キスの理由


タイムリミットまであと4日



「一哉?」




架空上の人物の名前を呼ばれて、自分のことだと気付くのに、一瞬遅れた。




「―え?」




「どうしたの?ぼーっとしちゃって。グラス、もう空よ?」






見ると、向かいの席で志織が拗ねたような顔をして、俺を見つめている。





「あぁ…ごめん。気付かなかった。ちょっと、酔ったのかな。」





少しの焦りを取り繕うように言い訳してみると、益々志織は口を尖らせた。





「嘘ばっかり。一哉がお酒に強いこと、知ってるんだから。酔い潰れた経験も無い癖に。」





これは予想以上にお姫様の御機嫌を損ねてしまったらしい。




「俺だって、軽く酔うくらいはするよ。でも、ごめん。ちょっと考え事してた」




仕方が無い、折れるかと謝罪するも。





「…あとちょっとしか一緒に居られないのに。」






残された時間の短さが、彼女の気持ちに拍車を掛けているらしい。






本当におかしいな。




俺は自分自身で改めて思う。




今まで、自分につけた名前を忘れたことなど一度もない。






なのに。






『一哉』が自分じゃないと感じるなんて。




珍しいにも程がある。




それは―




この街に帰ってきたのが原因だろうか。






『アオ』と呼ばれるような気がするのは。







それが本当の自分の名前だと感じるのは。




もし、そうだとしたら。





この街には長く居られない。





ま、どっちにしろ、こっちが片付いてからだ。





「乃々香の手術が成功すれば、直ぐに会えるさ。それに志織だって向こうの仕事が忙しくて暫くは俺のこと思い出す暇もないかもよ?」



ワインリストを見直しながら茶化してみても、志織の機嫌は直らない。




「そんなことないわ。」




やけにきっぱりと言い切ると、志織は剥れたままグラスに口をつけた。




こんなことも、珍しい。




短い付き合いだから、よくは知らないが、志織が俺の前でここまで感情を露わにすることは余りなかった気がする。



女の勘、て奴か?



飛行機に乗ったら最後、二度と会えないことを、なんとなく感じ取ってるのだろうか。





結局会計を済ませて車に乗り込む時まで、志織の機嫌が直ることはなく。



―仕方ない。



薄暗い駐車場。




「んん…」




助手席に乗り込んで、唇をきゅっと結んでいる志織に、運転席から半ば強引にキスをした。



最初は少しの抵抗を見せるも。



直ぐに志織の身体から力が抜けていくのがわかる。




―女にとって、キスっていうのは大事なコトらしい。




でも俺にとってキスは女のゴキゲンを取る行動でしかない。




どんなに怒っている女も、大概はこれで口を開く。



絆(ほだ)されて、ぼーっとする。何を言ってもうん、と頷く。



俺にとっては、それだけのことだ。



他に理由なんて、ない。



なのに。



それなのに、何故か櫻田花音は俺を殴った。



ほんの少し舐めた程度だったのに。



馬鹿にするなとかなんとか言って。



マジで二回も殴られるとか、有り得ねぇ。



あいつは一体何なんだよ。



物欲しそうな顔したり、殴ったり。何しろあいつはいつも手が出るんだよ。




でもいつも行動とは裏腹に―



顔が真っ赤だ。




「―ずるい」




まだ少し眉間に皺を寄せる志織が、頬を赤くさせ、俺の胸をやんわりと叩いた。



その手を優しく捕まえ絡ませて、今度は額にもキスをする。





最低な、男だからな俺も。





手の内をバラした上で協力を願い出るなんて、ちょっと軽率だったかな。




だけど、他にどうすりゃ良かったかな。



初対面に近い状態で殴られてはさすがに恋人としての設定は使えない。




でも、なんつーか。



―ちょっと、手元において置きたくなったんだよな。




柔らかい髪の感触が、まだ手に残っている。




―いつも不機嫌なあの女を。




「…ねぇ…今日、、一緒に居てくれる?」




上目遣いに俺を見上げてお願いする志織に笑いかける。




「駄目。まだ荷作り終わってないんでしょ?」




きゅっと握った手を引いて暗がりで目を合わせると、志織は寂しそうに呟く。




「でも…ほとんど終わってるし…」




「明後日は、一日一緒に居られるから。だから、今はこれで我慢、な?」




そう言って、もう一度軽く唇を合わせた。






「…わかったわ」





渋々頷く志織からゆっくり離れ、俺はハンドルに手を掛ける。






俺はこれから本業だっつーの。





心の中で吐かれた面倒さから来る溜め息を隠し、志織のマンションまで車を走らせた。




やたら、月が明るい夜だった。






========================




「あ、零。今日は来ないのかと思ったぜ」




ルナに着くと、カウンターで崇が既にかなり飲んでいた。



今日も隣に女は居ない。




「―しかも正面玄関から入ってくるとか、珍しいね。」




向かいで燈真がシェーカーからグラスにカクテルを注ぎつつ、にやっと笑った。





「ジンロック、ちょうだい。」





予定してた時間より早く着き過ぎて手持ち無沙汰になった俺は、カウンターで飲み直しを考える。





「あーあー、カノンちゃんなんで来ないんだろうー?!」





隣で突然、崇がカウンターに突っ伏した。



その横に、俺は無言で腰掛ける。



崇は軽い男だ。



顔は悪くないから、とりあえず声を掛ければ安い女は大概食える。



崇にとって女を見れば口説くというのは当たり前のことで、俺のファンや、他人の連れも例外ではない。




誰か一人と付き合うのではなく、不特定多数の女とよろしくやっている。




特にクラブのこのカウンターで酒を飲む女は全部餌食、だ。





それが、俺の知る、崇だ。




なのに。





「カノンちゃーん…」




情けない声で、酒を呷っているこの男は、誰だ?





「…好きな男に、クラブに行くなって言われてるのかもよ?」





俺の前に、燈真がジンを出しながら、意味深に笑う。




―こないだから、こいつなんなんだよ。




その視線を無視しながら、俺はグラスに口をつけた。


「そんな男、いんのかなぁ。。。なぁ、零、お前まだ会ってんの?会ってんならクラブに連れてきてくれよぉ」




向こう側からこちらにぐるっと顔を回転させて、眉を八の時にする崇。




気持ち悪。




俺は露骨に不愉快さを態度で表わし、顔を崇から背けた。





「あっ。ひどっ」




崇の悪ふざけは昔から知っている。



俺のターゲットも、なんとなく連れてた女も、俺が居ない間に試される。




元々どうでもいいから、崇になんか持ってかれたらもっとどうでもよくなるわけで。




そのことに何とも思わなかったし、逆に関係が上手く切れてありがたいと思うことだってあった。





櫻田花音が、俺の知らない間にクラブに来ていた時も、崇は恐らく前回の俺への仕返しもあってあいつにキスをした。




俺からわざわざ見えるように。




目が合った瞬間、やっぱりか、と思った。




櫻田花音、お前はやっぱり軽い女なんだな、って。




だけど―







どうも解せない。




なんで、そいつは良くて俺は殴られるんだよ?






俺は無性にイラついて、櫻田花音と合った目をすぐに逸らした。





機材を操り、会場を魅了することに、意識を集中しなくちゃならないのに。






―好きな奴とじゃなきゃ、キスできないとか、俺に言った癖に。





別にどうだっていいんだけど。




なんか。




気に食わない。







ふと気付くと、燈真は違う客と談笑していて、崇はぼんやりしながら酒を飲んでいる。





―『今日来てた子、零に用事があったみたいよ?』





あの夜のここでの出来事が思い出された。





演奏を終えても、ムカムカは治まらないまま、カウンターに行くと、崇がにやっと笑いながら俺に言ったのを覚えている。





『なぁ…俺、あの子、気に入っちゃった。』





舌なめずりをしながら―



狼は、罠を張り巡らす。




『…ちょっと待てよ、あいつには俺まだ用事があるんだけど…』





自分でもよくわらかないが、俺は咄嗟にそう言った。




『え…?』




意外そうな顔で、二人が俺を見て。




『…いや、なんでもない…』




はっとした俺は言葉を濁すと、その場を立ち去った。




外に出ると雨が降っていて、言い様のない苛立ちを抱える俺を、少し冷静にしてくれた。




冬の雨は驚くほど冷たくて、静かだけれど残酷に思えた。





―俺、どうかしてんのかな。




出た所で立ち尽くし、雨に打たれるままになりながら、自分の異変に気付く。





崇と燈真の驚いた顔には、心当たりがあった。




俺は今まで誰かに執着したことがない。




得に目の前で誰かに触られたモノは論外で。




更にその相手が崇なら尚の事。




だから。




まだあの女のことを気にする俺に、二人は驚いたのだ。










カラ。



いつの間にか、グラスは空になって、中の氷が溶けている。






「零、お代わりは?」




燈真がそんな俺に気付いて声を掛けてきた。



相変わらず崇は隣で不貞腐れている。






「…いや、いいや。ちょっと、、仮眠、取ろうかな。上のソファ、借りていい?」





席から立ち上がって、燈真に訊ねた。






「いいけど。珍しいね?」






意外そうな声で、燈真が答える。



俺だってそー思う。



夜は、毎晩、眠れないから。




仮眠なんて以っての外、なのに。





ましてや、たったグラス1杯なんかで。





カン、カン




音を立てて鉄の階段を上り、二階のスタッフルームの鍵を開けた。





打ちっぱなしの壁の部屋に、誰も居ないのを確認すると、内鍵を閉め、腕時計を見る。





22時40分、か。




真ん中に置かれたスモーキーレッドの革張りソファにどかっと腰を下ろして、結局俺は目を瞑ることなく、ぼんやりと天井を見上げた。







「なんで、会いに行ったんだろうな…」





―なんで、あんなことしたんだろ。






―あの日。



まだ、外は暗く、しとしとと雨が降る朝。



何故か俺は、櫻田花音の携帯を鳴らした。




呼び出し音が響き、直ぐに伝言案内に変わった。




内心舌打ちをしていると、自分のそれが震えて。



微かな期待と共に表示を見ると、志織からだった。





この時間の彼女との逢瀬は珍しいことではない。




櫻田花音を見つけたあの朝も。



志織の家で過ごした後だった。




夜明けの時間は、俺の最も苦手な部分で。



志織の我が儘に付き合う時は、大体外に居る時だ。




でもなんで。



志織の家からの帰り道、ついでだろうがなんだろうが。



櫻田花音の会社まで行ったんだろう。



自分でも、気が狂っていたとしか思えない。



何のメリットもない。





『あら、櫻田さんのお兄様、ですよね?』




受付に着いた瞬間に、言われて苦笑する。



自分の張り巡らした嘘だが、下心のある人間はこうして記憶してくれる。




『いつもお世話になっています。あの…大変申し訳ないのですが、妹に急に呼び出されたのですが、途中で携帯が繋がらなくなってしまい―もし可能でしたら彼女をここに呼んでいただけませんか?』




呼び出して、何をするというのか、自分でも無計画だった。



素晴らしい笑顔で頷く受付に、同じように笑みを返しながら、自分に戸惑う。





俺は一体何がしたいんだと。





『…櫻田さんのお兄様がいらっしゃっているのですが…はい…えっ、ちょっ』




受付が電話を繋いでくれている様子がおかしい。



相手から切られてしまったのか、受付は肩を落として俺を見た。




『あの…ちょっとよくわからないのですが…何故か櫻田さんの上司の方が…直接顔を見て話す、、と…』




さすがに笑顔が引き攣った。



意味不明。



なんで、あいつじゃなくて、上司が来んの?




数分後、その理由が判明する。






『あぁーらぁ、初めましてぇ。椿井と申しますぅー!』





やたら唇を強調しているギラギラした女が登場。




受付が驚愕の表情をしているのを余所に、俺はもう一度手短に説明する。





『そうだったんですねぇー!お優しいお兄様で、感激いたしますわ!』




オーバーなリアクションでくねくねするこの女。




俺、嫌い。



『でもぉ、櫻田は今日お休みなんですぅー』





『え…?』




『風邪ひいたみたいですよぉ』





馬鹿で阿呆でも風邪ひくのか。




変に納得しながら俺は頷く。





『具合が、悪かったんですね。』




『お兄様もぉ、お仕事あるんでしょうにぃ、あの妹さんではきっとご迷惑ばかりお掛けしてるんじゃないですかぁー?』





『…いえ、こちらこそ、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。仕事の合間にでも、覗きに行って見ます。』





名残惜しそうな視線を送る受付にも感謝を伝えて、俺は会社を出た。




俺がこの会社に、櫻田花音と兄妹だと嘘を広めさせたのは、万が一あいつが逃げようとした時、自由に会社に出入りできる環境を整える為だ。



今回の様なこんな意味のないことの為では決してない。





『…帰ろ…』




急に馬鹿馬鹿しくなって、俺は家に帰った。





なのに、だ。



風呂に入って着替えた俺は、リビングでコーヒーを飲みながらも落ち着かず。



ベランダに出て煙草を吸っても苛々は募るばかりで。



とうとうまた外に出て、一階のコンビニに行って見る。




別段何も必要としていないので、ぶらぶらしながら、とりあえず清涼飲料水を買った。



それから、どうしてか、駐車場へ行って車に乗った。






道を走りながら、思う。




―俺は何をしに櫻田花音の家に向かっているんだろう?




理由を探すが、上手い言い訳が思いつかない。





あ、そうか。



交差点を右折しながらふと気付く。





見舞いだ。




風邪ひいたっていうから。




そうやって自分を納得させると俺はコンビニで買った清涼飲料水をポケットに入れた。



あいつの家に着いて、直ぐにインターホンを鳴らすが、出てこない。




体調が悪いのだから、当然なのかもしれないが。



苛々したままの俺は、連打する。





―早く、出てこいよ。




なんで、そう思うのかはわからないまま。




どうしてか、あいつの顔が見たかった。





インターホンから声が聴こえた瞬間、催促する。




早く、出て来い。




カウントダウンすると、櫻田花音が慌てた様子で出てきたので、少し気持ちが緩んだ。






やっぱりあんたは阿呆だって。





チェーンが掛かってるのにはいささか不愉快だったけど。




あの手のチェーンは意外と外れるんだな。




おろおろするあいつはどうしてかどんどん奥へと逃げる。




俺が怖いのか?




それを見た俺はさらに苛々し、あいつを追いやる。




そして―



あいつがベットに倒れこんだ時。




俺の中の鬱積した感情が暴れ出す。





カウンターで拾った、崇に引っ張られたリボン。




車の助手席に置いたままだったそれを、俺は櫻田花音の顔にかかるように垂らす。




なぁ。




「…なんであそこに居たの?」





俺、思いの外、あんたを責めたいみたいだ。





現に今、このリボンを見たあんたの顔は、崇のことを思い出してたろ?



俺と目が合った瞬間を、浮かべただろ?



『そ、それは…あ、貴方に、、用が、、あって』




俺に用があっていたんだということはわかってる。



頭ではわかってる。



多分、志織のことだろうと思う。



志織が櫻田花音の会社にまできっと行ったんだろう。




最初から連絡しなかったのは、志織の性格をふまえてのことで。



別に言わなくても平気だと思ったからだ。



後で説明すれば十分だと思ってた。



でもパニックになったんだろう、あんたも。




だけど。





クラブに―




『あそこにいけば、、会えるかとおもっ』




崇の居る所に―




『―て?!』




来るなよ。




そんな無防備に。





起き上がろうとした櫻田花音の熱を持った手首を掴み、ベットに縫い付ける。





『……なっ、なにするっんですかっ』




赤かった顔をさらに真っ赤にさせて抵抗するけど、俺も今更止められない。




『……タカが……あんたのこと気に入ったんだって』




あんたの顔は本当に、考えてることがよく出るね。





『っ放して…ください…』




きつく手首を掴んで、俺は言う。




『あんたは?』




答えてよ。




『あんたは、タカのこと、どう思ってんの?』





こないだ俺に訊いたよね?



志織のこと好きにならないの?って



残念ながら俺はならないんだよ。






『もしかして、好きでもないのにキスできんの?』





あんただってどうせ一緒でしょ?




『俺のこと、言えなくない?』




答えようとしない櫻田花音にさらに詰め寄る。




『っ、違いますっ。中堀さんのとは、全然違うっ』




漸く小さく叫んだあいつに、俺は否定された。




『へぇ?どんなふうに?』




『あれはっ、無理やりっだもんっ』




言った後で、櫻田花音の目から涙が零れた。




女の涙は嫌いだ。




嘘ばっかりだから。




『嫌がってる風にも見えなかったけど?』




あーあ。



こいつは全然悪くないんだけどな。



俺はなんでこんなにこいつを責めてるんだろう?




顔を近づけると、一瞬弱弱しく視線を彷徨わせた櫻田花音だったが、すぐにきっと俺を睨みつけた。





『ど、どーだって、いいじゃないですかっ。中堀さんには、カンケーありませんっ』




こんな状態でも俺に噛み付くこいつは本当に一体何なんだ。




『そそそれにっ、私の役だって!妹なんだしっ、恋人居る設定なんだしっ、迷惑別にかけてないじゃないですかっ』




ふーん。




そうやって、自分のミスを正当化するわけですか。





『…確かにね』




確かに俺は、あんたに俺を好きになるなって言ったよ。




あんたは妹役だからな。



だけど忘れてないか?




『…でも、俺言ったよね?』




今は契約期間だってこと。




『二週間は、俺のものだって』




勝手に身体使わないでくれる?




『あと10日は他の奴のモノになっちゃ駄目だよ』





そう言って、ぎゅっと目を瞑った櫻田花音の唇を塞ぐ。




息を吸うのを許さずに、深く入り込む。




甘い吐息は必要ないから。



俺を、見て。



今だけは、俺を。





そこまできてやっと俺は気付く。




どーいうわけか、俺は、崇にあんたを盗られるのが嫌みたいだ。



いや、崇に限らず他の人間に、盗られるのが腹立つんだ。とりあえず今は。




多分、契約期間が終わればきっとこんな感情はなくなるんだろう。




だから、このキスにも、深い意味はないよ?




だけど、こんなキスは、したこともないけど。



求められたわけでもなく、



好かれているわけでもないのに。



ましてや病気の女を相手に。




自分のおもちゃを奪われて、取り返したくてしたキスなんか、今まで一度もない。





ほんと、俺はどうしたんだ、一体。






ドンドン!




扉を叩く音で、俺ははっとした。




「零!!!もうすぐ用意しないといけない時間だよー!」




扉の向こうから葉月の元気な声が聴こえる。




少し、まどろむことには成功したみたいだ。




意識がぼんやりして一瞬自分がどこに居るのかわからなかった。





「…今、行く」




ドアの向こうに聴こえない程度の声で呟いて、俺は立ち上がる。





今宵、また青いライトの下で、俺は零を演じて。




それから志織の前で佐藤一哉を演じて。




…だとしたら。




あの日、あいつにキスした俺は、誰だ?




ドアノブに手を掛けると、段々と抵抗する力が弱くなっていった櫻田花音の手首を思い出して、思わず一度引っ込めた。






「…ほんと、どーかしてる。」





まだ纏わり付くあの日の記憶を振り払うように、強く頭を振って再度ノブを回した。

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