優しさはいつも



タイムリミットまであと8日







―言ってやった。



はぁはぁっと息切れしながら、私は達成感を感じない程痛む心に耐え切れなくなって途中から中堀さんではなくテレビを見て叫んでいた。




ただでさえ熱で火照る身体が、輪をかけて熱い。





中堀さんが着けたテレビから、ニュースキャスターの声だけが漏れている。




口を尖らせたまま、私は隣を見ることが出来ない。




その上涙はまだ流れている。





「…そうだな」




暫くすると、中堀さんが静かに呟いた。





「え…」





同意する言葉に、俯いていた顔を彼に向ける。



中堀さんは蓋をしたペットボトルを手に持って見つめていた。




「俺のことなんか、好きになったら駄目だよ」




なんでかわかんないけど。



その伏し目がちな顔が、ちょっとだけ憂いを帯びているようで。



いつも自信たっぷりの彼とは少し違う。



見たことのないカオに、心が揺れた。




「中堀さん…?」




ずび、と鼻を鳴らしながら、名前を呼ぶ。






「俺のせいで、あんたの生活は乱されちゃってるわけ、か…」




心なしか肩を落としているようにも見える。


どうでもいいけど、その筋肉隆々な上半身に服を着せてやってよ。




「い、いえ、あの、そういうつもりでいったのではなくてですね…」




いや、事実、その通りなんだけど、なんか調子が狂う。




「そうだよな。無理させてるよな。風邪ひいてるのに雪降ってる中、会社から歩かせちゃうし…」




「それはっ…自分のミスで…」




あぁ、なんだこれ。




私は必死で、ペットボトルと会話する中堀さんを何とか励ませないかと思案し始める。




「そうやって…俺が生活乱してるから、荷物も持たずに会社でてきちゃうんだな…」




「はい…て、え?!」




一度頷いて、中堀さんに目をやると、彼はしたり顔でこっちを見て笑っている。




荷物?




「鍵とか財布とか鞄には大事なもの入ってるのにね?」




クスリ、小さく笑うと中堀さんはソファから立ち上がって、傍にかけてあった長袖のシャツを着る。



私は完璧固まって、思考を彷徨わせていた。



荷物…鞄…



あ、れ、そーいえば。



私バッグをどうしたんだろう。



電車も使わずに、歩いてきたので気付かなかったけど。



ロッカーから持ってきた記憶がない。




と、ゆーことは。



つまり。。




「あっの!会社まで、取りに…」




手ブラで歩いてきたということか。






私の言葉を待っていたかのように、彼は視線を壁時計に向ける。




「…?」




私も同じようにそちらに目を向ける。




「もう、とっくに12時過ぎてるよ」




時刻は只今0時45分。会社に取りに行くには遅すぎる。





「さすがに俺も、あんたの会社まで行ってロッカー漁れないからなぁ。仕方ないよねぇ」




ケラケラ笑う中堀さん。



血の気の引く音が聞こえる気がする私。



要は、あのまま車で爆睡した私を家に送ろうにも鍵がなく。多分起こしたであろうが、起きず。




私がここのベッドに寝かされていたことの意味を、ようやく悟る。





「ごめん…なさい…」




落ち込みすぎて俯いた顔を、上げることもできず、謝った。



隣のソファが少し沈んで、再び中堀さんが座ったのだと気付く。




「まぁ、まさか徒歩とは思わなかったけど、ここまで来させたのは俺にも責任があるし、ね。」




いつになく穏やかな口調で、中堀さんは言った。




「……」



しかし、中堀さんは穏やかでも、私は心中穏やかではない。



だって、こんなに迷惑掛けていたのに、あんなこと喚いちゃって…穴があったら入りたいとはこの事だ。





「そこまで生活乱してるとは、思わなかったけどね。ま、そーか。志織が会社まで行ったんだもんね?」




そうだった。



中堀さんの言葉に私は自分が言うべき言葉を思い出す。






「そうでしたっ。あの、それを訊こうと思って、こないだクラブに行ったんです。会社まで、知られちゃって…中堀さんが居なくなった後、私どうすればいいですか?」




俯いていた顔を上げて、さっきよりもやや近い隣にいる彼と目を合わす。



中堀さんは、あぁ、という顔をした。




「どうって…そのままいつも通り過ごしてれば良いよ。」




「……え」




「だから、そのままで居れば良い。何も考えることはない」




余りに真顔で答えるので、戸惑う私。




そのままって、、、どういうことでしたっけ?





「実はね…」



そんな私を面白そうに横目で見つつ、中堀さんが言う。




「志織が会社に行くように仕向けてたのは俺なんだよね。」




「え?」



予想外の言葉に、私は更に固まる。




「物事には色々信憑性を持たせないといけないからね。だけど―、あんたの会社の場所を知られてもいいと思ったのは、志織の仕事柄大丈夫だと思ったからなんだ」




ソファに深く寄り掛かって、中堀さんは淡々と話す。



「今志織は日本に帰ってきてるけど、あと一週間もすればロンドンに行く。で、まぁ暫く戻ってこない。つまり―、それまでに結婚まで漕ぎつけたいと思っているんだ。今は正念場って所かな。」




そう言うと、彼は天井を見上げた。



「佐藤一哉は妹のオペが無事終了したら必ずロンドンに迎えに行くと約束する。だけど、それでサヨナラだ。ずっと待っていても一哉からの連絡は来ない。かけなおしても音信不通、だ。」




「…ひどい…」




なんてことはないようにスラスラ話す中堀さんを思わず睨んだ。





じゃ、何か?



全部ぜんぶゼンブ!



目の前のこの金髪の思惑通りに、事は動いて行っているワケ?



志織さんも、私も、こんなに心揺さぶられながら、自分の思う通りに動いていると信じながら、実は彼の手の上で転がされているっていうことでしょう?





「…うん、非道いね?」





にっこりと笑う彼に、私は掴みかかる。





「どうして?!」





「…なにが?」




私の手を払うこともせず、余裕の表情で私を見つめる中堀さん。




「どうして…そんなこと、してるんですか?な、中堀さんは…、別に困ってるわけじゃないじゃないですか…仕事、自分の好きな仕事、あるじゃないですかっ、光れる場所が、あるじゃないですかっ」




私みたいに、毎日誰でも出来るような仕事をしているわけじゃない。



私みたいに、その他大勢の中の一人で、名前を覚えてもらえないわけじゃない。



必要とされている場所が、あるのに。





「……櫻田花音?」




ふいにフルネームで呼ばれて、ドキッとした。




正面から私を見つめる彼の目はもう笑っていなくて。




中堀さんのシャツを掴む私の手をやんわりと外させる。




「俺の髪の色は、黒と金、どちらが本当の色だと思う?」




……は?




何を言い出すかと思えば、髪の色の話?




私は目がテンになる。




だけど、目の前の彼は、どこか寂しげに見える。



ふざけているわけじゃ、なさそうだ。






「それは…どういう意味ですか?」



質問の意図をわかりかねて、率直に訊ねると、彼は自分の前髪に触れた。




「俺の、元の髪の色は、どっちだと思う?」




サラリ、重力に逆らわずに中堀さんの指から落ちたきれいな髪を見て羨ましいと思いながら即答した。




「そりゃ…黒でしょう?」




だって、中堀さんは日本人だもの。



質問の意味が、佐藤一哉として、中掘空生としてっていうのであれば、金髪が本物って答えるけど。



地毛っていう意味ではこれが正解でしょ?




だけど、彼はふっと笑って。




「ハズレ」




そう言った。





「え、、冗談ですよね?」




信じられるわけないでしょう。



これもきっと嘘でしょう。



私はそう思っていて、多分それは顔にも十分に表れていたに違いない。




「ま、信じなくてもいいけど、俺半分は日本人じゃないんだよ。」




まただ。



中堀さんは、少しだけ、寂しげに笑った。




「だけど、その半分が、どこの血かはわからない」




中堀さんに捉まれた手から、力が抜けた。




それって…つまり―





ぐ、ぐぐぐぐーーー




「はっ!」




予想していない音に、思わず自分のお腹を見た。




「ぶっ…くくっ…」




そして、笑い転げる中堀さんを半泣きで眺めた。



は、恥ずかしいっ



お腹の虫めっ。



何も今!この瞬間に鳴くことないだろう。




「ふっ…そういえば…夕飯、食べてないんじゃない?くくっ…お腹空いたんじゃないかって思って、野菜のポタージュ作っといたんだ。食べる?」




笑いが収まりきれてないですよ。



羞恥心から唇を噛みつつ、コクリ、頷いた。





あと少しで。



もしかしたら、中堀さんの本音を聞くことになったのかもしれない。



そう思うと、悔しい。



きっと、中堀さんは今訊ねても、もう教えてくれない。



あぁ、お腹の馬鹿。



でも。



中堀さんの話が、本当なら。


察するに、父親か母親のどちらかは知らずに育ったのだろう。



それが。。。


そのことに関係する何かで。



彼は多分、詐欺を行っている。



というか。



人を、愛せない。



そういう話の流れだったんじゃないかと推測しても、いいのかな。




そんなことを考えながら、キッチンに佇む彼の姿を眺めた。




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「お、おいしい」




完敗です、という思いで、テーブルの上の器に盛られた湯気の立つスープを眺めた。




「そりゃ、良かった」




そんな私を中堀さんは壁に背中を預けて立ち、腕組みをしながら見ている。




顔良し、スタイル良し、仕事あり、センスあり、その上料理も出来る。



言うことなし、とはこのことだ。



世の女性達ならば、いっそのこと騙されたっていいんじゃないか、と思う詐欺師じゃなかろうか。



そこまで考えてぶるぶると頭を振る。



いやいやいや。



駄目だ。この感情に呑まれてはいけない。




「あのっ、これ。。何が入ってるんですか?作るのって難しくないんですか?」




とりあえず自分の疑問を解決してもらおう。





「ぶっ…良いから飲みなよ。またお腹鳴っちゃうよ?」




小ばかにしたように、中堀さんが言うので、私は頬をぷーと膨らませる。




「だって!すごく美味しいんですもん。…身体にも良さそうだし…今度具合悪くなった時に、作りたいし…」




「わかったから。とにかく、今は飲みなさい。」




呆れたように中堀さんは言うと、私の向かいの椅子に座った。




教えてくれそうだったので、私も言われたとおりにスープを飲み始める。




「…材料は、じゃが芋、人参、玉葱、セロリ、ローリエ、鶏がらだよ。」




ものすごい勢いでスープを飲み干す私を、中堀さんは半笑いで見ている。




「材料をじっくり柔らかくなるまで煮たら、ローリエを取り出してブレンダーで粉々にする。それから濾して鶏がらと塩コショウで味を調えたら牛乳を入れて終わり。簡単だよ」



そう言った後で、お代わりあげよっか?と私に訊ねた。




中堀さんが言うと、本当に簡単に聞こえるから不思議だけど。



ちょっと面倒そうだから、多分、いや絶対私は家に持ち帰って作ることはしないだろう。



図々しくも中堀さんに空っぽになった器を手渡しながら。



改めて。



改めて、格好良いなぁ、と思ってしまった。




「マンションの1階にコンビニが入ってるから、何か入用なものあったら言って?買ってくるから。」




お代わりのスープをテーブルに置きつつ、中堀さんがそう言うので私は驚く。




「いえいえいえっ、め、滅相もございませんっ。その、、友達の家とかに行きますからっ」




ぶんぶんと手と頭を降った。




「…携帯もないのに?しかもこの時間に?」




ごもっとも。



確かにそうなんだけど…




「…いいから。今日は泊まって、明日朝会社に送るよ。どうせ休日出勤している奴が居るだろ?いなかったら守衛に開けてもらえば良いし。わかったらそれ食べて薬飲んだらベッドで寝ろ。俺はソファで寝るから。」




「で、でも…」




申し訳なさすぎて項垂れる私に、中堀さんはふぅ、と溜め息を吐いた。




「それとも何?添い寝して欲しいの?」




「っち、そんなわけないじゃないですかっ!」





一気に顔が熱を持ったのが、自分でわかった。






「まだ熱あるんだから、無理すんなよ。そこにあるスウェット、俺ので少しでかいだろうけど、着替えてもらって構わないから。」




ダウンジャケットを羽織り、中堀さんはそう言うと、必要なものを私から聞き出してコンビニへ行ってしまった。





「ど、どうしよう…」




一人、取り残された私は、温かいスープを前に途方に暮れる。




なんか。いつもの中堀さんとは少し違う、柔らかな雰囲気に呑まれてしまいそう。



折角、好きにならないと宣戦布告までしたのに。



なんでこんな時に優しいんだ…



その上、お泊り…



ほんっっっと。




バッグ忘れるとか、サイテー。



じゃんじゃん泣いたり喚いたりしたせいで、メイクが崩れているのは百も承知。



どうしていっつも中堀さんの前で、私は少しもかっこよくない、かわいくない、素の自分になってしまうんだろう。


「とりあえず…居ない間に着替えておこうっと」



真剣に考えると受け入れることのできない現実に、ノックアウトされてしまいそうなので頭を真っ白にした。



それから椅子から立ち上がって、ソファの背もたれに掛かっている黒のスウェットを掴む。



誰も居ないんだけど、なんだか気恥ずかしくて、ソファの影に隠れながらこそこそ着替えを済ませた。




うわ。



あの甘い香り。



服についてる。



なんか、もうどーにかなりそう。。



心臓をばっくんばっくん言わせながら、私は長すぎる袖と裾をまくる。





「か、顔あらお…」




中堀さんが出て行ったドアから廊下に出て、そわそわと洗面所を探す。





えっとー、ここがトイレで。



それから、、あ。ここか。



洗面所、見っけ。




「なんていうか…」




キレイ好きなんだな、中堀さん。




思わず呟いてしまう。




水周りも完璧ってどういうこと?



最早潔癖なのでは、と思わせる。



潔癖な男はそれはそれで面倒だ。



何故なら私はアバウト人間だからだ。




「…違う違う」





そんなことを考えたかったわけじゃない。



私は気を取り直して、顔を洗った。



申し訳ないけど、勝手にタオルをお借りした。




キャラクターのタオルとか、ないのかな。



戸棚にきっちり詰まっているタオルの中に、ゲテモノはないかと物色してみるが、無駄足に終わる。



大体落ち着いた色の無地ばかりだ。





「なんだ、つまんないの」




「何が?」



一人言(ご)ちると、すぐ後ろから声が落ちてくる。




「………」




ぴたり、止まる私は石像か。



でも、振り返るのが、怖い。



だって、人ん家物色してるんだもん。



泥棒じゃないけど、、、体裁が悪い。




「おい。」




「…………」




「おーい」




「…………」




このまま、朝にならないかな。



現実逃避が頭を過ぎる。






「…アイス、食う?」




「!はい!食べます!」




思わずくるっと振り返ると、中堀さんは意地悪い笑みを湛えて腕組みしていた。




「で?何がつまんなかったのかな?」




小学生か、私は。



なんで食べ物に釣られちゃったのかな。



反省しても、もう遅い。




「な、なんでも…」




「言え」




「……かわいい、キャラクターのタオルとか、、、ないかなって…」




中堀さんの黒紫に見えるオーラに負けて、私は白状する。




「はあ?」




案の定、中堀さんは理解できないという顔をした。





「っとに、意味わかんない女」




中堀さんは暫く何か考えていたようだが、突然呆れたように笑った。





その、フワリ、柔らかい笑みに。



あぁ―。



いいなって。



理性よりも先に感情が。



好きだなって、感じてしまうんだ。



出逢った時から、今までずっと。




どの感覚よりも先に、好きという想いが身体中に伝わる。






「アイスやるから、良い子で寝てな?」




「こ、子供扱いしないでくださいっ」




「実際ガキだし」




「~~~~~~!!!」




敵わない。



叶わない。



なんてツライ恋なんだ。



片想いなんだ。





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「そろそろ、寝ろよ」




時刻が2時少し前になる頃、元気になったらしい私(本当は熱でふらふらしているけど食欲増進+ハイテンションになっている)を見て、中堀さんがそう言った。




中堀さん自身も、ちょっと眠そうだ。




そりゃそうか。



ん?



そんな彼を見ながら、ふと気付く。




「あれ、そういえば…クラブの方は良かったんですか?」




金曜日の夜といえば、盛り上がる日だろうし、私が行った曜日もそうだった。




「あー……」



言い淀む中堀さんを前に、私は首を傾げる。



そんな私をちらっと一瞥して、





「休んだ」





短く小さく中堀さんが呟いた。




「え!?」




思わず素っ頓狂な声が出る。




「うるさい。いいからもう寝ろ。」




面倒くさそうに顔をしかめながら、中堀さんは私を寝室へと追いやる。




「でででもでも、わ、悪いこと…」




「別にあんたの為じゃない。俺が勝手に休みたかっただけ、おやすみ」




そう言うと、中堀さんは、振り返って謝ろうとする私の肩を、背後からがしりと掴んでドアを開け、寝室へと放り込んだ。




「ちょ、ちょっとま…」




バタン



私の声も虚しく、ドアが閉められる音が響く。




ま、真っ暗なんですけどー!?




それに、こんなおやすみは、ちょっとやだ。




躊躇(ためら)いつつも、私はたった今閉ざされたドアのノブに手を掛けた。




ガチャ



申し訳ない程度に開けて、隙間から外を覗く。




「何。」



「ひっ」




まるでこうする私を予想していたかのように、ドアの前には腕組みをした中堀さんが立っていた。




「えっと、、、その…あの…」




中々言葉を紡げない私に、中堀さんが首を傾げる。




「あ、あ、あの。。。えっと…」




ええい、ここは発熱に便乗して言ってしまえ!




一度ぎゅっと目を瞑って、開いて、意を決した私は口を開く。




「も、もう少しだけ…」




少しだけ、わがままを。



元気になったら、ちゃんと離れるから。



熱が出て弱っている今だけは、ちょっとだけ、この間だけ、わがままを言ってもいいだろうか。




「…そばにいてくれませんか?」





中堀さんは目を見開いて、少し驚いた顔をしたけど。



直ぐに優しく、「いいよ」と笑う。



私にしてみれば、予想外の反応で。



なんだか嬉しくなってしまう。



にやけてしまう口元を必死に隠しながら、いそいそと寝室へ戻った。




中堀さんはダウンライトだけ点けてくれて、ぽつんと置かれている黒の椅子に座り、いつかのようにベットに横になる私を見下ろす。





「これでいい?」





「…はい」





こんなことばっかりやってるから、自分は子供だと言われちゃうんだろうな、と頭の隅で思いながらも。




子供でも、いっか、なんて。




少しだけ得した気分になった。






「あ、の…一個…いっこだけ、、訊いてもいいですか…?」




熱に浮かされた私は、もう無敵に近いらしい。



今できたばかりの疑問を直ぐに解決しようとする。



だけど一個だけという辺りが謙虚な気もするんだけど、どうだろう?





「…んー?」




それに対し、気のない返事をする中堀さん。




「もし……私を、予定通り騙せていたとしたら…私の言うことも…聞いてくれましたか?」




『何でも私の言うことを聞いてくれる』と言った志織さんの言葉は、まだしっかりと心に引っかかっている。



だけど、それをふまえての質問。さすがにいけなかったかな?



でも、本当は恋人になってから、利用するつもりだったって、中堀さんはそう言ってたよね?




タブーだったか、と気を揉んでいたので、少しの間が長く感じた。




「…たとえば?」




やがて、中堀さんが質問返しをしてきた。






「!!」



当然、私のノミのような心臓は跳ね上がる。




「……い、妹じゃなくって…こっ、恋人としてってことです…」




最後の方は段々声が小さくなっていって、中堀さんに聞こえているんだかいないんだか。




その上―





「聞かない」




「!」




即答された。




し、ショック…




わかっていたけど、でも、ちょっとショック。。。かなりショック。




結局私は眉間に皺を寄せたまま目を瞑った。





ドキドキ疲れからなのか、



安心したのか、



それとも熱で身体が疲れているのか、



ベットに入って、身体が温かくなるにつれ、必然的に私の意識は遠退いていく。




まぁ、もういいや、なんでも。と睡魔のおかげで、浮上できない程落ち込むこともなかった。






「…色んな意味で、ね…」






溜め息と共に、誰かから落とされたコトバが―




微かに聞こえたような気がしたけれど。




既に深い眠りに落ちていっていた私の記憶に、残ることはなかった。







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―なんか、眩しい。



あったかい。




自然と、目が開いた。




カーテンの隙間から暖かな陽の光が部屋の中に差し込んでいて、室温を上げている。




いつも寒い部屋で目を覚ます私にとっては、至福の空間だ。




「んー」




ベットから身体をゆっくり起こして、軽く伸びをする。



大分気分が良くなった。



重かった身体も軽く感じる。



熱も、多分そんなには高くないだろう。



クスリが効いたかな。




「荷物…取りに行かなきゃ…」




のろのろとベットから降りて、寝室を出る。




「中堀さ…」





ドアを開けて、リビングを覗くと、黒いソファに腕組みをして横になっている中堀さんを見つけた。




時間を確認すると、まだ7時になったばかりだった。




私の後に寝た中堀さんは、まだ眠っている。




仕事も休ませた挙句、看病してもらい、暴言を吐いてわがままを言った私。




やけに冷静に夜中のことが思い出されて、申し訳なくなった。




起こさないようにそっと、抜き足差し足で近づく。




暖房がかかっているとはいえ、一枚の毛布だけでは寒かったのではないだろうか。



益々申し訳ない。




「すみませんでした…」




小さく呟いて床に座り込み、スヤスヤ眠る中堀さんを見つめた。





こうして無防備に眠っているのを見ると、悪魔みたいに意地悪く笑う中堀さんは想像できない。




「…長い睫毛」




少し、分けてくれないかな。


そしたらちょうど良い気がするのだけど。





―あ。




きれい。




太陽の光が透けて、色素の薄い中堀さんの髪の毛が輝いて見える。




『俺半分は日本人じゃないんだよ。』




思わず、手を伸ばして、そっと指先で触れた。




髪はすぐにサラリと揺れる。



少し寂しげだった、あの笑顔が、頭から離れてくれない。




瞳の色は薄い茶色。



彼は外人ぽいかと訊かれれば、そうじゃない。



だから、脱色して染めたのかと思ってた。



でも異様に美しいその色の意味を。



私は知ってしまった。





その裏に、何が隠されているんだろう。



何を抱えているんだろう。



知りたいな。




と、突然。




「ひっ」




中堀さんの前髪を掬っていた手が、大きな手にがしりと掴まれ、私は悲鳴を上げた。




冷たくて、細く長い手。




「人の寝込み襲わないでくれる?」




その持ち主が、お目覚めだ。




「お、おそってなんか…」




慌ててどけようとするけれど、手がびくりとも動かない。




「は、はなしっ…」




そう言った瞬間、グィっと引っ張られ、驚きの余り続く言葉を呑んだ。




鼻と鼻がくっつきそうな程近くで、中堀さんは節目がちに私の唇に一瞬視線を落とし―




「おはようのキスでもしとく?」




私の目をばっちり捕らえて不敵に言い放った。




「!!!!!」




目を見開く私を見て、満足そうに中堀さんは笑い、




「…なワケないでしょ。本気にしちゃった?」




何事もなかったかのように私から離れ、ソファから起き上がる。




そしてそのまま何も言わずに、洗面所に向かったらしい。



中堀さんがキッチン脇のドアから出て行ったのが見えたから多分そうだろう。




だけど。



私は。




―キス、されるかと思った。




テレビに背を向けて空っぽのソファを目の前にして。



何しろ、動けない。



落ち着け私。静まれ心臓。





―違うな。




ぎゅっと痛む心臓で、自分の思い違いに気付く。




―キス、されるかと思ったんじゃない。




呪縛から解けたように、私は頭を抱えた。





―キス、して欲しかったんだ。




熱を帯びる頬を隠すように俯いて、私は途方に暮れる。




あと何回くらい?



抗うことのできない本能が、彼に惹かれて。



あとどのくらい?



理性で制すればいい?





こんなに近くに居るのに。



心が全く見えない。




謎が多過ぎて。



リスクが高過ぎて。



想いが。



予想以上に育ち過ぎて。





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「お世話になりましたっ!」




時刻は午前10時を少し過ぎた頃。



会社前の道路で、車内の中堀さんに頭を下げた。




「今度は、忘れ物ないようにね?」




ハンドルに寄りかかるように、外にいる私を見上げる中堀さんの計算外な上目遣いに思わずクラクラする。




「もちろんですっ」




大判なマスクに表情を隠して、私ははっきりと返事をした。




「ん。元気になって良かった。」




中堀さんはそう言って、にっと笑う。




お願いだから、ヤメテクダサイ。って言いたくなるけど、内心嬉しかったりもする。



自分のこの心の収拾はつきそうにない。



「ところで、ちゃんと開いてるんだよね?」



「あ、はい。」




以前にも土曜出勤したことがあるが、大抵誰かが居る上に泊り込みの警備の方もいらっしゃるので、間違いない。




「そ、良かったね。じゃーね」




ばいばいと手を振ると、中堀さんはウィンカーを出して直ぐに行ってしまった。





「か、かわいい…」





その場に突っ立ったって、車が見えなくなるまで見送りながら私は呟く。




ばいばい、とか。




なんなの。



中堀さん、一体アナタは幾つなの?



冷たかったり、優しかったり、かわいかったり、不機嫌だったり。



ほんと、謎。



少し頬を緩ませながら、回れ右して歩き出す。



昨晩の雪は積もるまではいかなかったものの、所々道を薄く凍らせている。





転ばないように気をつけながら、ゆっくりと歩いて会社の裏口に回った。




「ご苦労様です。」




中年の眼鏡を掛けた警備員さんがちょうど警備室に居て、笑顔で迎えてくれる。



全然ご苦労じゃないんですよ、それが。



心の中で返答するが、表向きは目で笑って返した。




裏口からはエレベーターが近く、正面玄関が遠くに見える。



当たり前だけど、受付嬢も居なくて、辺りは静まり返っていた。




「かばん、かばんっと」




なんとなく心細くなって、敢えて口に出してエレベーターに乗りこむ。



さすがに、誰も使っていないせいで、エレベーターは止まる事無く目的地まで私を運んでくれた。



降りて小走りに更衣室のロッカーへと向かい、鞄をゲット。



急いでマスクを剥ぎ取って、化粧ポーチを取り出し、鏡に向かう。






「よし!」




完璧とまではいかないけど、これで、ちゃんと自分の顔と向き合うことができる。



っていうか、よくもあの顔で、中堀さんと一緒に居たな。ある意味自分を尊敬する。





「なんだかなぁ。」





段々大胆なんだか、正真正銘の馬鹿なのか、自分でもわからなくなってきた。



ただ、成り行きが、中堀さんの前でいつも自分を無防備にさせるのだ。



別にコソコソしなくてもいいんだけど、しんとしているフロアに、自分一人の音が響くのは心臓に悪い。



というわけで、私はそっと更衣室を後にして、誰かに会っても嫌なのでオフィスにも寄らず、自宅へ帰ろうとそそくさエレベーターに乗り込んだ。




「ふぅ…」




ガラス張りのエレベーターは落ちていく。



一度、落ちてしまえばなんてことはないのだが、動きだす瞬間がどうも苦手だ。



見えないように、目を瞑ってエレベーターが一階で止まるのを待つ。





お、止まった。




その感覚に、私は安心して目を開く。




だが。



開いた扉の向こうを見た瞬間、私の頭は真っ白になった。



かろうじて階を確認すると、デジタルの数字はまだ3と表示されている。





「…休日出勤?」





乗り込んできた相手も、少々面食らったような調子で訊いてきた。




「…まぁ。。そんなとこ。…宏章も?」





「ん。ちょっと急ぎのが一件あってな。地下の資料室に行く所。」





「…そう、、なんだ。」





気まずい沈黙が流れるが、幸いエレベーターはもう一階に到着して、私は胸を撫で下ろす。





「あ。じゃ…」




横に並んでいた私は外に降りようとして、宏章に背を向ける。




が。




「待って」




少し強引に腕を引っ張られた。




「え、ちょっと…」




何がなんだかわからない間に、がっちり腰に手を回されて、空いた方の手で閉のボタンを押す宏章。




「!何すっ…」




後ろから覆うように抱きかかえられている為に、振り返ることができない。





「―やり直したいんだ。」





熱い息が、髪の毛に掛かる。





「俺、花音のこと好きだよ」




左手で腰を。



右手で肩を。



ぎゅっと抱き締めて、宏章はいとも簡単に愛を囁く。







エレベーターはゆっくり動き出し、下へ下へと向かいだす。



外はもう、見えない。





『ごめん、もう会わない』のメールが着た時。




またか、と心が折れそうになった。




宏章に、別の女が居ることは、実は大分前から分かっていた。



なんなら付き合いたての頃から、知ってた。



それでも、宏章は扱いが上手くて。



私を一人ぼっちにさせないようにしてくれたから。



猫みたいな目が、優しそうに見えたから。



私を好きだよって囁いてくれたから。



会社でのポジションは出世コースだったし。



最後に、私の方を選んでくれたら、なんて淡い期待を抱きつつ、毎日笑顔で会ってた。



そしたら全部チャラにして、忘れてあげるから、だから、傍に居て。



そう願ってた。




なのに。



最後のメールをもらう前日。



私との約束があったのに、宏章は待ち合わせ場所に来なかった。



いや、来てはないけど、居た。



寒い北風。



雪が降りそうな空。



息を白くさせ、鼻を赤くさせ、コートのポケットに手を突っ込んで待つ私の前に。



仲の良さそうなカップル。



そんなの沢山居たんだけど、私はその中のひとつに、目が釘付けになった。






「宏章…」





隣にいるのは、私じゃないね。



背の低い、ふわふわのボブのかわいい女の子。




一瞬宏章とは目が合ったけど、私から逸らした。



だって、知ってたから。



知らないフリをしたくて。





そのまま、二人に背を向けて、私はあてもなく歩き出す。





見なかったことにするから。


知らないから。



だから、またいつも通り会って、愛してるって言って?



それでいいから。



私、少しも痛くない。



傷ついてなんかいない。



この場で泣いて喚いてそのベージュのコートをくちゃくちゃになる位握り締めて『どうして?!』なんて言う、面倒な女じゃないから。



明日、また、いつも通りに、笑って挨拶するから。




だから、一人にだけはしないで。




涙も出ない。


心は冷えて。


外も寒い。



これで一人になっちゃったら、凍えちゃうから。





そんなふうに、思ってたのに。





次の日の夜着たメールを見て『やっぱり』って思った。



致し方ないことなのかもしれないとも思った。



宏章は私にバレたと思ったんだろう。






『もう会わない』





そりゃないよね。



会わないって事は。



さよなら、だよ?



せめて、話がしたい、とか。



そういうの、ないのかな。



メールで済ませちゃう位なのかな。



私は、それで終われる程度の女なんだね。



良いように使われて、分別もされないまま棄てられる。



価値のない、女なんだね。




「花音?」




何も言わない私に、宏章が呼びかける。




「俺、花音がいないと―」




「放して。」




私は冷たく言い放つ。





「花音「放してっていってるの」」




微動だにせず、私は重たいエレベーターの扉だけを真っ直ぐに見つめる。





なのに。




「何でわかんねぇんだよ」




「きゃっ」




ぐるり、身体を回転させられたかと思ったら、今度は壁に押し付けられた。





「好きなんだよ」




顔をぐっと近づけ、両肩を掴まれる。





地下についたエレベーター。



開いた扉からは誰も降りない。





嫌だ。



いやだいやだいやだ。



この人に触られるのが嫌だ。



本当に嫌だ。




中堀さんの香りが。




無くなってしまう気がする。




「宏章は…、私のことなんか、好きじゃないでしょ?」




私の口から零れ出る言葉に、宏章は一瞬怯む。





「…何言って…」




「最初からずっと知ってたの!わかってた!」




その一瞬を逃すことのないように、私は宏章を思い切り突き飛ばした。





「花音…」




呆然と、エレベーターの外、後ろ手をついた格好で、宏章が私を見上げる。



「けど…知らないフリしてた…そーいうの、もうやめにしたい。だから…さよなら。」




扉が閉まって見えなくなるまで、宏章は動くことなく。



私はその様子を見ながら、笑った。




楽しくて笑ったんじゃなくて。



強がりと自身への呆れで笑ったの。




1のボタンを押して、エレベーターが上昇するのを待つ。



外の光が差し込み、今更ながら、足が、手が、震えていることに気付く。





「はは…」




がくがくする足をなんとか叩いて、エレベーターを降りた。




がらんと広がる静かな空間。




へなへなと力が抜けて、床に座りこんだ。




冷たい、大理石が体温を奪う。






暫く、その場を動けなかった。






今まで付き合ったどの人も。


私のことを好きだと言った。



愛してると言ってくれた。



それでも、良かったの。



ひとりぼっちじゃなければ。



身体だけしか、必要とされていなくても。



嘘でも。



良かったの。



良いと思ってたの。





「うっ」




悲しくなんかなかったの。



泣いたことなんかなかったの。




なのに今、どうして涙が出るんだろう?




そこらへんで満足することが。


知らないフリをしていることが。



優しさだと勘違いしてたの。



お互いが嘘を吐き合って、好きと言い合って。



本当の好きが何かもわからずに。




ただ、求め合うことだけで、繋がっていられると思っていたから。




だけど、よく考えれば。



本当の愛情は。



傷ついたことを隠すんじゃなくて。



傷つけたことを無かったことにするんじゃなくて。




幾重にも包んであげて、大事に大事に渡すものなんだろう。




だから、簡単に手に入るものじゃないんだろう。




今更そんなことに気付く私はやっぱり大馬鹿なんだろう。



今まで自分がなんとなくしてきてしまったこと。



積み重ねてしまったこと。



それを今、改めて後悔した。





「中堀さんは…私に嘘は、吐かなかったな…」





ひとしきりぼろぼろ泣いた後、少し落ち着きを取り戻しつつ、私は呟いた。



名前も。


自分の正体も。


人を好きにならないってことも。




あの人は簡単には手に入らないけど。



だけど、いつも、本当のことを言ってくれている。




あの人以外は私に嘘を吐く。


あの人は私以外に嘘を吐く。





「わかんないな…」




どちらが本当の優しさなのか。




優しさはいつも、私が考えるのと反対方向にある。




今までのが間違いだったとしても。




中堀さんが正しいとは言い切れない気がする。




それでも心地良く感じるのは。



冷たくて嘘を吐かないけど愛してはくれない、彼なのだ。

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