契約違反




タイムリミットまであと6日







世界中の誰か一人でも。



自分のことをすごく好きでいてくれる人がいたなら。



私がどんな人間でも、全部ひっくるめて愛してくれる人がいたなら。




そんな人に出逢えたなら。




いつも、そう願っていた。




欲を言えば、ちょっとでいいから格好良くて。



その上お洒落で。



良い仕事に就いてて。



優しければ尚良い。






―今、何時だろう。



もう何度目かわからない。



ベットの中で、私は浅い眠りから目を覚まし、枕元にある携帯で時間を確認した。



まだ、朝の4時50分、か。



パタン、と閉じて寝返りを打つ。



昨日の昼過ぎの光景が、目を閉じると浮かんできて、眠れない。




このまま、朝が来なければいいのに。



なんだか、ずっと、横になって、ぼーっとしていたい気分だ。



さっきから、日曜日のことを思い返すばかりで、先に全然進めないから。





=========================





「あ、、、あなたがっ……欲しいんです…」





掴まれる手の力が、少し緩んだ。



目の前の彼の瞳が、揺れる。





なんかもう、いっぱいいっぱいで、言ってしまったことへの後悔とか反省とか、そんなものすら感じる余裕もなく、私はただ中堀さんを見つめていた。




少しの間、沈黙が流れる。




車が道路を走る音が、やけに大きく聞こえた。





「…それ、どういう意味?」





やがて彼は口を開く。



氷の粒がまじっているかのような、少し突き放したような言い方に、私はやっと我に返った。





―わ、私ったらなんて事を。




「え、、、と…」




だけど、何て返せばいいのかもわからず、早鐘のように打つ心臓のせいで具合が悪くなりそうだ。





「!」




急に手が、解かれた。




間を流れる北風。



それだけで。



全てが終わったかのように思えた。






何か、言わなきゃ…




そう思うのだが、カーキの帽子の下の中堀さんの冷たい目に、頭が真っ白になってしまって、良い言葉が出てこない。





あ。



帽子…




「ぼ、帽子!!!!」




咄嗟に叫ぶ。





「―は?」




「帽子です!」




小首を傾げる中堀さんに私はもう一度同じ言葉を言う。





「こないだっ、置いていった、、黒い帽子!!!あれが、、欲しいんですっ。そのっ、いただけませんかっ」





ええい、ここまでくればヤケクソだ。




この線で行こう。




「…なんで」




心底ワケがわからないという怪訝な顔を隠す事無く露骨に表わす中堀さん。




そうでしょうね、そうでしょうとも。





でも、後には退けない私。




「そのっ、ちょ、ちょうど!私今帽子を探してましてっ。友達と、、、買い物に行く予定だったのですが…」




言いながらも必死で泣いた理由を考えだす私の頭。





「そのっ、友達と、ちょっとしたことで喧嘩しましてっ」





そう、そうきっと喧嘩したの、私は憲子と。




それでえーと。




「買いにいけなくなっちゃって…中堀さんの帽子、、かっこよかったし、、い、いっかなって」




全然あったかくはなさそうだったけど。






「・・・・・・・」




まずい。



沈黙が痛い。



中堀さんの視線が突き刺さるようだ。




「な、中堀さんこそっ、どうしてこんなところにっいるんですかぁ?!」





しまった。




ナチュラルを装うつもりが。



いつもよりワントーン高い声で、自分自身気持ち悪いし不自然だと感じるものの、どうすることもできない。





「……その、オトモダチとやらが、あんたの名前をでっかく呼んだもんだから、、、」





あれ。



なんか、歯切れが悪い?




途中で言いかけて止める中堀さんを見る。




これは、チャンスだ。



今だ。今しかない。




ずらかろう。




「あっ、じゃ、そーいうことで!考えといてくださいっ。」




私は歩行者用の信号が青になったのを確認し、中堀さんに背を向ける。




「あ、おい、ちょ、待て」




いーえ!待ちません!




「急ぐので!」




引き止める中堀さんを見る事無く猛ダッシュする。




―ここ、どこだっけ。



あぁ、そっか。多分、いつも来たことない場所だ。



無我夢中に走ったから。



駅からもちょっと遠い。



でも駅に戻ると中堀さんの居る方になっちゃうから。



いいや、今日は特別。



中堀さんが見えなくなるまで走ったら、どこかでタクシーを拾って帰ろう。




なんか色々めちゃくちゃごちゃごちゃで、頭の中どっから片付けていいかわからないけど。



仕方ないよ。



とにかく帰ろう。




========================




「はぁ…」




5時になったのを確認して、身体を起こし、頭を抱えた。




飽きるくらいに、何度も繰り返し考え過ぎて、結局消化しきれない。




私が願ってたのは、こんなことじゃなかった筈なのに。




どこをどう間違って、どうしてあの人に出逢ってしまったのか。




私のことを愛してくれないのに。



完璧に格好良くて。



かなり自然体なのにお洒落で。



詐欺師で。



全然優しくない。





なのに。



好きにならないでいることの方が、難しい。





でも、たぶん。



中堀さんの、突き放すような物言い、冷たい目が、やけにはっきり心に残っている。





「好きって、伝えたら、終わっちゃう…」





暗闇の中で、ぽつりと呟いた言葉は、自分自身にかけた呪いのようだ。







ねぇ憲子。





中堀さんのことを、私が好きにならないように努力しようが、好きになってしまおうが。




結局、どうにもならないみたいだから。




どうせ、前にも後ろにも進めないから。




せめてこの契約期間が終わるまでは。




口には出さないように気をつけるから。




あの人の事を、好きだと思っていても良い?




心底、欲しいという願いだけなら、持っていてもいい?





========================





「駄目」




時刻は12時25分。




会社近くのラーメン屋にて。



ずずずーーっと醤油ラーメンを啜りながら、憲子は即答した。






「な、なんでっ」





自分の頼んだ坦々麺が辛すぎて、涙目になりながら私は訊ねる。





「つけこまれるよ?」




憲子はれんげでスープを掬いつつ、言った。




「そんな人じゃないもん!」




「ほら、洗脳されてる。」




「!ちがっ…」




「相手は真っ当な人間じゃないんだよ?」





―た、確かに。




グッと言葉に詰まる。




「…だけど、、看病とか、、してくれたもん…」




出逢ってからというもの、あの夜が、一番近づいたような気がする。




「しょうがないわよ、役者なんだから。」




当たり前だというように、憲子が言った。




―た、確かに。





私は坦々麺と目を合わす。




「…でも、ちょっと昨日はびっくりしたけど。」




「―え?」




憲子の声に私はがばっと顔を上げた。





実はと言うと、あれから憲子からの着信はいくつもあって。



でも完璧に無視して(私が憲子ならとっくに友達を辞めていると思う)、一人落ちていた。




今朝、更衣室の私のロッカー前で立ちはだかるように待っていた憲子。



昼に話すねという約束をして、散々私だけが話して、憲子の口からは昨日のことについて何も話されては居なかった。




「あの人たち、ちょっと先に居たじゃない?」




飛びついた私に苦笑しながら、憲子は話し始めた。




「…花音は、あの人のことが好きなんだなって、再確認、、、というか。私から見れば、色々思わせぶりな態度を取るカレに腹立っちゃってね。カレは実際のところ、花音のことどう思ってるんだろうって確かめたくなったの。」




へへっと憲子は悪戯っぽく笑った。




「そ、それで?」




続きが気になるじゃありませんか。




「大声で呼んだの。」



憲子は言いながら、冷水が入ったグラスに口をつける。




「―誰を?」



話が全然見えてこなくて、私は眉を寄せた。



「花音を。」



「え、私?」



「少し離れたカレの耳に確実に届くように、ね。」




カラ、とグラスの中の細かい氷が音をたてる。




「それまで、あの女がしがみつくまま、抱き寄せることもなく、そのままにさせてたカレ、どーしたと思う?」




その時の光景を思い出しているのだろう、憲子の笑いが増した。




「わ、わかんない…」




そういうフリいらないから、早く、続きが知りたい。





「俯き加減だったんだけど、すぐにがばって顔上げてさ。私のこと、見た。」




憲子は、氷だけになったグラスをカウンターに置く。




「で、花音の後ろ姿も、まぁ、見えたみたいよ。」




中堀さんの視界に私が居たというだけで、容易く胸がドキリとした。




「首にまきついた女の子の腕をさっと外して追っかけてった。」




ふふふ、と憲子は声を出して笑う。




「女の子は最初呆然としちゃって、途中で慌てて零!って呼んでたけど、もう時既に遅しって感じ。」




そ、それって、、、つまり…




「どういうこと、かな?」




坦々麺にはさようならすることを決意。



私は憲子の横顔を姿勢を正して見つめる。



「さあねぇ。」



なのに、憲子は曖昧な返事をした。




「さぁねって…私はどう判断したらいいの…」




憲子は最大で唯一無二の相談相手なのに。




「でも、欲しいって…言ったら、態度が冷たくなったんでしょう?」




カウンターに頬杖をつき、憲子は途方に暮れた顔をする私を見た。




「う、うん…」




「まぁ、欲しいって…すごい台詞だよね…」




憲子が苦笑いする。




「それは…私も、そう思った…」




「だけど、それが却って苦しい言い訳には役立ったわけだけど、ね。」




反省する私に憲子は呆れたように溜め息を吐いた。





「つまり、好きって伝えると、駄目になるんじゃないかって花音は感じたんだよね?」




憲子の質問に私は頷く。




「カレは追っかけてきた理由は、なんか言ってた?」




言いながら、席を立つので、私もそれに倣う。





「えっと…オトモダチが…私の名前を呼んだから…」





レジに向かいながら、私は記憶を呼び起こす。





「呼んだから?」





あれ、そういえば、なんて言ってたっけ。





私、最後まで聞かないで、帰っちゃったんだっけ。





「どうしたの?」





暖簾をくぐって外に出ると、前に居た憲子が振り返った。





「あー…と。何か、、最後まで聞かないできちゃった、みたい。。」




テヘ、と笑ってみせる私に、憲子は盛大な溜め息を吐いた。




「…馬鹿っ」



「いたっ」



頭をペシっと叩かれる。




「あ、ちょっと」




憲子がずんずん前に行っちゃうもんだから、私は慌てて追いかけた。




「待ってよー」




声を掛けても、憲子は振り向かないしペースを落としてもくれない。




「憲子ってば…ぶっ」




小走りしたら、憲子の背中に見事に鼻をぶつけた。




「急に止まんないでよ…」




ずきずきする鼻を押さえつつ、憲子の背中を見上げる。





「もう、いいよ。」




憲子は、ポケットに手を突っ込んだまま、やっぱり私を振り返ることなく呟く。




「え?」




「だから、もういいって。」




「―何が?」




今日の憲子はよくわかんないなぁ、なんて思いながら、私は首を傾げた。





「だから!」




その言葉と一緒に憲子は振り返って私と目を合わす。





「好きなら好きで、がんばってみればって言ってんの!」




口を尖らせて、渋々という感じで憲子は言い放った。



「え、ど、どうして突然…」




おろおろしだした私を余所に、憲子は続ける。




「カレのことは信用できないし、止めたほうが良いと思う私の気持ちは変わらない。でも、花音は好きなんでしょ?」




「…うん」




それは、この先変わりようがない事実だ。




「それも、多分…私が見てきた中で、一番、、、本気だと思う。」




はーぁ、とわかりやすく息を吐く憲子。




「花音が傷つくだろうとも思う。けど。それでもいいって思うなら、花音は自分に正直に生きればいいよ。」





「っ、憲子ー!!!」




私は我慢できず、憲子に抱きついた。




「ちょっ、苦し…っていうか、こんな公衆の面前でやめてよ…」




憲子の訴えなんてお構いなしに、私はぎゅーっと抱き締める。




どうしたらいいか、なんてわかんないけど。



応援してくれる人が居るなら。



憲子が居るなら。



ぼろぼろになって傷ついても、帰ってこれるから。



もう、この気持ちを抑えるのは、止めて。



ちゃんと、全うさせてあげよう。



胸のつかえが取れたみたいに安心して、私はそう決意した。





「あ、そうそう。ところで、肩どうしたの?昨日変だったけど…」






憲子はほっぺたをグィっと押して私を引き剥がす。






「あー…実は…」






横に並んで歩きながら、私は土曜日に宏章との間に起きた出来事を話した。





「あいつ…そこまで最低の男だとは思わなかったわ…」





憲子の怒りのボルテージが上がっていくのがわかる。






「でも、私も悪かったんだよ。」






会社につく頃、私は憲子に言った。





「私が、適当な関係をずっと続けてきたから。」





「花音…」





自動ドアを通り過ぎつつ、憲子が呟やいて私を見た。





「私、泣いて帰ってくると思う。そしたら、憲子、慰めてね。」





社員証を機械に通して、ゲートを通過すると私は憲子を振り返る。




「…うん。」




憲子が優しく頷いた。




「あっと…、いけない。午後一の会議で使う、コピー頼まれてたんだった。先に印刷だけ済まして、化粧室に行くねっ」




時計を確認して、私は慌ててパタパタと走り出し、憲子に手を振る。





明らかに元気を取り戻しつつある私のそんな後ろ姿を見ながら―





「よりによって、どうして…あんな人に出逢っちゃったのかしらね…」





憲子が溜め息を吐いたことなど、知る由もなく。




私はやっと自分自身の気持ちを受け入れることが出来た余韻に浸っていた。




何もかも、頑張れる気がした。





―私は。




中堀さんのことが。



好きで。



好きで好きで。



好き過ぎて仕方ない。



どこがって訊かれたら、全部って答える。



本当は、彼の全部なんて知らないけど。



ほんの一部分しか見てないけど。




出逢ってから一週間とちょっと、だけど。




他からどう言われたって構わない。




だけど、、、




この先、どうしたらいいかな?




========================




「あ、オリオン座。」




電車から降りて一人、家路へと向かう途中、空を見上げて呟いた。



ビルや家々の光のせいで、星は余り見えないけれど、冬は比較的キレイだ。




浮き浮きする心はどうやら勘違いではなさそうで、乙女になりきっている自分に笑える。




鼻唄なんか歌いながら、中堀さんの金色の髪を思い出した。




そういえば。




金曜の夜、中堀さんは黒い髪の毛だったのに、マンションでのお風呂上りは金髪だったな。




洗って落ちるのかな。



あの夜は優しかったな。



もっと…



触れたかったな。




きゅぅと胸が鳴った。



次、いつ会えるかな。



連絡、私からしたら、変かな。



あぁ、でも、逃げちゃったし、なんて言い訳しようかな。



帽子の話はそのまま続行させて、くれるっていったら頂こう。



ん?



あれ、中堀さんとの約束はあと…今日合わせて6日だったっけ。



もしかして。。



もしかしなくても、その一日が今まさに無駄に終わろうとしている?



え、ちょっと勿体無い。



どうせなら、会いたかった。



だけど、私から会いたいって言ったら変だよね。



特に用はないし。。



中堀さんにとって私は役者なだけなわけだし。





道端で一人、悶々と悩む私。






「あー!もうっ」




恋愛ってどうやるんだっけ。



どうしたら振り向かせられるっけ。



いつも、どうしてたっけ。




私はいつもの自分を思い出してみる。




可愛く見せたり、お洒落したり、ちょっと思わせぶりな態度してみたり?





「ないない、中堀さんに限っては通用しない」





乾いた笑いが出る。



じゃ、どうしたら。



どうしたら、あの難攻不落のカレを振り向かせられるだろう。




しかも、残り時間は僅かだ。





あーでもないこーでもないと考えていると、あっという間にアパートに着く。



今日ばかりは、ポストを確認してチラシしか入っていなくても、溜め息は出てこなかった。





「好きって言いたいなぁ。。。」




冷えた空気が、何故か心地良く感じて、アパートの階段の途中で空を仰いだ。




―ぶっちゃけてみても、いいかな。



中堀さん、好きになっちゃいましたって言ったら、どんな顔するんだろう?





怒る?突き放す?困る?




何にせよ、良い反応は期待できない。




でも。触りたい。



ぎゅってしたいされたい。



そのためには、、



あぁ、どうしたらいいんだろう。





自分のドキドキする胸に、手を当てて溜め息を吐くと同時に携帯が震えた。




「わ…」




慌てて、携帯の在り処を探るが、どうもはっきりしない。




どこだっけ。




バッグの中をひっかき回して、やっと内ポケットに入り込んでいるのを見つけた。




表示された名前は―




ドキっとした。




中堀さん。





いや、実際は佐藤で登録されているから、中堀とは出ないんだけどね。




まぁ、そんなことはどうでもいいわけで。





「はいはいっ!」





ドキドキと嬉しさの余り、笑いながら電話に出る私。




あー、中堀さんの声を聞けるというだけで、こんなにもテンション上がるなんて。



自分に正直というのは、なんて良い事なんだろう。



身体と心はやっぱり切り裂かれちゃ駄目なのね。



『こんばんは』




あれ。



いつもと、少し違う。




「…こんばんは」




それが何かわからずに、とりあえず挨拶を返した。




『昨日、ちゃんと家に帰れた?』




「あ、、はい。すみません…ご迷惑をお掛けするばかりで…」




なんだろう。




やけに静かな気がする。




いつものからかいを含んだような声じゃなくて。




淡々とした口調だ。





『ん。なら良かった。電話したのは、乃々香にお願いしたいことがあって、なんだけど』




気のせいかな。



うん。そう思おう。



私は気を取り直そうとわざと明るく返事をする。




「あ、はいっ。これからですか?それとも、明日ですか?」





私は、今日これからの方を強くおススメします!と心の声を付け足した。






『いや…』






それなのに、予想もしていない反応が返ってくる。





『この土曜日。午後7時に空港に見送りだけ、きてくれればいい。志織とは前日から過ごすから、出発ロビーに一人で来てもらうことになっちゃうんだけど。』







「―え?」






それって…つまり。。









『それで、最後だから』





携帯が、震えてる。




「それで……最後?」





違う、自分の手だ。





『そう、契約終了。お疲れ様。』





頭が、中堀さんの言葉を理解できないでいる。





「そ、その、えと…間に、何か、、、ないですか?用とか。。」





自分自身でもよくわからないことを口走る。



でも、考える余裕がない。




『特に、ないね。』




「そう、ですか…」




中堀さんの余りにさらっとした物言いも、右から左へと流れる。





『あ、そうだ。帽子、あげるから。』





思い出したように、中堀さんが言い添えた。



「あ、ありがとう…ございます…」




心にぽっかり穴が空いたみたいに、無感覚になって、よくわからない。




だけど、嫌だという思いだけがこみ上げてくる。




『じゃ、空港に着いたら連絡頂戴ね。』




「!まっ…」




通話を切ってしまいそうな言葉に思わず引き止めてしまった。





『…何、どうしたの』





ちゃんと聞こえたらしく、中堀さんは切らないでそのまま訊いてくる。





「え、と…あと、、、」




『あと?』




カラカラに乾いた口の中。



暑いんだか寒いんだかわからない身体。






「6日…あ、明日からだと…5日、あるんですけど…」






よく、わからない願望。




よくわからない自分。



『うん。それまで5日あるよ。それがどうした?』





「それまで、一度も、会わないのでしょうか…その、、し、志織さんと、です」




私の精一杯の気持ちのカモフラージュ。





『俺は、会うけど。乃々香は会わない』





「で!でも!最初、2週間って言ってたじゃないですか…」





必死で食い下がる私。




『短くなったのに、嬉しくないの?』




「っ!」




嬉しくない。



全然、嬉しくなんかない。



欲を言えば、増えて欲しいくらいだ。




『最初から毎日とは言ってないし。今週は土曜だけ必要になった。それだけ』




でも、それで、さよなら、なんて。




絶対に嫌。




私、やっと素直になれたのに。



黙り込む私に、中堀さんも何も言わない。



暫く沈黙が続く。





やがて、中堀さんの溜め息が静かに耳に届いた。




私はびくっと縮こまる。




怒らせてしまったのかと思った。





『……契約上…』





だけど、中堀さんは声を荒げることなく、静かに、呟くように話し出す。






「?」






一言も聞き漏らすまいと、私は耳を澄ませた。






『違反が見つかったから。…あんたをこれ以上巻き込むわけにはいかないんだ。』






「え、、なんの…」





『また土曜に。おやすみ。』





抑揚のない声と共に、通話は切れた。





真っ暗になった携帯の画面を見ながら、やっぱり寒いなと思った。




あれだけ星が見えているんだから、寒いのは当たり前なのに。



今まで気付かない、なんて。






「馬鹿だな、私」





乾いた笑いが零れて落ちた。





中堀さんと会えるのは、あと1回になってしまった。




契約違反、て何。





そんなの。




どうしたら良いのよ。




携帯を持つ手が、力なく落ちた。






心が重たくなり過ぎて。



呆然となり過ぎて。



言われたことを、受け止めることが出来なくて。




泣くことすら、できなかった。





―外が見えるガラス張りのエレベーターは嫌い。





昇っていく時はまだマシだけど、降りていく時は本当に落ちてしまうんじゃないかと怖くなる。






愛のないキスもキライ。




気持ちがどこにあるのかわからないから。





手の届かない恋愛はつらい。




だって、触れることすらできないから。





だけど。




こんなに馬鹿な自分は大嫌い。




こうなることは、わかっていたのに。




自分からかけられてもいない網に引っかかって、暴れて自滅したアホウドリ。




なのに、その網から逃れることはしたくない。




あなたに捕らえられたかった、愚かな鳥。

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