出さないでくれる?」





「おーこわ」





そう言うと、燈真は両手を上げておどけてみせる。





イラつく。



俺は眉間に思いっきり皺を寄せてそれを睨んでから、外に出た。





「さむ…」





まだ真っ暗な空。



自分の吐いた息が白く染まる。




俺は身を縮ませ、家路へと向かう。




雪の降ったあの夜も、そういえばこれくらいの寒さだった。




また、雪が降るのだろうか。






『ちょっと入れ込み過ぎじゃない?』






ついこないだ燈真に言われた言葉が、頭の中に反芻されて舌打ちする。






「わかってるよ」





これ以上踏み越えたら、自分は自分じゃなくなる気がしている。






自宅に戻ると、真っ暗な部屋に灯りを点ける。




エアコンのスイッチを入れると、着ていたジャケットを放ってソファに掛けた。




それから冷蔵庫に入っているミネラルウォーターを取り出し、俺はソファに座る。






この一連の動作は、いつも通りだ。




だけど。





「…やっぱり、この部屋に入れるべきじゃなかったな。」





俺は自分のテリトリーに他人を入れることが大の苦手だ。



だけど、最近、他に致し方なかったという理由で二度程、他人を入れてしまった。




それが、櫻田花音だ。




そのせいで、この部屋中にあれの記憶が付いてしまった。




そのせいか、俺は家に帰ってからも、あいつを忘れることが出来ない。







―自分のミスだと思った。




病み上がりのあいつに頼んだ俺が間違いだった。




いや、そもそも馬鹿で阿呆な奴だから、いつ頼んでも同じことだったのかもしれないけど。



まさか、雪降る中、中央公園まで歩いてくるとは思わなかった。




さらに、高熱まで出している状態で。




その上、鞄さえ、ないなんて。




呆れて物も言えない。





正真正銘、馬鹿で阿呆で間抜けな奴だ。




事故だったと思うしかない。



俺が頼んだことで結果起きたことで、ここまで馬鹿だったと予測しなかった俺が悪いわけで。



嫌々自分を納得させて、家で寝かせることにした。





こないだと同じ、パターン、だなと思いつつ。




車の後部座席でぐっすりと眠る櫻田花音に、大きく諦めの溜め息を吐いて。




抱えてエレベーターで11階まで上がり、ベッドに寝かせた。





荒い、息遣いと。



火照った肌。



うっすらとかいている汗。



閉じられた、瞼。




眉間に、皺。




少し開いた唇。




思わず、一度離した手を伸ばして、寝ている頬に触れようとしてはっとする。





『…なにやってんだ、俺』





自分の意味不明な行動に半ば呆れつつ、寝室を出た。




別に欲求不満とか、ないんだけど。




気でも紛らわそうと、キッチンへ立ち、あぁ、そうだ、あいつ飯食ってないんじゃないか?と思い当たる。



だって、財布も持ってないわけだし。



熱があって、風邪だとしたら、食欲は余りないか?



暫く考えた結果、ポタージュを作ることにした。





包丁の音を聞きながら、今夜もクラブに行く予定だったことに気付く。




一瞬、置いて行こうかとも思ったが、すぐに思い直して、クラブに行くのを辞めた。




かといって誰かに連絡するわけでもなく。



要はすっぽかしだ。





葉月が怒るかもしれないなーなんて、思ったけど。




そんなの、知ったこっちゃないし。




でも五月蝿いから、携帯の電源は切っとくか。




ポタージュも作り終わって、手持ち無沙汰になって、とりあえず風呂に入って出たら、あいつがソファに変な格好で座っていた。




熱出して人ん家で寝込んで、首の体操って…どんだけ馬鹿なの。




しかも、家に帰りますとか。




だから、鍵がないんだって。






『あんたさぁ、もしかして…会社から中央公園まで徒歩できたりした?』




たぶん、いや絶対確実にそうなんだけど、一応確認の為に訊ねた。



案の定櫻田花音の顔には、なんでバレてるんだと書いてある。





やっぱりか。




『ほんっと、馬鹿なんだね』





もうちょっと、楽に色々考えれば近道とかわかっただろうに。




もしかして、この女、不器用なのか?




頭の中で色々考えていると、急に俯いた顔を上げて櫻田花音は俺を睨みつけた。





『さっきから!人のことを馬鹿とか阿呆とか言わないでくださいよっ!どーせ私は馬鹿で阿呆ですよ!その上アホウドリとか言われちゃってますよ!』




突然、喚きたてる。




なんだ?




俺、何のスイッチを押したんだ?



心の中で首を傾げている俺に、さらに櫻田花音は畳み掛ける。





『わっ、私だってねっ、わかってますよ!自分が馬鹿だって事くらいっ。でも仕方ないじゃないですかっ。一人は寂しいんだもん!』





ん?





『…ちょっと待て。何の話?』





話が見えないんですけど。



だけど、俺の質問に答える気配は全くない。



素面なだけに、酔っ払いよりも性質(たち)が悪い。




『阿呆は阿呆なりに頑張って必死に生きてるんですよ!なのにねぇっ』




おいおーい。



この夜更けに勘弁してくれよ。




今度は泣き出したあいつに、俺はお手上げ状態。




『とっ、突然、貴方みたいにっ…悪戯に私の生活をかき乱したりする人が現れるとっ……もう、心の中、ぐちゃぐちゃになって…いっぱいいっぱいになっちゃうんですっ…』




目に涙をいっぱい溜めて、溢して、櫻田花音は堰を切った様に、心の内を話し出す。




『貴方みたいにっ…な、なんでもソツなくこなせるようなっ、完璧な人は…私の気持ちなんか、わかんないっ…なのにっ、、、いっつもそうやって…人の事小ばかにして…余裕そうにしちゃって…自分のこと皆が好きになるって思ってるみたいですっ…けどっ…』




ひっくひっくと嗚咽を漏らしながら、櫻田花音は必死に言葉を紡いでいく。





『貴方なんかっ…』





直前で何故か櫻田花音は俺から目を逸らし―







『貴方なんか、私は絶対に好きにならないっ!!』







そう叫んだ。






それでいいよ、と思う。



予定通りだ。




俺は最低な人間なんだから。



誰からも愛してもえらなくて、当然なんだから。




本当の俺は、何の価値もない人間なんだから。



俺は誰も愛せないんだし。





だけど。



自分の中にチクリと痛みが走る。




それがどこなのか、わからないけど。




『…そうだな』




鈍い痛みに気付かないふりをして、俺は手に持ったペットボトルを見つめた。




『え…』




『俺のことなんか、好きになったら駄目だよ』




それで、大正解だ。




あんた、男運ないみたいだからな。




『…中堀さん?』




鼻をぐすぐす鳴らしながら、泣き腫らした目で櫻田花音は俺の名前を呼ぶ。




ちょっとからかいたくなって、鞄のことも伝えると、直ぐに慌てふためく。





少し可哀想かな?と思い、俺も折れて志織のことを話す。





ついでにこれからの展開も添えて教えてやると。





『…ひどい…』




また、睨まれた。




でもまぁ、その通りだから。





『…うん、非道いね?』




笑って頷いてやる。




その瞬間、少し距離を空けて座っていた櫻田花音が、俺に掴みかかった。




『どうして?!』




きらきらと、涙が散る。




こいつは。




一体。





どうしちゃったっていうんだ。




この阿呆鳥はなんでこんなに癇癪持ちなんだよ。





『…なにが?』




俺は敢えて挑発的な態度をとって訊きかえす。





俺のシャツをぎゅぅっと掴んで、ぼろぼろとまた泣きながら、櫻田花音は嗚咽交じりに話す。






『どうして…そんなこと、してるんですか?な、中堀さんは…、別に困ってるわけじゃないじゃないですか…仕事、自分の好きな仕事、あるじゃないですかっ、光れる場所が、あるじゃないですかっ』





それを聞いてこの街に戻ってきたばかりの頃、崇にも訊ねられた質問が記憶を過ぎった。





―『っとに、だったら関わんなきゃいいのに、わざわざリスク背負うこともないんじゃねぇの?』





金は別に必要ない。




女も特に必要はない。




その上、誰かを、どうせ好きになることもないのなら。




関わることなんか、しなければいいだけのことだ。




仕事にも満足している。




じゃあ、どうしてまだこんなことを続けているのか?





それは―




それはきっと―





『……櫻田花音?』





俺の顔をじっと見つめる瞳から目を逸らす事無く訊ねる。





『俺の髪の色は、黒と金、どちらが本当の色だと思う?』





―この髪の色が、大嫌いだからだ。




『それは…どういう意味ですか?』




さっきまで俺のことを睨んでいた目をきょとんと丸くして、櫻田花音は首を傾げる。




『俺の、元の髪の色は、どっちだと思う?』




俺も、別にあんたにこんなこと言わなきゃならない義理はないんだけど。




なんで、言う気になったのかな。




あぁ、あんたがなんかやたらつっかかってくるから。




なんとなく本音が出ちゃったのかな。





『そりゃ…黒でしょう?』





予想通り、櫻田花音は何を言ってるんだとばかりに即答する。





でも。




『ハズレ』




俺が笑うと、櫻田花音は思いっきり信じられないという顔をする。




ほんと、中身が隠せねーのな。




『え、冗談ですよね?』





冗談言う程暇じゃねーよ。と内心ツッこむ。





『ま、信じなくてもいいけど、俺半分は日本人じゃないんだよ。』





でも。





ほんと、なんで、こんなこと、こいつに話してるんだろ。





『だけど、その半分が、どこの血かはわからない』





話す必要なんか、これっぽっちもないんだけど。




笑う俺とは反対に、櫻田花音の表情は曇る。




と、同時に。




ぐ、ぐぐぐぐ―――




気の抜ける音が響いた。




『はっ!』





見ると、櫻田花音が顔を真っ赤にして自分の腹を押さえている。





『ぶっ…くくっ…』





あー、もう。



なんか、どーでもよくなっちゃうな。



いろんなことが。



笑って済ませそうだ。





俺は、ポタージュを温めにキッチンへ立つ。





―でも。





沸々している鍋の中を見ながらこっそり安堵する。




あんたの腹の虫に感謝だな。




ちょっと…危なかった。




これ以上、自分は何を言おうとしたんだろう。




言った所で何になるっていうんだろう。





相手はどうせ、あと数日でおさらばする人間なのに。




頭を冷やす為にも、俺は外へ出てコンビニへと向かう。



玄関から外へ出ると予想通りの冷たい風が頬を撫でて、今のあやふやな自分にちょうど良い。





―調子が狂うな。





自分が何をしたいのかわからない。




エレベーターで1階まで降りて、コンビニに入ると、外気とは打って変わって暑いと感じる位の暖房が効いている。



櫻田花音に頼まれたかろうじて一泊できる雑貨をカゴに適当に入れて、普段は行ったことのないアイスのコーナーの前で足を止めた。




―熱出てる時って…アイスとか、冷たいものが良いのかな。





ふとそんなことを考えて、ひとつふたつ手に取った。




―誰かの、看病なんてしたことないし、されたこともないな。




あ、一回だけ、死にかけた崇に呼び出されたことはあったな。




不本意だったから頼まれたものを玄関で投げつけて帰ったのを覚えている。




家に帰ると、洗面所から灯りが漏れていた。




―何やってんだ?




覗いてみると、櫻田花音の後ろ姿が見える。




タオルの閉まってある棚をいじりながら、





『なんだ、つまんないの』





と、溢している。





『何が?』





少しの意地悪をこめて、俺の気配を全く感じていなかった櫻田花音に尋ねると、案の定固まったのがわかる。





『おい。』





呼びかけてみても返事をせず、ぴくりとも動かない。





『おーい』





なんだよ、気になるじゃん。




何が、つまんないんだよ?




俺は少し考えて、良い案を思いつく。





『…アイス、食う?』





『!はい!食べます!』





こいつ、、、ほんと阿呆だ。





まんまと罠に引っかかった櫻田花音は振り返って俺の顔を見ると、嬉々として上げた頬を引き攣らせた。





『で?何がつまんなかったのかな?』




満面の笑みで腕組みをしながら、もう一度訊ねる。




『な、なんでも…』




往生際が悪いな。




『言え』




有無を言わさない俺に、櫻田花音は漸く観念したかのように項垂れた。





『……かわいい、キャラクターのタオルとか、、、ないかなって…』




『はあ?』




なに、それ。



どういうこと?




ばかじゃないの。



それ、仮にあったとして、どーすんの?





『っとに、意味わかんない女』





子供か。




堪えきれずに、俺は素で笑った。









『そろそろ、寝ろよ』





いつの間にか時計の針は1時50分を過ぎている。



こいつ、熱あるんじゃなかったかな。



なんで、こんなにテンションが高いんだろう。





『あれ、そういえば…クラブの方は良かったんですか?』




どうしてこいつは、自分ん家の鍵を忘れる癖に、こういう余計なことは思い出すんだろう。



面倒だな、と思いつつ。





『休んだ』




小さく呟いたのに、ちゃんと聞き取っていたようで。





『え!?』






櫻田花音はひっくり返りそうな声で叫ぶ。





うるせー。




『うるさい。いいからもう寝ろ』




このままにすると、さらに面倒なことになりそうだ。




しっしっと寝室の方へ追いやるも、振り返り振り替えり、櫻田花音は俺を気まずそうに見る。





『でででもでも、わ、悪いこと…』




『別にあんたの為じゃない。俺が勝手に休みたかっただけ、おやすみ』





その肩を掴んで、寝室に押し入れる。





『ちょ、ちょっとま…』




はい、さよーなら。



俺は勢いよく、ドアを閉めた。






なのに、直ぐにドアノブが回される音がする。



なんだよ、まだ何かあるのか?




隙間からちょろっと目を出した櫻田花音を俺は睨む。




『何。』



『ひっ』




驚いたように、櫻田花音が息を呑んだ。





俺は化け物か?




『えっと、、、その…あの…』





口ごもる癖に、一体何を言いたいんだか。




俺は首を傾げながら、中々出てこない続きを待つ。





『あ、あ、あの。。。えっと…』





そんなに言いにくいことなのか。



何も言わずに、じっと見ていると、やがて櫻田花音はぎゅっと目を瞑って。





『も、もう少しだけ…』





そこまで言うと、唇を少し噛み、また開く。





『…そばにいてくれませんか?』




―は?






なんだ?このしおらしいお願いは。



熱が出てとち狂ったか?




あぁ、でも子供だからな。仕方ないのかな?




そう思い直して、





『いいよ』





と言ってやると、櫻田花音はにやける。




その顔。



歩道橋の下でもやってたなとふと思い出し、内心笑った。





ダウンライトを点けて、椅子に座り、ベットに横になる櫻田花音を見る。





『これでいい?』





『…はい』




さ、これでやっと寝てくれるかなと思いきや。





『あ、の…一個…いっこだけ、、訊いてもいいですか…?』





何故か質問されることに。




薄暗い部屋に、安心感を見出しながら、適当に返事をする。





『…んー?』





『もし…私を、予定通り騙せていたとしたら…私の言うことも…聞いてくれましたか?』





また。



変な質問をしてくるな、こいつは。




呆れつつも、




『…たとえば?』




仕方なく質問の意図を知ろうと試みる。



質問した張本人は、俺が訊き返すとは思っていなかったらしく、目を丸くして―まるでしまった、とでもいうように―掛け布団をぎゅっと掴む。




『……い、妹じゃなくって…こっ、恋人としてってことです…』





最後の方はごにょごにょと小声で言うもんだから聞き取りづらい。





『聞かない』





即答すると、櫻田花音は眉間に皺を寄せて、目を瞑る。




なんだよ、オワリか?




暫く何も言わずに観察していると、段々とその眉間の皺が薄くなっていき、やがてすーすーと規則正しい寝息が聞こえてきた。





寝たのかよ。




俺は呆れつつも、組んだ膝に頬杖を付いて、あどけないその寝顔を見つめ続ける。





―恋人として、か。




あのまま、例えば、勧誘が上手く行っていたとして―



俺はコイツと恋人同士で騙していただろうか。



他の女みたいに?




手を伸ばせば、触れられる距離で、俺は考える。



上手く、できただろうか。



甘い言葉を囁いて。




………




そこまできて、俺は首を振る。



いや、想像できない。



櫻田花音を相手にそんなことやってたら馬鹿馬鹿しい気がする。



何よりもまず。




何のメリットもない。




でも。それじゃぁ…俺はなんでコイツにキスをしたんだ?




何で触ろうとする?




駄目だ。



これ以上考えるのは、止めよう。



今でさえ、危険な気がしている。




触れたり、近づいたり、するのは、コイツ相手には危険な気がする。




あー、ほんと。



俺、どうしたんだよ。




ここ数日ずっと頭を悩ませている核心に触れるのは、怖い。




はー、と溜め息を吐き、気がつけば溢していた。





『…色んな意味で、ね…』




あんたに近づいたのは、もしかしたら、間違いだったかもしれない。





ヴーヴー




鳴り出した携帯の音に我に返る。




どうも、ここ最近、ぼんやりすることが増えてしまった。




部屋全体に光が射し込んでいることで、太陽が高い位置に移動したのだと知る。





ふと視界の隅に入った時計に小さく驚いた。





―もう、こんな時間だったのか。






まだはっきりしない頭で、そういえば携帯が鳴っていたなと思い出し、手に取った。





が。



その表示を見て、またソファに放り投げる。





着信の相手は葉月。




今は面倒の相手をしている余裕はなかった。






俺はもう何度目かの無意識の溜め息を吐き、片手で頭を抱える。






『ちょっと入れ込み過ぎじゃない?』





燈真の言葉も、まだ繰り返されている。





あいつを追いかけた時、俺もそれに気付いた。







『花音!』




その名前と。



あの後ろ姿で。



自分自身どうしたのかもわからずに、身体が勝手に動いていた。



なんで、追いかけたのか。



理由も知らずに手を掴んだのに。



どうして、あいつは泣いてたのか。


そっちの方が気になって。




その答えが、また。




『あ、、、あなたがっ……欲しいんです…』





あまりに突拍子もなさ過ぎて。




なぁ、駄目なんだ。



あんただけは。



他の女と同じにならないで。





俺の、外だけを見て、判断しないで。




そう願うから。



支離滅裂に思えるあんたの言い訳を、俺は信じることにするね?






だけど。



俺も。





『な、中堀さんこそっ、どうしてこんなところにっいるんですかぁ?!』




答えられなかった。



今も、答えられない。




なんで、あんたを追いかけて、あそこまで行ったのか。




色々と曖昧なままに、櫻田花音が走り去って。



夜クラブに行くと、燈真が俺を待っていた。






『今日、花音ちゃんに会ったよ、俺の店で』





薄らと笑みを浮かべながら燈真は俺にそう言った。



珍しく崇がカウンターに居なかった。





『―そう』




あの馬鹿。と思いながらも、無関心さを装って相槌を打つと、燈真が真顔になる。





『あの子、お前のこと、好きだよ』





心臓が、止まるかと思った。





『…なんで』





かろうじて訊き返すと、燈真は一瞬目を伏せて―




『勘、かな』




もう一度俺を見た。





『…ふーん。それで?』





燈真が言わんとしていることは、この時点で薄々気付いている。





『お前も、ちょっと入れ込み過ぎじゃない?』








答えない俺に構わず燈真は続ける。




『実名も、教えてるしさ』




自覚はあった。



最初から、計算外だった。



相手を嘗(な)めてかかっていた。



櫻田花音相手に、俺はいくつもミスを重ねている。




手放すチャンスは幾らでもあった。



なのに、何故か俺はそうしなかった。




『その仕事始める際の契約、忘れたわけじゃないだろ?』




燈真は言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を出していく。






『…当然だろ』





自分自身で設けた、なんとも簡単そうに思えた契約だ。





『…なら、いいけど。早いうちに手を切ることを勧めるよ。』





燈真はそう言うと、カウンターにあるワインの瓶の腹を撫でた。





折角一杯飲んで行こうと思ったのに、その気も失せて俺は無言でその場を立つ。





『なんだよ、不機嫌だな』




茶化すような燈真の声が、屋上へ向かう俺の背中に纏わりついた。















「契約、違反…か。」






部屋の天井を見上げながら、自嘲の笑いを溢す。




電話したあの夜。



星がやけにきれいなあの夜。





櫻田花音の戸惑った声。





あんたとこれ以上関わるのは、難しい。



そう思って、自分から、線を引いた。






自分の中に、入らせ過ぎた。



あんたも、入り過ぎた。




好きだとか、好きじゃないとか、そんな感情は俺にはよくわからないけど。



今の自分が。



今までにない感情を、抱き始めていることに気付く。



ほんの、少しの時間で。



自分の仕掛けた嘘と罠で。



自分が、その罠にかかりかけている。








まだ鳴り止む気配のない、携帯の振動に若干の慣れを感じ始めながら。





「ざまぁねぇな」





自分自身に嘲りの言葉を浴びせる。





まだ、きたばっかりだけど。



やっぱり、ここは、俺の肌に合わないらしい。



アンタが死んだからって戻ってくるべきじゃなかったんだ。



古傷が、どうも疼くから。



だから、心が弱ったんだ。



阿呆鳥の癇癪になんか、付き合ってる暇はなかったんだよ。





なぁ。



やっぱり。






嘘は。





一人きりで吐くもんだ。








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